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2018年12月の投稿

2018年12月25日 (火)

兆し

 庭に出ると、ヒヨドリの夫婦がいた。
 口喧嘩をしているのか、さかんに頭を振っているが、もしかしたら愛情表現なのかもしれず、どちらにして邪魔をしないように、わたしはやおらしゃがむのだ。
 すると、浅鉢の土の上にちっちゃな芽が出ているのが目に入った。
 10月に植えこんだクロッカスだ。
 ……クロッカスさん、せっかちか。
 いや、もしかしたら暖冬のせいで、うっかり発芽したとも考えられる。
 ……クロッカスさん、うっかり屋か。
 調べてみると、クロッカスには年のうちに発芽する種類も少なくはなく、開花までは球根の栄養でじゅうぶん保たれ育つ上、寒さにも強いことがわかった。うっかり者のわたしは、自分に照らして、暖かい日にうかれて発芽してしまい、発芽したのはいいが寒さのなかで凍えて、ついには花芽をつけ損なうという想像をしたのだったが。
 チューリップ(赤ばかり60個の球根を埋めた)の鉢の土の表面は、目を凝らしても何も見えない。しかし、見えないだけで、土のなかには発芽の兆しがある。すでに準備は、かなりすすんでいるはずだ。
 発芽の兆しを求めて、庭のなかを動き回っているうち、ヒヨドリの夫婦もいつしかいなくなっていた。

 ことし、辛いことがいくつも起こった。

 集中豪雨、地震、台風による災害。いろいろの事件。国外には戦争があり、内戦があり、難民の苦悩があり、おそらくわたしの知らない絶望も存在する。……誰の人生にとっても、その一部であることし2018年、困りごと心配ごとがひとつも訪れなかった、というひとはないだろう。そうだ、わたしにも心配事はあった。
 そのうちのいくつかは、まだ解決されずに、わたしの内部で燻(くすぶ)っている。一方、たのしみやよろこびごとも齎(もたら)され、その記憶に向かってありがたいと手を合わせてはいるが、燻っている心配事のほうに引かれてゆくのは不思議だ。
 これはわたしの志向性であるかもしれない。
 それぞれ完結しているものとして位置づけているたのしみやよろこびごとに対して、困りごと心配ごとのほうはいまだ動いており、何かが兆しているように思える。兆しを見逃さぬように注意深くなり、わたしはそこに発芽を待っている。
 発芽を信じたいのである。

 皆さん、ことしもこの広場に集ってくださり、誠にありがとうございました。どれほど勇気づけられ、おしえられたか知れません。

 皆さんのなかに、わたし自身のなかに、いまのいま存在する困りごとや心配事には、未来があります。あたらしい何かが兆しています。そうです、それは発芽の機会を育む存在。
 そのことを信じて、2019年に、明るい気持ちで踏み出しましょう。

2018

うちのなかにも、「芽」はあります。
これは台所のみつばの水栽培です。
ずいぶん前に、ご紹介したことがあったと思いますが、
水栽培はつづいています。
ほかにいろいろ試しましたが、
みつばと相性がいいわたしです。
2018_2

こちらはわたしの机の上のみつばさん。
同じく水栽培です。
毎日水を換える。
みつばを使うときは、根元から切って使う
(根元の葉っぱの赤ちゃんを大事に残す)。
ときどき器と、根の部分を洗う。
声をかける。を、守っています。
「兆し」だなあ、これも。

〈お知らせ〉

対談
: いまを生きるという発見
細谷亮太せんせい(聖路加国際病院・小児科医・文筆家)と
山本ふみこ

2019
119日(土)
13:00 14:30
池袋コミュニティ・カレッジ
(西武池袋本店別館 8階)

受講料
: 会員 2,808円 一般 3,348円
お申し込み・お問い合わせ
でんわ 03 (5949) 5481(直通)
パソコンから 池袋コミカレ  検索

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2018年12月18日 (火)

手助け

 夫は現在、埼玉県熊谷市の実家で、両親の生活と農業を支えている。
 家で暮らすちち、リハビリテーションのできる施設で過ごしているはは。ふたりは、ことしのはじめごろから日日少しずつ弱ってきて、いまでは記憶も不確かになってきた。
 実家で映画製作の仕事ができる仕組みを夫はつくっているけれど、仕事よりもいまは介護と農業を噛み締めているのではないか。週末帰宅するたび、夫の全身から覚悟のようなものを感じる。
 覚悟。
 しかしそれは、やわらかく、両親の人生の変化を見届けようという覚悟だ。おもしろがっているように思えることもある。

 先週、ははを施設から家に受け容れる「ひと月」がはじまった。デイケアサービス、ショートステイを組み合わせてのひと月だが、朝と夜は家で過ごすことになる。また、介護サービスが休業となる暮れから正月三が日にかけては、全日家で過ごすのだ。ははには左半身に麻痺があるため、車椅子と、そのほかいくつかのケアが必要となる。

「してみようと思うんだ」
 そう云って夫は、介護ベッド、室内用の車椅子、手すりやスロープなどを借りたり、ケアの練習をしたりして準備をすすめた。

 その生活が始まって1週間。

 先週末帰ってきた夫は、少し眠たそうだったが、自分で決めた任務を遂行するひとらしく、余計なことは考えていないようだ。こうなると、わたしのほうでも余計なことは云えない。
 お互いに仕事に出かけなければならなかったから、ゆっくり話をする間もなかったものだから、夫が熊谷に戻るまでの1時間、駅前の喫茶店に出かけて、向かい合って珈琲を飲んだ。
「このひと月を終えたら、おふくろはまたこれまでいた○○苑にもどることになるんだけど、そのことに対してもあらためて確認できると思うんだ」
 と、夫。
「……そう」
「それにね」
「……それに?」
「ぼく自身の鍛錬でもあるんだ」
「そっか」

……そう、とか、そっか、と短く受け答えをするわたし。

夫のいまの生活を直接的に手助けしないでいるわたし。

 これでいいのだ、と思う。

 少し前、こんがらかっていた時期もあったが、そのこともなつかしく、いまのわたしからすれば、そのこんがらかりも無駄ではなかったと思えるのだ。
 どんなふうなこんがらかりだったかと云えば……、ひとり置いてけぼりをくったような情けなく、つまらないという感覚。
 そうだあのころは、自分のことを「残された家族」と表現して夫を困らせていた(白状)。
「つまらないじゃないかー」
 とね。
 そんなお粗末な時期を経て、いまに至っている。
 東京の家を守ること、機嫌よくあること、仕事に精出すことがすべて、いまの生活を選んだ夫への手助けだと信じている、いま。

201812

友だちからタネをもらって、
育てているのらぼう菜。
大きくなってきました。
間引きしないといけないけれど、
愛しくて、ついこのままにしてきました。
それではいけないから、明日にでも、
間引いて、摘んだ菜を汁ものにして
食べようと思います。


〈お知らせ〉


対談
: いまを生きるという発見
細谷亮太せんせい(聖路加国際病院・小児科医・文筆家)と
山本ふみこ

2019
119日(土)
13:00 14:30
池袋コミュニティ・カレッジ
(西武池袋本店別館 8階)

受講料
: 会員 2,808円 一般 3,348円
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2018年12月11日 (火)

嫌われ者

 昔からなぜだろう、嫌われ者、ひねくれ者につい惹かれてしまう。
 ま、同族ということもあるだろう。それで肩をもちたくなるのかもしれない。

 さて、
12月のはじめのこと。
 ある会合に60人近い女のひとがあつまった。
 わたしはこの会の水先案内の役目を果たそうとしている。その場のひとの力を借りて案内をすすめてゆくのが、わたしのやり口で、この日も60人に紙きれを配って、家のしごと、ことに台所仕事の悩みを書いてもらう。
 60人から紙きれがもどってきて、そこにはそれぞれの悩みが打ち明けられているというわけだ。60人もいるのだから、さぞかしいろいろな種類の悩みが聞けるだろうと思ったのに……、そうでもなかった。悩みはあるひとつのことに集中していたのである。
 だんトツ1位は「マンネリ」を悩む声だ。

「献立がいつもマンネリ」

「ちょっと変わったものもつくってみたいのに、マンネリ」
「マンネリが過ぎて、料理がつまらない!」

 そうか、ここでは「マンネリ」は嫌われ者なんだな。

「マンネリ」mannerism = マンネリズム。
 一定の技法や形式をくり返し、型にはまって独創性と新鮮さを失うようになる傾向、と「広辞苑」にはあって、なるほどここでも嫌われ者として位置付けられている。
 俄然、わたしは「マンネリ」の肩をもちたくなる。
「マンネリ」のほうでも、それがわかるのかわたしにすり寄ってきて、「なんだかまたしても邪魔者扱い。……ひどいわ。わたしのどこがいけないのよ」と涙目になっている。

「ねえ、皆さん、マンネリでわるいでしょうか」

 とわたしは声を張り上げる。
「ねえ、皆さん、マンネリでわるいでしょうか。マンネリは新鮮さには欠けるかもしれないけれど、だからこその安定があります」
 となりで、たたんだハンカチーフを口元にあてて俯いていた「マンネリ」が、目を上げて、こちらを見て瞬きする。
「そう、安定はしています、わたくしは」

 自信をとりもどしてゆく「マンネリ」の顔を盗み見ながら思うのだ。

 この世の嫌われ者にだって、注意深く見れば別の一面がみつけられる。
「マンネリ」の場合は、手慣れた安定の存在という面があり、これは家庭料理をつくる者にとっては財産になる。
「マンネリでつまらない」なんて云わないで、むしろ「マンネリ料理をひとつずつふやしてゆこう」というふうに考えたらどうだろう。
 マンネリ料理は、どれほどわたしを支えてくれ、食卓を囲む人びとを安心させてきたか知れない。少しも独創的ではなく、新鮮さにも欠けるかもしれないにしても、だ。

 やや、
60人の皆さんに囲まれて、「マンネリ」がやけに堂堂と、何か語っている。頬をピンク色に染めて。

2018_2

夫が熊谷でつくった白菜。
立派です。
このほか、ほうれんそう、ブロッコリも
いい出来でした。
来週は、熊谷通信をお届けします。

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2018年12月 4日 (火)

率直

 60歳になったとき、ふと伊藤野枝のことを思いだし、当然大杉栄のことも思いだした。伊藤野枝の本をむさぼるように読んだ若かりし日の記憶がよみがえってきたのだった。

 伊藤野枝、社会活動家。

 辻潤、ダダイスト(野枝の最初の夫)。
 大杉栄、アナーキスト。

 この3人に傾いていった日のわたしは、自立したい、自立したいと、希ってやまないわたしだ。

 そうだ、平塚らいてうから「青鞜」の編集権を譲渡された人物として、伊藤野枝を識ったのだった。はじめは、平塚らいてうはどうして、こんな小娘(20歳だった)に「青鞜」をまかせたのだろう、と思った。
 当時の野枝から、稚拙で野暮ったい印象を受けたからだ。しかし、ここからの伊藤野枝がすごい。学び、吸いとり、成長し……その勢いは音がするほどだった。バリバリ? あるいはグングン? ガツガツ、かもしれない。

 とにかくいまの気持ちで、伊藤野枝のことを書いておこうと思った。

 持っていたはずの『美は乱調にあり 伊藤野枝と大杉栄』『諧調は偽りなり 伊藤野枝と大杉栄 上下巻』(瀬戸内寂聴/ともに岩波現代文庫)は、誰かに譲ったらしくうちにはなく、図書館に行って抱えるほどの本を借りて帰ってきた。
 片端から読んでいるうち、おや、と気づいたのだが、いまの時代に、大杉栄のごとく、揺るぎなく堂堂と意見を発する人物があるだろうか。ある意味単純なのだが、単純、いや率直と云い直そう……、率直だからこそ、揺るがないのだとも云える。
 伊藤野枝について短いものを書き上げて、わたしはほっとしている。しかし、きっとこのひととの再会はこれで終わらないだろう。この一連の読書はわたしへの60歳の誕生日祝いとして、天から降ってきたもののように思われる。

 生前みずから「わたしは畳の上では死ねないかもしれない」と語ったという野枝の予想は的中し、さいごは大杉と大杉の甥(幼子だ)とともに憲兵に扼殺(やくさつ)され、茣蓙(ござ)に巻かれて古井戸に投げこまれている(甘粕事件)。社会問題、ことに女性の解放のための活動をするなか、激しい恋に身を投じ、7人の子どもを生んだ野枝。
29年間の生涯であったから、ほぼ常に妊娠していた計算になる。
 子をひとに預けたり、夫の手を借り(大杉は子煩悩であった)たりしながら、子育てとみずからの仕事とのあいだで葛藤しながら生き抜く姿にも、わたしは「率直」を思うのだ。

 それで、いまのわたしはどのくらい率直であろう。

 少しも率直でない、というのが、答えである。
 あちらからの要請、こちらから出される課題、自分自身の都合のあいだで揺れながら、云いたいことなどほんとうには云っていない。云わなければいけないことも、云っていない。

 ときどき、早く生まれ過ぎたと云わざるを得ない人物が、この世には登場する。伊藤野枝や大杉栄も、そうだ。そのことをふたりに伝えてみることができたとして、どうだろう。

「何のはなしだ」
 と大杉は笑い、
「どの時代に生まれようと、するべきことをするだけ」
 と野枝は云い放つのではないか。

 40
年ほどの時を隔てて、ふたたびおそわる日が巡りくるなどとは、小娘だったわたしは想像もしていなかった。

2018_2

密かに「肉叩き」と呼んで
あこがれていました。
ミートハンマーともいうんですってね。
誕生日の夜届いたので、まるで誕生日プレゼント
みたいでした。
ちょっと前、1枚しかない豚ロースの切り身を
瓶で叩いてのばし、2人分のカツレツにしたのです。
これがなかなかうまくできたので、
気をよくして、ミートハンマーを注文。
ええ、わかっていますとも、
叩いて薄くのばすだけの道具でないことは。


〈お知らせ〉

127日(金)午後2時4時
入間市健康福祉センター(3階301302会議室)で
講演会をいたします。
「台所でやさしさをつくる」
お近くの方で、ご興味のある方、
どうか下記へお問い合わせください。
(お知らせするのが遅くなり、申しわけないことです)。

入間市健康推進部地域保健課

04-2966-5513

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