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2019年1月の投稿

2019年1月29日 (火)

だし入り味噌とリンスインシャンプーと

 人気アイドルグループ「嵐」が2020年末で活動を休止することが、127日、発表された。机上に向かっていたわたしは、Eメールで届いたファンクラブの公式サイトでそれを知った。
 メンバー5人の声で伝えられた動画を見ながら、とうとうその日がきた、と思った。さびしかったが、こころから祝福したい気持ちになる。感謝とともに。

 わたしのなかでは、おととしの暮れの天皇陛下の退位の決定を受けとめたときと似た感覚が湧いた。

 天皇陛下の退位の日にあたる特例法の施行日を政令として決定し、陛下が2019430日に退位され、皇太子さまが翌51日に即位されることとなるとの発表のときのことだ。

 どう似ているかというと、報に接して騒いだりしないでいようという戒めもそうだし、何より尊敬と感謝の気持ちを持ちつづけることに誇りを持ったのである。

 ひとの世はこうしてうつろってゆく。
 天皇陛下は「上皇」となり、皇后さまは「上皇后」となって、これから先もきっと、ときどき、わたしたちの前にお姿を見せてくださるだろう。
 また「嵐」も、その活動を休止させたあと、大野智さん、櫻井翔さん、相葉雅紀さん、二宮和也さん、松本潤さんが、それぞれふさわしい生き方を選びとってゆくことが信じられる。

 この
1月、わたしはもうひとつの「うつろい」を受けとめた。
 96歳の友人サダコサンの、施設への入居を見送ったのだ。このひとは、長女山本梓の家のお隣りさんだから、詳細は書かないでおく。山本梓が、いつか、このお隣さんとの交流のはじまりから今日までを書くであろうことへの仁義である。
 それでも、昨年末から新年にかけて、サダコサン転居までの日日に寄り添った記念に、書いておかずにはいられないものが、わたしのなかで蠢(うごめ)いている。だし入り味噌とリンスインシャンプーのはなしである。
 主のいなくなった家はがらんとして、何ひとつなくなっていたけれど、そうなる前に、長女はサダコサンの甥というひとからサダコサン愛用の卓上鏡を譲り受けたそうだ。それと、消耗品をいくつか。
 消耗品のなかには使いかけのものもあって、それがなんだか愛おしくて、わたしも分けてもらった。
 だし入り味噌とリンスインシャンプーと。
 いまのわたしが使わないものを選んでもらった。料理上手で昨年までは煮ものをつくって届けてくれたり、威勢のいい世間話をして笑わせてくれたり。そんなサダコサンのひとり暮らしをさいごまで支えたものたち。
「あんまり遠くまで買いものに行けなくなっちゃってさ」
 とこぼすのも聞いていた。
 味噌もシャンプーも、ごく手近でそろえられる精一杯のものだったのではないか。そして、いつかわたしも使うことになるかもしれない。もの思いをさせられながら、いま、わたしは台所で味噌を溶き、浴室でシャンプーを泡立てている。

 ひとの世はこうしてうつろってゆく。

 さびしさはある。けれど、うつろいを自然なこと、うつくしいものとして受けとめるのが、ひととしての甲斐ではないかと思うのだ。


昨年末、これまで拙著や、新聞連載のために

描いたさし絵の大整理をしました。
ずいぶん処分しましたが、
忘れがたいものだけを、
ぽつぽつポストカードにしてもらっています。
いつか皆さんにも見ていただきます。
本日は、みつけたなかの1枚をご紹介しましょう。

タイトルは「ご飯」。
W

ことしも元気でごはんをつくりましょう。

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2019年1月22日 (火)

いいことを数えながら

 1月19日、外出から戻って、机上の郵便物に目を通したり、届いていたメールのうちの急ぎの用件に返信したりしたあと、無理無理布団にもぐりこんだ。夕方5時半。

 2時間ほど眠った。よく眠れたのは、この日の午後池袋の会でお目にかかった小児科医で文筆家でもある細谷亮太せんせいのこと、細谷せんせいとの対談の会場に駆けつけてくださった皆さんのことを想っていたからだ。やさしいものに包まれて、わたしはこころから安心していた。


 そうして午後10時、近くの西久保コミュニティセンターに集合。

 夜通し中学生と歩く「ナイトハイク」がこの日ふたつ目の役割である。
「山本さん、1班の班長頼むね」
 と、とつぜん実行委員長に声をかけられ、驚く。不意打ち。
 驚いたが、「不意」のことは、わたし向きだ。「不意」の玉をひとつまたひとつ糸に通しながら生きてきたのも同然で、それを首にかけ、玉に触れる感覚がいつも指先に残っている。
 あまり前もって告げられると、こんがらかることもあるのがわたしだ。
「承知しました」

 このナイトハイクは、41年つづいてきた東京都武蔵野市第五中学校1月の行事である。42回めのナイトハイクのはじまり、はじまり。

 行程は「多摩湖自転車歩行者道」を使って武蔵野市西久保・多摩湖間を往復する約26kmだ。
 歩きには自信があるし、ナイトハイクに参加するようになって5回めでもあるから、自分ひとり分の往復には不安はないが、参加の中学生、生徒たちを見守りつつともに歩いてくれる亜細亜大学野球部の学生たち、ボランティアの大人全員が怪我なく完歩すること、何かをつかんで帰ることを希(ねが)うとなると……、その実現は簡単でなくなる。

 午前12時半出発。

 4班に分かれ、1班から順番に5分おきに歩きだす。
 月夜である。小望月(こもちづき)のこの日、まあるい月に見下ろされるなか行列はすすむ。
 このときすでに前の日のことになった細谷亮太せんせいの「いつもいいことさがし」(同じ題で「暮らしの手帖」に20年以上連載され、本にまとまっている)をわたしはまた、思い返している。
 さあ、いまのいま、わたしの「いいこと」とは何だろうか。さがしさがし、数え数え歩く。

1)元気でナイトハイクの道のりを歩いている。

2)見上げれば小望月、穏やかでうつくしい夜である。
3)ナイトハイク主役の中学生たちがたのしそうにしている。
4)多摩湖畔でテントを張って待っていてくれたおしるこ(五中地区のボラ
  ン
ティアの皆さん作)のおいしかったこと!
5)ともに歩く人びとのことばが胸に響く。

 それはたとえば。

「友だちと夜中の道を歩いてるなんて、すごい」(男子)
「眠くなってきたけど、足もちょっと痛いけど、さいごまで歩きます」(女子)「足の裏を地面につけ、踏みしめて歩くと痛みがやわらぐよ」(校長せんせい)「一歩一歩歩いて、実現するんだな」(誰かさん)

 ほんとうにいいことはたくさん!

 さがせば、注意深くあれば、もっともっとみつかるだろう。それに気がついたことも、いいことのひとつ!
 朝6時半過ぎ、行列は無事到着した。

Photo

119日(土)の会にお出かけくださった皆さん、
どうもありがとうございました。
こころを寄せてくださった皆さん、
どうもありがとうございました。
細谷亮太せんせいに『いつもいいことさがし』
『いつもいいことさがし 2』(暮しの手帖社)の
見返し(遊び)にサインをしていただきました。
家に帰って、うれしく眺めていましたら、
本とびらに、こんなことばを書いてくださっていました。

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2019年1月15日 (火)

むにゃむにゃ、むにゃ

 年明けから『いつもいいことさがし』(暮しの手帖社)を読んでいる。
 子どもの成長をみつめ、子どもの病気、とくに小児がんと向きあいつづけてきた小児科医・細谷亮太せんせいの本だ。
 10何年か前に一度読んだけれども、このたび、細谷せんせいと小さな会をご一緒することになって、読み返しておこうというくらいの動機で、読みはじめた。
 読んでいると、自分がしあわせな子どもであったこと、部分的にではあるけれども不用意な大人を生きていることの両方に気がつかされて、どきどきした。
 子どものわたしは、いまよりずっとのんびりしてものの少なかった「時代」にも、「家族」にも、「環境」にも恵まれていた。
 にもかかわらず、感謝を忘れた結果だろうか、大人になってからは、自分の後輩にあたる子どもたち、自ら生み育てた子に対して、もっと注意深くてもよかったはずだと恥じ入る気持ちが湧く。ま、いいところもなくはないと思うのだけれども、肝心なところが疎(おろそ)かだという気がしてならない。
 まだしばらくのあいだ、大人人生はつづくわけであるから……むにゃむにゃ、むにゃ。

 さて近年、この現象は何だろうかなあ……と思わされることがある。

 袖振り合った相手が、その場でのあれやこれやを共有しているのにもかかわらず、まったく反応を見せない現象だ。
 ついこのあいだもこんなことがあった。
 風で飛ばされてきたらしいプラスティックゴミの大袋がいくつも散らばり、道を塞いでいた。これを道の側(はた)に寄せ、ふたりの幼子を連れた若いお母さんの通行を援(たす)けたのだったが……。このお母さん、わたしの顔も見ずに、すたすた行き過ぎてしまった。お礼のことばを云って欲しかったのじゃない(にっこり笑うくらいのことは期待したけれども)、そんなことより、その有り様(よう)では、ふたりの幼子に示しがつかないじゃありませんか!
 ひとはおかげさまで、とか、ありがとうと思いながら、云いながら生きてゆくものなのですよ。

 それから、あれだ。

 店でものを買う、食べもの屋で客になる、乗りものに乗る、どこかの観客になる、ほかにもいろいろあると思うけれど、そういうとき、じつに横柄なひとを見かける。こんな場面にも、お世話さま、ありがとう、という思い、ことば、佇まいがなくなってゆくようで、悲しい。こんなことでは、後輩の子どもたちにやさしいふるまいがおしえられない……むにゃむにゃ、むにゃ。

 そんな憂いが溜まっていたところに細谷せんせいの本だ。

 ページをめくるたび、やさしさがあふれてくる。ぽろぽろこぼれるやさしさを拾い集めながらしあわせな読書をつづけたのだ。

 やさしいことはとてもたいせつなことです。やさしくしてもらって、やさしくしてあげることを学ぶのは、そんなに難しくはないかもしれませんが、やさしさに触れずにやさしさを身につけるのは、なかなかできないことだと思うのです。むかし、自然が人間の干渉をはねつけていた頃は、弱い人間がおたがいに支えあわなければなりませんでした。冬でも寒くなく、夏でも暑くなく過ごせるほどに文明が進歩し、自然を克服しつつあると人間がうぬぼれはじめた頃から、人間の結束は弱くなり、バラバラに行動し、人にやさしくできない人の数がふえたのかもしれません。             (『いつもいいことさがし』より)


 細谷せんせい、ありがとう。ありがとうございます。

 そうだそうだ、やさしさに触れることができて初めて、ひと(子ども)はやさしさを身につけられるのである。
『いつもいいことさがし 2』を手にとるころには、目に見えない存在に、自分が支えられていることがわかってきた。それは「むにゃむにゃ」と語りかけたくなる、わたしのなかの……〈見えない誰かさん〉だ。
 〈見えない誰かさん〉はわたしの言動を見ている。
 その目を、わたしは意識しないといけない。
 ひとがどう云おうとも、自分に不足があろうとも、自分が信じることを気弱に「むにゃむにゃ、むにゃ」としか唱えられなくとも、わたしはやさしさを撒こう(蒔こう)。やさしいことを後輩の子どもたちに伝えよう。そうして、そっと天を仰ぐのだ。

W

1月19日(土)に細谷亮太せんせいとの対談が
迫ってきました。
どうか、ふるってご参加ください。
せんせいのお話を聞くことのできる、
またとない機会だと思います(詳細下記)。

〈お知らせ〉

対談
: いまを生きるという発見
細谷亮太せんせい(聖路加国際病院・小児科医・文筆家)と
山本ふみこ

2019
119日(土)
13:00 14:30
池袋コミュニティ・カレッジ
(西武池袋本店別館 8階)

受講料
: 会員 2,808円 一般 3,348円
お申し込み・お問い合わせ
でんわ 03 (5949) 5481(直通)
パソコンから 池袋コミカレ  検索
 

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2019年1月 8日 (火)

黒豆

 2019年は、のんびりはじまった。
 元旦から日に数時間ずつ仕事をしていたし、いつになく勤勉に年賀状のお返事も書いた。それでも、「のんびり」の4文字を胸のなかに置いて歩きはじめたからだろうか、急くこともなく、坦坦と1週間が過ぎていった。
 例年とちがったのは、夫が年末年始不在だったこと。
 夫は現在、埼玉県熊谷市の実家で、ちちとははの介護をしながら日日のことをし、仕事をし、農業をしている。ことに昨年の12月初旬からひと月のあいだ、リハビリテーションの施設で過ごしてきたははを自宅に迎えて暮らしている。
「いのちをまるごと受けとめている感じ」
 だそうだ。
 たすきをかけて、熊谷の家に乗りこみ、手伝うことは考えなかった。乗りこんだとしたら、いっときいっとき状況に合わせてつくりあげているペースを崩すことになる。それに……、このひと月は両親と息子の蜜月を邪魔しないでおきたかった。
 それでわたしは、2018年の暮れのうちから「のんびり」を自分の胸に置いたのだ。
 明けた12日に、こちらから娘3人とともに、熊谷に出かけたときも、「のんびり」を携えていた。家に到着するなりははとおしゃべりをし、ちちのはなしに耳を傾けた。
 しっかりとして見えるが、ときどき記憶が怪しくなるちちに向かって、娘たちは、鸚鵡返しをしている。
「このごろ、会社勤めをしていたときのこと、ことに台湾に単身赴任していた7年間のことを思いだすんよ」
 とちちが語れば、
「台湾に単身赴任していた7年間ね。7年とは長かったね」
 と応えるのだ。
 ひとつひとつ確かめながら会話がすすんでゆくのを見て、ここにも「のんびり」が置かれているな、と感心する。

 お昼。

 炬燵(この冬、古い炬燵から、ははが車椅子で入れるテーブル式に換えた)を囲んで、お餅やら、こまこまとしたおかずやらを食べる。
「そうだ、ぼく、黒豆を煮たんだ。食べてみてよ」
 と夫。
 ちちとふたりで育てた黒豆を暮れに収穫し、煮てみたのだという。
「本を見ながら煮てみたんだ。黒の発色をよくするために、古釘を入れて煮るとあったけど、それをしなかったから、色はいまいち」
 食べてみたら、わたしがこれまで食べたどの黒豆の甘煮よりも美味しかった。

 ああ、ひとは変わるんだ。

 おはるちゃん(わかれわかれに暮らすようになってから、お互いをおはるちゃん、おふみちゃんと呼ぶようになった。……なんとなく)が黒豆を煮るなんて。それもこんなに美味しくね。
「おふみちゃん、これはよく煮えたから、半分持っていってよ。たくさん煮たからさ」
 まるで、女友だちからのおすそ分けみたいだ。

 ああ、ひとは変わるんだ。

2019

おはるちゃんからもらってきた黒豆です。
ふっくら煮えていますが、さっぱりとしています。
ヨーグルトにも入れて食べました。

〈お知らせ〉

対談
: いまを生きるという発見
細谷亮太せんせい(聖路加国際病院・小児科医・文筆家)と
山本ふみこ

2019
119日(土)
13:00 14:30
池袋コミュニティ・カレッジ
(西武池袋本店別館 8階)

受講料
: 会員 2,808円 一般 3,348円
お申し込み・お問い合わせ
でんわ 03 (5949) 5481(直通)
パソコンから 池袋コミカレ  検索

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2019年1月 1日 (火)

いまが最上

 昨年大みそか。買いものに出たときのことだ。
「おお寒」
 着ていたニットのブルゾンのポケットに手をつっこんだ。
 すると……、紙の感触がある。何だろう。
 おそるおそるその感触を引きだしてみる。

 たしかに紙。
 名刺の3分の1くらいの大きさに畳まれており、「社大像宗」の赤い文字がある。ああそうか、右から読むのね、「宗像大社」。
 それは宗像大社(むなかたたいしゃ)の「御神籤(おみくじ)」であった。
 運勢大吉。

 記憶の波をかき分けかき分け、このおみくじと自分がどこで出合ったのだったかを思いめぐらしている。宗像大社と云えば、九州は福岡県にある由緒ある神社である。……そのくらいは知っている。が、お詣りしたこともなければ、通りかかったこともなく、思いだそうにも、おみくじをポケットに入れた憶えはない。
 頭を振ってみたり、傾けてみたり、額を指ではじいてみるうち、このニットブルゾンを買った日のことがよみがえった。
 あれは暮れも押し詰まった吉祥寺。
 友人とふたりで、井の頭公園に向かう通りを歩いていた。
 古着店の前を通り過ぎようとして、誘惑に負けたのだ。その店でわたしはこのブルゾンを買った。
 MACPHEE(トゥモローランド)6,500円也。ジップアップのリバーシブルで、色は表も裏もグレーだが、風合いが異なっている。一目惚れして求めて、つぎの日から着ている。
 それでもポケットのなかのおみくじには、3日間ほど気がつかないでいた。それと云うのも、リバーシブル(両面兼用)であるため、タグが脇ではなく、ポケットのなかについており、何度か手をつっこみはしたはずなのに、おみくじはタグのなかに息を潜めていたものらしい。
 友人と立ち寄って買いものした古着店はちょっとした名店で、そこのチェックを逃れることも考えにくいことだった。

 おみくじに気がついて広げたときにも、そしてそれが「大吉」であったことにもときめいたが、何よりどんなふうな旅の末に、わたしのもとに、やってきてくれたかを思うと、不思議を通り越して責任のようなものを感じる。
 隅から隅までおみくじの文字を目で追って、ひとつのことばに釘付けになった。

「いまが最上」
 2019年、どんなことが起こるかわからないが、この気持ちでゆこう。
 いまが最上、いまこのとき、与えられたことが最上、と。

2019
年も、この広場で、
やさしいことばを交換しましょう。
どうぞどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

2019

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