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2019年2月の投稿

2019年2月26日 (火)

あちちの小瓶

 12月、1月、2月のあいだに、わたしはときどき、つぶやいた。
「もしかしたら、せっかちさん?」
 この冬に向かって告げたのだ。
 早足でやってきて、西高東低、お馴染みの気圧配置をつくりながらも、関心はすぐと別の何かに移ってゆくらしく、寒さは長くつづかない。せっかちで、ちょっと移り気な御仁と見た。

「ことしは助かる。寒いのは通勤のあいだだけ」

 と、うちでいちばん寒がりの二女が云う。
 仕事先のある隣町にこのひとは、自転車で出かける。冬になると、厚着して、首にあれこれ巻きつけ、耳あてのついた帽子をかぶって出かけてゆくが、この冬はずいぶんと軽装だ。

 ある日のこと。

 台所と食堂のあいだのカウンターの上に、不思議なものが置いてあるのに、気がついた。どうやらジャムの空き瓶だが、琥珀色の液体が入っている。何だろう。触れてみると……、「あちち!」。
 見れば、瓶のなかには紅茶のティーバッグがひとつ入っている。
「紅茶とクローブ1個。それからシナモンパウダーをひと振り」
 コートを着こんだ二女はそう云うと、あちち!の瓶をポケットに入れた。
「カイロの代わり。自転車に乗って、信号で止まるたび、ポケットに手を入れるとあったかーいの。仕事場に着いてふたをとって、ほどよくぬるくなっているところを飲んでから仕事にかかるんだ」
 あちちの小瓶。

 ある日のこと。

 あちちの小瓶が瓶のまま、食器棚のコップの隣りに置いてあるのに、気がついた。そう云えば持ち主は休業日(寝坊して起きてこない)。
 瓶に紅茶のティーバッグを入れ、クローブも1個入れ、熱湯を注ぐ。お、忘れてた。シナモンパウダーをひと振り、と。
 蓋をして、パーカーのポケットにすとんと入れ……。
 この日、わたしは1日家で仕事だが、机の前で、ポケットに手を突っこみ、「あちち!」とやってみる。
 それきりあちちの瓶のことは忘れたが、電話に呼ばれて立ち上がった瞬間、ポケットのなかの気配で、思いだした。とぷんと液体の動く感覚。蓋をとって、口をつける。ああこれが、あのひとの云っていた「ほどよいぬるさ」なのだな。

 なんていうこともないけれど、ちょっぴりこころも踊る、あちちの瓶のものがたり。




2019w 
あちちの小瓶。

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2019年2月19日 (火)

ふみこちゃん

 北海道に行くことになったとき、
「小樽を訪ねよう」
 そう、思った。

 1958
11月、小樽の富岡町の、父の勤める会社の社宅でわたしは生まれた。お産婆さんが呼ばれ、家で産声を上げたのは午前4時半ごろだったそうだ。そのときの記憶をわたしは持たないけれど、別室で赤ん坊の誕生を待ちかまえていた父にも記憶がないという。
 気が動転して、父は半ば気を失ったようになっていたのかもしれない。お産婆さんのほかには、産婦である母と父しかいないのだから、湯を沸かしたり、何かものを運んだり、そんなことくらいはしたのではないかと思うのに、
「いや、まるで憶えていないんだよ」
 と、出産の日のはなしになるといつも父はすまなそうに云った。
 自分のことをわたしは「道産子、道産子」と申し立てるが、そしてそれはまちがいではないのだが、実際のところ、4歳の年には東京に移り住んでいる。というわけだから小樽の記憶は薄ぼんやりしたものであり、断片的に憶えているような気がする事ごとはどれも、アルバムに貼られた写真によるものだ。

 札幌から電車に乗って、小樽に向かう。

 とつぜん、日本海が車窓に広がって、カモメが飛ぶのが見えた。
「海!」
 と、驚くが、そうだ、小樽は港町。
 海やカモメに驚く自分に驚かされる。

 そのとき、ふと『赤毛のアン』シリーズを思いだした。主人公のアン・シャーリーが自分の生家を訪ねる場面だ。アンは、不思議だ。こういうときに、ひょいと出てきて時時のわたしに寄り添おうとしてくれる。

 レドモンド大学に入学し、キングスポートの「パティの家」で友人たちと共同生活をするアン。ある日、生まれた土地ボーリングブロークで、生家を探しあてたのだ。幼い日に相次いで両親を亡くし孤児となって、グリン・ゲイブルスのマシュウとマリラの兄妹(きょうだい)に引き取られたアンは、このとき初めての父母(ちちはは)の存在をたしかめた。
 この家に住む女(ひと)が父と母のことを、こう伝えている。
「あれくらい愛し合っている夫婦はないとみんな噂したのを憶えてますがね。気の毒に、あまり長くは生きられなかったですよ。だけど、生きているあいだはえらくしあわせでしたでね、それが肝心だと思いますよ」
 その上、家に残っていた古い手紙の束を渡してくれた。
 アンはその日のことを「生涯で一ばんうつくしい日」と語った。たしかにそうだ、と思いながら、この家で両親を憶えていた、ひどく背が高く、ひどくやせたこの女(ひと)の存在は大きい、と云わずにはいられない。やさしい伝言を率直に告げ、大事なものを長いあいだとっておいたひと。そういう大人になりたいものだ、とわたしはこの場面が収録された『アンの愛情』(モンゴメリ・村岡花子訳・新潮文庫)を何度目かに読んだとき、こころに誓ったのだった。

 富岡町が小樽駅の西側(駅を背にした山側)であることを確かめて、ゆっくり雪の道を歩く。迂闊なことに、富岡町の番地も、社宅がその後どうなったか、父にも母にも聞かないでしまった。

 山に向かって幾筋もの坂道があり、橇(そり)で遊んだ記憶をたどりながら、ひと筋ひと筋順番に見てゆく。
 老いたひとも、若いひとも、買いものの荷を提げて、雪の坂道をあたりまえのように登ってゆく。これを毎日くり返していれば、ずいぶんと足腰が鍛えられることだろう。なんとなく(なんとなく、だ)気になる坂道を選びとって、わたしも俯(うつむ)いて登る。
 ともかくお転婆で、少しもじっとしていなかったという子どものわたしは、この坂道をころげまわって遊んだことだろう。それを回収するだけでも、母は苦労したのではないか。

 その日わたしは、幼い日の自分と、若い父と母、ひとつ違いの弟をみつけた。ふみこちゃんは年を重ねていま、ここに生きている!

2019w

この写真は、アルバムにあった、
小樽時代の弟とわたしです。
じっとしていないで、坂道を登ったり下りたり
しているのがわたしです。
201902w

小樽を一緒に歩いてくれた夫が
映してくれた1枚です。

 

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2019年2月12日 (火)

絵はがき

 札幌に出かけようという朝だった。
 家のこと、持って出る荷物のことで、せわしなく動きまわるわたしの耳が「さっぽろ雪まつりがきょうからはじまります」というニュースをキャッチ。天気予報を見ておこうとつけたテレビのニュースの声だった。
「さっぽろ雪まつり」、そろそろだなと思っていたけれど、そうか、初日にわたしは出かけてゆくんだな。

 実際に「さっぽろ雪まつり」を見るのは初めてだ。

 北海道小樽市富岡町生まれであるし、父方の祖父母や叔父叔母が札幌に住んでいたから、赤子時代、母に抱かれて会場にいたことがあったかもしれないが、その光景は記憶にも写真帖にも残っていない。
 それとは異なるけれど、わたしは「さっぽろ雪まつり」の記憶を持っている。その記憶は、いまでも毎年「さっぽろ雪まつり」のニュースを見聞きするたび、胸のあたりをむずむずさせる。
 札幌に住んでいた祖母が、毎年「さっぽろ雪まつり」がはじまると、絵はがきセットを買って、ひと組送ってくれていたからだ。小学生だったわたしは、それがうれしくてうれしくてたまらなかった。学校に持ってゆき、友だちに見せびらかさずにいられなかった。級友は皆、面倒くさがらずに驚いてくれ、札幌に祖母を持つわたしをうらやましがってくれた。
 ある年なんかは、担任の先生が、模造紙に切りこみを入れ、そこに絵はがきをはさんで教室に飾ってくれたっけなあ。

 札幌について味噌ラーメンを食べ、ほんの少し仕事をし、それから雪まつりの会場まで歩く。会場である大通公園は、人だかりができていたが、ひとの波はスムースに移動している。なるほど雪像をはさむ両側の通路は一方通行になっていて、それが守られているからだ。

 雪が舞うなか、氷かけた地面にときどき足をとられながら歩いていると、祖母のことがしきりに思いだされる。小柄でうつくしい祖母はわたしの自慢だった。雪まつり会場も、着物姿で歩いていたのだろうか。いや、もんぺに長靴だったかもしれないな。

 何度かそっと声に出して呼んでみる。

「おばあちゃま……」

 祖母からもらった絵はがきには大きな雪像がいっぱい写っていたが、いまは市民も参加の小さめの作品もふえている。市民雪像は、
NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」のチコちゃん、キョエちゃん(カラス)の像がいっぱいだ。

 夜、ホテルでの部屋で、大通会場で求めた「さっぽろ雪まつり」の絵はがきで、
3人の叔母にたよりをする。
 祖母が毎年雪まつりの絵はがきを送ってくれたこと、子どものわたしはそれがうれしくてたまらなかったことを書いた。祖母にたよりするような気持ちで。

「明日は、わたしが生まれた小樽に行ってみようと思います」

Photo

「さっぽろ雪まつり」の公式絵はがきです。
雪まつりは大通会場(札幌市を東西に横切る
大通公園 1,5km)のほか、
つどーむ会場(札幌市スポーツ交流施設
/子どもたちも遊べる雪のアトラクション)、
すすきの会場(氷像)があります。

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2019年2月 5日 (火)

すきましごと

「あのさ、お母さんの机今夜だけ貸してくれない?」
 夜の8時ごろ三女が云うので、「はいはい、どうぞ」とふたつ返事だ。
 なんでも、就職活動を睨(にら)み、取得しておこうとする「資格」のための試験にそなえて勉強したいのだそうだ(自分の部屋の自分の机には飽きた模様)。
「資格」というものをひとつも持たないわたしは、このことばに弱い。
「資格」の3文字を聞くと、でろでろーんとからだがとつぜん軟化し、床に流れる。……ような感じになる(比喩である)。すごいなあ、「資格」。そのためのおべんきょうならば、どうぞわたしの机を使ってください。
「紅茶、淹れましょうか?」

 ほんとうはその夜、机でもうひと仕事しようかなあ、と目論んでいた。だが、急ぎの仕事ではなかったし、「資格」ということばの前にでろでろーんであったし……、じつは何より「すきましごとができる!」と思ったんである。


 しごとと仕事。

 わたしは職業のほうのを「仕事」、家のことやそのほかのを「しごと」と書き分けている。いつだったか、することがいろいろあるのはしあわせなのではないか、と気がついた。それまで、忙しいだの、眠いだの、自分の時間が減ってゆくだの、文句ばかり云っていたのだが、気づきはとつぜん降(ふ)るように胸に広がった。
 以来、しあわせの証(あかし)として「しごと」と「仕事」を書き分けるようになった。どちらも、自分が関わるという点において同じだけれども、異なる点もたくさんだ。「仕事」には慎重さが要求されることが少なくない。一方「しごと」のなかには、ひとに云わせれば「そりゃ、しごとでも仕事でもない。遊びじゃないのか!」ということになりそうなものも含まれている。大真面目に遊ぶから、そうなる。
 するとわたしの24時間は「しごと」と「仕事」がかなりの部分を占めることとなり、睡眠はどちらだろうなあ、やっぱり「しごとのうちだな」なんて思って頷くのだ。

 つまらないことを長長書いてしまったが、これは道草で、本題はここから。

 三女に机を譲ったわたしは、うれしく「すきましごと」に取り掛かる。「すきましごと」はとつぜんできた時間をつかってするしごと。「すきま仕事」もあるが、圧倒的に「すきましごと」が多い。
 床の上に新聞紙をひろげ、だしパックに削り節を詰める。かつお節削り器できこきこ削っていた日は遠く、いま、かつお節削り器は棚の上から居間を見下ろしている。もう少し余裕ができたら、刃を調整してもらって、また自分でかつお節を削ろう。
 しかしいまは、削ったかつお節を買ってきて、だし袋に詰めて使う。これを水に浸けて冷蔵庫で出番を待ってもらっているのだ。
 だしパックに削り節を詰めるしごとは、簡単そうに見えて、じつはちょっと気を遣う。削り節の量をケチるとうまくないし、手元に集中しないと、削り節が飛び散ってしまう……。
 こんな作業が、わたしには効く。一度これをしても、削り節をぎゅう詰めにした瓶はたちまち空になり、そうなるとまた同じ作業をしなければならない。
 しかし達成感がある。
 それはなぜか。くり返しを愛するこころが身についたからだろうか。そうだとしても、それはやっとのことだった。やっとのことで身につきかけている。

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だしパックに詰めた削り節の瓶(左)と
昆布を長さ5cmに切ったものを詰めた瓶(右)と。
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削り節袋と昆布を水に浸けたポットが
いつも冷蔵庫で出番を待っています。
日によって干し椎茸や煮干しも登場します。

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