あちちの小瓶
12月、1月、2月のあいだに、わたしはときどき、つぶやいた。
「もしかしたら、せっかちさん?」
この冬に向かって告げたのだ。
早足でやってきて、西高東低、お馴染みの気圧配置をつくりながらも、関心はすぐと別の何かに移ってゆくらしく、寒さは長くつづかない。せっかちで、ちょっと移り気な御仁と見た。
「ことしは助かる。寒いのは通勤のあいだだけ」
と、うちでいちばん寒がりの二女が云う。
仕事先のある隣町にこのひとは、自転車で出かける。冬になると、厚着して、首にあれこれ巻きつけ、耳あてのついた帽子をかぶって出かけてゆくが、この冬はずいぶんと軽装だ。
ある日のこと。
台所と食堂のあいだのカウンターの上に、不思議なものが置いてあるのに、気がついた。どうやらジャムの空き瓶だが、琥珀色の液体が入っている。何だろう。触れてみると……、「あちち!」。
見れば、瓶のなかには紅茶のティーバッグがひとつ入っている。
「紅茶とクローブ1個。それからシナモンパウダーをひと振り」
コートを着こんだ二女はそう云うと、あちち!の瓶をポケットに入れた。
「カイロの代わり。自転車に乗って、信号で止まるたび、ポケットに手を入れるとあったかーいの。仕事場に着いてふたをとって、ほどよくぬるくなっているところを飲んでから仕事にかかるんだ」
あちちの小瓶。
ある日のこと。
あちちの小瓶が瓶のまま、食器棚のコップの隣りに置いてあるのに、気がついた。そう云えば持ち主は休業日(寝坊して起きてこない)。
瓶に紅茶のティーバッグを入れ、クローブも1個入れ、熱湯を注ぐ。お、忘れてた。シナモンパウダーをひと振り、と。
蓋をして、パーカーのポケットにすとんと入れ……。
この日、わたしは1日家で仕事だが、机の前で、ポケットに手を突っこみ、「あちち!」とやってみる。
それきりあちちの瓶のことは忘れたが、電話に呼ばれて立ち上がった瞬間、ポケットのなかの気配で、思いだした。とぷんと液体の動く感覚。蓋をとって、口をつける。ああこれが、あのひとの云っていた「ほどよいぬるさ」なのだな。
なんていうこともないけれど、ちょっぴりこころも踊る、あちちの瓶のものがたり。
あちちの小瓶。
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