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2019年3月の投稿

2019年3月26日 (火)

インフォメーション・テクノロジー

 かつては、外来語、カタカナをできるだけ使わずに原稿を書いていた。ひとつの試みとして、そうしていたのだ。
 書いてゆくなかで、さて、このことば、どう表記するか、と立ち止まるとき、「カタカナでなく……」と決めておくと迷いがないというのが、いい。
 もちろん、好きな日本語のことばが使われなくなってゆくことへの抵抗もあった。
 ま、なんとなく……だ。

 けれど、近年、そうも云っていられなくなってきている。
 わたしの書くもののなかにも外来語が増え、カタカナがラインダンスをはじめる場面さえ登場するようになった。
 だがそれでも。
「インフォメーション・テクノロジー」なんて題をつけて、何か書こうとするのは初めてだ。いま、これについて書いておかなくては、という気持ちになっている。
 先週火曜日の午前中のことだ。
 早起きしてブログの原稿を書いて、更新しようとしたら、「メンテナンスのため、更新は午後1時になります」という案内があった。前もってこの情報をつかんで前日に更新する方法もあったのに「ゴメンナサイ」と思った。読者に対する「ゴメンナサイ」である一方、早起きして締切を守ろうとした自分に対しても、挨拶したい気分だった。
「ゴメンネ」

 ところが。
 午後1時になってもブログは更新されない。ああ、こうなると、わたしに何か起きたのではないかと心配してくださる読者もあろうかと、気が揉める。病に倒れた、とか。何かにぶつかって怪我をした、とか。この日は結局更新ならず。あらあら、と思いながら休む。
 ブログが更新されたのは、2日後だった。
 ゆき暮れた気持ちになりかかったが、ブログを毎週火曜日に発信するようになってまる12年、こんな不具合は初めて、ということがそも、不思議だと思える。
 書き下ろしを頼まれて、「はいはい」と返事したものの、少しも書こうとしないわたしに業を煮やした編集者が、「ブログを書いて、原稿をためましょう」と提案してくれたのがはじまりだった。「ブログって何?」といぶかりながら書いては、1週間に一度更新してもらっていた。その後出版社から独立するかたちになってからもつづけて、12年。わたしにすれば、驚くべき歳月だ。
 この12年のあいだに、紙の出版は、ネットの出版に押されてきたし、その世界はどんどん、どんどん、ひろがってゆくようだ。こうして、いつのまにかインフォメーション・テクノロジー(情報技術/IT)の一端にぶらさがるわたしになっていたのである。

 このたびの不具合は、そんなわたしにちらりと未来を見せたのだ。
 きっと、これからも不具合や事故の類(たぐい)はそこここで起きるだろう。
 わたしはなぜか、子どものころ、洗濯機の側面についたゴム製のローラーに洗濯ものをはさんで絞る手伝いをしたときのことも思いだしていた。
 自動で洗濯ができる機械も不思議だったが、それでも、その仕組みは、なんとなくふみこちゃんの小さな胸におさまっていたのだ。
 一方、電話やテレビはぜんぜんわからなかった。
 遠くのおばあちゃんと話ができるのはうれしかったし、「マグマ大使」「巨人の星」「ドリフだよ全員集合」を喰い入るように観ていたが、どのようにしてそれがかなうのか、尋ねられたとしても何も答えられなかった。
 誰もわたしには訊かなかったが。
 そこから、つぎつぎに展開した「自動」の世界は、わたしを不安にさせるのだった。自動ばかりの世界になったら、いつか、自分は置いてけぼりにされる!
 それから何年もたって、おばちゃんになったふみこは、「置いてけぼり」もわるくない!と豪語するようになった。          
                                   つづく

Spoon
わたしが壊した木の匙と、
よく似た匙が届きました。
ありがたいことです。
IT不具合のなか、このやりとりができたことに
救われてもいました。

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2019年3月20日 (水)

壊れる

 ヨーグルトを食べよう。
 と、思って、とっておきの蜂蜜をとり出す。友だちが送ってくれたこれ、「ミツバチさん、ありがとう」と手を合わせたくなるような、それはそれは濃くておいしい蜂蜜だ。
 蓋をとると、蜂蜜は結晶しており、かちんかちんではないが、かなり密度が高まっている。こういうとき、瓶のラベルにも記してある「容器の蓋をとり、60℃くらいの湯煎で加湿し、なかみをかきまぜる」を実行すればいいのである。それはわかっているのだけれど、粗忽者のわたしは、「そんなことをしなくても、ダイジョウブダイジョウブ」という方面に流れる。
 大事な工程をひとつならずふたつくらい平気で飛ばす、というのが粗忽者の特徴である。これによって、少しもダイジョウブでない結果を生むことになる。思えば、そんなことをくり返すのも、粗忽者の特徴と云えるだろう。
 このたびも、ダイジョウブでない結果を生んだ。
 蜂蜜の瓶のなかに木の匙をつっこんで、蜂蜜をすくいとろうとしたときだ、匙の柄がはらりと折れた。ぽきっとではなく、はらりであった。「毀(こぼ)れる」ということばがあるが、これがそんな壊れ方ではないだろうか。
 感心している場合ではない。
 木の匙は友人から贈られたものであり、それだけではなく……、贈られたのはわたしではなく二女である。長い柄を持つうつくしい匙で、本来カレースプーンであるらしい。母娘共通の友人が大分県の土産として持ってきてくれたことを思いだし、パソコンに、
「木の匙 大分県」と打ちこんで検索を開始した。すると、木の匙の画像が数多(あまた)あらわれた。木の匙の行列だ。
 行列は長いものであったが、そのなかに、わたしが折ったうつくしい木の匙と同じものをみつけることができた。匙のみならず木の器をつくるアトリエの電話番号をみつけて、番号を押す。
 電話に出たひとに向かって、
「これこれ云云(しかじか)。壊してしまい、ほんとうに申しわけないことです」というはなしを聞いてもらい、相手に見えはしないのだが頭を下げる。
 その後幾度かやりとりをして注文し、これを書いているいま、匙が届くのを待つところにまで至っている。

 モノは壊れる。
 折れたり。割れたり。砕け散ったり。
 モノを壊すたび、「壊れる」ことの宿命を思わずにはいられないわたしになる。愛用のモノとの別れは、ときとして生身の別れ以上の感傷を生む。ひととの別れには、その後別別の道をゆくという一面があるけれど、モノとはそうはゆかないからだ。
 愛用させてもらったわたしのほうは別の道をゆける。が、モノのほうは、たいてい、そこで一生を終えることになる。

 先週はペンダントの鎖を戸棚の扉にはさんで、切った。これは道具を使って自分で直した。
 その前は読書鏡(リーディンググラス)のテンプル(つる)を立てつづけに、二度壊した。ひとつはいけなくなったが、ひとつは修理可能のように思える。

 壊したとき、「壊れることは、わるいことではない」と自らに向かって云い聞かせる。壊したことを反省しながらも、感傷世界にはまり過ぎないために。壊れること、壊すことが、ひとを変えてゆく……。この一面を省みることこそが、反省の大事な要素ではないだろうか。
 このたびの木の匙事件は、春先のちょっとした物語であった。二女に詫び、贈ってくれた友人にも詫びたり報告したりして、わたしは物語の主人公見たようであった。

Spoon_1
この匙と対の、白木(しろき)のを壊しました。
長さ20cm、すくう部分の最大横幅4cm。
つづきはまた、聞いていただきましょう。

Umihara_1
昨年12月にトーク講座をご一緒した
医師で歌手でもある 海原純子さんライブのお知らせです。
あの日、会場でライブの予定をご案内すると
約束しましたので……、ここに。

山本ふみこ宛で、 または添付のフライヤーにある番号まで
お申しこみください。 満員になり次第締め切られますが、
その場合は、またつぎの機会に。
4月6日はわたしも客席に坐っております。

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2019年3月12日 (火)

置かれる

 昨秋あたりから、運が開けた。
 おかげで仕事もしごと(職業と区別して家のことをひらがなで書くようにしている)も、人間関係も、万事調子がいい。
 と、書いてみたが、ちがうちがう。わたしに開けた運は……。

 ひとと会ったとき、相手が「そう云えば」とふと思いついたような顔になり、ハンドバッグや提げ袋に手を入れてごそごそ探しはじめる。よくあることだ。何かわたしにくれようとしている。

 友人が、「これ。北海道から届いたの。おすそ分け」と云ってエコバッグのなかからそれをとり出す。
 叔母を訪ねた帰り、叔母が「持っていってちょうだいね」と追いかけてきてわたしの腕にそれを押しつける。
 近所の友人が「これ、好きだったわよね」と云って、自転車のかごのなかからそれを出して手渡す。
 友だちと3人で会っていた喫茶店で、ひとりが提げ袋のなかからそれを出して、テーブルの上に置く。もうひとりが「ごめんなさい。わたしはこれは苦手。ふんちゃんにふたつあげてね」と云うから、わたしの前にそれがふたつ置かれた。

 わたしに開けている運は、とろろ昆布運である。

 もうもう、強運と云っていいほどの開け様(よう)だ。
 乾物をしまう引き出しには、とろろ昆布の袋がぎゅう、と詰まっている。どんどん使おうと思うのだけれども、すまし汁、おみおつけの実とするほか、おむすびに巻きつけるくらいしか思いつかない。強運を活かしきれずに、とろろ昆布はふえてゆく一方だ。

 とろろ昆布の思い出について、書いておきたい。

 母ははっきりと口にはしなかったけれども、ネバネバ、ドロドロする類の食べものを好きでなかった。子どもにだって、見ていればそのくらいは、わかる。納豆を食べる母、オクラを食べる母、とろろご飯を食べる母を、わたしは一度も見なかった。
 それでも母は、弟とわたしにはせっせと納豆、オクラ、とろろを食べさせてくれた。自分は苦手であっても、からだにいい食品であるのだし、食卓風景が偏ることも選ばなかった。おかげで、わたしはネバネバ、ドロドロしたものが好きになった。
 だが。
 とろろ昆布は母のもとでは食べなかった。出合ったのは、自分が主婦になってからだった。おいしそうに思え、自分の好みに合っているという予感を持った。それにしても、どうやって食べたらいいのだろうか。
 出会いはこんなふうだった。
 おそるおそる食べたとろろ昆布はおいしく、自分に合っているという予感も当たっていた。それから、というのは初めてとろろ昆布を食べてから、という意味だが、3年くらいたったころ、わたしはめずらしく胃腸をやられる風邪をひいた。何か食べようと思って、椀にとろろ昆布を入れ、梅干しをひとつ置いて湯を注いだ。そこへしょうゆをたらしたのを、すすった。食欲はなかったが、これならいけそうだと思ったからだった。
 ところが弱った胃はそれさえも受け入れなかった。拒否である。
 以来ざっと10年ほども、とろろ昆布とわたしは疎遠になった。その歳月のなか、ときどき、またとろろ昆布と出合い直す日がくるのだろうか、どうだろうかと思いめぐらすことだってあったのだ。
 それはやっとめぐってきた。
 そのときも友だちのひとりが、わたしにとろろ昆布を持たせてくれ、おずおずと食してみた。疎遠はあっさり解消し、いまに至っている。

 それにしても。

 このところのとろろ昆布運には、どんな意味が潜んでいるのか。どんなものでも、自分の前に置かれたものは受けとめよう、ということの連続で、わたしはここまでやってきた。こう記すと、受け身の姿勢があらわになるようだが、わたしにしてみれば、「置かれる」ことで自らの能動が作用しはじめる感覚だ。
 ああ、このたびはこれが置かれたか。
 そう思って、うしろに飛びのきそうになることも一度や二度ではなかったが、そんなときも及び腰ながら、何とかかんとか受けとめてきた。だからこのところ目の前に連続的に置かれつづけているとろろ昆布にも、目を凝らさずにはいられない。

 まずは。
 汁ものたちの実と、おむすびに巻きつける以外に、どんな食べ方があるかを研究するとしよう。

2019w

聞いてください。
この写真を撮った後、
仕事の打ち合わせに出かけました。
すると……どうでしょう。
打ち合わせの相手から、
富山県の上等なるとろろ昆布2袋を
いただきました。
「根昆布入りとろろ昆布」
「上黒とろろ」
とろろ昆布運、最強です!

1

〈お知らせ〉
昨年12月にトーク講座をご一緒した
医師で歌手でもある
海原純子さんライブのお知らせです。
あの日、会場でライブの予定をご案内すると
約束しましたので……、ここに。

山本ふみこ宛て、

または添付のフライヤーにある番号まで
お申しこみください。

満員になり次第締め切られますが、

その場合は、またつぎの機会に。
4月6日はわたしも客席に坐っております。

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2019年3月 5日 (火)

黙って見守る

 おひな様方との暮らしも、ひと月。
「七段飾り」のわたしのひな人形は実家に置いたままにしてあるので、いまこの家に在(おわ)すのは、6種類のおひな様方だ。
 ちっちゃなちっちゃな立ち雛(びな)。女雛と男雛が描かれたそてつの実。二女が小学2年生のときつくったおひな様。これまた二女が3年生のときつくったはまぐりの上の女雛と男雛。それと、三姉妹下ふたりそれぞれのおひな様。——これで6種類になる。
 こじんまりとはしているが、その気配は家じゅうに行きわたっている。皆、昼間は黙って、わたしたちの暮らしを眺めるともなく眺めている。

 2011
311日も、当時の家の居間でおひな様がわたしたちを、わたしたちばかりではなく、この世を眺めていた。あの日、テレビの画面に映し出された、大津波が海辺の街を飲みこむ様子を、おひな様方は見たのだ。
 それに気がついたわたしは、大急ぎでおひな様方を箱に仕舞った。翌年また会う日には、この世に、震源と被災の地に、原子力発電所の事故の被害を受けている街に笑顔がひろがっているように希(ねが)いながら。
 8年前のあのときもそうだったが、毎年、2月3月という、むずかしい季節に、おひな様方にわたしは救われてきたのではないだろうか。そう心づいてみると、思い当たることがある。ひとに告ぐべきでないことを胸に置き、そっとおひな様方に目をやると、あちらはいつもじっとして、何も云わずにいる。もしかしたら、わたしたちが寝静まったあと、……秘めやかな宴(うたげ)が催されているかもしれないにしても。……闇のなかでささやきが交わされているかもしれないにしても。

 わたしの前では、いつも沈黙を守り、そうして考え深げにあたりを眺めている。ことしほど、その姿におしえられたことはない。

 何が起きても、じっと黙って、見守りながら考える。それが数秒のことであったとしても、その間にものごとはふさわしい方向に動く。あるいは、ふさわしい停止を決める。
 おっちょこちょいでせっかちなわたしは、一瞬も黙らず、見守りもしないで動こうとするものだから、ふさわしい流れを堰(せ)き止めてしまうのだ。
 知らされた事ごとを胸に納めながら、出された宿題の答えを考えながら、置かれた状況を吟味しながら、わたしはおひな様方を真似てみている。

2019w

6つのちらし寿司を、
ちっちゃくちっちゃく配りました。
写真はそのひとつ。
二女、小学3年生時代につくったおひな様。
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こちらは、母から譲り受けた豆粒ほどの
立ち雛です。
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熊谷のちちにも、
ちらし寿司を届けることができました。

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