あっぱれ
携帯電話がじじじ、と鳴いた。
横目で画面を見ると、長女の梓からのmailだ。
「サダコサンが、亡くなった。4月2日に」
梓のご近所だった96歳のサダコサン。
同じ間取りの昭和の文化住宅(以下、平屋と記す)が2軒2軒の並びで4軒建っており、そのうちのひとつにサダコサン、もうひとつに長女が住んでいた。
玄関先で倒れていたサダコサンを梓がみつけて救急車を呼び、病院に送ったのは昨秋のことだ。それからしばらく入院生活がつづいた。
ことしはじめに退院するも、平家に戻ることなく栃木県の施設に転居。梓とふたり、年度末の仕事がひと段落したら、訪ねようね、と話し合っていた矢先だった。
夫を60歳台で見送ってから、同じ平家(ひらや)でひとり暮らしをつづけたサダコサンの日常は、娘の暮らしの手本だった。潔く、慎み深く生きよう。その上できっぱり自分の暮らしを確立する、誰がどう云おうとも。
忘れもしない。いまから5年前。梓ひとり暮らしスタートの日、娘の引越しを手伝っていたわたしは、焼き海苔とみかんを抱えてきてくれたサダコサンと出会った。
「アッシは早寝だから、夜はあんまり役に立たないけれども、朝は早いからね」
これがサダコサンの自己紹介。
アッシは、あたし、の意味で、「シ」の部分は「チ」との混合の発音だった。
「サダコサン」と、わたしたちは呼びかける。
「サダコサンだなんて。下の名前で呼ばれるのなんて、何十年ぶりかねえ」
そう云って、サダコサンはちょっと照れ臭そうに笑った。
わたしにとってもサダコサンは恩人だったのだ。娘のご近所さんというだけでなく、ひとはいくつになっても堂堂と、好きなように生きられる。それを証明して見せてくれた存在だった。
ことし4月のはじめ、小鳥や虫がわたしのもとにやってきていた。
メジロの夫婦。ハエ。てんとう虫の子ども。バナナ虫(ツマグロオオヨコバイ)。何かを伝えようとしているみたいだな、と考えるともなく考えた。
いつになく、こちらを気にして、すり寄ってくる。
あとから、それらがサダコサンの合図だったように思えて、こころが波立っている。サダコサンに会いに行きたいとつよく念じていたから、その気持ちが届いて、旅立ち前に寄っていかれたのだ。そう思うことにした。
サダコサンを甥御さん一家が送られたそうだ。
「手紙と、ついこのあいだ送ったばかりの桜満開のカードと、棺に入れてくれたんだって。泣」
と梓からmail。
ひとの死を、わたしは以前ほど、悲しまなくなっている。
悲しみ過ぎてはいけない、という声が、徒(いたずら)に悲しみに浸ろうとする自分をつよく戒める。「死」を貴べと、同じ声が云う。
とはいえ、この世でのひととの別れがさびしくないと云えばうそになり、涙を流したりもするのだが、旅立ちを祝いたい気持ちが確かに発動するようになっている。
「あちらでまたお会いしましょう」
しかし若い梓は、まだ、そうは考えないかもしれない。
いまはうんと悲しみ、うんとさびしがったらいいとも思う。
伝えてやりたいことがあるとしたら、これだ。
「あっぱれ、あなたはサダコさんの、いちばん若い、とびきりいい友だちだった」
虫たちだけでなく、
庭のハナニラもことしはたーくさん咲きました。
サダコサンの旅立ちを見送るように。
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コメント
ふみこさま。おはようございます。
サダコさんの旅立ち。。。ちょうどその頃私はいちょうくんのはっぱ
とであいました。どこからかこのいちょうくんもエネルギーをもらった
のでしょうね。あずささんの存在とその温かい思い出はサダコさんの宝物。。。ずっと宝物ですよね。あずささんにとっても。。
自然界にあるものはどこかで呼応しあっているのかもしれないですね。
自然からの贈り物が私のところにもとどきました。山梨の
友人から「もうすぐあなたのお誕生日。桃の花たちがおめでとうと
いえるのも来週中。各駅停車でおいで」というので。。春日居町まで。
昨日雨上がりの晴天のもと雪をかぶった南アルプスと桃の花と桜の
共演たのしんできました。せっかち同士。足湯にひたりながら
南アルプスをながめ桃を眺めてたら。。足湯にもものはなびらが。。
(こっそりももさんの事おもっていつかみなさんでこんなところで
おしゃべりしたいなーなんておもってしまいました。)
ね。ふみこさん。こんなサプライズなお花見会もいいでしょう。。
彼女は声楽家なんです。スケールの大きな響きはからだをやわらかくして
ないとでないから。。これは大切なご自分のメンテナンスなんだそうです。
ふふ。自然のオーケストラのやさしく力強いパワーみなさんにも
おすそわけです。(ふみこさん。今週中ならまだ花ありますです。)
投稿: 真砂 | 2019年4月16日 (火) 10時53分
ふみこさん、みなさまこんにちは。
さきほど一つ前のブログにコメントしてしまいました。今日は火曜日ですのに…ウッカリすみません。
サダコサンのお話を伺い、なんとも言えない寂しい気持ちですよ。サダコサン…お会いしたこともないのに、以前ブログでお話をお聞きしただけなのに、なぜか私の頭の中で、サダコサン…という方の人物像がふわふわっと浮かんでおりました。
きっと、きっとこんな方なんだろうな…お顔はきっとこんな感じだろうなあと…と。
きっときっと空から梓さんをいつも見守っていてくださりますね。
人と人との縁、繋がりはいつまでも続くと思います…。いつまでも、いつまでも。
投稿: みゅー | 2019年4月16日 (火) 11時11分
ふんちゃん皆様こんにちは。
あっぱれ!いい言葉ですね。
きっと梓さんも前向きになれますよ。
なんだか私も肯定されてる気分です。
最近帰ってくると坊やがとっても嬉しそうにします。
気のせいかな、と思いましたが
夜隣に横になるとやっぱり嬉しそう。
嬉しいなぁ、仕事のがんばりのご褒美かな、なんて。
投稿: たまこ | 2019年4月16日 (火) 12時10分
ふみこさま
桜の季節に…。
存じ上げない人ですが、
ふみこさんのブログで大切な方となっていました。
どうぞよい旅立ちを。
そして、必要以上に悲しまない。
なんだかわかるお年頃です。
新年度が始まり、
ありがたいことに昨年度の仕事を続けられることになり
でも、抱えるものも多くなって、
キャパ超えの日々を送っています。
でも、仕事は楽しい。
ありがたいです。
ふみこさんのブログにお便りしたいと思いながら
心の余裕がなくての今日です。
またゆっくりお便りしたいと思います。
こちらは、ぼーっとしたくなるくらいの
桜の季節です。
ふみこさん。みなさま。よい春を。
投稿: さのまる | 2019年4月16日 (火) 21時01分
おはようございますふみこさん。
昨日はウッカリで、以前のブログにお便りしてしまい、このブログにもお便りしましたが、なぜかうまく投稿できないようでした…。なぜかなあ…なんて不思議に思いながら、またお便りさせていただきました(笑)何回もすみませんふみこさん!
サダコサンには、お会いしたこともないのに、なぜか、きっとこんな感じのお顔で、きっとこんな感じの方なんだろうなあと私の中にはサダコサンがいらっしゃいました。
寂しくなりますね…梓さんやふみこさんのお気持ちを思うと…どう言葉にしていいのか…。
私も寂しい気持ちです。
でも人との縁は、きっといつまでも、いつまでまでも、永遠に続くものですよね。
お空から梓さんやふみこさんを見守っていてくださいますね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: みゅー | 2019年4月17日 (水) 06時20分
ふみこさま
初めてお伺いさせて頂きます。
何年か前からずっとこちらを拝見させて頂いては元気、パワー、自信等を頂いておりました。
私は、今、パートで公共の施設で働いています。50代半の主婦です。
仕事をしていると自分が弱いなあ、幼いなあと感じる事があります。でも変えられない、変えたくない、譲れない部分、大切にしたいもの、があります。
揺れ動いては、心がざわざわします。
こちらを拝見すると、そんな自分に、このままで良いんではないですか、と優しい眼差しで言葉を頂いている気持ちになります。
ふみこさんのようには、全然出来ていないけど、心の支えになる言葉をたくさん頂いているのです。
ありがとうございます!
これからも、頑固には気をつけながら、自分の大切に思う物を宝物にしていきたい。
また、お伺いさせて頂けたら幸いです。
よろしくお願い致します。
ありがとうございます。
投稿: さつき | 2019年4月17日 (水) 10時14分
真砂 さん
桃の花。
いつか見たいと思いながら……。
中央線の窓から、
眺めるのは、葉っぱや枝ばかり。
魔除けの桃の枝。
いつだったか、友人が届けてくれたなあ。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月17日 (水) 20時57分
みゅー さん
みゅーさんのやさしいおたよりに、
あの世のサダコサンは、
照れて、「あらまあ」なんてつぶやいているはず。
ありがとうね、 みゅーさん。
(この世のことばに置き換えまして、
サダコサンにかわり、申し上げます)。
佳い春を。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月17日 (水) 21時00分
たまこ さん
うれしそう、というのは、
いいですね。
うれしそう。
たのしそう。
しあわせそう。
それは、ほんとのうれしい、
ほんとのたのしい、ほんとのしあわせとは
ちがう……、「……そう」だから、と云うひともあります。
でも、わたしは、好きなんです。
うれしそうな坊やちゃんを
思い浮かめるだけで、しあわせ!です。
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月17日 (水) 21時07分
さのまる さん
お仕事のこと、
おめでとうございます。
その縁こそ、真実。
と、おたよりに向かってつぶやいています。
本年度も、がんばろね、お互いに。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月17日 (水) 21時09分
みゅー さん
なんだかね、
たよりが届く実感が、揺らぐ感じですよね。
しばらく待って、みてください。
おたよりはうれしい……。
けれど、
心配を生じさせてしまいまして、
ごめんなさい。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月17日 (水) 21時11分
さつき さん
おたよりどうもありがとうございます。
とてもうれしいです。
弱さ、幼さ。
ああ、わかります。
わたしにもそれがあって、
しかし、それが自分の「胆」みたいなものだという自覚を
持っている……。
純粋にありたいと思うわたしの「胆」というか。
さつきさんに、
すばらしくはっきりした素敵なめあてを
おしえていただきました。
「頑固には気をつけながら」
ということば。
これ、わたしのお守りにします。
うん。
「頑固には気をつけながら」
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月17日 (水) 21時14分
ふみこさん、みなさんこんにちは。
私が学生の頃、受験番号が〇〇4444で末尾が4の4つ並びでした。
なんとなく不吉な感じで、
「あーうまくいきそうもない」って弱音を吐いたら、
母が笑いながら、
「4合わせ(しあわせ)しあわせでいいじゃない」って言ったんです。
私はあきれながら、
「いつも適当なんだから、もう」って言いながらも、
そうか、しあわせしあわせって思ったらいい番号だって
明るい気持ちになったことを今も覚えています。
梓さんもきっととても寂しく悲しいでしょうが、
ふみこさんから「あっぱれ」の言葉をもらったら、きっと明るい気持ちが戻ってきそうですね。
今年の桜は、長く楽しめて嬉しいです。
色んな1年生を応援してくれているようで。
緊張と期待と不安が混ざった1年生。
幼稚園、保育園、小学生、中学生、大学生、社会人、
初一人暮らし、初入院も全部含めて。
新しい場所でがんばっている人たちに
「大丈夫!きっと大丈夫!がんばれー!」と祈ってます。
投稿: さゆ | 2019年4月18日 (木) 14時35分
ふみこさま。おはようございます。
魔よけの桃の枝のおたよりありがとうございます。
魔よけの効果ありました。。
ふふ。昨日リハーサル中いろいろバタバタの出来事が。。
いつもなら「なんでこの方こういうことにこだわるのかなあー」
とかちょっとおもっちゃていたのですが、あら不思議今回
まったくきにならなかったのです。それより何かこの方の大切なこと
がそうさせているんだろうなあ。。でもそのうちいい流れに
まきこまれて大丈夫な穏やかな感じになられていたので
うれしくなりました。
桃の花って枝や葉っぱにもすごいパワーがあるみたいですね。
穏やかなこころにいまもつつまれていて感謝です。
第九のときも「空の模様がきれいだからさ。。」とか
いつもそういう誘い方でこころをほどいてくれる友人にも感謝なり。
そして「このメロディーうんと悲しみにつかってみなければうまれなかった
メロディーのような気がして。。」とか好きなこと自由にいいあえる場が
あるっていいなぁ。とうれしい一日になりました。
ふみこさんの広場もいつも温かくてそんな感じでパワーをいただいてます。
今日は温かくなりそうですね。みなさまいいいちにちをです。
投稿: 真砂 | 2019年4月19日 (金) 08時49分
ふみこさま。
こんにちは。
「死」を貴ぶ。
そうでありたいと思うのですが、なかなか別れが近いと思うと
辛いです。
じいちゃん、「誤嚥性肺炎で、あとはどれだけ寿命があるかだけです」と
医師に言われました。
意識ははっきりしていて、普通に会話もできるじいちゃんです。
家のこと、いろいろ気にかけて話してくれます。
今のうちに、しっかり聞いておきたいと思います。
ひとりでいると、ちょっと涙ぐんだりしています。
結婚してから、ずっと同居で、めんどくさいなと思ったこともありましたが、
ほんとによくしてくれたじいちゃんです。
人との別れが、こんなにさびしいものだなんて。
悲しみすぎないように、笑顔でじいちゃんの見舞いに行けたらいいな、と
思っています。
じいちゃんが、復活するように心で祈っています。
では、またぁ。
投稿: こぐま | 2019年4月19日 (金) 09時49分
ふんちゃん
こんにちは。
気づけば金曜日。
いつもこうです😅
「旅」に出てからは、余計に早くかんじます。
毎日は、とても濃く、長くもあり、
振り返ると、本当にいろんなことがあったように思うのですが、「旅」にでてから、もう今日で3週間経ちました。
そして…
ここへおじゃまするようになったときを思い出しました。
お父さんの最期が近づいている時期。
どうしようもないさみしさが、
ここへ「えいっ」とおじゃまする勇気をくれました。
毎朝、コーヒーやお茶をいれていたのですが、あと何回、お父さんにいれてあげられるだろうか…と、しんみりした気持ちを、ここで聞いてもらいました。
あれは、東北の地震があった時期とも重なりました。
早いものです。
父よりも、一緒に暮らした時間が長く、
嫁を本当に可愛がってくれたお父さんでした。
子どもが大好きで、
お父さんがいなかったら、4人もの子育ては、むりだったのではないかと思うくらい助けてもらいました。
梓さんのことを教えていただいたり、
こぐまさんのお便りを読ませていただいたことで、思い出しました。
さて…
「旅」の途中の娘は…
順調に体重が増え、
病棟内は歩き回ってもいいよ!
になりました。
ホールでごはんを食べると、
緊張しちゃうのですが、
同じく入院している方たちが
心温かいことばをかけてくださり、
安心しました。
ここは、いろんな思いをしてきた方たちがいる場所。
名前を呼んで、
「頑張ってごはん食べてたね〜」
とほめてくださいました。
2人いる主治医のうち、若い方の先生は、
かっこよく😄、
娘がパニックになると、
来てくれて安心を与えてくれます。
救世主みたいです😆
ここの「旅」で出逢うひとたちは、
みな、娘を支えてくれる。
わたしにとっても、安心です。
まだまだ混乱する娘ですが、
この「旅」で、
いろんな出逢いをし、
大きくなるんだなぁと実感しています。
今、わたしは、メイ・サートンの「独り居の日記」を読んでいます。
さみしがる娘を見て、
ふんちゃんが教えてくれた本を
思い出しました😊
ありがとうございます。
投稿: もも(^_^) | 2019年4月19日 (金) 14時43分
追伸
だいじなことを書き忘れました。
みなさま、
励ましのおことばを
ありがとうございます!
とてもとても心づよく、
涙がにじむほどのチカラと
なりました。
投稿: もも(^_^) | 2019年4月19日 (金) 15時51分
ふみ虫さま
梓さんは大切なことを
たくさんサダコさんから
学ばれたんですね。
遠くにいってしまったけど
近くに感じる。
父が旅立って半年を
迎えようとするいま
より強く、そう思います。
長男が新社会人となり
家を離れました。
生活を整えるためはじめての
土地に行きました。
ちょっとワクワクしながら
(*^^*)
職場の先輩たちから
慣れないだろうと
いろんなお店や場所を
教えてもらって
自分なりに歩きはじめました。
毎日のように晩ごはんの
様子を送ってくる
写真に笑顔になる
私たち家族。
佳い春になりました。
投稿: 寧楽 | 2019年4月20日 (土) 11時08分
さゆ さん
おお、おお。
〇〇4444とは、
うつくしい並びです。
わたしは「ゾロ目」好きなのです。
ふとデジタルの時計を見るとき、
振られた番号に接するとき、
ゾロ目だったりすると、
見えない何者かに応援され、
許されているような気持ちになります。
お母さまのように、
咄嗟に「シ(4)アワセ(合わせ)」などとは、
なかなか思いつけないにしても。
うーん。
あまりにもいいおはなしに、
シアワセを感じています。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月21日 (日) 09時29分
真砂 さん
ほんとうにね。
運ばれることは何でも、
意味ある、深い意味ある事ごとなんですね。
それが受けとめやすい心身になってゆくことが、
進化なのかもしれないね。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月21日 (日) 09時30分
こぐま さん
そのさびしさは、
こぐまさんに贈られている
賜物なんです、ね。
静かに泣いたり、
さびしがったりという思いの
うつくしさよ!
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月21日 (日) 09時32分
もも(^_^)ちゃん
たくさんの救世主の存在に
気づくこと。
これが大事なんだなあ、と
お便りを読んでいて、感じました。
イケメンでこころやさしいの救世主もあるけれど、
ときどき、おっかない救世主、
強面の救世主もまりますね。
そうか、ももちゃんのところには、
メイ・サートンが救世主としてあらわれているんですね。
さびしさのなかに、
孤独のなかに、
どのくらい浄(きよ)らなもの、
ヒント、生きる歓びがこめられていることか。
ひとは、ときどきそんなことを
わかろうとせず、さびしさと闘おうとする……。
「さびしさ」にしたら、迷惑なはなしです。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月21日 (日) 09時37分
寧楽 さん
ご長男は、寧楽さんを
見て育ったひとらしいお暮らしぶりですね。
ごはんの写真!
素敵過ぎです。
ごはんは、ひとをつなぎますねー。
一緒に食べるのでなかったとしても。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月21日 (日) 09時39分
ふみこ様 こんにちは
「徒(いたずら)
に悲しみに浸ろうとする自分をつよく戒める」の
ふみこさんの言葉に 深く頷きました。
私も 最近 そういうことを よく考えるようになりました
悲しんでいる自分を どこか遠くから
見ている自分がいて
「それは ほんとうか?」と 聞いている
大きな問題に 向かっている友に
言葉をかけたいけれど
言葉にしたとたん 体裁のいい きれいごとに
なってしまいそうで どう 伝えていいのか
わからなくなってしまうことが 多くなりました
できれば そっと 背中に手を当ててあげたいけれど・・・
そんなことを 思います
ふみこさん
今日は いい天気です
桜より早く咲く 北こぶしの花を
車いすの父と ゆっくり 眺めました。
投稿: えぞももんが | 2019年4月21日 (日) 14時47分
ふみこさま
サダコサン…、そうでしたか。
今回の人生を、立派にご卒業なさったのですね。
心よりご冥福をお祈りいたします。
梓さんの悲しみや寂しさが、少しずつでも落ち着きますように。
私は今、片方の耳が難聴気味です。
ひどい中耳炎になって、その時から聴こえ辛い状態です。
体の不調がここのところ続いていて「なんだかなぁ…」と思いつつも、
少しずついろんなことを脱ぎ捨てて身軽になって行くようで、
おかしいかもしれませんが清々しさも感じています。
次男の低い声が聴き取れなくて、耳に手を当てて「えっ?なぁーに?」と何度も言って、
「ばーさんかっ!」と苦笑いされていますけれど。
それはそれでドリフのコントみたいで、ちょっとおもしろいです。
ここのところのいろんな出来事が、私に何を教えてくれているのか。
そんなことを考えている静かな時間が、なんだか好きです。
投稿: みぃ。 | 2019年4月21日 (日) 22時12分
えぞももんが さん
わたしも、最近ひとつおぼえたことがあります。
黙って、ともにある。
ということ。
ことばを選びきれないこともある、
ことばなしでも、一緒にいればいいって、
わかったの。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月22日 (月) 01時59分
みぃ。 さん
みぃ。さんにかかると、
不調までもが意味あり、
光を発してゆくようです。
必要なもの、宝ものが、
一見芳しくないかたちで
やってくることもありますね。
気づかないと、不調ということだけで
終わるけれども。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月22日 (月) 02時01分
ふみさまみなさまこんばんは~~
昨日母の施設の鍵を返却させていただきに行ってきました。
怒涛の1週間、すべての荷物を全部、リニューアルした実や、私の家に移動させました。今なら小さな引っ越しやさんになれそうです(笑)
あっというまの母の施設生活2年間。でもいろいろな方の愛と、優しさに触れられた2年間でもありました。
何もない部屋にあれこれ私が考えて、机やいすやソファーなど運びこみ、
母を入居させて最初に一緒に呑んだお茶はおいしかったな~~
日々のことごとは、たくさんの想い出を作り出して、そして自分の中に溶けこませて自分自身になっていく気がします。
亡くなった父のことも、弟のことも、入院している母のことも、わいわいうるさい娘達とのことも、にっこり頑固なだんなさんとのことも、み~~んな
私の想い出にとけこまれていく・・・・
きっと梓さんの中にもたくさんのサダコさんがこれからも生き続け語りかけていかれるのでしょうね。
わたしも
『あっぱれ』
っていわれたいな。(笑)
あっぱれな生き方をしてあっぱれな旅立ち方をしたいです。
リニューアル記念のプチお泊り会は大成功!
がんばったかいがありました。
たくさんおしゃべりして
ひとつまた私のなかに想い出が残りました。
もうすぐゴールデンなウイーク。
やりたいこと。
リニューアルされた実家にて
鳥の鳴き声や葉っぱのサワサワを聞きながらたくさんお手紙を書きたいのです。
それが今一番やりたくてもどうしても時間がたりなくてやれないことなので・・・
投稿: おきょうさん | 2019年4月22日 (月) 18時20分
おきょうさん さん
よくなさいましたね。
お疲れさま、とお伝えするところでしょうが、
そしてどんなに苦心されたり工夫されたり、
無理もされたりしたことも想像してもいますが、
ほんとうは、こう申したいです。
よくたのしみましたね。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月22日 (月) 20時19分
山本ふみこさま
初めておじゃまします。
60代後半のライターです。
毎週楽しみに暮らしの言葉を読ませていただいています。
今回「あっぱれ」では、どうしても筆を取らずにはいれませんでした。
私自身もお手本にしたい、「潔く慎しみ深いサダコサンの暮らし」を綴られていて、
その暮らしが目に浮かぶようでした。
そして、このところ考え始めていた、いつかみんなが経験する「死」への想い。
悲しみ過ぎてはいけないこと、旅立ちを祝うという気持ち、
あまりにも私の心と重なって感動しました。
かつて、向田邦子さんの文章と出会って、
原稿用紙に書き写していたように、
無意識に「あっぱれ」をノートに書き写していました。
投稿: 上村悦子 | 2019年4月23日 (火) 14時44分
ふみこさま。
21日に、じいちゃんが旅立ちました。
最後の日は、妹に見守られながら、
お昼には将棋のテレビをみたそうです。
最後まで、しっかりとして、家のことを気にかけてくれていました。
あまりにも急だったので、気持ちが追いつきませんが、
悲しみすぎずいたいと思います。
今は、バタバタしていますが、落ち着いたら寂しくなるんでしょうね。
投稿: こぐま | 2019年4月26日 (金) 11時06分