霊性
IC、ICT、AIと聞くたび、頭のなかにたよりなくこんな思いが立ち上がる。よろっと。
……じゃ、そういうことで。
これはIC、ICT、AIの皆さんに対する思いなのだ。
「今後わたしたちの生活に、ますます影響を与えるコンピュータの原理を学び、あなた方に振りまわされたり、支配されたりすることなく、うまくつきあえるように努力しますよ」
こんなふうに呟いてわたしは、「しかしね、」とつづける。
そういうことであるとしても、しかし、である。
あなた方を認める一方で、ひととして深まってゆかなければならない、という思いが「しかしね、」には、こめられている。
ごく簡単に説明するならば、「学校で使う電子黒板はなかなかいい具合だけれども、ぼくは(わたしは)せんせいの板書のうつくしさに憧れます」というようなことである。
ICTを使う道と、ICTに頼らない道が並行してあるということが必要になる。
このあたりから、しきりにわたしは「霊性」について考えはじめる。
宗教を超えた「霊性」はひとのなかに存在し、日常のなかに置かれるもののように思えてくる。神の問題か、と訊(き)かれれば、そうではない、とは云えないけれども、少しちがう。ひとのなかに存在する「霊性」を神と呼んでもかまわないかもしれない……、と答えるとしようかしら。
IC、ICT、AIの世界も「霊性」の世界も、等しく、ひとの目には見えないものだが、見えないそこへ向けてじっと目を凝らすときの有りようは異なる。
たとえば、誰も見ていないから、インチキをする、というようなのは、霊性を意識して深まろうとするこころを踏みにじる。ちょっと複雑にこんがらかっているようだが、この宿題は大切も大切なのだ。こんがらかりつづけることにしたいと思う。
寝室の書架の隅っこに、これが置いてあります。
長女、二女、三女が遊んだおもちゃです。
これを眺めては、しみじみします。
こんな感じ方が、わたしには霊性を考えようとするときの
(こんがらかってゆこうとするときの)入口だったりするのです。
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コメント
ふみこさま。おはようございます。
そのおもちゃ。。似たようなつみかさねおもちゃありました。
入れたり出したりも好きだった娘。。
おかげさまで。。昨日新社会人スタートしました。
ふらっと力がぬけるようなかんじもしましたが(わたしが。。)
新元号発表で万葉集からとられたということで
和歌が大好きな娘にとっても新しいスタートのお祝いみたいで
一気に和歌の世界へ。美しい言葉の波動。韻律の力の世界に
また夢中になっております。
先日訪れた広島では神楽が毎週水曜日に定期公演されていることを
しりそこから雅楽の楽器にもこころひかれております。
目に見えない音にならないコトバへの意識への昔のひとびとの
するどさすごいです。
私もぼっとしてられないのでした。
5月1日新元号にあわせて祝コンサートに参加させてもらうことに
していてよかた。よかった。平和への賛歌の曲もういちど全身全霊で
演奏します。ふみこさーん。新年度学校スタートお忙しいなか
ちょっと寒いのでお体に気をつけておすごしくださいね。
投稿: 真砂 | 2019年4月 2日 (火) 09時23分
真砂 さん
お嬢さま、おめでとうございます。
険しさもとまどいも、不安も
あるだろうと思いながら、
どうか佳い道を、やさしくたくましく
進んでください、と希っています。
真砂の演奏も。
思いをこめて奏でると、
あちらへこちらへ励ましともなって
届きます。ね。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月 2日 (火) 18時37分
ふんちゃん皆様こんにちは。
私の会社でもそのような取り組みが始まっています。
なんでもデジタルになっていくような気がして温もりがなくなっていく気がします。
アナログだけれど時間はかかるけど
大事にしていきたいところです。
さて、もうすぐ坊や一歳半です。
久々に一緒に検診です
母親らしいことが久々にできてとっても楽しみ!
投稿: たまこ | 2019年4月 2日 (火) 22時18分
たまこ さん
あら!
母親らしいことなら、
毎日いっぱいしておられるではありませんか。
たまには、子どもっぽいことも
しちゃってね。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月 2日 (火) 22時39分
ふみこさま。おはようございます。
娘への温かいお言葉ありがとうございます。
「祝成人」のサイン本をいただいた時のように力強い
パワーいただきました。
実は「令和」の「和」は父の名前の一文字でもあるので
それが選ばれた時も私も娘も「あー応援してくれてるかも」
なんて「あの最終会議のときさ、こっそりこれにしなさいなんて
いってそうだよね。。」なんていいつつもしっかりとした
メッセージがほしかったのでふみこさんからのおことば
うれしかったです。
それから。。びっくりないちょうくんの話です。
成長止まったからお母さんイチョウのちかくへすべて
植え替えたとおもっていたら。。ベランダのアイビーたちのとなりで
枯れた枝のようなところからちっちゃなちっちやな赤ちゃんイチョウの葉
を今朝発見しましたー。5ミリくらいでかわいいですー。
人間のちからではわからない作れない豊かな世界を
垣間見る思いですー。ねむりからさめたばかりのような
萌黄色の葉っぱの美しさをふみこさんにもみなさんにも
お届けしたくて書いちゃいました。いい一日をおすごしくださいね。
投稿: 真砂 | 2019年4月 3日 (水) 08時34分
ふみこさま。
人の中にある「霊性」。
わたしも、じっくり考えてみたいと思います。
じいちゃんは、医師から、「あとは、気力でのりこえてください。あなたは、気力があるからだいじょうぶ」と言われたそうです。
明日、近くの病院に転院します。
久しぶりに短歌を考えました。
じいちゃんの気力をつなげていけるよう声をかければふふっと笑う
はるくんの虫歯治療もあるし、私の歯の治療もあり、なんだかバタバタしています。はるくんは、歯医者さんでお利口にできたとか思えば、泣きわめいてあばれたりと大変です。実は、私も歯の治療は、こわくって嫌なので、
無理もないなぁと思います。
はるくんが、歯の治療を受けれますように・・・って祈っています。
では、またぁ。
投稿: こぐま | 2019年4月 3日 (水) 13時37分
ふみこさま、みなさま
ここのところの花冷えのおかげで、今年の桜はスローモーションですね。
この時期、チェリーブロッサムお目当てにたくさんのお客さまが訪日されます。
先日、大阪のお好み焼き屋さんにて、お客さんがスマホをいろんなものにかざしてフムフムうなずいておられたので尋ねると、「翻訳ソフトだよ!なんか日本語で話してごらん!」と言われました。
壁にはられた日本語の文字(自分で焼くお店だったので、その手順とかメニューが貼ってありました)が、瞬時に英語に変換され画面に登場したり(同じ書体で!)、自分の話した日本語がごくごく自然な英語になって表れたり・・・。
たいしたもんだなぁ~と感心しつつ、こんなにスマートに置き換えられちゃったら商売あがったりになるなぁ、ちょっと困る、という思いが一瞬頭をよぎりました。
でも・・・
だからこそ、中身が問われるんですよね。そして中身を作る人のセンスは日常のなかでこそ磨かれていくはず。
「霊性」もきっと伝わりますね。自分たちでは気付かなくても、訪日されるお客様の多くは、日本人の慎ましさ、柔らかさ、優しさに心を動かされておられますもの。
なにはともあれ、「1、2、3!!」でお好み焼きをひっくり返すときの表情は真剣そのもの、成功したときの笑顔は老若男女、国籍を問いませんね。
「令和」につながるこの4月、皆さまの日常に希望を寄せて。
投稿: 円 | 2019年4月 3日 (水) 16時17分
真砂 さん
いちょうの赤ちゃんのおはなしを
聞かせてくださり、
どうもありがとうございました。
いのちの不思議さ、
神秘、つよさ、よろこびとかなしみ、
複雑さを、思わされてどきどきします。
このごろのわたしなどは、
生きているのにちがいないけれど、
いのちに対してずうずうしく、
感謝不足であるような。
いちょうちゃん、ありがとうね。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月 4日 (木) 09時46分
こぐま さん
怖いのはあたりまえですよね。
このごろは、子どもが
ものわかりがよく(よさそうで)、
怖かったら怖いって云っていいんだよ、
泣きたかったら泣いちゃっていいんだよ、
と伝えたくなります。
大人になって歯科で泣いちゃうのは
どうかと思うけれど、
怖がって、泣いちゃって、
だんだんそれを克服してゆく。
そういうこと、みつめていたいですよね。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月 4日 (木) 09時49分
円 さん
チェリーブロッサムね。
わたしも、このごろ、
チェリーブロッサム目当てに遠まわりしたり、
道を換えたりして歩いています。
円さんのお仕事は、なくなりませんよね。
ひとは愛情をやりとりする生き物ですから。
で、思うに、
「愛情を持って相手に伝える」には、
技術が必要です。
精神論でなく(それも大事なんですが)、
愛情をどうかたちにするかは、技術。
と、考えているわたしです。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月 4日 (木) 09時54分
ふみこ様 おはようございます
そちらの桜は 満開ですか?
多摩川のそばに住んでいた頃の
近所の三角公園のソメイヨシノを思い出します。
こちらは 福寿草が咲き始めました。
「ひとの目には見えないもの」のお話、
子どもの頃
ウソをつきそうになったり
ズルをしそうになった時
頭の中によぎる言葉
「おてんとうさまはちゃんと見ている」を
思い出しました。
そのたびに 空を見上げてみたり
後ろを振り返ってみたりした気がします。
ふみこさん
日常は 「ひとの目には見えないもの」の
しめる割合の方が ぐんと多い気がしますね。
投稿: えぞももんが | 2019年4月 7日 (日) 06時32分
えぞももんが さん
おおお、さすが えぞももんがさん。
「日常は 『ひとの目には見えないもの』の
しめる割合の方が ぐんと多い気がしますね」
ほんとうに……、そうですね。
ずるくて、うそつきで、
怠け者のわたしはつい、
ずるをしたり、
ほんとのことでないことを云ったり、
ことをはしょったり。
でも、目に見えない存在を、
目に見えない存在のまなざしを、
こころのなかに持っています。
その存在が、年年大きくなってきて、
なんとか、かんとか、ずるやうそや怠けを
押しのけることができて、います。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月 7日 (日) 13時29分
ふんちゃん
ようやく…
板きれから😅
うまく、投稿できるかなぁ?
病院で始まった娘との「旅」
家族と離れたことがない娘にとっては、想像以上にさみしいらしく、
かなり混乱していました。
が…
1週間たって、
少しずつ落ち着いてきました。
基本的にベッドからは出てはだめっ!
という状況なので、
ベッドの上で、モーレツに本を読んでいます😂
最初は、検査の連続で、
毎日、緊張してしんどそうでしたが、
検査もひと通りおわりました。
「食べる」ことが、
何よりも大きな課題の入院です。
先生たちと週一で
作戦会議を開きながら、
体重を増やすべく、
頑張っています。
他の子どもたちは、
殺風景な部屋をはなやかにすべく
絵をせっせと描いてくれています😊
私は、トイレや水まわりの掃除にはげんでいます😊
毎日行っては、おそうじ、おそうじ。
そして、娘とお昼寝!
本も読めます。
たそがれることもできます。
娘は、自分の中にある
色んな「コワイ」を
自分のものにする「旅」。
わたしは、自分を取り戻す「旅」になりそうな気がしています。
家族それぞれに…
色んなことを感じて、
新しい年度の始まりです。
このタイミングで、
母が家を出て、別のところで暮らす
と決めたんだそうです。
本当におどろきました。
けれど、母が自分で決めたコト。
応援しようと思います。
本当に、
色んなことが、
変わる季節を迎えています。
流れ流れて、
どこにたどりつくのか…。
そしてね…
わたしもやっぱり…
「目に見えないコト」を
たくさん感じ、
信じ、
それらに守られている、
そんなことを考えることが
増えました。
あたたかな季節
あたたかなきもちで
むかえよう!
です🌱
ここ病院では、
色んな人に出逢います。
また聞いてくださいね。
投稿: もも(^_^) | 2019年4月 7日 (日) 16時32分
もも(^_^)ちゃん
旅のものがたりを綴ってくださり、
どうもありがとうございます。
ね、基本的にベッドの上にいるということだけど、
お腹空くのかなあ。
自然にお腹がすいて、
好きなものも、そうでもないものも、
苦手なものも食べる、みたいなのが、いいね。
ももちゃん母さんのつくるごはんが
おいしいから、病院のごはんはあまり……という
ことはないのかな。
おいしいのかな。
お母さまの決断に、拍手。
素敵だっ。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月 8日 (月) 22時51分
ふみさまみなさま大変深夜にこんばんは~~
すみません、母が車で10分だった施設から、車で片道40分の病院に行ってしまったので、月曜日でもこんな深夜によらせていただくことになってしまいました。
おかげさまで
でも、
すこ~~しですが、母は私の方に近づいてきてくれることができています。
それでも、おそらくこれから自立できることが前提の今のケアハウスにはお世話になることができそうにはないので、また、どのような道を開拓してあげればよいのか、考えてゆくことになりそうです。
でも、私は一人ではないので、家族や、友人、広場のみなさま、お医者様、看護師さん、介護認定をしてくださる判定委員のかた、母の介護のケアをしてくださるマネージャーの方、
たくさんたくさんの人に支えてもらっている母子ですので。大丈夫。
きっとよき道が開けると思います。
病院までの道すがら、運転席や母の病室から
桜が満開。
「上をみなさいよ~~~みていきなさいよ~~」
と父や弟が言ってくれてるような気がします。これも霊性でしょうかね。
もも(^_^)ちゃんさん
これからこちらの桜がもも(^_^)ちゃんの方へいくよ~~~
上をみなさいよ~~(笑)
投稿: おきょうさん | 2019年4月 9日 (火) 00時01分
おきょうさん さん
考えることもたくさん、
決め事もある。
お仕事もたくさん(生徒さんもふえたし)、
エネルギーが要る。
愛情がたくさん、
それをかたちにしたり、伝えなければならない。
というなか、
おたよりをいただいて、
ありがたいことです。
おしえられることが、このたびもたくさん。
そして思い出したこともある。
わたしね、母が弱っていったとき、
慰めを感じていたんです。
やさしいけれど強かった母、
自分の意見をしっかり持っていた母に
反発をおぼえることも少なくはなくて、ね。
弱ってゆく母は、母というひとの核だけを
あらわすようになっていった……。
なんだか、あのころ、母とわたしは
やりなおしていたんだな、とも思うんです。
的外れなことを聞いていただいて。
ごめんなさい。
ふ
投稿: ふみ虫。 | 2019年4月10日 (水) 10時30分