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2019年5月の投稿

2019年5月28日 (火)

香港〈その後〉

 香港に来るのは、3度目だ。
 過去2度の旅は24年以上前のことで、当時の香港はイギリスの租借地(そしゃくち)であった。
 アヘン戦争後の1842年、香港島はイギリスに割譲(かつじょう)される(事実上の植民地)。1898年には九龍(カオルーン)半島、新界、諸島もイギリスの租借地となった。租借期間は99年。1997年に香港は、イギリスから中国に返還された。

 今回は、夫の映画(「三里塚のイカロス」)が招かれた「国際現代ドキュメンタリー・プログラム」(INTERNATIONAL CONTEMPORARY DOCUMENTARY PROGRAMME)という映画祭に出かけてきている。夫にくっついてきたのだが、返還後の香港を歩いてみたかった。
 これを書いているいまは旅の3日目で、途中にはホテルの部屋でひとり、持ってきた仕事をする羽目に陥ったりしたが、それでも2019年現在の香港を肌で感じることができているのは、現地のひとたちと会って話す機会を持ったからだった。
 国際現代ドキュメンタリー・プログラムのことしのテーマ。それはAFTERMATH
AFTERMATHってのは何?」
「その後、だよ」
 と夫は云い、そのことばを受けとった瞬間、「AFTERMATH・その後」ということばがわたしの胸のなかに棲みついた。
 香港の「その後」はイギリスから返還後された〈その後〉であり、2014年に若者たちを中心に起こった「雨傘運動」の〈その後〉である。前者はもちろんのこと、「雨傘運動」は、普通選挙を約束していたのに中央政府にとって都合のよい制度になることに対する抗議デモであり、それがどれほど香港にとって、大きなことであったか。
 日本だって同じだ。
 古くは明治維新の〈その後〉。それから第二次世界大戦の〈その後〉。東日本大震災の〈その後〉。関西淡路大地震をはじめ、各地が経験した自然災害の〈その後〉。
 このたび香港の「国際現代ドキュメンタリー・プログラム」に招待されている夫の映画「三里塚のイカロス」は、1966年から70年代に起こった「成田空港反対闘争」の〈その後〉を描いている。
 ひとも、それぞれ、いくつかの〈その後〉を生きているはずだ。

〈その後〉。
 それは過去のはなしではなく、むしろ〈未来〉を指すことばだ。過去を検証して(反省もして)、〈その後〉をどうみつめ、どう生きるかが〈未来〉を決定する。

 2日目、ホテルで仕事をしていたところを、映画祭の主催団体のリーダー(プロデユーサーと云っていいのではないだろうか)のCheung Tit leungさん(以下ティット)がわたしのことも、映画祭の会場となる中環(セントラル)の「大館(Tai Kwun)へと誘いだしてくれた。
 タクシー(的士)で中環に向かい、立派なレンガの建物の前で下車すると、そこには「警察服務中心 POLICE SERVICES CENTRE」とある。「大館って警察か?」と、どきどきする。「警察で、映画祭?」
 ティットの説明によると(英語と広東語だから、さわりだけ……)、1年前、ここ旧警察本部の跡地(敷地のなかには中央警察署、中央裁判所、監獄がある)が、香港の芸術、文化を発信するランドマークに生まれ変わった。大きな映像施設と、野外ライブスペースも有するとのこと。
「ダイシマさん(夫)の映画はここで上映します」
 ということが、やっとのことでわかった上で、大館のなかに残る「ビクトリア監獄」を見学する。残るとはいっても、再現され、映像を組みこんで、有罪判決ののち投獄され、懲罰を受け、労働する囚人の様子を見ることができるようになっている。

 この施設のなかの、モダンな中華レストランで昼食をとりながら、ティットが「アクチュアル・イメージ」という発音をした。
「実際の、とか現実のって……いう意味のアクチュアル? アクチュアル・イメージってドキュメンタリー映画のことを云ってるのかな」
 と隣にいた夫にこっそり確かめる。
「うん。そうだけど、アクチュアルにはドキュメンタリーよりもつよい意味が含まれているとも、いえるかな。ティットの考えるそれは、社会に働きかけるっていう意味をもっていると思う」

AFTERMATH・その後」につづいて、
ACTUAL・社会に働きかける」だ。

〈その後〉×〈働きかける〉=〈未来〉

 これから荷物をまとめて日本に帰ります。

Hongkong
香港・中環(セントラル)の「大館(Tai  Kwun)にて。
左からティット(Cheung Tit leungさん)、ダイシマ、
カオせんせい(Kuo,Li-Hsinさん/台湾の映画研究者、国立政治大学教授)。

〈お知らせ〉
6月1日(土)13:00−14:30
池袋コミュニティ・カレッジ
対談 内多勝康 ×   山本ふみこ

「あたらしい自分を考える」
会員 : 1回 2,808円
一般 : 1回 3,348円
申し込みと問合わせ
03ー5949ー5481

「人生100年時代」。
人生における変化、変身について、考えてみたいと思います。
NHKの人気キャスターから転身、
医療的ケアの世界に挑む内多勝康(うちだ・かつやす)さんとともに!
お申し込み、お待ちしております。

_
内多勝康さん
国立成育医療研究センター
もみじの家ハウスマネージャー
元NHKアナウンサー

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2019年5月21日 (火)

土産ばなし

 お夫のははが入居しているリハビリテーションの施設へ。
 ここでの生活(一時帰宅を混ぜこみながら)は、あと少しで1年になる。
 訪ねるたび機嫌のいい顔を見せてくれるははが、どんな気持ちでいまを過ごしているか、ほんとうのところはわからない。「わかる・知る」は目標ではなく……、あたらしい経験を積んでいるははを思っている。それがいまのわたしの軸である。

「ああ、ああ」
 と云って、ははは右手をそっと前に出す。
 車椅子のアームサポートにのせた右てのひらのなかに、わたしは自分の手をすべりこませる。ははの手は、いつもどおりの感触だ。が、この手は、畑仕事も、家事もしなくなった手である。
「代掻(しろか)きは、済んだの?」
 と、ははは息子であるわたしの夫に顔を向ける。
「いや、それは来週。そうだ、代掻きしたら、田植えまで、何日おけばいいのかな」
「1日」
 と、はははきっぱりと答えている。
「1日でいいのか。2、3日おかなければならないかと思った」
「半日でもかまわないのよ」
 その後、はははふと、1年前の親戚のマルオさん(仮名)の葬儀のはなしをはじめ、「あのときマルオさんに(あの世へ)連れて行ってもらえたらよかった」と云った。
 右の手につづき、ははの左てのひらに、わたしは自分の手をすべりこませる。
「そんなこと云わないでほしい」と思いながら、口ではこう云ったのである。
「じき田植えだし、それも見届けてくれなければ。それに、まだまだ伯父さまや伯母さまに、いっぱいお土産ばなしをつくりましょうよ」
 伯父さま伯母さまというのは、すでにこの世から旅立った、ははの兄姉。この世にある先輩に向かって、あの世への土産ばなしを語るなど、無礼なのかもしれない。
 しかし、わたしにはあの世が慕わしい。

 子どもだったころ、死が恐ろしくてたまらないひと時(とき)があった。小学校に上がったばかりのあれは、両親に東京・調布の神代(じんだい)植物園に連れて行ってもらった帰りに、隣接している深大寺(じんだいじ/お寺はこの漢字を当てる)に寄った日だ。
 アルバムに、その日の写真が貼ってある。絶望したような表情の子どものわたしが写っていて、それを見るたび、「これは死への恐怖だ」と思いだす。本堂前の常香炉(じょうこうろ)を背にしたわたしは、手前勝手に死と向き合って慄(おのの)いていたのではなかったか。
 不思議なことにそれきり恐怖は去ってしまい、わたしは突如として墓好き、寺院好き、線香好きの子どもになった。

 死が恐ろしいとは考えなくなったため、これまで幾度か、ひとをぎょっとさせたり、もしくはイヤな気持ちにさせることがあったような気がする。あの世に旅立ったひととの別れを、悲しみとは別の感慨をもって噛みしめるからだった。愛猫(あいびょう)を見送った友だちに、「悲しみ過ぎてはだめだと思う」なんてことを云うからだった。

 ははに向かって、あの世への土産ばなしがどうのこうのと、云ってしまってから、「ああ、またやった」と思わないではなかった。しかし、同じ胸のなかで、やはりわたしは「死」を前提に日日を生きているんだな、と確認する思いも生まれていた。

「お母ちゃんもわたしも、しばらくこの世で、おもしろい土産ばなしをいっぱいつくろうね」

Photo_5
先週、庭の隅を耕し、
花壇をつくって、タネを蒔きました。
友だちからもらった「オオバンソウ」
(またの名をルナリア、ギンセンソウ、
ゴウダソウという)です。
2年草で、この時期に蒔いたタネは
来年の春花を咲かせます。
発芽はいつになるのでしょう……。
乞うご期待。

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2019年5月14日 (火)

くり返しについて思うこと

 ひとと話していると、不意に打ちあけ話になることがある。
 こちらがそれを受けとめているような気がするときでさえ、同時にこちらも打ちあけている。打ちあけ話というのは、そんな空気感を持っている。
 それに、相手が打ちあけ話をはじめると、聞くばかりじゃあ申しわけないような気がしてきて、お返しとでもいった調子で、それらしい話をすることもある。
 広辞苑で「打ちあけ話」と引いてみると、「【打明け話】隠すことなく全部語る話」とある。
 全部と云われるとむずかしく、打ちあけようとする本人にも何が全部であるか、ほんとうのところ、わからない。打ちあけたり打ちあけられたりというのは、草木のそよぎにも似て、風に吹かれてそよそよと音をたてて動くもののようにも思える。
 しかし、そよぎ、そよぐ、を漢字で書こうとすると、「戦ぎ」「戦ぐ」となる。やはり、抜き差しならぬ一面を持っているとも云えるかもしれない。

「この歳になって、気がついたのだけれどね、夫の考えとわたしの考えは、いつも相当にちがっていたのよ。わたしはずっと、夫に合わせてきたように思い、夫は夫でわたしに合わせてきたと思っているにちがいないの」
 と、先輩である友人のクックさん(仮名)が語りはじめる。
「ふんふん」
 わたしは声にも出し、首も振って応える。
 このとき、そりゃ、どこの夫婦もそんな風(ふう)なのでは……?と思ったが、それを云うのは、まだ早いというもの。
「ふんふん、それで?」
「これまでは、夫には仕事があり、わたしには子育てと家事があり、40歳からそこに週3日の仕事も加わって、忙しかったからね。あんまり突き詰めなくてすんでいた。ところが、この春から夫も家にいるようになったらね」
 コーヒーカップを口元に運んで、クックさんはかすかに喉を鳴らす。
「とつぜん突き詰めがはじまっちゃったのよ。どういうことかと云うとね、たとえば、食事をどうとろうか、とか、趣味はどんなふうにやってゆこうか、とか、ふたりの時間とひとりの時間の割合はどうするか、とか。それに、家事の分担も考えていいのよねって」
「変化、ですね」
「そうなの、大変化。これまで夫とわたしは合わせるともなく合わせてきて、まあ、適当に合わせてきたというほうがいいのかもしれないんだけど、日常のいろんな場面で、突き詰めずにはいられない事態になるの。いちいちね」
 クックさんの打ちあけ話風の語りを聞きながら、ああ、と思い当たる。わたしにも似たようなことがある。
 これまで、わたしは何より「日常」を大事に考えてきた。人生の柱として、日常をとらえてきたのである。だからこそ、くり返しを愛するわたしでありたいと希(ねが)ってもきたのだが、最近ときどき、ちょっと待てよ、と胸のあたりで声がする。
 日常のくり返しを大事だと考える気持ちに変わりはない。が、何もかも一緒くたに、愛すべきくり返しとしてはいけないのではないか。気づかないでいるだけで、くり返しのなかに悪しき習慣や、真の理解に届かぬまま捨て置かれるものが混ざっているのではないか。
 気づきはとつぜんやってくる。
 クックさんのように、60歳代後半になって突き詰めて気がつくこともあろうし、別の何か、たとえば人生上の困りごとを通して気づかされることもあるだろう。何にしても、気がついたら気がついたなりの私になってゆかなければならない。

 大発見をしたような気持ちになっている。

Photo_4
数日前の仕事帰り、夕焼けに出合いました。
「きょうも佳い日だった」と
云ってもらったような気がしました。

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2019年5月 7日 (火)

赤えんどう豆

 このところ、「豆かん」を好んで食べている。
 寒天、赤えんどう豆、みつ(黒蜜白蜜それぞれのよさがある)の3点が合わさった素朴な甘味だ。
 素朴だが、原材料にこだわれば、どこまでも贅沢ができそうでもある。最近できた店で「豆かん」のセットをみつけて求めたときには、忘れていたのだが……。
「豆かん」といえば、庄野潤三だ。
『貝がらと海の音』にはじまる庄野潤三のシリーズのなかに、「豆かん」がところどころに登場する。このシリーズは、子どもがみな結婚し、「山の上」の家にふたりになった夫婦の日常を綴る連作。「豆かん」を探して1作目から開いてゆき、10作目の『けい子ちゃんのゆかた』まできたら、奥付に「日常の日常性を理念的に再構築。文学上の課題」という書きつけをみつけた。どこかでみつけたものをここに写しとったものだろう。日常が何より大事であるというテーマで、おまえさん(わたしだ)も書きつづけるように、との確認の意志が伝わる。書きつけておいて、こう云うのも何だが、わかるような、わからないようなことばではある。

 銀座の博品館劇場へ剣幸(つるぎ・みゆき)さんのミュージカル「魅惑の宵」を見に行ったあと、阪田寛夫と三人で立田野へ寄って、豆かんを食べた。
                                  (『貝殻と海の音』より)

 それから立田野へ。二階でシニヤー組とヤング組と二つに分れて席に着き、それぞれ好きなものを取って食べる。こちらはいつもの「まめかん」。あつ子ちゃんは「ところ天アラカルト」にしたらしい。フーちゃんは「いなか汁粉」。
                                (『山田さんの鈴虫』より)

 さてわたしだが……、最寄り駅から帰ろうとするとき、自然に足が「豆かん」を置いている店に向かっている。通りがかるたび買うのには気が引けて、「そうだ、メイプルシロップを買っておかなくては」なんてことを思いだしたように呟き、店に入る。
「メイプルシロップ、メイプルシロップ……、あら、こんなところに豆かんがある。ま、ひとつ買っておきましょうかね」

 じつはわたしの母も、「豆かん」、「みつまめ」、「あんみつ」をこよなく愛するひとりであった。母はとくに「あんみつ」贔屓(びいき)だったが、「あんみつ」の立役者でもある赤えんどう豆の塩茹でにこだわっていた。
「豆が好きなの、この豆が」
 子どものころ、デパートへの買いものについてゆくと、甘味処「立田野」で釜飯を食べさせてくれ、帰りに「あんみつ」を買うのがならいだった。そのころは、赤えんどう豆のおいしさにまったく気づいていなかった。豆はいらないんじゃないか、というくらいに思っていた。
 が、母の「豆が好きなの、この豆が」という呟きは大きかった。これが道標(みちしるべ)となり、わたしをゆっくり、赤えんどう豆の世界に導いたと云ってもいい。

 豆かんセットの寒天、赤えんどう豆を器によそってみつをかけ、食べかけてしまいながら、はっと気づいて、母の写真の前に置き、「食べかけちゃったんですけどね、どうぞ」と供えたりする。
「ふみこ! あなたはまったく」
 と、たしなめられる。

Photo_2
「豆かん」はいまのわたしのブームですが、
ブームといえば、これもブーム。
友人からプレゼントされたちっちゃな一輪挿しに、
草を生ける。
テーマは「へんてこ」。

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