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2019年6月の投稿

2019年6月25日 (火)

赤いワンピースを赤く染める

 したいこと。
 しなければならないこと。
 したほうがいいこと。

 これが頭のなかでごちゃ混ぜになって、整理がつかなくなってくると、わたしは……「忙しくてやんなっちゃう」になる。
 やんなっちゃうのは事態に、ではなく、自分の不整理に対して、である。こういうこと、いったいどのくらい積み重ねてきたことだろう。思えば、小学校のわたしも、まったく同じ理由で、すぐに「忙しくてやんなっちゃう」になっていた。本を読みたい。本を読みたい。宿題をしなければ。お手伝いもしたほうがいい。こうして、たちまち「忙しくてやんなっちゃう」だ。
 中学、高校、短大時代も同じだ。
 本が読みたい。昼寝したい。映画を観たい。宿題や小論文を片づけなければならない。(川崎のおじいちゃんとおばあちゃんの家に逃げちゃおうか)。学校行事の準備に参加したほうがいい……。こうしてまたしても「忙しくてやんなっちゃう」だ。

 社会人になったら、結婚したら、母ちゃんになったら、本格的なる「忙しい」になる、とは覚悟していた。どう考えても自力で解決することがふえるからだ。自力ではどうにもならない事ごとに関しては、ひとに援けを求めたり、相談したり、そうして力を合わせて動くのには面倒が付きものであることだって、知ってはいた。しかも、気が向いたときに動けばいいという話ではなく、ひとと時間を合わせるのは、けっこう大変だ。これも、なんとなくわかっていた。
 社会人になったわたしは……、主婦になったわたしは……、母親になったわたしは……、精神的にも能力的にも成熟して、ことの割り振りなんか御手のものだ。そう簡単には「忙しくてやんなっちゃう」なんてことにはならない。と、想像していた。
 まさか、自分がいつまでもたっても、〈したいこと〉、〈しなければならないこと〉、〈したほうがいいこと〉と押しくら饅頭をつづけることになろうとは、その上始終「忙しくてやんなっちゃう」なんて呟いて嘆息したり、焦ってじたばたするなんていう有様は想像もしなかった。
 
 だってそれじゃ、子どものころのまんまじゃん!

 ……失礼いたしました。
 ええと、さて。
 こうして今週もたっぷり「忙しくてやんなっちゃう」を経験するなかで、こんなふうに自分に云い聞かせたのだった。

「おふみ姐さん(亡き父が、わたしをときどきこう呼んだのだ)、こうなったら、ひとつずつ、順繰りにおやりよ。まず〈したいこと〉。2番目に〈しなければならないこと〉。3番目に〈したほうがいいこと〉。という具合にさ。で、また頭にもどって〈したいこと〉をするのさ」

 それで、今週はこんなふうに日を過ごしてみている。
 赤いワンピースを淡く染める〈したいこと〉 →原稿書き〈しなければならないこと〉 →買い出し〈したほうがいいこと〉 濃紺のシャツを濃紺に染める〈したいこと〉 →会議録を読む〈しなければならないこと〉 →礼状書き〈したほうがいいこと〉 →黒いシャツを黒く染める〈したいこと〉 →エッセイ講座の仕事〈しなければならないこと〉 →梅しごと〈したほうがいいこと〉。
 長年の癖で「忙しくてやんなっちゃう」にはなりかかるのだ。口に出しても云っている。
「ああ、ああ、もう、忙しくてやんなっちゃう」
 しかし、順繰りにしてゆくと、ひとつ終わったときにリレー競技のバトンのようなものが頭のなかに浮かんできて、ほい、とつぎの走者に渡すのだ。
 つぎの走者と云ったって、おんなじわたしが走るわけだけれども、それでも、少しちがうのだ。
 走っているあいだにつくづく気づかされたことがある。わたしには、〈したいこと〉、〈しなければならないこと〉、〈したほうがいいこと〉のあいだに、好き嫌いも、達成感のちがいもないということ。
 はじめるまでにやけに時間がかかる、という共通性にも、驚かされる。

Photo_20190624174401
タイトルと文中の「赤い服を赤く染める」は、これです。
赤いワンピースの「赤」がどうもしっくりこなくなり、
黄みを消すため、深紅(しんく)の染め粉で染めました。
ついでにブラウス、ボレロ、スカーフも染めました。
「濃紺」のブラウスや「黒」のシャツ。
こちらは、もともとの色が褪(さ)めてきたなと
感じるたび、染め返すしごとです。

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2019年6月18日 (火)

ツーピー ツーピー

「京やきぐり」というのをいただいて、夢中で食べている。
 この春、何気なく駅の売店で甘栗を買って以来、わたし、栗が好きだったんだなと気がついた。それから頭の隅っこに「栗」の字が彫りこまれたものか、くり、と聞き、栗、をみつけるとそわそわする。

 6年前になるが、苗字に栗の字のつく紳士と同じ任務に就いたことがあった。2年間にわたる任務を終えたとき、ひとつの仕事を終えた感傷が胸にひろがった。感傷のなかみとして、もっとも大きな位置を占めたのが、〈栗の字せんせい〉ともう簡単には会えなくなるさびしさであった。あのころせんせいは、6年間に及ぶ大学の学長職を終えたばかりだったが、えらそうなところが微塵もなく、密かに「もう少しえらそうでも、いいのに」と不満を感じるほどだった。知的でおしゃれで、ユーモアあふれる紳士。
 2年間の任務のあと、〈栗の字せんせい〉との仕事の充実と愉快を気づかせてくれたのも、栗たちだったなあ。栗の木を見上げては……、甘栗の袋の連なりを眺めては……、〈栗の字せんせい〉をなつかしんだ。洋菓子店で菓子を注文する最中(さなか)、「モンブラン」と云って、思わず涙ぐんでしまったこともあった。
 〈栗の字せんせい〉とは、以来2回、道の上でばったりお目にかかった。

 いただいた「京やきぐり」の箱型の紙の手提げを開けると、そこにはまんまるの焼き栗がいっぱい入っていて、思わず「きゃっ」と声をあげてしまう。
 それを籠にうつして小机の上に置く。
 うつくしい風情。……と思いながらも、食べたくてたまらなくなり通りがかりについ、手にとってしまう。立ったまま食べたりするのはいかにも申しわけないので、坐って、栗の皮をはずしにかかる。するっと剥(む)けるときと、鬼皮に実の部分(ほんとは鬼皮と渋皮が実で、実だと思って食べているのはタネなんだと!)を持ってゆかれて、ふたつに割れてしまうときと、ある。
 するっと向けて、まんまるい実がてのひらにのると、見えない誰かさんに「当たりです。いいことがあります」と云ってもらったような心持ちになる。

 日曜日の朝。
 これを書きはじめる少し前、「京やきぐり」をひとつつまんで、皮を剥いたら、するっと剥けた。そのときだ。庭からツーピー ツーピーと鳥の声が聞こえてきた。シジュウガラの歌である。
 栗のことも、シジュウカラの声も、おおいにうれしい。

 02
やきぐり。
こんなのがある風景も、しあわせ。
おいしさも、しあわせ。
皮がするっと剥けたら、それは「吉兆」。

 

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2019年6月11日 (火)

練習

 その昔、わたしが子どもだったころのはなし。
 
 夕方。
 どこからともなく豆腐屋さんのラッパの音が聞こえてくる。
 プープー。プープー。
 豆腐屋さんが自転車の荷台に大きな木箱をのせて、やってきたのだ。
 母が立ち上がって、台所からボウル(小鍋だったかもしれない)を持ってきてわたしに向かって差しだし、「絹ごし1丁、油揚げ1枚お願い」と云う。これは、日によって変わる。母は絹ごし贔屓(びいき)だったから、木綿豆腐を頼まれたことはなかったが、がんもどき、厚揚げ、と告げられることもある。
「はーい」
 わたしは受けとったボウルを抱えて、おもてに飛びだす。
 豆腐屋のおじさんは、路地の少し向こうに自転車を停めて、商いをしている。荷台の木箱のなかには水が張ってあり、なかに豆腐が浸かっている。それを素手ですくいとって、器に入れるのだ。お客は割烹着をつけたおばあさんや、エプロン姿のおばさん、それにわたしのような子どもだ。
「きぬごし、いっちょう。それから、あぶらげいちまい、ください」
 こんなことを、昔の子どもは日常的にしていたが、それは「おてつだい」という括りではなかった。むしろ「遊び」の延長であったような気がする。
「おてつだい」であろうと、「遊び」であろうと、ともかく子どもが「する」のだった。 

 子どものわたしは豆腐屋のおじさんから母に頼まれたものを、頼まれた数だけ受けとって、お金を払い、ときには釣銭ももらって帰ればよかった。しかし、それだけではなかった。
 豆腐屋のおじさんとやりとりしたり。自分が先に買っていいか、顔を合わせたおばさんを先にして自分はあとから買うほうがいいか、を考えたり。近所のひとからかけられるコトバに返事をしたり。することはたくさんあったのだ。

 豆腐を買うほかにも、いろいろなことが待ち受けていた。
 回覧板をまわす。おすそ分けを届けて、そのうちのひとに口上を述べる。銭湯に行って、おばさんやお姉さんのあいだでからだを洗い、湯船につかる。
 最近とみに、それやこれやを、場面とともに思いだすようになっている。
 豆腐屋さんから豆腐を買うことのように好きだったこともあるし、あまり好きでないこともあった。口上をおぼえて伝えるなんていうのは、あまり好きでなかった。「ほっかいどうのしんせきから、あすぱらがとどきました」なんていう短いコトバだって、まちがえないように云うのに、苦心が要った。

 あのとき……。
 と、わたしは考えている。
 あのとき、わたしは、家族でもない、友だちともちがったひとたち、それに、年のちがうひとたちとつきあっていた。大人たちは、あたりまえのこととして、子どもにそんな機会をつくってくれていたのだ。
 このごろは、そういうことがめっきり少なくなっている。
 だいいち豆腐屋さんが自転車でやってこない。誰とも口を聞かずに豆腐は買える。豆腐でないモノだって、たいてい無言で買えるのだ。近所づきあいの機会も減っているし、切実に銭湯に通うこともなくなった。そんな場面につきものだった挨拶や作法、心づかいのようなものも、一緒に消えてしまった。

 練習不足。

 家族でもなく、友だちともちがったひとたちと、まじわる練習。
 年のちがう相手と、一緒に何かする練習。
 こんなことがいま、決定的に不足している。

 練習不足を突きつけられるのは、ひとが極度に孤立し、それがために起こる(それだけではないにしても)事件に接するときだ。ひとづきあいの練習ができていたなら、他人(ひと)や世間に対して不審の念を抱いたり、怖がる必要のないことが実感できるのではないか。それどころか、ときには、助けを求めることもできるのではないか。

 練習の機会。

 これを、さりげなくつくれるおばさんになりたいと思うが、さて。

Yuri
近所の友だちが、ピンク色の百合の花を
持ってきてくれました。
庭で咲いたのだそうです。
「あなたが白い百合を好きなのは知ってるけど、
ピンクも可愛いでしょ」
……ええ、とっても。

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2019年6月 4日 (火)

「趣味は歩くことです」

 このところ、歩いてばかりいる。
 もともと、歩くのは好きだが、このところの「歩き」は度を越しているようでもある。

「おかあさーん」
 これが合図だ。
 末娘の、声。
「わかった、歩こう」
 これはわたし、「おかあ」である。
「え、いいの?」
 いいのです、と答える代わりに運動靴を履く。

 末娘は現在、「就職活動(以下、就活)」のただなかにあって、一喜一憂の日日を過ごしている。こういうとき、あまり深入りしないように、気をつけている。深入りしたところで、余計なことを口にして神経を逆撫(さかな)でするのが落ちだし、そうでなくても昨今の就職事情は複雑で、とらえどころがない。
(なんとかがんばっておくれよ)
 という心持ちで、いる。
 しかし娘を一喜一憂させる就活をめぐるあれやこれやについて、名称くらいは聞きとっている。
 エントリーシート。webテスト。グループディスカッション。お祈りメール。

 こういった事ごとに追い詰められるたび、このひとは何となく「おかあさーん」と小さく叫ぶのだ。
 もしかしたら、ただそう云ってみているだけで、「わかった、歩こう」なんて応じなくていいのかもしれない。けれど、娘たちとわたしは、これまで何かがあるとき、何もないときも、とにかくならんで歩いてきた。
 このたびも、何とはなしに、ふたりで歩きに歩いている。就活のなかみについて、問い質(ただ)すような真似はしないでいるけれど、これだけは尋ねた。
「ね、ときどき云ってる『お祈りメール』ってのは、何?」
「不合格のメールのことなんだけどね、不合格なんてことばは使われないの。『残念ながら、ヤマモトサマのご希望に添いかねる結果となりました』とくる。さいごに『ヤマモトサマの就職活動の成功と、今後のご活躍をお祈り申し上げます』がついてくるの。これが、お祈りメール」
「ほお……」
「そういうときは、友だち同士で、『〇〇会社に祈られたー』って報告し合うのー」

 本日も、夜の散歩をした。
 ならんで歩きながら、まったくもって、誰かのために何かしたいと思っても、できることなんてのは、わずかばかりのことだ、と考えていた。しかし……、できることがわずかでもあるというのは幸せだ。わずかなことでも最善を尽くせば、扉はあくのではないか。

「面接で、趣味は何ですか?って質問されたとき、何と答えると思う?」
 と、隣を歩く娘。

「趣味は歩くことです」
 ふたり同時に云って、あはは、と笑う。

Photo_6
ことし、3年ぶりに庭の梅に実がなりました。
実は2キロ半ありました。
早速、梅シロップを漬けました。
シロップができたら、漬けたあとの実で
ジャムをつくろうと思います。
梅しごと、梅しごと!

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