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2019年8月の投稿

2019年8月27日 (火)

8月の日暦(ひごよみ)その4

8月*日
 通りを歩いていた。
 小さい通りだが、自転車もくるまも走る道である。
「ふみこさーん」
 とご近所さんに声をかけられ、わたしは左右も見ずに、こちら側からあちら側に向かおうとした。
「あぶなーい」
 自転車の叫び声だ。
 いや、自転車を漕ぐ若いお母さんの声だった。活きのいい声。自転車の前にはちっちゃな男の子も乗っていた。
 あわや正面衝突!
 を、まぬがれたのは、活きのいいお母さんの運転技術のおかげだ。シュルッと、飛びだしたわたしの脇をすり抜けて、走り去った。
「ごめんなさーい。許してねー」
「こちらこそー。スピード出し過ぎてました、ごめんなさーい」
 ことなきを得たわたしは、ふと、ずいぶん前に聞いた友人のコトバを思いだしていた。
「危ない目に遭ったときには要注意。それは予告かもしれないの。はっと思うことに遭ったら、もっと大きな事故に遭うかもしれないからねー」

8月**日
 この夏はうんと仕事をした。
 4年に一度の小学校の教科書採択の年にあたっていたため、仕事量がぷううっとふくらんだのである。夏の前半は、市役所に通い、一室にこもって教科書を読みに読んだ。
 国語。書写。社会。地図。算数。理科。生活。音楽。図画工作。家庭。保険。外国語(英語)。(特別の教科)道徳。
 あとから計算したら、13科目6学年分×各数「者」を40時間かけて読んだことがわかった。そのあいだは、なんと云うか脳みそが腫れたようになっていて、家でおかしなことを口走って笑われたりした。
 しかしその一方で、〈夏休みの自由研究〉にも取り組んだ。
 ことしのわたしの自由研究は、「見えないところを整理する」だ。
 仕事場のひきだしというひきだしを見直し、それから文具を整頓した。まずモノをすっかり出して、空っぽになったひきだしを小ぼうきで掃き、固く絞った雑巾で拭く。
「なんだこりゃ?」とつぶやいたり、「こんなところにあったのか」と嘆息したりしながら、せっせと片づけた。けっこうな時間をかけて片づけを終えると……、表面上は何も変わって見えない。そりゃそうなのだ。テーマは「見えないところを整理する」であったのだから。
 何も変わっていないようでいて、じつはたいそう変わっていることがわかる本人であるよろこび。これはこの夏の大きな褒美だろうか。

8月***日
 友だちが熱海旅行のあれこれを綴った(戸田幸四郎美術館を訪れたそうだ)手紙とともに、旅先でみつけたというかわいい布巾を送ってくれた。
 ちっちゃなかぼちゃがいっぱいプリントされた布巾。ワッフル織りダブルガーゼ生地は、吸水性にも期待できそうだ。
 台所に置いてみる。
 すると、台所から歓声があがる。
 一テンポ遅れて、わたしも歓声をあげる。
 旅館でもらうタオルを半分に切って縫い、「旅の思い出、旅の思い出」と云い云いし、使ってきたのをごそっと雑巾とする。
 ワッフル織りダブルガーゼの布巾を5枚買い足して、現在、有頂天厨(うちょうてんくりや)祭り開催中。

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旅先から戻った長女が、
「これ、長いことありがとう」
と云って、帽子を返してよこしました。
なんでも旅先であたらしい帽子を買ったのだとか。
気に入りの帽子を、たしか5年くらい前に
長女にとられた(ごめんあそばせ)のだったなあ。
「お帰りなさい」
だいぶくたっとなっているけれども、
しばらく一緒に歩こうと思います。

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2019年8月20日 (火)

8月の日暦(ひごよみ)その3

8月△日
 埼玉県熊谷市の夫の実家へ行く。
 家でちちが迎えてくれる。
 台所も居間も、通り土間のそこここも、さっぱりと片づいている。ははがこの家を営んでいたころ飾られていた切り花や布が醸(かも)すものを色気と呼ぶとしたなら、いま、色気はないのに等しい。
 ちちと夫とタロ(20歳)のおとこ所帯。だが……、さっぱりとした風情を、色気と呼んでみたくもある。
 ひたすらに、ちちのはなしに耳を傾ける。
 ど忘れ、想起不全を混ぜこみながらも、ちちのはなしはおもしろい。
「しかし、この世には悪いヒト、というのはいるんだね。悪いヒトに出くわすと、まいってしまう……」
 と、ちちが云う。
 これまで、ちちの口から「悪いヒト」というコトバが出たことはなく、わたしは少し驚いて、尋ねてみる。
「え、お父ちゃん、もしかしたらデイサービス(通所介護)やショートステイで(短期入所生活介護)、悪いヒトに出くわしたんですか?」
「そうなんよ。怒鳴ったり、意地悪のようなことをする男(ひと)があってね、ときどきわたしにも向けられるよ」
「どうするんですか? そんなときには」
「抵抗しない、かな。嵐が過ぎるのを待つというかね」
 88歳のちちは、あたらしい人間関係のなかで、ヒトを学んでいる。

 老人保健施設に入所し、リハビリをしながら暮らしているははのもとへ。
 ははは眠たそうだったが、わたしを見ると、右手をのばしてきた。両手で包むように握ると、きゅうと握り返す。
「おかあさまはいつも、ごはんのとき、『あなたはごはん食べたの?』とわたしたちを心配してくださるんです」
 とヘルパーさんが云う。
 帰り際、手を握り合う。握りしめ、握り返される。また手を……。

8月△△日
 このごろ、ハンカチーフを持たずに手ぬぐいを持って出ることが多くなった。ちょいときどった外出のときは、ハンカチーフも持つが、ふだんは手ぬぐいのみ。
 柄に励ましてもらうこともある。きょうは西瓜の柄のを持っている、と思うだけで、こころがにやりとする。
 風呂敷と手ぬぐいは、わたしの大事な仲間である。いちまい布の威力に支えてもらいながら、こんなふうに包んだり、そっと拭ったり、そんなヒトになれたならな、と思ったりする。

8月★日
 ポストにはがきや封書を投函。
 これをしない日は、ないと云っていい。
 私信を出すほか、エッセイの通信講座も持っているので、添削したものを送り返す頻度も高いのだ。どちらにしても、書くべきこと、するべきことを収めたはがき、封書を目の前にするときの達成感と云ったら……。
 この達成感は、確かにわたしの人生を支えている。
 本日は封書3通、はがき1通を投函。
 投函後、ポストの頭を指の先でトントンと叩くのは、長年の癖である。
「よろしく届けてくださいな」
 のねがいをこめて、トントン。
「気持ちよく受けとってもらえますように」
 のおまじないの意味で、トントン。

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この夏、よく一緒に出歩いている
西瓜の柄の手ぬぐいです。
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こちらはアイスキャンデーの柄。
「あたり」という文字、見えますか?
季節の柄のは、季節外には戸棚の奥に
しまいます。
秋にはどんぐりや秋刀魚の柄のを出してきます。

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2019年8月13日 (火)

8月の日暦(ひごよみ) その2

8月△日
 とうもろこしをいただいた。
 とうもろこしというと、昔々、出版社の編集部に勤めていたころ、庄野潤三せんせいが送ってくださったとうもろこしが思いだされる。当時、庄野潤三の世界を旅する以前のわたしであったのは、惜しいことであった。
 いや、それでよかったのだ。
 もしいまのようであったなら、熱に浮かされて、「庄野せんせーい」と叫んで、とうもろこしを抱きしめていたかもしれないのだから。そんな自分を晒さずにすんだ。
 さてとうもろこしだが、「フルーツコーン。皮を剥いて、沸騰したお湯で3分茹でてください。電子レンジの場合は、1本ずつラップで包み、1本につき2分ほどかけてください」という説明書がついていた。
 かつて、たっぷりの湯を沸かし、10分も20分も茹でていたのがウソのようだ。とうもろこしに、すまなかったなあ。

8月△△日
 バッグのなかから、長財布がわたしを見上げる。
 紙幣、小銭のほか、銀行のカード、クレジットカード、プリペイドカード、ショップカードなどを数多(あまた)収納して……、いつの間にか贅肉(ぜいにく)をつけて、少し太っちょになっている。
 収納能力に惚れこんで求めたころは、スリムな美人だったが。
 出かけるたび、全スタッフを財布に入れ、連れまわさなくてもよいのではないか、と、ふと思う。 
 財布に必要な金額を入れ、必要なカード類を持って出かけることにしようっと。そこできょうは、留守番コーナーをつくる。ここをちゃんと
しておかないと、大事なカード類をなくしたりして、そうなると、誰かに迷惑をかけるから。

8月☆日
 埼玉県熊谷市の実家にいる夫から、メール。
「立秋翌日。今朝ブルーベリーを摘んでいたら秋の風を感じた」
 出た!夫の秋センサー。
 毎年、誰もが暑い暑いと汗をぬぐうなか、ひとり「秋を感じた」と呟くのである。
「熊谷の夜明けの空高くに鰯雲が浮かんでいた。あっという間に(1時間後には)崩れて、鰯は空からいなくなったけど。秋のもの悲しい気配が漂いはじめる晩夏が、いちばん好き。子どものころから」
 こちらも、気をつけてみよう。秋の気配に気づけるように。

8月☆☆日
 夜、1、2時間散歩するのが習慣になった。
 夜の散歩。
 思えば三女の「就職活動」のころ、ふたりであれこれ話しながら歩いたのがはじまりだ。夜はさすがに気温が下がり、時に風も吹いてくるから、歩くのには具合がいい。
 ひとりでは滅多に歩かない。誰かと連れ立って歩くことになるわけだが、話の合間に考えごとができる。これが、その日1日の整頓となるようだ。
 たとえば、昼間の事象に対し、「それはこのように受けとめることとする」というふうに、決定することができる。
 となりを歩く相手に向かって、打ち明けるともなく打ち明けることもある。
「じつは、こんなようなことがあってねえ……」
「それは、やっかみ」
「え」
 そうして、胸のなかで静かにことを収束させる夜。

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長野県上水内郡信濃町から届いた
とうもろこしです。
おいしいおいしいとうもろこしでした。

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2019年8月 6日 (火)

8月の日暦(ひごよみ)

8月⬜︎日
 大阪、名古屋と出張がつづいている。
 どちらへ向かうときだったか、新幹線のなかで、雑誌を見ていたら、「星占い」のコーナーがあり、何気なく自分の星座の欄をみて驚く。
「ズバリ、旅の運勢です」
 これは乗物に運ばれて遠くへ出かける、という意味の旅だろうか。そういうことなら、旅を味わうこととしよう。
 わたしにとっては毎日が……、日常生活が……、旅そのものなんだけれども。
 
8月⬜︎⬜︎日
 名古屋から帰ってすぐ、鎌倉に出かけた。夫と予定を付け合わせたら、この日が最良、ということがわかったからでもある。
 鎌倉に行き一泊、と云ったのは夫で、なぜ鎌倉なのかは行くまでも行って帰ってからも、わからず仕舞いだ。が、鎌倉はよかった。鶴岡八幡宮。江ノ電。江ノ島。海。猫。氷白玉金時きなこ。生しらす。ハイキング(北鎌倉→鎌倉)。
 そうそう、着替えを持たずに出かけて、小町通りで生成りの綿麻のワンピースを求めた。ときどき、わたしはこういうことをする。
「いいものとめぐり逢わなかったら、どうするの?」
 と、まわりにはあきれられるが、そのときはそのとき。ただし、切実な事情が縁(えにし)を探し当てるのだ。

8月◯日
 noccaへ髪を切ってもらいに行く。
 noccaが近所にあることはわたしの幸運中の幸運だと、つねづね思っている。洗髪とカットとセットに30分くらいしかかからないが、この間に、カンジサンと交わすことばがかなり効く。ああ、わたしはこんなことを聞いてほしかったのか……と思いながら話し、ああ、カンジサンはこんなことを考えていたのか……と思いながら聞くのである。
 で、この日も、わたしは「カンジサン、カンジサン、聞いて聞いて」とやったのだが。なんとわたしの口から、怪しい関西弁がつるつると出てくるではないか。
「思てんけどなあ、カンジサン、このごろちょっと働き過ぎとちがうの?」
 しまった! と思ったけれど、止まらない。
 ここへやってくるのは月に1回のことなのだし、話したいことは、まだたくさんある。もう、このままゆくしかない。
 しまった!というのは、カンジサンが京都出身であるところだ。ホンモンの関西弁を話す相手に、こんな出鱈目を流しつづけていいものだろうか。
「きょう午後ダイシマサン(夫である)も予約入れてるやろ。よろしゅう」

8月◯◯日
 ことし6月に亡くなった作家・田辺聖子の作品と、その背景を求める作業にとり組んでいる。10代の終わり、母の書架にずらりとならんだ小説、エッセイを読んだのがはじまりだから、読書歴は40年を超えてたなあ……。
 自分の書架におさまっているもののほか、図書館でも借りて、読んで読んで、また読んで、という日日だ。わたしはうれしくページを繰りながら、少しずつおおらかになってゆく。同時に、どんどん大阪弁になってゆく。
 大阪弁などとは呼べないインチキ出鱈目である。もともと関西には大阪、神戸、京都と、それぞれ異なる方言があり、そのひとつひとつも地域によって個性を持っている。……らしい。
 ことばのことはともかく、田辺聖子の世界にどっぷり浸かることができたのは、仕事のためであるとはいえ、幸いなことだった。昔読んだ作品を読み返しているときには、「ああら、気がつかなかった、こんなとこにこんなに深いことが置かれていたなんて」という気持ちに幾度となくさせられた。

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久しぶりに江ノ電の乗客になりました。
8月12日(月)まで鎌倉から長谷エリア間の
6商店街で、「みずたまてん」開催しています。
みずたま好きなわたしには、たまらない「てん(展)」です。
水玉をテーマにした商品(みずたまのお菓子まで!)、
アート作品が待っています。
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ライトの様子から見て、
古い型の電車のようです。
江ノ電さん!

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