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2019年9月の投稿

2019年9月24日 (火)

もの想い

 秋の虫が鳴いている。
 晩夏のころ虫が合奏をはじめると、こちらの胸のなかでは、もの想いがはじまる。このもの想いによって、わたしは季節のうつろいを噛みしめる。
 昨夜も、机の前に坐って、庭でおこなわれている虫たちのコンサートに耳を傾けていた。関東地方、ことに千葉県に襲いかかるようにして通過し北上していった台風15号の被害を考えながら。富津市金谷で活動する友人たちの顔を思い浮かべながら。ことし知り合った千葉県の皆さんの記憶をたどりながら。
 仕事の手を止めると、気にかかる事ごとがこうして、数珠繋ぎになって目の前を行進する。

 ワタシニ デキルコトハ。
 ワタシニ デキルコトハ。

 そんなときだ。
 庭の演奏が変わった。オーケストラの編成が変化したものか、天候が変化したものか、わたしの机まわりは今し方より複雑な調べに包まれる。
 ふと、虫の演者たちは……と考える。
 虫の演者たちは、練習するのだろうか、失敗するのだろうか、仲間同士うまくやれているのだろうか、とね。

 コオロギの〈くさお〉はぼーっとしていて、仲間のはなしを聞いていない。
 スズムシの〈おとめ〉は敏感すぎて、落ち着きがない。
 キリギリスの〈ぐりた〉とクツワムシの〈しゅう〉のあいだには、いざこざがあるようだ。練習中も、すぐ揉める。
 マツムシの〈いとこ〉は何でもすぐに忘れてしまう。

 ……なんてことがあるかどうか。
 虫の世界のことはわからないが、人間のなかには、ある。たとえばコンダクターのもとにひとが集まっていたとして(オーケストラや吹奏楽団のはなしではなく、あくまでも比喩。念のため)、集団のなかには、集団に馴染みにくい存在がある。
 時として馴染めないことがある、くらいの事態。生まれついた特徴がもとになって馴染めない状況が常にある、という事態。いろいろだ。
「インクルーシブ教育」の意味を正しく捉えたいと考えながら、「特別支援教育」の価値について説明することばを吟味しながら、揺れつづけているわたし。だからこそ、虫の合奏を聴いていても、「この集団には、異質な存在を排除するようなことは起こらないのか」なんて探るような耳になったりする。
 どんな存在をも(たとえ、自分とは恐ろしく異なる気質、思想を持つ相手であっても)、わかろうとする、どこまでもわかろうとするわたしでありたい、ということだけが……、そうしてそんな存在とわたしが組み合わさった際には、一緒に困ろう、どこまでも一緒に困ろうというわたしでなければいけない、ということを軸としたい。

 虫たちの演奏が聴こえなくなり、窓を開けたら、雨が降っていた。
「お願いします。雨はここで引き受けますから、いまは、千葉県ではあんまり降らないでください」
 と、祈る。ヘンテコで、勝手な祈り。
 けれど祈りは、わたしにできることのひとつだ。

Photo_20190921212601
このように、
もの想いをしているところへ、
友人ぴかりんから本が送られてきました。
ぴかりんが企画・構成を担当したこと本を読んで、
目からウロコのようなものがぽろぽろ落ちました。
子どもたちの「未来」を考える大人の存在の仕方、
これは大事だー、とあらためて思わされています。
親でもない、友だちでもない、
せんせいでもない、「そこ」にいるおばちゃんの
存在価値について、学ばせてもらいました。

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2019年9月17日 (火)

佃煮

 朝、炊きたてのご飯をお茶碗によそい、お椀にはおみおつけをよそって、食卓につく。
 おかずは玉木屋の佃煮である。
 先ごろ母方の叔母から「玉木屋の佃煮、召し上がっていただきたく少々ですが◯◯デパートよりお送りいたしました。ご賞味下さいね」という送り状が届いて、2、3日、わくわくしながら荷を待った。
 佃煮は、子どものころからの好物だ。好物というより、憧れの、と云ったほうがよいかもしれず、佃煮と聞いただけで、ご飯が2膳も3膳もゆけそうな心持ちになる。そういう心持ちを招(よ)んでしまうところが、佃煮のすごいところだ。

 送り状に、叔母は母方の祖父母の手紙を同封してくれたのだった。わたしが川崎のおじいちゃん、おばあちゃんと呼んでいる大好きなふたりだ。この世から旅立って久しいが、ふとしたときに、「おじいちゃん」と呼びかけ、「おばあちゃん」のしごとを追いかけるようなことが、いまもつづいている。
 手紙の消印を見ると、1978125日の12時から18時のあいだに神奈川県の鶴見で投函されたことがわかる。祖父は手紙に「玉木屋の佃煮」のことを書いている。

〈祖母の手紙〉
 お寺からの落葉が舞い 掃いてもはいてもたまって溝に入り込み 毎朝おじいちゃん 掃除するのにたいへん 皆さんお元気の事と存じます お蔭様でこちらも元気です 十月の老人検診でも二人共異状なしでした 今年は私の生れ年(ウマ年)でした ふりかえってみて ほんとうによい年でした お寒くなってきて毎晩のお風呂が楽しみです きれいなお家に深々と身を沈めて ああ毎日ありがたいなあと今の生活に感謝しています
(中略)
 いよいよ十二月 何かとお気忙しくお過しでせう 私共隠宅は別にどうといふ事はないのですが 気持だけはフワフワしてきます 日が短く 夕暮れの早いのに驚きます おじいちゃんが勝手な事おねがいしました 我がままおゆるし下さい みなさんお体お大事に

〈祖父の手紙〉
(前略)
 例年の通りお歳暮をいただく季節となりましたが、私からは茶たく(五枚一組)を贈呈したいと思い、目下うるし塗りの最中です。うるしをよく乾燥させて仕上げるために、なお若干の日数が必要です。従っておいで下さる日は十五日以降にして下さい。
 毎年いただく品物のうち、玉木屋の佃煮は折り詰めではくバラ売りのをお願いします。希望品種はワカサギ、カツオ角煮、ハゼ甘露煮……(各三〇〇グラムづつ)。勝手なお願いをお許し下さい。

 読んでみて驚いた。
 祖父母は遠慮がちなひとで、わたしの母や父に対しては、もらおうという品物に注文をつけるようなことはしなかった。……ように思う。まあ、これは子どもの印象で、思いこみであるかもしれないのだが。
 じつに風合いのある手紙だ。なつかしさを超え、未来住む祖父母から手紙を受けとったような、そんな気分になっている。

 叔母のやさしい心遣いのおかげで、朝が待ち遠しい。
 佃煮をちょんと箸でつまんでご飯の上にのせ、祖父母とはなしをする。
「ね、年をとるっていいね、日常のありがたみを噛み締められるわたしになりました」
「それでよし」とでも云うように、ふたりはかすかにうなづく気配。

Photo_20190916192401
これはわたしに残された、祖父の手になる
鎌倉彫りの茶托です。
あれ?4枚しかないのは、どうしたわけでしょう……。
祖父は晩年鎌倉彫りをならって、たのしんでいました。
それは器用なひとでしたので、
「塗り」も自分でできるようになっていました。
うるしにかぶれる質(たち)の祖母は、
祖父が「塗り」の作業をする日には、
わたしの家に避難していたりしましたっけ。
茶托のほか、手鏡、文箱、木皿をわたしは譲りうけました。

〈お知らせ〉

どくしょかい

朝日カルチャイセンター新宿において、講座がはじまります。
まずはわたしが選んだ1冊をそれぞれ読み、声に出して読み、読後感を分かち合うところからはじめます。その1冊は……、『まつりちゃん』(岩瀬成子/理論社)——各自でご用意いただき、読んできてください。

日時 2019年10月28日(月)、11月25日(月)、12月23日(月)3回
     13:00〜14 : 30
受講料 会員 10,560円(入会金は5,500円。70歳以上は入会無料)

      一般 12,540円
お問合せ・申しこみは下記へ
朝日カルチャーセンター 朝日JTB・交流文化塾 新宿
https://www.asahiculture.jp/shinjuku
でんわ 03-3344 -1945

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2019年9月10日 (火)

あっちゃこっちゃ

「さて、仕事に集中しよう」と考えているところへ、茄子と南瓜と西瓜がどっさりやってきた。食堂の床に敷物をひろげて、それを並べてみると、まるで市場のようだ。
 近所へおすそ分けにまわったあとも、まだ市場。
 夫が埼玉県熊谷市の実家の畑の作物を、運んできた茄子、南瓜、西瓜だ。
 週日、主にちちの生活を援(たす)けしながら実家で暮らしている夫は、コメのほか、野菜類を数種類育ててきた。ことしのはじめまでは、ちちとふたりで農作業をするのが目的だったが、田植えの準備はじまる5月、ちちのなかから農作業の段取りが消えはじめた、と云う。
 つづいているのは草とりで、ちちは畦(あぜ)やら畑やらにしゃがみこんで、せっせと手を動かしている。それはもう夢中の作業で、日が照るなかも、少しくらい雨が降るなかも、行っている。
 トラクターの動かし方がわからなくなり、苗床の土入れが思いだせなくなり、田に入れる水の記憶が消えたあとでも、草とりは残った。これはおそらく、ちちにとって草とりが一大事だったからではないか。と、わたしは想像している。
 草とりが残るというのは、いい。
 しゃがんで、手で、黙黙と草とりという佇まいをわたしたちに見せてくれて、ありがとう、という思いだ。そのかたちは、きっといつまでもわたしのなかに残るだろう。

 ところで、家のなかのちっちゃな市場のはなしである。
 茄子と南瓜と西瓜を前に、わたしは計画を変える。
「さあ、仕事に集中……」という計画を、机の隅にぐいっと押しやって、両手を組んでねじって、「よしっ」とばかりに食堂の床にひろがった市場に向かう。
 夕方までに、長茄子を6本、南瓜を半分使おう、西瓜1個の実を食べやすい大きさに切って、容器に入れて冷蔵庫に納めよう。計画変更するときには、「ため息をつかない」「考え過ぎない」「さくっと片付ける」のに限る。

 仕事に集中する計画に手をつけたのは、夜になってからだった。
 こんな日もある。
 というか、こんなことの連続だった、とも云える。仕事しようとこころを決めているときにかぎって、それを邪魔するような別の案件が割りこんでくる。仕事と割りこみ案件と、どちらを先にするかはまちまちだが、なんにしても、集中はとぎれやすく、手をつけようとする事ごとが先送りになりやすいのが、わたしだ。
 わたしだ、としてみているけれど、「家のしごと担当」のわたしたち、と記したくもある。わたしはそんなんじゃない、意志強固であるので……というあなた様には、ごめんください。

 計画を変えて、茄子と南瓜と西瓜に挑みながら、もの思いをするのである。こうしてあっちゃこっちゃに気を散らしながら生きてきて、わたしはひとつの実力を身につけたとも、云えやしまいかと。
 それは、なんとか役目を果たしてゆく、あっちゃこっちゃ力のことなどだが。
 じーっと、深深と集中して一筋に打ちこんでゆく生き方に憧れながら、たとえ状況がかなっても、わたしはもうその道を選ばないだろう、と思う。選べない生き方をつづけてきたら、そこにホコリが……。
 あ、ホコリって、埃じゃありません。
 誇りです。

 ふと、草とりをするちちの背中が浮かんだ。

Photo_20190909232301
茄子とじゃがいも、ねぎを使って
ポタージュをつくりました。
(長茄子1本消費)
Photo_20190909232302
茄子と南瓜、玉ねぎ、ベーコンで
チーズ焼きをつくりました。
(茄子2本、とちっちゃな南瓜半個消費)
この日、ほかに茄子の揚げ浸しをつくり、
茄子3本消費しました。
カット西瓜(1個)をつくったら、耐熱ガラス容疑に
4個になりました。

〈お知らせ〉

どくしょかい

朝日カルチャイセンター新宿において、講座がはじまります。
まずはわたしが選んだ1冊をそれぞれ読み、声に出して読み、読後感を分かち合うところからはじめます。その1冊は……、『まつりちゃん』(岩瀬成子/理論社)——各自でご用意いただき、読んできてください。

日時 2019年10月28日(月)、11月25日(月)、12月23日(月)3回
     13:00〜14 : 30
受講料 会員 10,560円(入会金は5,500円。70歳以上は入会無料)

      一般 12,540円
お問合せ・申しこみは下記へ
朝日カルチャーセンター 朝日JTB・交流文化塾 新宿
https://www.asahiculture.jp/shinjuku
でんわ 03-3344 -1945

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2019年9月 3日 (火)

山が待っている

 この夏のまんなかあたり、暑さにも崩れ落ちそうになり、仕事にも押しつぶされそうになり、そのときのわたしは、やっとのことで日を送っていた。
 気持ちをくっと持ち上げて、夏の後半に向かわなければ、だんだん、行き暮れたセミ(セミがみんなそうでないことは、ご存知のとおりだ)のようになって、どこかでいきなりぱたっと動きを止める事態となるんじゃないか、という気がした。
 そこへ便りが届いた。
 差出人の名前と、封筒の厚みを見て、ああ、救いの手が差しのべられた……と思った。お互いのあいだに最短でも2時間半ほどの距離のある、友人。年に一度会えたらうれしいが、それもなかなかむつかしく、主にてがみのやりとりをしている。

「(前略)
 私がいつも歩いている山の住人達(シカ、イノシシ、ウサギ、ハクビシン)はみな無事だろうか……?と、とても気になります。
 野良ネコ達や、家族とはぐれたワンコ達もとても心配。今の地球の状況は、他ならぬ、私達人間が引きおこしてしまったので、動物達、植物、虫や海の生きもの、みんなに申し訳ない気持ちになります(みんな、本当にごめんね)。」

 ここまで読んで、ひと息。
 友人とともに云う気持ちで、「ごめんね」と声を出す。

「そんな私が『ナイショの活動』を始めて今年で3年目になります(人に云うの、初めて)。
 散歩の時にゴミ拾いをしています。」

 おおお。
 あちらこちら相当の距離を歩きまわっているわたしには、ちらっとも「ゴミ拾い」が浮かばなかった……。

「(中略)
 ゴミはたくさん落ちていました。だから、始めたばかりの時は週1の割合で山に行っていました。
 1人で山に行くのはさすがに怖いので、いつも山の会社の通勤時間を狙って行くのです。(中略)今は月に1度の山のゴミ拾いでも、大丈夫になりました。そうなのです。ゴミの量が目に見えて減ってきているのです! タバコの吸いガラ、ペットボトルは本当に少なくなりました。みなさん、おかしなおばさんが、時々だけど、1人でゴミ拾いをしているのを見て下さって、なるべくゴミを捨てないようにして下さっているのかなあ……と、ちょっと思ったりして。」

 思っていますとも。
 思って、目撃した皆さんは、意識を変えているのじゃないか。

「(中略)
 無理をしないこと。
 行く日は決めないこと。
 細く長く続けられるように体調を優先すること。
 こんな風にルールを決めたからこそ、おかげさまで3年目を迎えることができたのだと思います。
 ちょっと嫌なことがあって、気持ちが沈んでいても(山が待っている)と思うと、それが心の支えになります。
                                          (後略)」

 てがみには、山に行かず近くを歩いているときにも、ビニール袋を持って、目についたゴミを拾っていること、車の運転中にも道端に落ちているゴミが気になって、許されるなら車を脇に停めて拾いたくなること、川にペットボトルがプカプカ浮いていると、飛びこんで拾いたくなることなどが記されている。
(川に飛びこむのは、やめてちょうだい!)
 友人の頭には、「川の先には海があって、問題となっているマイクロプラスチックの元になる」という思考があるのだ。

 このてがみをもらってから、わたしには俄然気力が湧いてきて、ときどき「山が待っている」とつぶやいて、友人と、友人が歩く山を思いながら、自分にできることを無理せずしてゆこう、と考えるようになった。
 友人は、ひとりで、ひとにはナイショで活動しているが、そっと打ち明けてもらったわたしを変えたと思う。行き暮れたセミになりそうだったわたしが、はりきったセミになり、やがてほんとの意味で、友人の友人になる。

 この夏を支えてくれたmちゃん、ありがとう、ありがとうございました。
mちゃんの許しを得て、皆さんにも一部をおすそ分けをいたします)。

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家の鍵を持って出るとき、ちっちゃなポーチに
入れています。
これまで使ったものが古くなり……、この夏、
これを求め、使いはじめました。
新宿の美術館で開催中の「みんなのレオ・レオーニ展」
ミュージュアムショップでみつけたのでした。
わかりますか? 
「スイミー」です。

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