« 2019年9月 | トップページ | 2019年11月 »

2019年10月の投稿

2019年10月29日 (火)

あれれ?

 自分のことを「弱っちい」と思っていた。
 打たれ強いということばがあるが、わたしは全然そうじゃない、打たれ弱い!と思っていた。
 勇敢は持ち合わせておらず、弱虫だ、と思っていた。
 子どものころからずっと……。
 強いもの、逞(たくま)しい存在にあこがれながら、そういうのは自分には無縁だと決めていたのである。

「とつぜんですが、この場で解説をおねがいします」
ふ)「わかりました。……まかせて」

「では、会をはじめます」
ふ)「皆さんごめんなさい。大事な資料をごっそり忘れました。でも大丈夫。いつもよりおもしろくやります」

「△×■∈∂⁂×××!!!」
ふ)「ご指摘、もっともです。ありがとうございます」

 60歳を過ぎたころ(あとひと月で61歳であります)だ。
 あれれ?と思うようになった。
 いろんなことがあっても、あまり揺れない、平気でいる自分に気がつくのだった。
 自分をずっと「弱っちい」と思いつづけてきたけれど、経験のなか、少しずつ強さを身につけてきたのかもしれない。強さというより、「平気でいる」感覚だ。もちろんびっくりもするし、ドキリともする。「ごめんなさい」の気持ちも湧き、「以後気をつけよう」という心構えも持つ。
 だが、気持ちは平らで、どうということもない。
 あれれ? である。
「あわてようよ、うろたえようよ、傷つこうよ、落ちこもうよ」と勧めにかかるのは、かつてのわたし自身だ。「だって、ずっとそうやって揺れてきたじゃあないの」とばかりに。
 けれど、その誘いにはのらない。

 いつ、わたしはかつてのようには弱っちくなくなったか。
 それは、自分に云い聞かせるようになったからではないか、と思う。
「あわてるな」
「うろたえるな」
「傷つくな」
「落ちこむな」
 あわてず、うろたえず、傷つかず、落ちこまず……、できるだけおもしろがって生き抜こう。とね。

 じつは一昨日も、出先で不都合が生じ、あわてそうになったのだが、やめた。導かれた事態(まあ、4分の3は自分のしくじりのせいだったのだが)を、目をつぶって味わおうと決め、ちょっと笑ってみた。
「平気だい、」

 うっかり者だからだろう、しくじりが少なくなく不都合にも始終陥る。そのたび「平気だい、」とつぶやいてから、細部(details)に気持ちを持ってゆくようにしている。
 大枠(outline)でつまずいたら、細部に駆けこむ。揺れそうなこころをちんまりした手仕事に向けるのだ。
 一昨日のしくじりのあとも、わたしは切手の整理をしたり、古雑誌や刷出し(本や雑誌の印刷前の調整のための試し刷り)をちぎって、ハガキに貼りつけたり。集中して2時間ほども机に向かっていた。
 あれれ? と自分を見直したとき、人生の細部を愛するようになっていたことに気がついたのである。

 大枠で失敗してもダイジョウブ、細部がわたしを抱きとめてくれる。

Photo_20191029004901
そうして、
夕方いつも白い百合を買う花屋に出かけ、
百合のほかに紅いバラを買いました。
こういうのは、細部の彩りです。

| | コメント (22)

2019年10月22日 (火)

旅の駒

「防府」をわたしは、3年くらい前まで「ぼうふ」と呼んで(読んで)いた。
 そんなことだから、まったく防府に行くなんて機会にはめぐまれなかった。けれどとうとう呼びまちがいが許されたのかもしれない、防府へ、という仕事が舞いこんだ!
 東京からどう行ったものか。
「飛行機なんじゃないの? ほら、宇部空港があるもの」
 というアドバイスもあったが、陸路を行きたかった。
 東京駅から徳山まで新幹線「のぞみ」で行き、山陽本線に乗り換え、防府駅へ。
 仕事をして一泊し、防府天満宮に詣り、新山口駅に出て、バス(スーパー萩号)に乗って1時間、萩へと向かう。同じ山口県ではあるけれど、瀬戸内海側から一気に日本海側に渡るのだ。これを山陽から山陰へ、と云っていいのだろうか。
 長女の梓が、折しも萩で仕事をしていたので、落ち合って、案内してもらおうという計画だ。

 生まれて初めて、ゲストハウスに泊まる。
 木の香りが立つ、清潔・シンプルなふたり部屋。洗面所、トイレ、ダイニングキッチンは共有で、到着するなりキッチンでアメリカ人のカップルから「こんばんは」と挨拶される。
 Is this your first time in Hagi?
 気持ちのいいベッドに横たわったら眠ってしまい、「あ、食糧の買いだし!」とあわててスーパーマーケット「サンリブ」に飛びこむと、閉店(20時)3分前だった。一緒に飛びこんだおじさんが「もうだめかね」と店員のお姉さんに聞いて、「ええ、もうおわりです」と云われている横で、お惣菜をつかんでレジに置く。ギリギリセーフを決めこむ迷惑な客になってしまったー。ゴメンナサイ。つかめたのはサバの味噌煮、筑前煮、蓮根の煮もの。それからこの町に着いてすぐ、求めておいたyuQri(ゆくり/パン店)のりんごパンと夏みかんピールのカンパーニュ、という夕食。


 翌朝。
 ひとりで町の映画館に歩いて行き、「初恋 お父さん、チビがいなくなりました」(監督/小林聖太郎、原作/西炯子)を観る。バスが着いたとき、映画の看板が目に入り、計画するともなく計画していた行動だ。観客はわたしひとり。バッグにしのばせたパンプディングを堂堂とスプーンで口に運ぶ。
 倍賞千恵子、藤竜也、市川実日子。魅力的な俳優ばかり出てくるが、チビを演じる黒猫にはとくに胸を締めつけられる。すでにこの世にはいないけれど、いまも家族でいてくれる黒猫の「いちご」と暗闇のなか再会したようで。
 好きな映画だった。
 映画の後、ひとりであちらこちら歩きまわったおかげで、あたりの地図が頭のなかにひろがり、つながってきた。萩市立図書館で梓と待ち合わせて、仲間のリエさん経営のカフェレストランに連れて行ってもらう。ものすごくおいしいワンプレートランチ。本日のメインは、エビチリソースだったが、これまで食べたなかで、いちばん「気に入りました」。
 ふたりでまたまた歩く。木戸孝允(たかよし/桂小五郎)の生家だ。日本海だ。菊ヶ浜だ、指月山が見える。浜崎町だ……。
 夜は梓の友だちとごはんを食べたり、おしゃべりしたり。萩に住むひとの悩みのようなものに耳を傾けながら、まじめに地元を愛してる……ことに、感動する。

 翌朝、うどんをすすり、梓と別れる。
 スーパー萩号のバスに乗り、新山口駅に出る。
 駅前のコンビニエンスストア「ポプラ」で、読むものと、ヨーグルト、ナッツを探す。書棚が充実していることに驚く。なんと、なつかしい『飛ぶ教室』(エーリヒ・ケストナー、池内紀 訳/新潮文庫)をみつけたので、興奮して求める。
 もうひとつ興奮したのは、店内に、ご飯スペースが空いている弁当が置いてあり、レジに持ってゆくと、店員がそのおかずだけの弁当を電子レンジにかけて温め、大きな炊飯器から炊きたてのご飯をよそってくれることだ。店員さんは忙しくなるし、弁当の客もそうでない客もちょっと待たされるが、なんとも温かい。
「ポプラ」で『飛ぶ教室』を手に入れたことは、今回の旅の不思議な締めくくりであった。『飛ぶ教室』を読みながら、わたしは東京に戻された。

 旅を記録するにあたり、歴史的なこと、ひととの会話、仕事のなかみについてはほとんど触れずに、ちっちゃな駒のようなことばかりを記してみた。
 駒というのは日常を支えるが、旅をも彩る。そのことが証明できたなら、うれしい。

Photo_20191022025601
萩で知り合った素敵なご家族から、
山の栗をお土産にいただきました。
そうして、帰ってみたら、福岡の友だちから、
すだちが届いていました。
お父さまの形見のすだちの木の、すだち。
「収穫中、近所のネコちゃん2匹が見守ってくれて、
地面に落ちたすだちでコロコロして遊んでいました」
というお手紙つきで届きました。
旅の前には、京都の銀杏をいただいたばかりです。
作物があつまるしあわせに、震える気持ち。

| | コメント (16)

2019年10月15日 (火)

雨戸の国

 台風19号が生まれて日本列島に近づき、関東地方に上陸するらしいとわかってからの、うろたえ様(よう)は並でなかった。
 国を挙げて「きっちり、隅隅までうろたえましょう」という「達し」があったものだから、わたしも「そんなものか」という気になり、懸命にうろたえた。こういうときどうなるかというと、うろたえうろたえ備えに精出しながら、うかれるのである。
 いけないなあ、と思う。
 ひとと気持ちをそろえて何かをしなければという事態のなか、つい、うかれるのはごく幼い時分からの習い性で、なおらない。葬儀のようなときにまでそうなるので、時に自分が恐ろしくなる。大人になってからは、流石(さすが)にいけない、と自戒する気が発動するようになってきたが。

 台風19号。
 わたしのまわりでも計画や予定が、とびきり大きいものひとつ、中くらいのものひとつ、ちいさいものふたつ、すっ飛んでしまった。それでわたしは金曜、土曜、日曜と、ずっと家にいることとなった。
 台風がうちの上空(東京)を通過する12日の前日の夕方、最終的な備えにかかる。
・自転車をあらかじめ倒しておく。
・庭の鳥のエサ置きの皿を片づける。
・洗濯干しの竿をおろす。
・玄関先の鉢植えをなかに入れる。
・夕方早い時間から順繰りに入浴し、その後、湯船に水を張っておく。
・やかんや大鍋に水を汲む。
・懐中電灯準備。
・ろうそく準備。

 ここまでして、ああそうだ、と雨戸を閉めることを思いつく。
 この家に越してきてから、雨戸を閉めたのは、3回。どれも夫の仕事の撮影で暗闇をつくるために閉めたのだった。
 家じゅうの雨戸を閉めてまわると、部屋の空気がずんと重くなるのがわかる。外部からの侵入を阻むために閉めているのだが、わたしには、内部からの脱出が困難になるように感じられ、たちまち閉塞をもてあます。
 寝床に入ってからも落ち着かず、「眠りに誘う音楽」というのをかけたりしてみて……、いつしか眠りについた。
 翌朝、時計を見て驚く。なんと午前11時。
 よく眠ったものだ。
 5時間半くらいが、いまのわたしの日頃の睡眠だが、この日、12時間眠ったことになる。目覚めて時計の針が午前11時を指しているのを見て、ああ、これは雨戸のちからだな、と思った。起きているときには、空気が重いの、閉塞感があるのとため息をついていたけれど……、めでたいほど眠った。
 夢も見ずに深く深く、眠った。

 その日は、起きてからも雨戸を開けないままにして、居間に居坐って過ごした。テレビのニュースもあまり見ないで、DVDで映画を鑑賞しつづけていたせいか、現実が曖昧(あいまい)になっていった。午後9時過ぎから数時間、雨音と風の舞いを披露していた台風も、気がつくと去ったらしかった。これまた雨戸に囲われた国のなかで守られていたからかもしれなかった。
 子どものころは、わたしも雨戸の国に住んでいた。夕方になると雨戸を閉め、翌朝こんどは雨戸を開けるというくり返しのなか、わたしは、閉じた空間と開いた空間を行き来し、その開閉を軸として生きていた。
 台風19号が去った晴れた朝、雨戸を開けてまわりながら、雨戸のあるなしもひとの暮らしを……、暮らしばかりではなく、ひとの心模様を変えたかな、と思ったりした。

 台風が去って明けた朝、郵便受けから新聞をとって開いて、各地に大きな被害が出ていることを知った。千曲川(長野県長野市)、阿武隈川(福島県鏡石市)など、6県の21河川の堤防で決壊がし、土砂災害も56件に及んでいる。
 新聞を持ったままうろうろしていたら、近所の理髪店nocca(ノッカ)のカンジサンが通りがかったので、
「昨日は、どうしてましたか?」
 と訊く。
「どうもこうも、お客さんが誰ひとりとして、キャンセルされなかったから、あたりまえに働いてました」
「へええ」
「夕方、必死になって家に帰る道すがら、どこもかしこも休業しているのを見て、びっくりしましたわ」
 雨戸の国で12時間も眠ったことも、DVDで映画を観つづけたことも、はなしたかったが黙っていた。

Photo_20191015011201
台風が去ったあと、友だちに
銀杏をもらいました。
なんてうつくしい……。
どれもこれも自然の摂理。
ヒトたるわたしは、この摂理をしかと
受けとめ生きなければ。

どくしょかい

朝日カルチャイセンター新宿において、講座がはじまります。
まずはわたしが選んだ1冊をそれぞれ読み、声に出して読み、読後感を分かち合うところからはじめます。その1冊は……、『まつりちゃん』(岩瀬成子/理論社)——各自でご用意いただき、読んできてください。

日時 2019年10月28日(月)、11月25日(月)、12月23日(月)3回
     13:00〜14 : 30
受講料 会員 10,560円(入会金は5,500円。70歳以上は入会無料)
      一般 12,540円
お問合せ・申しこみは下記へ
朝日カルチャーセンター 朝日JTB・交流文化塾 新宿
https://www.asahiculture.jp/shinjuku
でんわ 03-3344 -1945

| | コメント (30)

2019年10月 8日 (火)

エネルギー

 出がけに家で荷物を受けとった。
 宅配便配送員のコツヅミさん(仮名)が届けてくれた。
 いつものごとく、ふたことみこと立ち話を交わすなかで、コツヅミさんの立場が変わって(たぶん昇進)、また忙しくなっているらしいことを知った。
「これ以上忙しくなったら、痩せちゃうよー」
 と云うと、コツヅミさんは云うのだった。
「いや、ボクはゆけますよ。まだもう少し忙しくなっても平気です。けっこう、この仕事を好きですし。ありがとうございました」
 ガツンとやられた。
 と云っても、打たれた感じではなく、うっとりガツンだった。わたしはコツヅミさんから渡された大封書2つ、小包2個を玄関の隅に置いて、そのまま、出かけた。
「いや、ワタシはゆけますよ。まだもう少し忙しくなっても平気です。けっこう、この仕事を好きですし。ありがとうございました」
 と呟いてみる。
 今しがた、玄関先でコツヅミさんが云ったことばを真似したのだ。そう口のなかで云うだけで、自分がやる気に満ちた人間になったようで、はずんでくる。

 出先で用事を済ませ、初めての土地のバスに乗りこみ、一段高くなっている座席のいちばん前に腰をおろした。
 わたしの目の前の(つまり一段下がっている)座席は車椅子やらベビーカーやらを停められるコーナーで、折しもわたしと同じ停留所からベビーカーとともに乗車した母子(おやこ)連れが坐った。ベビーカーのなかには赤ちゃん、お母さんの膝の上には2歳半くらいの坊や。
 バスの震動に身を任せ、窓から外を眺めていると、目の前の坊やがぐずりはじめた。ぐずぐずは、泣き声になってゆく。子どもの機嫌がなんとなく揺れはじめる黄昏時だものね、と思ったそのときだ。母子のもひとつ前の席の金髪頭がふり返った。
「うるさいねー」
 短く刈って、金色に染めた頭の主70歳代女に向かって、こころのなかで叫びましたよ。
「ババア!」
「疲れて帰ってきてさ、バスのなかで子どもの泣き声を聞かされる身にもなってほしいよ」
 ババアさんは、そう吐き捨てた。
 男の子は、「うるさいねー!」の声に斬りこまれ、泣くのをやめて口をぽかんと開けている。
(泣きやませたね、ババアさん、しかし、そのやり方は、大人が決してしちゃいけないことだからね)。
 と小ババアたるわたしは、思う。
 しばらくして、先に母子連れが下車し、その後ババアさんも降りて行った。

 帰宅してからも、コツヅミさんとババアさんのことが頭を離れなかった。
 コツヅミさんのことばから、わたしはエネルギーを受けとった。
 バスのなかのババアさんからも、わたしはエネルギーを受けた。
 どちらもエネルギーにちがいないが、コツヅミさんのは感謝のエネルギーであり、ババアさんのは……、あれは不平不満のエネルギーだった。いや、ババアさんのは、エネルギーというよりも、ストレスの種であった。

 もうひとつのことは、これだ。
 ババアさんの「うるさいねー!」に、うっかり傷ついてしまわないように、こころを保つことも大事、大事、大事。

Photo_20191008004601
エネルギーと云えば、本日(10月7日)夕方立ち寄った
井の頭公園(東京・吉祥寺)。
昨年の台風で、たくさんの樹木が倒れましたが、
残った木木が、空に向かって大きくのびをしていました。
静かなエネルギーに満ちた、公園内をひとまわりし、
「よしっ」と、わたしは思ったのでした。

〈お知らせ〉
「どくしょかい」まだもう少しお仲間を
あつめたいと思います。
ご参加お待ちしています。

どくしょかい

朝日カルチャイセンター新宿において、講座がはじまります。
まずはわたしが選んだ1冊をそれぞれ読み、声に出して読み、読後感を分かち合うところからはじめます。その1冊は……、『まつりちゃん』(岩瀬成子/理論社)——各自でご用意いただき、読んできてください。

日時 2019年10月28日(月)、11月25日(月)、12月23日(月)3回
     13:00〜14 : 30
受講料 会員 10,560円(入会金は5,500円。70歳以上は入会無料)
      一般 12,540円
お問合せ・申しこみは下記へ
朝日カルチャーセンター 朝日JTB・交流文化塾 新宿
https://www.asahiculture.jp/shinjuku
でんわ 03-3344 -1945

| | コメント (16)

2019年10月 1日 (火)

中庸

 栃木県足利市へ。
 全国市町村教育委員会連合会というのがあって、わたしは東京都連合会の会長をつとめている。
 わが武蔵野市に会長当番がまわってきたから、行きがかりでそうなったのだ。
 東京都市町村教育委員会はもちろん、全国の教育委員の皆さんとも親しくなって、情報交換意見交換をしたり、それぞれの地域のムードをクンクン嗅ぎ合ったりしながら活動している。
 ことし5月、関東甲信越静の連合会理事会が山梨県北杜市で開かれた際、夜には懇親会が開かれた。栃木県、長野県、千葉県、新潟県の会長たちとともにわたしはBテーブルに案内された。
「教員時代、わたしは生徒に体罰のようなことをしてしまったことがあるんですよ。ろくなもんじゃないな、と思い返したりしとるります」
「教育委員、拝命したときは何をしたらいいかわからなかったが、いまはほんとうによかったと考えていますよ」
「右に同じ」
「ほんとうですね」
「子どもたちの未来という視点が支えにっている」
 しみじみ語り合ったものである。

 栃木県の会長さんから「足利でBテーブルの会」をしましょうと声をかけていただき、先の週末出かけた。1日目 : 足利学校、鑁阿寺(ばんなじ)、ココ・ファーム(こころみ学園のワイン醸造場)、2日目 : 行道山(ぎょうどうさん)登山口から少し、栗田美術館、あしかがフラワーパークを見学。たのしい2日間だった。
 ココ・ファームでは、急斜面を拓いてつくった山のブドウ畑といまや世界的に有名になったワイナリーでの、こころみ学園の園生たちの手作業。
 栗田美術館では、伊萬里(いまり)、鍋島の職工たちの力を合わせた創作。
 この尊い手業(てわざ)を目の当たりにし、こころが震えた。
「からだをつかった労作忘れまじ」と、誓ったことである。
 まるで褒美のような2日間だった。
 7年前に武蔵野市の教育委員という役目が目の前に置かれたときは仰天し、戸惑った。しかしそれを受け、学習しながらつづけた活動も、あらたに得ることとなった友垣も、目の前に置かれたものは受けてみるものだと証明している。

 さて、皆さんへお土産。
 日本最古の学校足利学校では、古くから『論語』の講義が行われていたことが、残された膨大な資料、写本からも解っている。今日でも、足利学校では『論語』についての発信をつづけている。
 学校の庫裡(くり)の近くに、「宥座之器(ゆうざのき)」があり、これは孔子の「中庸(ちゅうよう)の教え」を体現できる道具である(写真下)。
 宙吊りの器は空のときは傾き、水を少しずつ入れると器は起きてくる。ほどほどの水の量で器の水平が保たれるが、さらに水を入れると器はひっくり返り、なかの水はこぼれてしまう……。
 この「宥座之器」を使って孔子は、
「満ちて覆(くつがえ)らないものはない」と弟子たちに教えた、という。
 これが「中庸の教え」である。
 中庸とは、極端でなく、穏当であること。偏らず中立的である意味。
 若いころには、「何、それ」だったなと、思う。極端に走ろうとし、中立を蹴飛ばしていたような。
 自分のことはひとまず置いて、ひとの考えや思いも聞きたい、と思うきょうこのごろ。

Photo_20191001043901
宥座之器。

| | コメント (28)