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2019年11月の投稿

2019年11月26日 (火)

臨時休業

 気に入りのパン店に立ち寄ろうとして、足が止まる。
 店のガラス扉の内側にカーテンが引かれ、そこに、「臨時休業いたします」の札がかかっていた。
 食パン1斤欲しかった。
 この店のはどれも、米、米麹の天然酵母を使って焼いたパンだ。
「おじさん、風邪だろうか」
 朝から午後4時ごろまでは、店には店員がいて、対応してくれる。4時から先、パンが売り切れるまでのあいだは店員がいないので、奥の厨房に向かって声をかける。すると、パン職人のおじさんが出てきて、対応してくれる。
 パン職人のおじさんは若く見えるがじつは高齢で、ひとりでパンを焼いている。調理パンにも種類がいっぱいあり、どれも美味しい。
 ことしのクリスマスには、おじさんのシュトーレンをいっぱい買って、友だちに送ろうか、と考えていたところだった。
「おじさん風邪だろうか」

 あれはちょうど、一昨年のいまごろのことだ。
 近所の蕎麦屋の天丼がどうしても食べたくなり、夕方家にいた夫と、二女と連れ立って出かけた。店に着いた途端、「やっぱり蕎麦」ということにならないように、「てんどん、てんどん」と歌うように自分に云い聞かせながら、てくてくと。
 夫もつられて、天ぷらでちょっぴり日本酒を飲もうと算段している模様。
 二女は、「じゃ、わたし、かつ丼を食べちゃう」と決心を述べる。
 そうだ、この日、めずらしくわたしたちは揚げものの気分になっていた。
 店に到着して、腰をおろすなり、女の店員が近づいてきて、「申しわけありません、きょう、揚げもの担当の職人がおりません」と云う。
「ええっ?」
 というわたしの声が切羽詰まっていたろうか、女の店員は「いえね、じつは体調を崩して、今しがた帰らせていただいたんです」とことばを重ねた。
 二女は月見蕎麦を、わたしはおかめ蕎麦を頼む。
 夫は板わさとレバーの煮たのを頼み、静かに日本酒を飲みはじめている。子どものころ、「おかめ蕎麦」というのを発見して、気に入りにして以来、大人になってもときどき「おかめ、ありますか?」とわたしは、やる。
 そんな「おかめ蕎麦」にもその日は弾まず、3人で静かに蕎麦をすすり、蕎麦湯も飲んで、また静かに帰った。
 それから1週間もたたずに蕎麦店は「臨時休業」となり、その後店は閉まった。

「臨時休業」の札を見るたび、どきりとする。
 蕎麦屋のあと、居酒屋が1件、定食屋が2件、臨時休業し、それから閉店した。いずれも、長年のご愛顧に感謝するという挨拶とともに、閉店に至った理由が貼りだされた。店主が病を得たり、亡くなったり、仕事をやめて故郷に帰ったり、という理由には「無理が祟(たた)って」という冠がのるような気がしてならない。歳月のうつろいにはちがいないにしても。
 どの店も家から歩いて10分圏内の店であり、わたしは店の味とともに、自分の居場所と、町の風景の一部を失ったのだった。

 パン店の「臨時休業」に気が揉める。
 同じこころで、わたしは思う。店を毎日毎日あけなくたっていい。たとえ1週間に一度だって、店がありさえすればいい。過去のものとなった蕎麦屋、居酒屋、定食屋の経営人(びと)も、そうだ。毎日毎日働き詰めに働いて……、そうして店は閉まった。
 店には、開けている時間以外に仕込みがあるのだもの。
「遅くも午前3時からパン作りをはじめる」と、パン店を営む友だちからおしえてもらったことがある。仕込みのため、店の休みの日もまるまる休んでなどいないことになるわけだ。
 もう少しゆるゆると働いたら、どうだろうか、と云ったところで、勤勉な皆さんは、「そうは云っても」と笑うだろう。
 が、やはり、過ぎてはいけない。
 過ぎないでください。
 大事だから。

 翌朝、駅までの道の上で、おそるおそるパン店のほうを見る。
 すると、店のなかにわたしの好きなジャーマンブレッド、胚芽食パン、惣菜パンたちがいっぱいならんでいるのが見えた。

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ことしも熊谷の家(夫の実家)の柿を
たんとたのしみました。
ほら、これは木守り(きまもり)です。
木のてっぺんに柿の実を1つ残すのは、
翌年の実りを願ってのこと、
野の鳥たちの冬の食べものを思ってのこと。

〈お知らせ〉

12月21日(土)
池袋コミュニティ・カレッジで
西村佳哲(にしむら・よしあき)さんと対談をいたします。
西村佳哲さんは働き方研究家。
2011年1月に奈良で開催された西村さんプロデュースの
「自分の仕事を考える3日間」
というフォーラム(8人のゲストのうちのわたしはひとりでした)において、
あたらしい視点を与えてもらいました。
いわば恩人のような存在です。
あの日から、はたらくことと、生きることを
できるかぎり一致させて生きてゆくという土台ができたように
思うんです。
仕事について、これからの仕事について考えているアナタ、
あたらしい何かを受けとめているアナタ、
ぜひご参加ください。
わたしもとてもたのしみにしています。
日時 : 12月21日(土)13 : 00ー14 : 30
受講料 : 会員 3,410円 一般 3,960円
場所 : 池袋コミュニティ・カレッジ
申しこみ・お問い合わせは……03(5949)5481
パソコン、スマートフォンからは「池袋コミカレ」で検索。
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西村佳哲(にしむら・よしあき)
1964年東京生まれ。プランニング・ディレクター。
建築設計分野の仕事を経て、つくる/教える/書く、
おもにこの3種類の仕事を手がける。
デザインレーベル「リビングワールド」代表。

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2019年11月19日 (火)

わたしはバスを待っている

 その日。
 わたしはバスを待っている。
 行く先は境橋。
 どこかに障害を持っているらしい青年と、介助者が寄り添って立つ。青年はリズムをとりながらカラダを揺らしている。となりにならんだ、わたしも、つい揺れる。
 素敵なのは……、介助者が黒人男性であるところ。なんだか、映画のワンシーンみたいだ。3人ならんで、なんとなく揺れながらバスを待っている。
 バスが来た。
 先に乗ってもらおうと一歩うしろに下がると、介助者が云う。
「オサキニドウゾ」
「サンキュ」
 15分後、わたしが先にバスを降りることになる。
「バーイ」
「バーイ」
 光に満ちた朝。
「きょうは何があっても耐えられる」なんて思う。

 その日。
 わたしはバスを待っている。
 行く先は保谷駅南口経由天神山。
 となりには、背筋をぴんとのばした老婦人。黒いワンピースの上に、黄緑色のカーディガンをはおっている。黄緑色、いいな、いいな、と盗み見る。
 そこへ自転車が通りかかり、黄緑さんに声をかける。
「あらお久しぶり。お出かけ?」
「市役所からの帰りなの。……夫がね、死んだの。突然だったの」
「え!」
 と叫んだのは、わたしである。
 黄緑さん、黄緑さん、はじめて会ったアナタの未来を祈りたい。
 バスに乗りこんだあと、ぎゅっと目をつぶる。

 その日。
 仕事先から友だちとバスに乗りこむ。
 行き先は武蔵境駅。
 座席の前とうしろに腰掛ける。うしろの友だちは膝の上に書類をひろげて、何か調べている。
 バスを降りてから「何を調べてたの?」と訊くと、友だちは「あ!」という顔になった。
「バスに乗ると、仕事するのが習慣になっているんだわ、わたし。ほら毎日バスを3本乗り継いで通勤してるでしょ? バスのじかんは仕事の時間。原稿1本くらい書けちゃうのよ」
「へえ。わたしのバスのじかんは、そうね、観察の時間」
 と、これはわたし。
「お茶して帰ろう」
「ケーキ、食べちゃう?」

*** 
 わたしの住む地域は、バスの路線がいっぱいだ。
 活きのいいサカナが泳ぐように、バスがいっぱい。
 その昔、バスの車掌に憧れて「大きくなったら、ぜえったいバスの車掌さんになる!」と決めていた。大人になる頃には、ワンマンバスが主流になっていたためバスの車掌にはなれなかったが、いまでもバスが大好きだ。
 バスを待つ停留所にも、乗りこんだ車内にも、何かがはじまる気配が漂っている。それで、みんな物語を織る姿勢になってゆく。

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数日前、ことし初めてストーブを炊きました。
みなさん、佳い日日をお過ごしください。

〈お知らせ①〉

12月21日(土)
池袋コミュニティ・カレッジで
西村佳哲(にしむら・よしあき)さんと対談をいたします。
西村佳哲さんは働き方研究家。
2011年1月に奈良で開催された西村さんプロデュースの
「自分の仕事を考える3日間」
というフォーラム(8人のゲストのうちのわたしはひとりでした)において、
あたらしい視点を与えてもらいました。
いわば恩人のような存在です。
あの日から、はたらくことと、生きることを
できるかぎり一致させて生きてゆくという土台ができたように
思うんです。
仕事について、これからの仕事について考えているアナタ、
あたらしい何かを受けとめているアナタ、
ぜひご参加ください。
わたしもとてもたのしみにしています。
日時 : 12月21日(土)13 : 00ー14 : 30
受講料 : 会員 3,410円 一般 3,960円
場所 : 池袋コミュニティ・カレッジ
申しこみ・お問い合わせは……03(5949)5481
パソコン、スマートフォンからは「池袋コミカレ」で検索。
Photo_20191119101501
西村佳哲(にしむら・よしあき)
1964年東京生まれ。プランニング・ディレクター。
建築設計分野の仕事を経て、つくる/教える/書く、
おもにこの3種類の仕事を手がける。
デザインレーベル「リビングワールド」代表。
http://www.livingworld.net/

〈お知らせ②〉

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『ブダペスト日誌』(飯田信夫・著)


第1章 ブタペスト日誌
1988−1991年まで文部省(現・文部科学省)から
ハンガリー共和国ブダペストに派遣。
補習校教員として赴任した日日の記録。

第2章 教師のひとりごと

第3章 子どもの周囲(まわり)

100冊限定で、お頒けします。
お名前/冊数/住所/電話番号
を明記の上、下記へご注文ください。

yfumimushi@gmail.com

定価1,500円+送料100円=1,600円は、
本到着ののち、お振込みください。


ふみ虫舎

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2019年11月12日 (火)

山茶花

 今朝、2階にある寝室の窓をがらりと開けたら、紅い花と無数の蕾が、目に飛びこんできた。
 山茶花である。
 こちらを向いて、一斉に「おはよう、おはよう」と口口に云ってくれているようで、わたしもあわてて、挨拶を返す。
「おはよう」
 朝いちばんのうれしい挨拶に、ちょっと戸惑う。
 こんなにいい目に遇わせてもらって……、恐れ入る。

 とうとう60年生きたのだなあ、と思ったころだ。
 かつて自らつくった災い、ひとを傷つけたあれやこれやを思い返すともなく思い返すようになった。
 気づかぬうちに自ら蒔いたかも知らぬ災いのタネ、ひとを傷つけたかもしれぬあれやこれやを想像するようになった。
 そうして、「追いつかない」思いが胸に宿った。
 何が追いつかないかというと、償(つぐな)いが、である。
 朝、山茶花の花たち、蕾たちに挨拶を受けるだけで、「ありがとう」と思う一方で、これでは(こんなにいい目に遇わせてもらって……)、ますます追いつかなくなるじゃあないか、なんて思いかけるのだ。
 せめてこれからは、借りたお金をローンで返すように、償わないと、生きているうちに返済がおわらないなと、いう気がしている。
 ちょっと悪いこと困ったことが身に振りかかったり、損したりすると、「これで返済が少しすむな」と思えて、ほっとする。大きく返すのはさすがに恐ろしいから、ちょこちょこ返したいのである。
 娘たちにも、「ちっちゃな不幸がところどころ混ざってるのが、いいのよ」とおしえている。
 若いあのひとたちは「それ、おかんの口癖」と笑ったり、「そんなものかな」と首をかしげているけれど、伝えるだけ伝えている。

 さて本日、ひょんなことから、ある用事を頼まれて、いちにちかかりきりになった。いわば只働きだ。これで、少しまた償いのローンが返せたかな。
 もうすぐ61回目の誕生日がやってくる。

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〈お知らせ〉

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『ブダペスト日誌』(飯田信夫・著)

第1章 ブタペスト日誌
1988−1991年まで文部省(現・文部科学省)から
ハンガリー共和国ブダペストに派遣。
補習校教員として赴任した日日の記録。

第2章 教師のひとりごと

第3章 子どもの周囲(まわり)

100冊限定で、お頒けします。
お名前/冊数/住所/電話番号
を明記の上、下記へご注文ください。

yfumimushi@gmail.com

定価1,500円+送料100円=1,600円は、
本到着ののち、お振込みください。

ふみ虫舎

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2019年11月 5日 (火)

コトバを橋とするために

 人生行路にはいろいろな「びっくり」、さまざまな「経験のタネ」が置かれている。「びっくり」と「経験のタネ」をヒトの人生上に置いてゆく主(ぬし)というのは、企画力、発想力、実行力、想像力とユーモアに満ちあふれている(それぞれの力、ちょっと過ぎやしないか、と思うことがあるほどだ)。

 あのときも「置かれた」と感じた。
 東京都武蔵野市の教育委員を拝命したときだ。
 これまで置かれたどんな仕事、どんな恋愛、どんな結婚、離婚よりも、「びっくり」で、超の字のつく「経験のタネ」だった。この11月、教育委員8年目に突入したことに気がついて……、しみじみと自分を褒めている。
 自らの活動を褒めているのではなく、この「びっくり」と「経験のタネ」を置かれた運命を褒めようとしている。
 8年前、「へ?」と思った。
 市役所から打診の電話がかかったとき、教育部長のコトバが飲みこめず、「へ?」に次いで胸にひろがったのは、市民として何か落ち度があり、それに対して注意を受けているのではないかという疑念だった。
 以来、役所、そして学校の、独特のコトバと文章に戸惑い、そうして学んでもきた。どんな活動にあたるときも、どんな役割を受けるときも、それからどんな会議、研修会に臨むときも、できるかぎり、コトバで説明できるようにしておこう、と努めた。
 たとえば、教育委員会について尋ねられたら、こんなふうに答よう。
「武蔵野市の教育現場において、こうしよう、ということがあるとします。しようと思ってできないことはない、と考えて活動していますが、それが、理にかなったものとして、多くの皆さんに受け入れられるかが問題になります。この兼ね合いを考えてゆくのが教育委員会の行政です」
 ある意味においては、外国語を学ぶような気持ちで8年過ごしていたように思う。知ったかぶりはしなかったつもりだ。
 8年前には、「教育指導要領って何だろうかなあ」と思って調べたりしていた。「条例と要綱って、どうちがうんですか?」と質問して憚(はばか)らなかった。

 いちばん心を砕いたのは、教育委員となってから出会ったあたらしい友人たちと、話すことだった。
 学校のせんせいたちの立場を窮屈過ぎやしないかと思いそうになるのを、戒め戒め(なぜと云って、「せんせいとはこうだ!」というどんな決めつけも、ともすると誤解系統に運ぶからだ)、相手のコトバをそのまま受けとめ、わたし自身も自分のコトバを手渡すように心がけた。
「自由に、好きなようにやってください、応援しますから」
 もっとも伝えたいのは、これだ。
 自由にやってもらったらどんな結果になるかわからない、好きなようにやられたら困る、というような教職員には(ほとんど)めぐり逢わなかった。応援できない人物には、ただのひとりもめぐり逢わなかった。

 8年間のあいだに得た友人知人は数知れない。
 コトバをして、お互いのあいだに橋としたいと希ってきたのである。

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8年のあいだに、親しくしていただき、
いろいろなことをおしえていただいた
飯田信夫せんせい(元東京都公立小学校教員、
武蔵野市立井之頭小学校、千川小学校校長を歴任。
現在は、武蔵野大学非常勤講師、
武蔵野市教育委員会教育推進室・教育アドバイザーほか)
の本を、ふみ虫舎でつくりました。

『ブダペスト日誌』

編集を担当するのは久しぶりのことで、
ときめいたり、こんがらかったり。
やさしい飯田信夫せんせいの声の
聞こえてくるような1冊ができました。

〈お知らせ〉
『ブダペスト日誌』(飯田信夫・著)

第1章 ブタペスト日誌
1988−1991年まで文部省(現・文部科学省)から
ハンガリー共和国ブダペストに派遣。
補習校教員として赴任した日日の記録。

第2章 教師のひとりごと

第3章 子どもの周囲(まわり)

100冊限定で、お頒けします。
お名前/冊数/住所/電話番号
を明記の上、下記へご注文ください。

yfumimushi@gmail.com

定価1,500円+送料100円=1,600円は、
本到着ののち、お振込みください。

ふみ虫舎

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