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2020年2月の投稿

2020年2月25日 (火)

お金さん方、ありがとうございます

 財布を開いて、なかを確かめる。
 紙幣は、福沢諭吉、樋口一葉、野口英世のお顔が下向きになるように、それぞれ揃えて納める。
 一方小銭は、五百円硬貨、百円硬貨、五十円硬貨の場所、それから五円玉、一円玉の場所を分けて入れている。
 こうして夜寝る前に財布を整理し、かんたん家計簿をつけるのが日課である。お金を使い過ぎたような日も、まるで使わなかった日もあるけれど、どちらもうれしい。お金というものはじつにおもしろく……、大好きだ。
 と、こんなふうに云えるようになったのはごく最近のことだ。
 かつて、お金を怖がってでもいるかのような歳月が、わたしにはあった。
 実入りが不安定だった時代もあったが、そんなときでも、すぐとお金を使いきってしまう。それを、自分で「お金を怖がっていた時代」とふり返っている。怖くて、手元に残しておけないというような。怖くて蓄えておけないというような。おかしなはなしだが、そんなことが確かにあったのだ。
 お金、大好きだ、と思えるようになったきっかけは、「ありがとう」と思いながらそれを使い、「ありがとう」と思いながらそれを受けとる習慣を身につけたこと。お金と仲よしの友人がおしえてくれたのだった。

「お金をもらうときだけでなく、出すときも、ありがとうと云うこと。ふんちゃん、買いものをするときお店のひとにはありがとうと云うてるだろうけど、自分が出したお金にもありがとう、と云うといいよ」

 それから「ありがとう」を守ってきたら、少しずつお金と仲よくなった。

 さて、財布を開いて、なかを確かめていたとき、野口英世さんがこちらを見上げて、苦い顔をつくった(ように見えた)。
 え、どうした、どうした。
 引きだしてみると、下部が一部ちぎれていて、そればかりか、切れ目も入っている……。
 これは困った。
 この紙幣を、なんとかしなくては。こうなるともう、気になって仕方なくなる。翌朝、急ぎ気を入れて仕事を片付けるや、運動靴を履いた。近くの郵便局(本局)に出かけてゆき、ATM(現金自動預入れ支払機)で入金を試みるも、受けつけられない。
 そうか、やっぱりね。
 案内係に紙幣を見せて相談すると、「だいじょうぶ、お取替えできます」と請け合ってくれたので、番号札をとって、窓口前で順番を待つこととする。
 30分も待ったろうか。
「この紙幣をATMで入金しようとしたけれども、受けつけてもらえませんでした。入金をお願いできますでしょうか」
 通帳とともに、千切れて破けてもいる千円札をそっと差しだす。
 若い女性行員は、紙幣をじっと見る。
「ちぎれた部分はお持ちでないですか?」
「いつの間にか、これを持っていたので、それはないのです」
 それから数分待ったのち、「お預り金額」の欄に1,000と刻印された通帳を見せてもらい、一件落着。
 ほっとした。
 友だちの怪我の治療が済み、心配ないことがわかったというような気持ちだろうか。

 晴れた気持ちで、ちょっと足をのばして、最近歩いていなかった商店街を歩く。いつも間にできたのものだろう、一軒の中華料理店の客となる。ここで食べた塩ラーメンとミニ麻婆豆腐丼のおいしかったこと。おいしいだけでなく、盛りつけもうつくしく、うっとりする。……ごちそうさま。
 10年ほど前には日常的に通っていたなつかしい店で買いもの。
 文具店でボールペンの替え芯を求めながら、「文房具の種類が増えに増え、在庫を持つのに苦労する」というはなしを聞く。なるほど、店内を見渡せば博物館にも見えてくる。よし、また、ここへ紙でもペンでも買いに来よう。
 和菓子店では自分の分の大福と、家で仕事をしている長女にきんつばを求める。それと切り餅。

 紙幣復活のおかげでかなった、思いがけない散歩。
 散歩というよりも、それは小さな旅のようでもあり、財布をひきだしに戻しながら、「お金さん方、ありがとうございます」と云わずにはいられない。

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小さな旅から戻って庭を見ると、
梅の花がいっぱい咲きはじめていました。

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2020年2月18日 (火)

「ふみこ・へんてこ」

 5年前の春だ。
 赤いサマードレスをカタログでみつけて、注文した。「南国でバカンスの機会がめぐってきたときのために」と、わざわざ自らに云い聞かせて。
 用いる予定のないモノは持たない主義だし、もっと云えばバカンス(vacances/保養地で過ごす長期の休暇)を望んだこともなかったのに求めて、これを持ちつづけた。
 ワードローブのなかの「ふみこ・へんてこ」なるラベルをつけたひきだしのなかにたたんで納めてある。
「ふみこ・へんてこ」は、使う見込みのないワンピースも引き受けてくれるが、じつはたいそう役に立つひきだしだ。
 ベアトップ。チューブトップ。ペチコート。
 シルクのTシャツ。
 そんなものを隠している。
 いざというとき、どれほど助けられたことか。
 下着類、Tシャツ類は娘たちと共有で、居間のたんすのなかに納まっている。現在ひとり暮らしをしている長女と二女も、泊まりにくればそこのを使う。
 共有歴は長くて、いちばん上の娘が小学校5年のことからだから、そろそろ25年だ。共有と云うと驚かれ、それをしまうたんすが居間の真ん中にすまして置かれていることは、もっと驚かれる(あんまりすまして真ん中に立っているものだから、ここには何がしまってあるのか、としばしば尋ねられるのだ)。
 洗濯して干して、たたんでしまうという衣類にかかる家事の動線を短くしたいとはじめたことだが、これは、わたしたちを楽にし、お互いを共同生活者として位置付けるのに役立った。

 そうして「ふみこ・へんてこ」は、娘たちには内緒のひきだしである。内緒ではあるけれど、なかみを貸し出すことはある。ある場面で活躍する衣類なので、確実なスタンバイが原則だ。
「肩紐のないスリップは、あったかしら」
 とか、
「上着の下に着るVネックのTシャツ、貸してくれる?」
 とか、相談されたら、すぐに応じられる。
 赤いサマードレスはしかし、日の目を見ないままだった。娘たちからも、バカンスで着るサマードレスのお呼びはかからなかった。

 ことしはじめ、末娘がフィリピン・セブ島(マクタン島)へ短い語学留学することになったとき、ふと、浮かんだのがこのサマードレスだった。
 そうして末娘を迎えがてら、マクタン島へ行こうということになった。
 夫とふたりで小さな旅。
 出番のなかなかめぐらなかったサマードレス1枚と、市民プールで着用するフィットネス水着で過ごす4日間のバカンス。
 バカンスだが、多くの時間、書きものをして過ごした。

 新作の記録映画をつなぎ(編集)終えて少しぼんやりしている夫と、たのしくてたまらなかったという留学生活をふり返る娘とともに、冬服に着替えて本日帰国(217日)。

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2020年2月11日 (火)

ふしぎの棘

 ごぼうを束子(たわし)でゴシゴシこすっていたときだ。
 左手の親指のMP関節の外側あたりに、違和を感じた。小さな切り傷なのか、はたまた棘(とげ)なのか、かすかな痛みもある。

 台所しごとを終えて、「そう云えば」と思いだし、親指をしげしげと見る。
 昔、よくこんなことがあった。棘が刺さったみたいだ!という感覚。わたしが子どもの時分には、あたり中が木製のものだらけで、それも、雑味のある木製だったから、すぐささくれる。棘なんか刺すのは、珍しいことではなかった。
「ね、棘刺したみたい」
 と云うと、母は小引き出しからとげ抜きをとり出す。文房具のひきだしから虫眼鏡も出してくる。
「どこかしら?」
 母は虫眼鏡をかざして、棘の刺さった位置と、棘の正体をつきとめようとする。探偵気取り。
「ここね」
 とげ抜きを棘の位置に当て、押すようにして棘を浮き上がらせるのだ。浮き上がった棘の頭をとげ抜きでつかんで、引っ張る。たいていこれで抜けてしまうのだが、しぶとい刺さり方をしている棘もある。
 そんなとき、母は「そうか、待ってて」と云って、裁縫箱を出してくる。裁縫箱のなかの針山から、待ち針を1本抜く。
 待ってて、のあとがわたしの好きな時間だ。
 待ち針をつまんで台所に向かう母のうしろをついてゆく。
 ガス台の火口に点火し、炎のなかに待ち針の針先をそっと差しこむ。針が焼けて真っ赤になり、妖力を放つ(ような気がする)。母としたら、針先を焼いて消毒しているのだが、怪しくて、こころときめく。わたしはそんな子どもだった。
 焼いた針で棘をつつくようにして、棘の頭を探し当てる。ここで今一度とげ抜きの出番がきて、棘は、とうとう抜き去られる。
 脱脂綿に消毒薬をしみ込ませ、患部を抑える。そういうときの母は看護婦(あのころは看護師をこう呼んでいた)であった。ちょっと得意そうな、看護母さんだ。

 なつかしい光景を思いだしながら、とげ抜きをとり出す。
 ほんとうに棘が刺さっているのかどうかもわからないが、痛みのある〈そこ〉に、そっととげ抜きを当ててみる。半ば当てずっぽうにとげ抜きの先っぽを指で閉じて、何かをつまんだ感じで引っ張り上げた。
 ……すると、どうだろう。
 2センチ5ミリほどもある、細い棘が引き抜かれたのだ。

 こりゃなんだ。
 細い棘をみつめながら、こう思うことにした、わたしは。
 自分のわるいもんが、だめなもんが抜けた!

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庭のスノードロップ。
春が、近づいてきています。
冬と春が、額を寄せて何かをたくらんでいるような、
きょうこのごろ。
この季節が、好きです。

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2020年2月 4日 (火)

喧嘩腰

 1月が終わった。
 暦を指でめくりながら、2020年がはじまった日のことを思いだしてみている。
 同じこの暦に、すでに決まっている予定を書きこむわたしは、「平和」を念じていた。
 ——地球上でくり広げられている戦争、内戦、自然災害、そこから波及する日常生活の崩壊が、2020年は鎮(しず)まってゆきますように。

 しかししかし、地球上には残酷と飢え・渇きが渦巻き、オーストラリアの森林火災が深刻な影響をひろげ……、いま、わたしたちは「マスク、マスク」と呟き呟きうろたえている。中国で発生した新型のコロナウイルスによる肺炎が感染拡大し、日本にも上陸しているからだ。
 たったひと月のあいだに、もともとあった災いは鎮まる気配なく、そればかりかあたらしい心配が生まれた。
 こんなとき、ヒトたるわたしはどうしたらいいのか。
 まずは祈ることだろう。
 それだけ? と思いかけても、祈ることは忘れてはならない。と、思うのだ。祈っているうち、それが自分に及ばないように、という狭いこころが、徐徐にひろげられる。地球の上に生かされているわたしたち、という視点が、わたしたちの未来、という視点が生まれる。

 さて、しかし。
 祈るだけではないのである。
 いろいろの問題が持ち上がって、関係各所が相談をはじめる。わたしも、そういう場の当事者になることがある。
 このひと月のあいだにも、それはあった。問題を論じあうなかで、つい責め口調、なじり声が生まれる。喧嘩腰ではじまる相談や、情報のすり合わせが功を奏することは、ない。まわりがとりなしたり、冷静を促したりしなければならず、ことの核心からは、どんどん離れてゆくような。

 何かを訴える口は、もっと冷静に開けないものだろうか。
 告げる口は……。
 聞くヒトの耳は、より公平に開けないものだろうか。
 聞くヒトの耳は……。
 そうして穏やかに、温かく話し合えないだろうか。

 こんな場面で右往左往しながら、いまの大人には、コミュニケーションの練習の場が不足しているのではないか、と思わされている。
 怒声、興奮、攻め・なじりは、戦争のはじまりだ、とも思うのだ。

 家のなかにだって、それはある。
「いったい何度云ったらわかるってもらえるのかしら」
「手伝ってくれなくていいから、邪魔だけはしないでね」
 なんていうようなことを、ときどき(夫に)わたしは云うのである。
 まったくの喧嘩腰だ。

 戦争反対、を大真面目に唱えるわたしたちのあいだにも、戦争のタネはある。ひどい物言いをする。相手のはなしを聞かない、認めない。自分と異なる意見を認めない、許さない。こんな喧嘩腰は、戦争のタネだ。
 2020年がはじまってひと月、もっとも考えさせられていたのは、このことだったような気がする。

 よき伝達(コミュニケーション)とはどんなものだろうか。どのように練習できるだろうか。……戦争反対。

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イライラをぶつけられる相手は、
この世で、夫、ただひとり(内緒です)。
しかし、夫は現在、
実家(埼玉県熊谷市)で両親の生活を支えながら
映像の仕事をしているので、困ります。
それで、ときどきお茶を点てています。
亡くなった母が、さいごのさいごまで
つづけたお点前を思いだし思いだし。

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