おお、シベリア!
「あ、かりんとう」
と思わず、大きな声を出してしまった。
用事で立ち寄った家の縁側で、おばあさんがかりんとうを齧っていたのだ。
黒糖のからんだ、黒いかりんとう。
「おや、お好きですか?」
「……ええ」
「お待ちくださいよ」
と、歌うように云っておばあさんは立ち上がり、奥に入ってゆくと、手にかりんとうの袋を持ってもどった。
「ほら、これ。どうぞお持ちくださいな」
「わたしに? まあ、よろしいんですか?」
「この家の子どもたちなんか、あまり好かないんですよ。いやにごつごつしたお菓子だなあ、なんて云って、笑うんです。わたしが子どもの時分には、たいしたおやつだったけれどねえ」
「わたしも、おぼえています、たいしたおやつだった日のこと。……なつかしいわ」
帰り道、かりんとうの袋を胸に抱いて歩きながら、子どもみたいだな、と思った途端、遠い日の記憶が、一目散に駆けこんできた。
あれは中学3年の冬、一時的に学校の寄宿舎に入ったときのことだ。寄宿舎の決まりで、自由におやつを食べられるのは、土曜日の夜だけだった。早めの晩ごはんも終わり、規律の厳しい寄宿舎のなかに、めずらしく呑気な空気がひろがる。部屋ごとに、配られるおやつや、さしいれのおいしいものをならべて、わいわい喋りながら食べていいひととき。
下は中学1年、上は高校3年という先輩後輩が各学年ひとりかふたりずつ混ざっていたが、このときばかりは、遠慮もなかった。夢のような時間だった。
あのとき、わたしのいちばんの気に入りといえば、黒糖かりんとう。
「ふみこさん、きょう、かりんとうあるわよ」
「山本さん、ほら、かりんとう! うれしいでしょう?」
同室の先輩からも後輩からもからかわれる始末だ。
「うれしい! 全部ひとりで食べたーい!」
「きゃー」
土曜日の夜のかりんとうのために1週間がんばって過ごしていたような、中学3年のわたしだった。
このときいただいた黒糖かりんとうが声をかけてくれたものだろうか、この3か月のあいだ、なんとはなしになつかしいお菓子たちとの再会がつづいている。
ある日の金平糖。
ある日のすあま。
ある日のコーヒーキャンディ。
ある日の都こんぶ。
そしてある日の……。
その日は買いものの日だった。
久しぶりだから隣町まで歩こう、と意気揚揚と出かける。自分ではすたすた歩いているつもりなのだが、6000歩ほど行ったところで、足がたよりなく感じられ、もたもとっとして、笑いそうになる。
(これじゃおばあさんだな)
と思う自分を、
(だって、おばあさんじゃないかー)
と自分でツッコンデ笑いかけているのだ。
少し先に「シベリアあります」の看板が出ているではないか!
笑っている場合じゃない。
何度も通りかかるのに、通るのがほとんど夜であるため、一度も開いているところにゆきあったことのない洋菓子店が開いている……。これまで「シベリアあります」の看板だけをさびしく眺めて、いじけていたのだった。
(わたしは、もう一生、シベリアとは会えないのね)
ところが、この日、シベリアと会えたのだ。
「なつかしいねえ。元気だった?」
と云い云いうちに帰り、珈琲を淹れる。
カステラに羊羹や小豆あんをはさんだお菓子、シベリア。
食べながら考えているのだけれど、ほんとうは、思い出のなかにこのお菓子は坐っていない。なつかしい、というのはほんとうでないことになるが、でもなんだかなつかしい。
思い出は、どこかで誰かさんの郷愁を吸いこむようだ。
おお、シベリア!
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