雑談
ひと月に一度開いていた「どくしょかい」(朝日カルチャーセンター/新宿)が、新型コロナウィルス感染症対策のため、2月をさいごに開けなくなった。
2019年の秋、「どくしょかい」を開くことを決め、最初に皆で読んだのは『まつりちゃん』(岩瀬成子/理論社)。「読書会」とは何か、などとは考えず、おずおずとはじめたが、だんだんに集まったメンバーならではのひとときを過ごすことができるようになってきていた。
『まつりちゃん』を1期3回で読んだあと、つぎに『貝がらと海の音』(庄野潤三/新潮文庫)を読みはじめたところだった。それぞれ、読書を通して日常という名の物語を味わっていたところに感染症の靄(もや)がひろがって、集まれなくなった。
7月27日。
新型コロナウィルスの感染者が再び増えてきて、なんとも云えない重苦しさが湧いてきた東京新宿。窓からは東京都庁の建物が見える、そんな教室に6人集まった。
よく集まったものだ、とわたしは感激した。
そうしてとくべつの時間は、はじまった。
会えないでいた5か月のあいだのそれぞれの様子を、まず聞かせてもらうこととした。自分を「語る」とひとのはなしを「聞く」を通らずに、読書を語り合うことはできなかった。
ひとりひとりのはなしは、当然のことながら皆ちがっていたけれど、何かがどこかでつながっているようでもあった。共通の何かが感じられ、わかるわかると頷(うなず)かずにはいられない。
オンラインで仕事やボランティアをしたり、保育関係の仕事で忙しい日日を過ごしていたり、のんびりやっていましたよ、という異なる立場に、共通していたのは、発見したあたらしいたのしみだ。
韓国ドラマ。
海外ドラマ。
散歩。
SNSでの世界情勢の情報集め。
コロナ以前には考えもしなかった時間の使い方をして、「こんな時間の使い方をするなんて」「自分がこういうことにはまるとは思わなかった」と語るひともあった。
そんな気持ちに、はまった事柄のなかみに耳を傾けながら、こんなふうに思っていた。
日常生活を生きる核を自らのなかに持っているかぎり、ひとは何にはまったっていい! はまり過ぎて壊れるなんてことはない! とね。
ところで。
『貝がらと海の音』は、庄野潤三の晩年シリーズと呼ばれる作品群の1作目である。
子どもが大きくなり、結婚して家にふたりになった夫婦の日常生活を書いてみたいという作家の意志が貫かれている。描かれているのは、穏やかな日日だが、そこには、読み手をつかんではなさない世界観がひろがる。
日常生活を描こうとする作家は、日常を構築するつよさを持っている。つよく日常を守りながら、濃やかにそれを描くのだ。
この時期、この本を選んで皆で読んだことは、ふさわしくもありがたいことであった。そんなことも確認しながら、もっとも深深と実感したのは、会って生ではなすよろこびだった。
家の近いノリコサンと同じ電車に乗る。おしゃべりはつづく。
駅のホームで別れるとき、ノリコサンが云う。
「きょうはうれしかったです。雑談ができてしあわせでした」
(……そうか、雑談)
雑談って、ほんとうに大事だ!
そうこころに叫びながら、家に帰り着く。
次回の「どくしゃかい」vol.3は、
2020年8月24日、9月28日(月曜日)13 : 00-14 : 30
『神の微笑(ほほえみ』(芹沢光治良/新潮社)を読む
です(この回のみ、2回のどくしょかいとなります)。
Vol.4は、
10月26日、11月23日、28日(月曜日)13 : 00-14 : 30
『ムーミン谷の11月』を読みます。
本ごとの参加も大歓迎です。
お問い合わせ申し込みは朝日カルチャー新宿へ。
でんわ03-3344-1945
https://www.asahiculture.jp/shinjuku
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