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2020年7月の投稿

2020年7月28日 (火)

雑談

 ひと月に一度開いていた「どくしょかい」(朝日カルチャーセンター/新宿)が、新型コロナウィルス感染症対策のため、2月をさいごに開けなくなった。
 2019年の秋、「どくしょかい」を開くことを決め、最初に皆で読んだのは『まつりちゃん』(岩瀬成子/理論社)。「読書会」とは何か、などとは考えず、おずおずとはじめたが、だんだんに集まったメンバーならではのひとときを過ごすことができるようになってきていた。
『まつりちゃん』を1期3回で読んだあと、つぎに『貝がらと海の音』(庄野潤三/新潮文庫)を読みはじめたところだった。それぞれ、読書を通して日常という名の物語を味わっていたところに感染症の靄(もや)がひろがって、集まれなくなった。

 727日。
 新型コロナウィルスの感染者が再び増えてきて、なんとも云えない重苦しさが湧いてきた東京新宿。窓からは東京都庁の建物が見える、そんな教室に6人集まった。
 よく集まったものだ、とわたしは感激した。
 そうしてとくべつの時間は、はじまった。
 会えないでいた5か月のあいだのそれぞれの様子を、まず聞かせてもらうこととした。自分を「語る」とひとのはなしを「聞く」を通らずに、読書を語り合うことはできなかった。
 ひとりひとりのはなしは、当然のことながら皆ちがっていたけれど、何かがどこかでつながっているようでもあった。共通の何かが感じられ、わかるわかると頷(うなず)かずにはいられない。
 オンラインで仕事やボランティアをしたり、保育関係の仕事で忙しい日日を過ごしていたり、のんびりやっていましたよ、という異なる立場に、共通していたのは、発見したあたらしいたのしみだ。

 韓国ドラマ。
 海外ドラマ。
 散歩。
 SNSでの世界情勢の情報集め。

 コロナ以前には考えもしなかった時間の使い方をして、「こんな時間の使い方をするなんて」「自分がこういうことにはまるとは思わなかった」と語るひともあった。
 そんな気持ちに、はまった事柄のなかみに耳を傾けながら、こんなふうに思っていた。
 日常生活を生きる核を自らのなかに持っているかぎり、ひとは何にはまったっていい! はまり過ぎて壊れるなんてことはない! とね。

 ところで。
『貝がらと海の音』は、庄野潤三の晩年シリーズと呼ばれる作品群の1作目である。
 子どもが大きくなり、結婚して家にふたりになった夫婦の日常生活を書いてみたいという作家の意志が貫かれている。描かれているのは、穏やかな日日だが、そこには、読み手をつかんではなさない世界観がひろがる。
 日常生活を描こうとする作家は、日常を構築するつよさを持っている。つよく日常を守りながら、濃やかにそれを描くのだ。
 この時期、この本を選んで皆で読んだことは、ふさわしくもありがたいことであった。そんなことも確認しながら、もっとも深深と実感したのは、会って生ではなすよろこびだった。

 家の近いノリコサンと同じ電車に乗る。おしゃべりはつづく。
 駅のホームで別れるとき、ノリコサンが云う。
「きょうはうれしかったです。雑談ができてしあわせでした」
(……そうか、雑談)
 雑談って、ほんとうに大事だ!
 そうこころに叫びながら、家に帰り着く。

Photo_20200728070301
次回の「どくしゃかい」vol.3は、
2020年8月24日、9月28日(月曜日)13 : 00-14 : 30
『神の微笑(ほほえみ』(芹沢光治良/新潮社)を読む
です(この回のみ、2回のどくしょかいとなります)。

Vol.4は、
10月26日、11月23日、28日(月曜日)13 : 00-14 : 30
『ムーミン谷の11月』を読みます。

本ごとの参加も大歓迎です。
お問い合わせ申し込みは朝日カルチャー新宿へ。
でんわ03-3344-1945
https://www.asahiculture.jp/shinjuku

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2020年7月21日 (火)

 草むしりができない。
 徒長枝(とちょうし)も伐れない。
 庭でぼんやりしたり、蚊と喧嘩したりも、できない。

 あんまり雨が降るからだ。
 ここからは遠いが、同じ日本の南の地ではもっともっと降って、やむのを忘れたかに思えるほど降って、人びとを苦しめた。
 いつもは耳をすませて、そこに漂う感覚を味わう雨音が、だんだん恐ろしく思えてくるのだった。

 ものが乾く暇(いとま)もなく、手出しかなわぬなか、庭はやがて小さな森になるだろうと思われた。

 それがある日。
 いきなり雨雲が遠くに行ってしまい、日がさしてきた。
 雨に濡れた木木が日にきらめくのを、窓越しに見ていたが、夢かもしれないと自分に云い聞かせる。
 そうして家のなかであれこれ用事を片付けて、とうとう庭に出たとき、森になりかけた庭の様子が一変しているのを見た。

「晴れたからさ、やっと伐ったよ」
 手ぬぐいを首にまきつけ、枝切りハサミを手にした夫が、こちらを見て笑った。
 地面が見えないくらいに枝が落とされ、空が近くなった。

 夫のからだから湯気が立ちのぼっているように見えて、わたしはあわててアイス珈琲を淹れて運ぶ。つづけて麦茶も運ぶ。

 もとからこの庭にあった梅と山茶花のほかは、わたしたちが持ちこんだ、か細い苗木が育った木木たちだ。ことにオリーブは大きく育った。この家に一緒に越してきたが、受粉するための仲間の樹が近くにないからだろう、実はならない。
 近所にオリーブの樹がやってくるといいなあ、と希いながら、待つともなく待っている。

 みんなありがとう。
 大きく育ってくれ、小鳥たちをそっと包みこんでくれて。
 森は夢に終わったけれども、いつしか根付いて葉をひろげた木木たちは、いま、さらにたくましい。
 人類に先立ってたくましい。

Photo_20200721031701
オリーブにちっちゃな実がふたつついているのを
みつけました。
何による受粉か……、不思議。
植物たちは、いま、ヒトを励ましてくれています。

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2020年7月14日 (火)

夢にも思わない

 机の上に郵便物が載っている。
 それをひとつひとつ見てゆくなかに、講談社からの包みがあった。
「あ、できたのだな」

 居間の書棚に据えている「こころを寄せる場所」。
 熊谷守一画伯の「佛前」という絵のはがき(白い卵が3つ描かれている)が飾ってあり、父と母、祖父母、叔父叔母、あの世に旅立ったなつかしい皆さんを思う場所。
 ここで、わたしは父ともはなし、叔父ともはなし、たとえば今朝はとっととあの世に行ってしまったマサルクンとぺちゃくちゃおしゃべりをした。
 そうして「幸田文さん、幸田さん」と、「庄野潤三せんせい」と、なつかしくも大事なひとにも、語りかけるのだ。

『男』(幸田文/講談社文芸文庫)。
 幸田文の「男」をめぐる随筆選の解説の仕事をいただいて、原稿を書きはじめるときも、幸田文さんにこんなふうに語りかけた。
「幸田さんの文庫『男』の解説を書かせていただくことになりました。よろしくお願いします、ふさわしいものが書けますように、どうかお見守りください」
 ずいぶん以前に、『男』のゲラは届いていて、たちまちそれを読みきった。どんなときも、締め切りぎりぎりに(短いものだと当日)書くことにしているが、このたびも、そうだった。
 ぎりぎりに書きはじめた。
 幸田文さんのお見守りがあったからだろう、するすると書けて、わたしは一度読み返して原稿を納めた。
 その後初校が出て、それを戻したときも、こう報告した。
「幸田文さん、このたびの仕事をすっかり納めることができました。どうもありがとうございました」
 それきりわたしは安堵して、この仕事から離れた。
 
 そうして7月のはじめ、できあがった本が送られてきたのだった。
 立ったまま本をとりだし、わたしは、よろけた。
 幸田文没後30年 「男」をめぐる初の随筆集『男』。
 ページを繰ると、おしまい近く「解説 山本ふみこ」と書いてある。

 20歳の年、勤めていた出版社の応接室で初めてお目にかかったときから、40年以上、あこがれて読書をつづけ、その存在を光として追いかけていた作家の……、没後30年記念の文庫の解説文を、わたしは書かせていただいたのだ。
 夢にも思わないことであった。

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2020年7月 7日 (火)

似た者同士

 夫の母が旅立った。
 家族は誰も、さいごの最期のときに間に合わなかったけれど、
「ちっともかまわない」
 と、ははは云うと思う。
「それより何より、仲よくね」
「それより何より、たのしくね」
「それより何より……」

 2017年5月、脳梗塞で倒れて入院したのがはじまりだった。
 左半身に麻痺が残るも、それから約1年は、リハビリテーション(以下 : リハビリ)に励んで家での生活をつづけることができた。
 この期間を支えたのはヘルパーさん、デイサービスの皆さん、息子(わたしの夫)の3本の柱である。
 20187月、心筋梗塞を起こし、救急車で運ばれて手術を受ける最中(さなか)、脳梗塞を再発して入院。その後は自宅に戻るためのリハビリのための施設に入所した。それから1年間はときどき自宅に戻って、父と息子と3人でゆっくり過ごすこともできた。
 施設中心の生活になってゆくなか、20201月からはインフルエンザ予防のために特別なことがない限り面会ができなくなり、2月からは新型コロナ感染症対策も加わって、まったく会えなくなってしまった。
 6月に呼吸が弱くなって入院ということになったとき、久しぶりに会うことができたのは皮肉であったけれども、うれしくて、手や顔や背中を撫でまわす。
「お母ちゃん、お母ちゃん」

 入院してちょうど10日後、眠ったまま逝ってしまった。
 やすらぎの表情を浮かべたお母ちゃんをみつめながら、とうとう、この日がきた、と思った。
「これからは、わたし、しっかりします」

 お母ちゃんはわたしにとって、誠のお母ちゃんだった。
「おふくろは、ガショウキだからな」
 と夫が云うのを、たびたび聞いた。
 ははは、生まれも育ちも埼玉県熊谷市だから、そのあたりの方言であったろうガショウキ。がむしゃら、という意味合いで、夫は云うのだった。
 こうと決めたら、途中乱暴なほどの勢い、方法で突き進むということになる。
(わたしも、そうだ、ガショウキだ)
 とそのたび思っていたし、その気持ちを知ってか知らぬか、夫も近年、わたしをガショウキと呼ぶようになっている。
(お母ちゃんもガショウキ。わたしもガショウキ)
 という見方は、わたしのなかに棲みつき、日常という布の端を握りしめながら、暮らしてきた。布の向こうを握っているのはははであり、わたしたちはガショウキに布をぶんぶん振りまわす。

(似た者同士だったよね)

 実力も、気風(きっぷ)のよさも、ははには遠く及ばないけれど、布を握りながら、常に顔を見合わせながらやってきた。

 いまし方、夫が書いた何かの挨拶状の原稿を見たら、こんな一文があった。
「熊谷市内の三ケ尻から大幡へ嫁ぎ、会社勤めに打ちこむ夫に代わり、農業を担いつづけた母。少女時代に思い描いたような人生だったかどうか、それは本人にしかわかりませんが、近所の皆さま、多くの友人・知人の厚情に恵まれ、幸せな日日を送ったものと思います」

(……ほんとうにそう。幸せでたのしい日日を生ききったね、お母ちゃん)

 わたしだけのたのしい思い出は、熊谷の温泉施設にふたりで出かけ、内湯、露天風呂をまわったのち、寝ころび湯にころがって果てしなくつづけるおしゃべり。あのおしゃべりは、わたしには支えになっていたのである。
 ふり返ると、お母ちゃんは自分がめぐりあったあのこと、このことについて話すことはあったが、一度もひとの悪口を云わなかった。

Mitsuko_moe
夫のかつての結婚で生まれた
2ばん目の娘・萌(もえ)はイラストレーターです。
萌と山本梓、萌とふみこ、という仕事も少なくありません。
これは、萌が描いた2016年のお母ちゃんです。
(大江萌えがく)

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