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2020年8月の投稿

2020年8月25日 (火)

8月記〈第4週〉

8月☆日
 7月のはじめから読むことをはじめて、勉強会、臨時会を重ねた中学校の教科書採択が、終わった。
 来年度から武蔵野市の中学生が使う、せんせい方が用いる、全教科の教科書。教育委員を拝命して8年、これまで小学校3回、中学3回の教科書採択を経験してきた。この役目のある年は、みっちりとなかみの詰まった夏になる。
 市役所のなかの部屋にこもり、教科書を読みに読む日を過ごしながら、毎度思うことはかつて、真面目に勉強しなかった自分が、こんなところで学び直しをさせてもらう……である。

 昔むかし、近所に、ときどきうちに美味しいものを届けてくれる、白いヒゲを長くのばしたおじいさんが住んでいた。
「あのひとは仙人?」
 と訊くと、母は笑ってこう云った。
「わたしの同級生のだんな様なのよ。おヒゲは仙人みたいだけれど、じつは有名な学者さんなのよ」
「ふーん」
 仙人のおじいさん(当時はおじいさんではなかったのだが、ヒゲが長くて白かったので、おじいさんだと思ったのだ)があるとき、家の門のところで、子どものわたしに向かってこう云ったのだ。
「小学校と中学校には、すばらしいせんせいがいますでしょう。きっとさがしあててくださいね」
「はい」
 と答えながらも、何のはなしだ? と思った小学生のわたしであった。仙人のおじいさんが経済学者の宇沢弘文そのひとだと知ったのは、高校時代のことで、著書を通して環境問題の学びはじめの機会を与えられたのは、大人になってからのことになる。
 子どものわたしに宇沢せんせいは「啐啄(そったく)」のはなしをしてくださったのだと思う。「啐啄」の「啐」は、雛がかえろうとして卵の内側からくちばしでつつくことを指し、「啄」はそれに応えるように、母鳥が外側からつつき返すことを指す。
 機が熟し、悟りをひらこうとする弟子と師の関係の比喩として使われることばだが、仙人のおじいさん、いや宇沢せんせいは、そのような生徒とせんせいの関係が学校で実現する、そんなようなはなしをされたのではなかったか。
 教科書の山に囲まれて過ごした夏が終わろうとするいま、小中学校時代の学びは、そのすべてを総動員すれば、それでもってその後の人生を生き抜けるほどのものだと実感している。

8月☆☆日
 机のひきだしのなかの巻尺を壊してしまい、この半年ばかり、工具としての金属の巻尺(コンベックス)を、布の上で、紙の上で使ってきた。
 やわらかい巻尺がやっぱりひとつほしいと思って、買いものリストに「まきじゃく」と書く。
 書いたはいいが、どこで買えるだろう。
 洋裁店? 文具店? 
 迷いながら、いいぞいいぞという気持ちが湧く。
 なぜかと云うと、こんなにも何もかも簡単に手に入れられる時代に生きて、便利を享受しながらも、それがなんだかたまらなくつまらなく思えるからだ。
 巻尺を求める、旅のような買いもの。
 そう思って、電車に乗り、3つ先の駅で降り、あれこれ買いものしたあと、「探すぞー」と思って、文具店に入ったら、いきなりみつけてしまった。
「メジャー」
 なかなかみつからなくて、本日はあきらめて家に帰る。という設定をしていたのに。

8月☆☆☆日
 ははの四十九日の法要と、納骨。
 このたびは、夫と、夫の弟と、わたしの3人で臨む。
 3人で厳かに、と思っていたのに、お寺での法要のさなか、焼香するとき、本堂の、あれは瓔珞(ようらく)というのだろうか、天井から下がっている長い飾りに、長身の弟が頭をぶつけて、シャララララン、と大きな音をたてたのである。
 少しも厳かでない音がたったが、なんとありがたい、明るい音が鳴ったことだろうと、感じ入る。
 きっとこの日のことをふり返るたび、シャラララランという音と、夫の弟の「あ!」という顔を思いだすだろう。
 ご住職(夫の幼馴染でもある)と、石材店のご主人(お墓が隣同士であった)と、登場人物が皆佳き人物であったこともうれしい。
 帰りがけ、代表して、ひとつ鐘をつく。お母ちゃんとの、あたらしいつながりの幕開けである。

Fumiko004
学校がはじまりました。
たとえ運動会はじめ、いろいろな行事ができなくても……、
児童生徒の皆さんが明るい気持ちで
2学期を過ごせますように。
教職員の皆さんが元気で力を発揮できますように。
毎日、毎日祈ろうと思っています。

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2020年8月18日 (火)

8月記〈第3週〉

8月△日
 ことしの梅雨は長くつづいた。
 長かったけれど、この時期いつもやってくる友だちに一度も会わぬまま梅雨が終わった。
 ……さびしい。
 このことは、地球のさびしさにつながっているかもしれない。
 もう少し待ってみよう。
 カタツムリ。

8月△△日
 東京からしずしずとひとり、埼玉県熊谷市へ。
 墓掃除のためお寺の墓地に出かける。
 すると、ちょっとした木のようにも見える大アザミが墓のなかに生い茂っている。こんなになるまで、わたしは墓掃除をしないでいたのだ……。
「ご先祖さま方、申しわけありません。でも、わたしが来たからには、ご安心ください。草も抜きに抜きますし、垣根も刈りに刈りますから」
 ぞわぞわと、気配が足元から伝わる。これはご先祖さま方からの期待、そして笑い声だ。
「苗字のちがう、いつもの嫁がやってきた」
「やってきた、やってきた」
「ガショウキ(*)なところは、この7月に亡くなった大きい嫁とそっくりだな」
「少しばかり乱暴だが、この小さいほうの嫁も、墓の掃除はやるからな」
「やり過ぎるのが心配じゃ。クワバラクワバラ」
「危ない、植木ばさみをふりまわして……」

*ガショウキ 埼玉県以北のあたりの方言。こうと決めたら、途中乱暴なほどの勢い、方法で突き進む性格を指す。

8月△△△日
 散歩を兼ねて遠くの店まで歩いていたら、道の端の茂みから黒猫がひょい、と顔を出した。
 子どもの黒猫。首輪をしていない黒猫。
 びっくりした。この日の朝、17年間ともに暮らした黒猫のいちごの写真に向かって、声に出してこう頼んでみたからだ。
「ねえ、いち、ときどきメッセージを送って、叱咤激励してください」
 ありがとう、ありがとう。
 ところで、また、猫と暮らそうかな。そう思って、帰り道、同じ茂みを覗きこんで、「ニー、ニー」呼んでみたけれど、黒猫はもういなくなっていた。
 今生でもう一度、猫と暮らす日がめぐってきますように。

8月△△△△日
 友だち(これは人間の友だち)から太った封筒が届く。
 うれしい。カタツムリや猫の友だちからは、こういうものは届かない。届かなくても少しもかまわないけれど、人間の友だちから届く便りはうれしいものだ。
 この友だちは岩手県盛岡市に住んでいる。
 封筒のなかから、便りのほかにマンガ本1冊と、DVDひとつが出てきた。

「ふんちゃん、東京はかなり暑いようですが、お元気ですか?
 (中略)親孝行したいなと。これまで一切そんなことおもえなかったのに。アラフィフになり、ようやく大人になってきたのかな。漫画と映画の感想きかせてくださいね。K

 読んでいるうち、こみ上げるものと押し合いへし合いがはじまる。やっとのことで押しもどしたが。

Kちゃん、Kちゃんがいるだけで親孝行なんだよ。
 文士のKちゃん、ひたすら書いてちょうだいね。その道中を祈っています。ふんちゃんより」

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熊谷の家のブルーベリーす。
雨が多かったので、実が割れやすかったそうですが、
夫ひとりで実を摘んで、少し出荷もできました。
……お疲れさん。

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2020年8月11日 (火)

8月記〈第2週〉

8月7() 22 : 00
「すぐラジオつけて、J-WAVE ね」と長女が知らせてきた。 
 J-WAVEが20196月23日の沖縄慰霊の日にオンエアした「GENERATION TO GENERATION 〜STORIES OF OKINAWA〜」の再放送だという。
 ジョン・カビラと父・川平朝清(かびら・ちょうせい)さんによる番組で、これが第57回ギャラクシー賞ラジオ部門の大賞を受賞したという。
 ああ、カビラさん、おめでとう、おめでとうございます。
 沖縄にも日本全体にも、ほんとうはおめでとうと云いたい出来事だ。
 さて、現在91際の川平朝清さん。
 戦後、1972年の本土復帰までアメリカ軍の直接統治下に置かれた沖縄に、ラジオ放送を立ち上げた立役者である。
 放送では、わたしがくわしく知らなかった沖縄の歴史、戦争の惨さ、戦後の人びとの暮らしが語られたが、川平朝清さんが番組の後半、こう語るのを聞いて思わず涙がこぼれた。
「ジョンさんが番組(*)のさいごに毎回『peace**』と伝えてくれるのがとてもうれしいですよ」
*「JK RADIO 〜TOKYO UNITED」(J-WAVE 81,3FM 毎週金曜日午前6:00-11 : 30) 
**『Have a great weekend, and peace』

 オンエアの1週間後まで、radikoのタイムフリー機能を使って聞くことができるようだ。

8月⬜︎日
 熊谷での畑仕事に出かけていた夫が、戻る。
「これ」と云って、はがきの束をぐっと差しだす。
 ははのベッドサイドの引き出しに、しまってあったというそれは、2017年5月から8月、母が脳梗塞を起こして入院していた病院に宛ててわたしが送ったはがき。「百度参り」のような心持ちで毎日書いて送った。
 全部で93通。ははが束ねて、大事に持っていてくれたことがうれしく、これからしばらく、わたしが持っていることにしようと思う。

 最初の1枚はこんなだ。
「お母さん、毎日、神棚と仏壇(のような場所)ほか、きれいなものをみつけるたび、祈っています。この間、ひさしぶりに雨が降り、水溜りができたんです。のぞきこんだらお日さまが映っていてうつくしいのでした。でも、水たまりを見て祈るのはふさわしくないような気がして、あわてて空を見上げ、祈りました。
「は」さん(夫)のネジをギリギリ巻いて、生まれて初めての親孝行をしてもらいますから、笹舟にのった気持ちでいてください。大船と云えないのは、わたしが正直者だからです。リハビリ、どうかがんばってね。ふみこ」
 このはがきにはそして、水たまりにお日さまが映っている絵が描いてある。
 お母ちゃん、これからも毎日はがきを書くようなつもりで、暮らすからね。たのしんで見ててください。

Photo_20200811075102  
これがはがきの束です。

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2020年8月 4日 (火)

8月記〈第1週〉

 8月◯日
 夜、やっとのことで家のしごとを終え、机に向かってもう、どうしたってのばせない仕事を前に、深いため息をつく。やけにくたびれていて、自分を持て余す。
 そこへ三女がやってきた。
「歩かない?」
 くたびれているんだってば……と思ったが、ふとこころが動く。
「行こう、10時出発にしてくれる?」
OK
 そうして60分間、フル回転で仕事をする。
 こういうとき、わたしは自分の脳に向かって「60分間で仕上げるから、よろしくね」と頼むのだ。すると、たいていうまくゆく。完成しないまでも、骨格はできあがる。
 夜の散歩へ出発。

8月◯◯日
 6歳の男友だちから手紙が届く。
 折り紙の裏側に絵入りで書いてくれている。表の色はピンク色。

 ふみこさん え
 おかしありがとう。
 そうだね またあえるといいですね。
 げんきでね。
 ばーい。
 こうより

 ばーい、だって。
 わたしも、この夏、誰かに宛てた手紙のおしまいに「ばーい」と書いちゃおうっと。

 8月◯◯◯日
 ははのお骨。
 ことし7月5日にこの世から旅立ち、翌日骨壷に納まり、さらに箱に抱かれ、錦のカヴァを着こんだ、ははの名残りが居間に坐っている。
 ははは、しかし、壺のなかになんかいないのだ。
 いまや、自由に飛びまわっていて、この家の居間にやってくるのも、たまのことかもしれない。
 それでも……。
 朝、箱の前のろうそくに火を灯すとき、それを消して出かけるとき、帰ってきてまた灯すとき、夜寝る前にそれを消すとき、わたしは四角いははの肩を抱く。
「お母ちゃん、おはよう」
「お母ちゃん、行ってくるね」
「お母ちゃん、ただいま」
「お母ちゃん……」
 夫とわたしの共通の友だちからのすばらしくうつくしい供花の器に、これまで花を取っ替え引っ替え生けつづけている。ははの好きなピンクの花を混ぜつつも、基調は白でまとめる。
「忙しいんだから、いいのよ、気を遣わなくて」
 とははは云うにちがいないけれど、聞こえないふりを決めこむ。
「めずらしいダリアが入りました」とか、「ピンクのグラジオラス、おまけします」とか、花店で、常にとは異なる事ごとに遭遇するたび、「お母ちゃん、お母ちゃん」と報告する。
 お母ちゃんのちからだなあ、と思いながら報告する。
 ごはんのお供えは、めずらしいものに限って、する。お母ちゃんが生前、ふだんはあまり食べなかったようなものを「これ、食べてみてね」と云って供える。
 たとえばラザニア、クレソンのスープ、フルーツサラダ、ティラミスというようなもの。

 8月◯◯◯◯日
 日記を書いたら元気が出てきた。
 8月のあいだ、たのしい日記を綴ろうと思う。
 やけにくたびれて深いため息、と書きはじめてしまい、危ういところだったが、夜お散歩に出かけたおかげで「ため息世界」から脱することができたし、まずまずのスタート。
 ……たのしい日記を綴ろう。

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こんなお線香をみつけました。
香りは「香食(こうじき)」とも呼ばれ、
供養になるのですって。

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