8月記〈第4週〉
8月☆日
7月のはじめから読むことをはじめて、勉強会、臨時会を重ねた中学校の教科書採択が、終わった。
来年度から武蔵野市の中学生が使う、せんせい方が用いる、全教科の教科書。教育委員を拝命して8年、これまで小学校3回、中学3回の教科書採択を経験してきた。この役目のある年は、みっちりとなかみの詰まった夏になる。
市役所のなかの部屋にこもり、教科書を読みに読む日を過ごしながら、毎度思うことはかつて、真面目に勉強しなかった自分が、こんなところで学び直しをさせてもらう……である。
昔むかし、近所に、ときどきうちに美味しいものを届けてくれる、白いヒゲを長くのばしたおじいさんが住んでいた。
「あのひとは仙人?」
と訊くと、母は笑ってこう云った。
「わたしの同級生のだんな様なのよ。おヒゲは仙人みたいだけれど、じつは有名な学者さんなのよ」
「ふーん」
仙人のおじいさん(当時はおじいさんではなかったのだが、ヒゲが長くて白かったので、おじいさんだと思ったのだ)があるとき、家の門のところで、子どものわたしに向かってこう云ったのだ。
「小学校と中学校には、すばらしいせんせいがいますでしょう。きっとさがしあててくださいね」
「はい」
と答えながらも、何のはなしだ? と思った小学生のわたしであった。仙人のおじいさんが経済学者の宇沢弘文そのひとだと知ったのは、高校時代のことで、著書を通して環境問題の学びはじめの機会を与えられたのは、大人になってからのことになる。
子どものわたしに宇沢せんせいは「啐啄(そったく)」のはなしをしてくださったのだと思う。「啐啄」の「啐」は、雛がかえろうとして卵の内側からくちばしでつつくことを指し、「啄」はそれに応えるように、母鳥が外側からつつき返すことを指す。
機が熟し、悟りをひらこうとする弟子と師の関係の比喩として使われることばだが、仙人のおじいさん、いや宇沢せんせいは、そのような生徒とせんせいの関係が学校で実現する、そんなようなはなしをされたのではなかったか。
教科書の山に囲まれて過ごした夏が終わろうとするいま、小中学校時代の学びは、そのすべてを総動員すれば、それでもってその後の人生を生き抜けるほどのものだと実感している。
8月☆☆日
机のひきだしのなかの巻尺を壊してしまい、この半年ばかり、工具としての金属の巻尺(コンベックス)を、布の上で、紙の上で使ってきた。
やわらかい巻尺がやっぱりひとつほしいと思って、買いものリストに「まきじゃく」と書く。
書いたはいいが、どこで買えるだろう。
洋裁店? 文具店?
迷いながら、いいぞいいぞという気持ちが湧く。
なぜかと云うと、こんなにも何もかも簡単に手に入れられる時代に生きて、便利を享受しながらも、それがなんだかたまらなくつまらなく思えるからだ。
巻尺を求める、旅のような買いもの。
そう思って、電車に乗り、3つ先の駅で降り、あれこれ買いものしたあと、「探すぞー」と思って、文具店に入ったら、いきなりみつけてしまった。
「メジャー」
なかなかみつからなくて、本日はあきらめて家に帰る。という設定をしていたのに。
8月☆☆☆日
ははの四十九日の法要と、納骨。
このたびは、夫と、夫の弟と、わたしの3人で臨む。
3人で厳かに、と思っていたのに、お寺での法要のさなか、焼香するとき、本堂の、あれは瓔珞(ようらく)というのだろうか、天井から下がっている長い飾りに、長身の弟が頭をぶつけて、シャララララン、と大きな音をたてたのである。
少しも厳かでない音がたったが、なんとありがたい、明るい音が鳴ったことだろうと、感じ入る。
きっとこの日のことをふり返るたび、シャラララランという音と、夫の弟の「あ!」という顔を思いだすだろう。
ご住職(夫の幼馴染でもある)と、石材店のご主人(お墓が隣同士であった)と、登場人物が皆佳き人物であったこともうれしい。
帰りがけ、代表して、ひとつ鐘をつく。お母ちゃんとの、あたらしいつながりの幕開けである。
学校がはじまりました。
たとえ運動会はじめ、いろいろな行事ができなくても……、
児童生徒の皆さんが明るい気持ちで
2学期を過ごせますように。
教職員の皆さんが元気で力を発揮できますように。
毎日、毎日祈ろうと思っています。
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