白シャツ
舞台がぐるりとかわって場面転換するように、夏から秋になった。
前の日まで木綿の夏掛け1枚をかけてやすんでいたが、翌日はもうもう、それでは肌寒くてやりきれなくなっている。あわてて羽布団をひっぱり出した。あれ? 夏掛けと羽布団のあいだの、薄手の羽毛肌掛けの出番はないの……? と、あわてる。
そうだ。あいだがないほどのうつろい様(よう)であった。
夏は急ぎの用事でも思いだしたかのように、取るものも取り敢(あ)えず旅立ってゆき、うしろもふりかえらなかった。
秋のほうはどうだったかというと、こちらも俊敏(しゅんびん)そのもの、すまして季節の座についていた。
さて、着るものをどうするか。
衣更えを、あんまり素早くすると、後悔する。ということを経験上、やっとのことで学びとったわたしは、この年の驚くばかりの場面転換のなかにあっても、そう簡単には動かないことにしている。
気温を睨(にら)んでじっとしているわたしを救うもの。
それは白シャツである。
白シャツ(長袖)は、仕事で出かけるときもわたしを支えてくれる。機能的であるのはもちろん、どんな場面にも映えるし、白の光沢がレフ板のような効果を発揮くれるのではないかと、かすかに期待している。くすみがちな顔を、ほんのり艶やかに見せてくれるのだ。
白シャツ、とひとくちに云っても、素材、肩のライン、ウエストのくびれ具合、ボタン使いなど、ほんの少しの違いが、これほどもの云う存在はほかにないように思う。前の年、気に入って着ていた白シャツに半年後袖を通してみると、なんだかしっくりこない……、ということが少なくない。
ことしは、自分を励ます意味で、肩のサイズ感がぴったりで、ウエストがくびれていない白シャツを探そう、と決めている。みつけ出せるかどうか、わからないが、「白シャツ探し」という目標をもつだけで、わくわくする。
ときどきわたしは、家のなかで白シャツに袖を通し、アクセサリーをつけて仕事をする。常とは異なる自分になれる。……ような気がして。
親戚や友人たちから、
こんなにうれしいものが、
届きました。
秋をたのしみましょう。
秋をたのしみましょう。
秋をたのしみましょう。
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