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2020年9月の投稿

2020年9月29日 (火)

白シャツ

 舞台がぐるりとかわって場面転換するように、夏から秋になった。
 前の日まで木綿の夏掛け1枚をかけてやすんでいたが、翌日はもうもう、それでは肌寒くてやりきれなくなっている。あわてて羽布団をひっぱり出した。あれ? 夏掛けと羽布団のあいだの、薄手の羽毛肌掛けの出番はないの……? と、あわてる。
 そうだ。あいだがないほどのうつろい様(よう)であった。
 夏は急ぎの用事でも思いだしたかのように、取るものも取り敢(あ)えず旅立ってゆき、うしろもふりかえらなかった。
 秋のほうはどうだったかというと、こちらも俊敏(しゅんびん)そのもの、すまして季節の座についていた。

 さて、着るものをどうするか。
 衣更えを、あんまり素早くすると、後悔する。ということを経験上、やっとのことで学びとったわたしは、この年の驚くばかりの場面転換のなかにあっても、そう簡単には動かないことにしている。
 気温を睨(にら)んでじっとしているわたしを救うもの。
 それは白シャツである。

 白シャツ(長袖)は、仕事で出かけるときもわたしを支えてくれる。機能的であるのはもちろん、どんな場面にも映えるし、白の光沢がレフ板のような効果を発揮くれるのではないかと、かすかに期待している。くすみがちな顔を、ほんのり艶やかに見せてくれるのだ。
 白シャツ、とひとくちに云っても、素材、肩のライン、ウエストのくびれ具合、ボタン使いなど、ほんの少しの違いが、これほどもの云う存在はほかにないように思う。前の年、気に入って着ていた白シャツに半年後袖を通してみると、なんだかしっくりこない……、ということが少なくない。
 ことしは、自分を励ます意味で、肩のサイズ感がぴったりで、ウエストがくびれていない白シャツを探そう、と決めている。みつけ出せるかどうか、わからないが、「白シャツ探し」という目標をもつだけで、わくわくする。
 
 ときどきわたしは、家のなかで白シャツに袖を通し、アクセサリーをつけて仕事をする。常とは異なる自分になれる。……ような気がして。

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親戚や友人たちから、
こんなにうれしいものが、
届きました。
秋をたのしみましょう。
秋をたのしみましょう。
秋をたのしみましょう。

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2020年9月22日 (火)

吉兆

 2か月前のことだ。
 その日わたしは、あけびの籠バッグとエコバッグを提げて、用足しに出た。
 手に持ったまま、すたすたと歩きはじめる。
「あらやだ。まだ鍵を持ってるわ、わたし」
 と気がついたのは、家を出てから5、6分後のことだ。
 鍵のポーチは、腕にかけているあけびの籠バッグのほうに入れるのが本来である。籠バッグはいわばハンドバッグだから、財布もめがねも、ハンカチーフもお助けポーチもこちらに納まっている。鍵の納まりどころも、ここだ。
 それがどうしたことだろう。
 わたしは、ぽとん、と鍵のポーチをエコバッグのなかに入れたのだった。エコバッグの底に、ポーチがおさまりわるそうにころがった。
 こちらを見上げて、ポーチが「え?」と云ったような。

 出先で用を足し、少し買いものもし、家にたどり着いて、さて、と鍵をさがす。

 おぼえていますとも。
 エコバッグのほうに鍵のポーチを入れましたのさ、この日のわたしは。

 クスリ屋で求めた石けんと目薬、スーパーマーケットで求めたバナナと牛乳の隙間に手をつっこむが、ポーチらしきものに手は触れない。玄関先でエコバッグのなかに頭をつっこまんばかりにしてモノをさがしている図、芳しからず。
 あきらめて呼び鈴を押す。
 家人があけてくれた扉から家に入るなり、エコバッグのなかみをとり出して、ならべる。
 石けん。目薬。バナナ。牛乳。かっぱえびせん(小袋4個つづり → こういうものを戸棚の扉の内側にぶらさげている)。

 鍵のポーチが、ない。
 落としたなんて心当たりは、ない。
 エコバッグの底が破れてポーチが落ちたのだろうか。と疑って、見るが、破れも穴も、ない。
 立ち寄った市政センター、クスリ屋、スーパーマーケットに電話をかける。「お忙しいところ……」とあやまって、鍵の落としものはないだろうかと問い合わせるが、どこにもそれらしきものはないのだった。

 翌日、駅前の交番に届けを出すが、とうとう連絡はなく、鍵はみつからなかった。その後なくした鍵のことばかり考えていたわけではない。そうではないけれど、なくし方落とし方の不思議さにかすかに揺れつづけた。消えた、という感覚が点滅していたのである。

 心配した家人たちが、どこからかはなしを聞いてきて、
「なくしものは、わるいばかりじゃないと云うよ。むしろいい兆しだという説もある」
「大事なものをなくすのは、身代わりなんだって。悪い出来事の身代わり。厄落としの意味もあるらしい」
 なんて云ってなぐさめるのだ。
「まあ、そうなの?」
 そう思うことにしよう。

 玄関の鍵をとり換えて、鍵もつくりなおしてもらったのはちょっぴり手痛い手間と出費であった。が、吉兆だというのは当たっていたような気がする。その後、いろいろの変化が訪れたからだ。
 ただし、それらが「吉」であるかどうかはまだわからない。
 そも、自分に起こっていたかもしれない悪い出来事の正体を知ることは許されないのがひとの宿命だ。 
 訪れた変化を「吉」とするしないは一方、自分に任されている領域のものであるような気がする。

 ——この世のすべては吉兆。
 ということだ。そう思うことにしよう。
 この思い方こそが、3か月前に与えられた「吉」であったかもしれない。

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この夏島根県から届いた
無花果(いちじく)です。
ほんとうに美味でした。
大事にとっておいたさいごの1個。
こういうのはまさに「吉」の「吉」。
箱に添えられていた葉は、
しおれてきても、いまだ香り高く……。

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2020年9月15日 (火)

不思議の本棚

 仕事の合いの手を入れようと、机まわりの本棚の整理をはじめる。
 そうなるだろうと、思ったとおりに、合いの手のほうが本筋になった。気がつくと、本棚から引きぬいた本が、床いっぱいに積まれていた。
 いつしか湧き上がっていた、本の数を減らさなければ、という思いが後押しして、古書店に持ってゆく本を選んでは積んでいる。

 1年に一度か二度、本を大切に扱ってくれる古書店に本を寄付することにしている。この店の奥で、本のクリーニング、カヴァかけ、梱包の仕事をしているひとのなかに、障害を持つひとが混ざっているそうで、わたしは、その気配が好きなのだ。
 自分も、そこに混ざって作業したくなるような、しばらくそこにいて、作業の様子を見ていたいような気持ちになる。それぞれの受け持ちの作業をすすめている皆さんは、夢中なのだ。ただし、夢を見ているというより、真剣に夢中という感じで、わたしはいつも、「そうよね、夢中というのは、こういうのよね」と、うらやましく思う。

 古書店の作業の真似をして、わたしも真剣に夢中をめざす。
 本は、結局ダンボール箱に2箱分になった。
 どれも、自分が読んだ本である。たいてい、どんなようなことが書かれていたか覚えているし、少なくとも好きだったな、とか、むずかしかったな、というくらいのことはわかるのだ。
 好きでもなんでも、すべて手元に置くと、本棚が呼吸できなくなってしまうから、こうして仕事の合いの手とかなんとか理由をつけて、ときどき整理しなければならない。整理して、手元から旅立たせてやる。

 ところで、この日、ずっしりと重く、おそろしく分厚い本が、ガラス戸棚の奥のほうからひょっこり顔を出した。束(つか)を測ると3,8cm、総ページは528ページに及んでいる。
 父の本棚からもらってきたと記憶していたが、裏見返しに母の字で「45.7.28 西宮市松並町で」と記されている。母が求め、父にまわしたということだったのか。昭和45年=170年といえば、父が大阪に単身赴任をしている時期で、父は西宮市松並町(最寄駅はJR甲子園口であった)の社宅に住んでいた。母と弟とわたしも、長い学校休みをここで過ごした。
 そうか、母は、あの町のあの書店でこの分厚い本を買って読んだのだな。

『樅ノ木は残った』(山本周五郎/講談社)。

 ここまでは記憶がぴたりと合っているのだが……、本を開いて驚く。
 そこにはわたしが読んだ跡が残っている。かつて気に入って使っていた付箋が8枚貼りつけてある上、わたしが読書のとき、ここ、という箇所に引くダーマトグラフ(DERMATOGRAPH/ワックス分の多い太い芯を紙で巻いた色鉛筆)のオレンジ色の線がある。
 興奮を感じさせる勢いで引かれた線を見ながら、わたしは唸る。
「うーん。まったく読んだおぼえがない」

 こういうこともあるのだな。
 読書の跡には熱中も見てとれるというのに、おぼえていないなんて。
 情けなく思いかけながら、いやいや、と思い直し、机の端に分厚いこの本をでん、と置く。
 おぼえていないなら、かつての熱中を追いかけながら……読もうじゃないか。
 読書の記憶とは別の、知識としての記憶には、『樅ノ木は残った』(もみのきはのこった)が、いわゆる伊達騒動という江戸時代のお家騒動を描いた歴史小説であることは刻まれている。NHKの大河ドラマになったことも知っている。
 ……読もうじゃないか。

 本棚はいつだって不思議だ。
 あたりまえでない何かをわたしに差しだし、すん、とすましている。

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2020年9月 8日 (火)

しがみつく

 ずいぶん前のことになる。
 武田百合子の本(『ことばの食卓』/ちくま文庫)を読んでいて、「しがみつくように万年筆を握りしめ、」というくだりに出くわした。
 このとき、「しがみつく」ということばがわたしを強く揺さぶった。

 何かにしがみつくことが、わたしにもあるだろう、と思ったのである。
 それからは、こんなのも「しがみつく」かもしれない、とときどき考えるようになっていた。
 台所で包丁を握っているときも、これも一種の「しがみつく」か、と。
 毎日毎日ほんとうに、もう……、などとこころのなかで呟きながらも、一方で、誰に頼まれているわけでなくわたしが自分でしがみついているのだ、という見方が生じている。
「やめていいよ」と云われたとしても、そう簡単にはやめられないだろう。となると、やはり台所に立つことも「しがみつく」であり、しかもそれはわたしを支えている。

 台所で包丁、は一例に過ぎず、ほかにもいろいろな事柄、ある場合はひとやら存在やらにしがみつく。

 少し前、ひとつの仕事にきりをつけることを決めたときにも「しがみつく」を思った。
 そもそもわたしの仕事など、原稿を頼まれて、それが連載というかたちでつづいたとしてもやがて、終了する。そんなことのくり返しだ。
 はじまったと思うと、終わる。
 そんな感覚は慣れっこで、いちいちさびしがったり、じたばたしたりはしないのである。にもかかわらず、このたび、ひとつ仕事にきりをつけるとなったとき、少少じたばたした。
 じたばたしながら、ああ、しがみついていたのだな、と思ったのだった。
 いまは、すっかりじたばたは治まって、しがみついた手をほどくことの安堵すら感じはじめている。
 いつまでもしがみついていると、手が空かない。
 手が空かないとどういうことになるかというと、あたらしいことがはじまらないのではないか。
 さあ、と思っててのひらを開き、じっと見る。
 ここに、何か、あたらしいことがやってきて、わたしはまたそれにしがみつくのか。

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ことし、わたしの机の前にやってきたこれは、
ガジュマルです。
遠くに住む友だちが同じ時期に
ガジュマルをもとめ、
「キジムナー」という名をつけたというのです。
驚きました。
キジムナーは、ガジュマルの古木に宿る精霊です。
わたしはガジュマルに「コウチャン」という名を
つけました。

偶然にも(?)同じ時期にガジュマルを
連れ帰った友だちの名前からとりました。
名を呼び、はなしかければ、通じるような気がして。

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2020年9月 1日 (火)

8月記〈第5週〉

8月★日
 主宰する「エッセイ講座」の仲間が、ふえた。
 書きたいという思いを持つひとが、意を決して扉を叩いてくださったことがうれしく、このうれしさを持ちつづけるために努力しようと、誓う。
 ところで、あたらしいお仲間のほとんどは、直接お目にかかったことがなく、年齢も家族構成も、来し方のあれこれもいっさいわからないお相手である。
 わかるのはお住まいの所番地と氏名だけ。
 それでも、1作読ませていただくと、人物像がくっきりと立ち上がる。
 立ち上がった人物像からの情報には量感があり、いきなりこちらに流れこんでくる。
 この日、あるあたらしいお仲間の2作目の作品を読んで驚いた。
 1作目を読んで20歳代か、もしくは30歳代に入ったばかりだと思っていた書き手が、2作目のなかで20歳代のお子さんのはなしを書いている……。
「あらま」
 あらま、と思い、その瑞瑞しい感性に感心しながら、つぶやいている。
「これでいい」
 作品を通して、これから先いろいろなことを少しずつ知ることになってゆくだろうけれども、あまり知らなくてもやりとりがある、ということだけを大事にしたい。
 友だち、知人、親戚、そして夫や娘たちのことも、あまり知らなくていい、というのがわたしの有り様(よう)でもある。何もかも知ろうとせずにいて、好きだったり、信じたり、みつめている……。これが性に合っている。

 わたしはいつも、よくは知らない書き手の作品に、恋い焦がれている。

8月★★日
 うちに住んでいる地蜘蛛たちが、元気だ。
 この夏、子どもも生まれている。
 きょう、仕事をしていたら、パソコンのデスクトップに怪しい影がうつった。
 下方から、するするのぼってゆく影。
「ジェラニモJr .
(赤ちゃんは、みなこう呼ぶ。うちに住み着いた初代の地蜘蛛ジェラニモのなをとって)。
 眺めていると、いつの間にかいなくなっており、伝えたかったことを伝えそびれたことが悔やまれる。

 行ってみたくても水場には近づかないこと。
「溺れそうになっても、助けてあげられないからね」

 クモ嫌いというひともあるから、そんなひとが訪ねてきたら出てこないこと。
「仕方ないのよ。ひとなのにひと嫌いもあるくらいだから。そういうときは、こちらで隠れるのがいいと思うの」

8月31
「行きたい」
 とつぶやいたのは、昨夜のことだ。
「としまえんに行く」

 昨日のテレビのニュースで、94年つづいた「としまえん」が8月31日閉園するのを惜しんで出かけたひとびとがインタビューを受けるのを見た。
 子どものころから通っていたという女性が、この日さいごの「エルドラド」(機械仕掛けの回転木馬/カルーセル・エルドラド)に乗る様子が映しだされた。思わず瞳にハンカチーフをあてるのを見て、わたしも「としまえん」にお別れを云いたい!と思う。

 今朝、電車に乗ってとしまえんに向かった。
 そうでなくても新型コロナ感染症拡大対策もあって、予約もせずにいきなり出かけたものだから、入園はできなかった。
 園のなかに吸いこまれてゆくひとの背中をうらやましくみつめながら、正門の前で一礼。
「どうもありがとうございました」
 駐車場の上の階から、見ると、ひと目見たかった「エルドラド」だ。見えたー、見えたー。
 1907年 エルドラド、ドイツでつくられる。
      ヨーロッパのカーニバルを巡業し、各地で人気をあつめる。
 1911年 大戦の影響が忍び寄り、解体してアメリカに渡る。
      ニューヨークの遊園地で多くのひとをたのしませ、1964年遊園
      地が閉園するまで活躍する。
 1965年 船に乗って日本に渡る。
 1971年 修復作業を経て、製作当時の姿に復元され、としまえんで人気
      者となる。
 エルドラドの未来はどうなるだろう。このうつくしい回転木馬にまた会えたなら、どんなにうれしいだろう。

 さて、としまえんとわたし。
 小学生時代、プールを持たなかった学校から、夏になると、開演前のとしまえんに通って水泳の授業を受けたのだ。初めて水に浮かんだのも、初めてクロールで25メートル泳いだのも、初めて平泳ぎで100メートル泳いだのも(死にそうだったな、あのとき)、としまえんのプールだった。
 忘れ難い夏の記憶。
「としまえんさん、ほんとうにありがとうございました」 

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写真を2枚撮りました。
正門前と、駐車場からのぞいたエルドラド。

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