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2020年10月の投稿

2020年10月27日 (火)

生まれて初めて!

 友だちから小包が届き、函を開けるとなかに、赤い実が見えた。
 なんだろう、なんの実だろう。
 とり出してみると、実を抱く枝の根元を湿らせたペーパーで巻くという、やさしいしごとのあとがある。
 知っている赤い実の名前を、端から云ってみる。
「ヤブコウジ。モチノキ。ナンテン。マンリョウ。センリョウ。ゴミシ……」

 ……やっぱりわからない。
 友だちの手紙を小包の函のなかから探しだして読むと「ガマズミが赤くなりました」とあり、手のなかの赤い実がガマズミだとわかった。

「ガマズミを手にするのは、生まれて初めて!」
「ガマズミを送ってもらうは、生まれて初めて!」

 小包のなかには、一輪挿しが坐っている。
 青い……、いやもっと正確にこの色に迫ろうとするなら、「鉄納戸(てつなんど)」とか「鉄御納戸(てつおなんど)」というのが近いだろうか。尾崎紅葉や芥川龍之介の小説に登場する茄子の色、単衣(ひとえ)の色である。
 北関東の山里に暮らす陶芸家の友だちの作品なのだ。
 ことしの春の窯とのことだ。

「こんなうつくしい青を近くでみるのは、生まれて初めて!」
「友だちの手になる一輪挿しは、生まれて初めて!」

 と、またまたうかれる。
 この日はいちにち「生まれて初めて! 生まれて初めて!」とうかれて過ごし、寝る前にガマズミを生けた一輪挿しの前に立った。
「この歳になっても生まれて初めてがあるなんて。ありがとう、ありがとうございます」
 こう云ってみたときだ。
 おやおや? と頭のなかに風が巻いた。
 おやおや、そうだろうか。
 生まれて初めては、きょうのこれだけではないのだわ。
 この歳になったいまのわたしも、これまでのわたしも、これからのわたしも、常に「生まれて初めて」を生きてきて、生きて、生きてゆこうとしている。

 常にわたしは生まれて初めての道を、生まれて初めて歩いてゆく。
 初めての道を照らす灯(ともしび)を探しながら。

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どうですか?
うつくしい青、妙なる一輪挿し。
面取の花瓶。
「毎日が生まれて初めて」
「生まれて初めての一瞬一瞬」
ということをおしえてくれました。

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2020年10月20日 (火)

ダイジョブ・フランソワ

 するべきことを小さな付箋に書いて、パソコンの上部に、ならべて貼りつけている。それが長長と連なって、こちらを見下ろす。

「早くおねがい」
「もうすぐ〆切」
「まだかしら」

 記憶力というのに、もともと自信がない上に、最近、2回つづけてゲラ戻し(著者校正をして版元に戻す)と、請求書の送りを忘れた。
「あのう……」
 とすまなそうな催促のメールをもらって、ギャッと叫び、あわてて約束のものを送ったのだった。
 そんなわけで、以前よりも「するべきこと」の内容が、ごく細かいこと、ルーティーンにまで及ぶようになっている。

 付箋の連なりは、きょう1日でみるなら、1枚はずして、3枚貼りつけている。つまり、昨日より2枚付箋は増えているのだ。まあ、うっかりゲラ戻しと請求書の送りを忘れるようなわたしだから、書いて貼りつけておかなければならないといえば、そういうことになる。
 けれどそれが2枚増えようと、ぞろぞろ並んでわたしを威(おど)しにかかろうと、びくびくしてはいけない。
 わたしは気をしっかりと保って、云い返す。

「早いのばかりが、いいわけじゃありませんよ」
「〆切当日に書きますよ。いつもそれで間に合っていますからね」
「はい、ただいま」

 さいごの、「まだかしら」に対する「はい、ただいま」という返しには、思い出がある。
 その昔友人と、喫茶店で紅茶を飲みながら、「もしも自分たちが喫茶店で働くようになったなら……」という空想遊びをしていたときのことだ。
「ねえ、お客さんに呼ばれたら、なんて応えるのがいいと思う?」
 そう友人が云うので、紅茶のカップを持ち上げたまま、考えこむ。
「『少少お待ちください』って、云いたくないなあ」
「でしょう? ね、『はい、ただいま』はどう?」
「いいね、それにしよう。『はい、ただいま』ね」

 さてところで。
 付箋の連なりに向かって云い返すのはいいが、あまりこころは晴れず、わたしは少し焦っている。

 焦っている。
 焦っている。

 しかしね、ここまで生きてきて、うっかりしてやり損なったこと、怠けたくなってどんよりすることくらいのことはあったけれども……、〆切を落としたこともなければ、結局やりきれなかったこともなかった(たぶん)じゃないか。
 と思いながら椅子の車輪を動かしたら、書棚のなかのフランソワと目が合った。
「ね、フランソワ。だからダイジョブだよね。」
「ダイジョブ」
「ほんとに?」
「ダイジョブ、ダイジョブ」

 あまりにすましてフランソワが請け合ってくれるものだから、わたしはうれしい。「ダイジョブ?」と不安の顔を向けたとき、間髪入れず「ダイジョブ」と応えてくれる存在というのは、得難い。
 それだけで、相当にダイジョブと思えてくるもの。

 ありがとうありがとう、ダイジョブ・フランソワ。

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これがフランソワ。
ダイジョブ・フランソワです。
二女が高校時代につくったクマなのですが、
ネズミみたいでしょう?
ガラス扉のある書棚のなかに坐って、
ときどききょろきょろっとしています。
これからは、この子に「ダイジョブ?」と聞き、
「ダイジョブ」をもらいます。

みなさまへ、
おたよりの掲載順を変えました。
新着が下にきます。
どうぞよろしくお願いします。

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2020年10月13日 (火)

 云い聞かせる

「さすがにちょっとくたびれました」
 こんなつぶやきが、友人たちから聞かれるようになった。
 新型コロナウィルス感染症の対策のもと、常とは異なる状態がつづくなか、誰もかれもがそれぞれの「緊急事態」を受けとめてきて、とうとう張りつめたものが切れそうになったのかもしれない。

 居酒屋を経営する夫を支えるために、気を張っていつも以上に仕事に精を出すひと。
 小学校の校長職(大好きな校長せんせい!)を終えた今春、児童にも保護者地域のひとたちにも別れを告げられぬまま、つぎの役目に就いたひと。
 フランスにいる夫と離れて日本で暮らすひと。
 オンラインを使っての仕事をはじめたひと。

 ……いろんな友だちが、ここへきて「ちょっとくたびれた」と口をそろえるのである。自分の仕事、役割をぎゅっとつかみながら、ぽろっとつぶやく彼女たちは、そう打ち明けて、少しガスを抜こうとしている。……ようだ。

 パリンと割れてしまわないように。
 ポキっと折れてしまわないように。

 わたし……?
 そうね、わたしも、余計なことを考えなくて済むように、乏しい集中力をかき集めて仕事に打ちこんできました。
 しかし、ガス抜きの大事なのも知っているので、ときどき立ち上がってパンケーキを焼いたりする。
 こういうのがわたしにとってのガス抜きだからだ。
 熱したフライパンに、タネを流し、弱火で焼きはじめる。フライパンにフタをし、しばらく焼く、表面にプツプツ穴があいてきたらフライ返しでひっくり返し……。

 仕事からのパンケーキという流れをつくるのは、わるくない。
 しかし、これだけではだめなのだ。
 まず、仕事をしている自分に云い聞かせなければいけない。……こんなふうに。
「仕事をすることができてしあわせだなあ」

 ガス抜きも同じだ。
 パンケーキを焼いてバタを1片のせたら、大皿に盛りつける。メイプルシロップをとろりとかける。ナイフとフォークを使って、切り口もうつくしいサンカクをそっと口に運ぶ。紅茶カップに手を伸ばす。
 しかし、これだけではだめなのだ。
 パンケーキを焼いてティータイムを過ごす自分に云い聞かせなければならない。
 ……こんなふうに。
「ああ、パンケーキ、しあわせ」

 仕事でもたのしみでも何かするとき、いちいち、していることを自分に云い聞かせ、ついでに(というのも何だが)、よろこびと感謝の気持ちを確かめておかなくちゃいけないのよ——とは、ずいぶん前に先輩格の友人におそわったやり方だ。
 忘れていたけれど、パンケーキを頬張っているとき、ふと、ほんとうにふと、思いだした。
 友人はわたしの目をじっとみつめてこうおしえてくれた。
「ちゃあんと云い聞かせないとさ、すぐ忘れるでしょう、アナタ」
「はい、そうですね、忘れます」
「そうよ。いいことをしたときにも云い聞かせる。苦労しているときにも云い聞かせる。つらいときもどちらも感謝のことばも云っておくと、その気になれるもんなのよ。その気になるっていうのが、案外大事なんだわよ。ちょっとアナタ、聞いてはる?」
「は、はい。聞いておりますとも」
「じゃ、やってごらんなさいな」
「ええと、いま、なんやら忙しいけど、仕事ができてありがたいわあ。ああ、しあわせ」
「そう。それでよろし」

「ちょっとくたびれた」ことに気がついたみなさんに、その昔、ちょっとおっかない友人がおしえてくれたように、伝えよう。

 何かするたび、「ああ、いましあわせ」と自分に云い聞かせること。
 いいことをしているときも、苦労しているときも。たとえあんまりしあわせを感じなくてもさ、しあわせって云ってその気になっておくのが案外大事なんだわよ(棒読み)。

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夫が実家の畑(埼玉県熊谷市)で
出会ったチュウサギ(中くらいの白鷺)。
さあ、ここでも練習です。
「夫が白サギに会いました。
ありがたいです。いいことあると思います」

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2020年10月 6日 (火)

コオロギと

 夜の散歩の途中だった。
 公園の端の茂みから呼ぶ声がした。
「マッテマッテ。……コロコロリー」
「あらま、こんばんは」
 そう云ってわたしは思わず、石を積んでつくった花壇の囲いの上に腰をおろしていた。
 公園のあちらからこちらからさまざまの虫の声が聞こえていたが、目の前の茂みの声の主は1匹のコオロギだ。姿は見えない。

「オサンポ? ……コロコロー」
「そうなの、もう帰るところ。でも、少しならおしゃべりできる」
「ネ、キョウネ、ビンガナゲコマレタノ。モウスコシデアタルトコロダッタ。コウイウノ、ナントイウノ?」
「肝を冷やす、かな」
「キモヲヒヤス。……コロコロ」
「当たらなくて、よかった。ひとはときどきひどいことするわよね。ごめんね」
「イヤ、アタラナカッタカラ、ラッキー。アナタノキョウハ、ドンナダッタ?」
「あら、聞いてくれる? じつはさ、まちがえてよそのひとの原稿料が、わたしのところに振りこまれたの。それでね、出版社に電話してあわててお金を返したの」
「ヨクアルコト? ……コロリーリー」
「ないない。初めて。大きな金額だったの。あーあって、ちょっぴりがっかりしちゃった。でも考えたらさ、」
「カンガエタラ? リリリ」
「誰かさんのお金が、わたしのところに寄ってくれたなんて、素敵じゃない?」
「イイネ、イイネ。ステキダネ。……コロコロリー」
「わたしたち、きょう素敵な目にあった同士ね。ビンが投げこまれたけど、当たらず無事だったコオロギさんと。誰かさんのお金が途中ちょっと寄ってくれたわたしと」
「マアネ、ソウイウコトニナルネ。……リーリーリーコロコロコロ」
 そのまましばらくコオロギさんは歌いつづけた。
 力強く、それでいてもの悲しく。

 その後、わたしは茂みに向かって、最近のちょっぴりさびしかったはなしと、おかしくて笑っちゃうはなしをひとつずつ聞いてもらった。
 コオロギさんは、わたしを慰めようとして歌い、いっしょに笑うように歌った。
「ばいばーい」
 と云って立ち上がったとき、不意にひと粒なみだがこぼれた。
 泣きたかったのかな、わたし。……コロコロリー。

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先日、彼岸花をみつけました。
このハナとも、おしゃべりしました。……
何のはなしかって?
内緒です。

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