せっかくだから
「家で仕事をするってどんなですか?」
と、あちらこちらで尋ねられるようになった。
もともとわたしは「居職」であるから、助言のようなことがあったら、という訊かれ様(よう)である。そのたびにこう答えた。
「最初からうまくゆかない、と考えていたほうがいいかな」
その昔、フリーランスの物書きになったころ、それが目標だったからうれしかったが、すぐには慣れなかった。家にいると気が散るし、誰も見ていないからつい怠けそうになる。となりの机にいる後輩に声をかけるような気分で、ひとりごとを云ったりもしたものだ。
「ね、きょうの会議、何時からだっけ」
「あのページのキャプション、どの段階で落ちちゃったんだろうね」
「出かけて、そのまま帰るね。よろしく」
……答える者はない。
会議も打ち合わせも、日時を自分で決めて覚えていなければならない。
小さいのも大きいのも失敗はほぼ自分のせいだ。
自分がいようといまいと誰も何も云わないが、かわりに電話を受けておいてくれたり伝言を残してくれたりする仲間もいない。
たよりなかった。
これでほんとうに仕事していると云えるだろうか、なんて本気で思いかけたこともある。
それでも、わたしは慣れていった。
不安定な暮らしが性に合ってもいたらしく、気を散らし散らし、怠け怠け、居職をつづけてきたのである。もう30年以上、その道を歩いてきた。
最初からうまくはゆかないが、そのひとらしく慣れる、とは、だから、わたしの実感なのである。
時代のムードかもしれないが、近年、なんでも最初からうまくやれる、と思いこむのが流行っている。うまくゆかなさや、不慣れ、失敗は恐ろしく流行遅れで、そんなところで立ち止まっていないで、さっさと前に進みましょうというのが、現代のムードだ。
しかしほんとうは、たっぷりうまくゆかなさを味わい、不慣れを噛み締め、失敗して落ちこんでもがいたりして復活するという経験もしなければ、もったいないとわたしは思う。
「『最初からうまくゆかない』なんて云うひと、いなかった……」
「うまくゆかない自分を許せなかったけれど、そうか、うまくゆかないのなんか、あたりまえですよね」
と、わたしのぼんやりとした助言ともつかない考えを受けとめてくれるひともある。
せっかくだから……とわたしは考えている。
居職に向いているひとがそのことに気づく機会をつくれたり、会社と家と半半くらいでゆきたいという希望がかなったりするといいな。
なんにしてもさ、自分のことだけ考えていたら、だめだよ。
いま、たったいま、こんなことばが目の前に降ってきた。
ほんとうに、そうだね。
これまでしたいと思っていて、
実現できないでいたことする
ちっちゃな運動をつづけています。
〈その1〉
母が託してくれた念珠の珊瑚を用いて
娘たちの数珠をつくってもらいました。
珊瑚のあいだにはさんだのは水晶です。
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