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2020年11月の投稿

2020年11月24日 (火)

せっかくだから

「家で仕事をするってどんなですか?」
 と、あちらこちらで尋ねられるようになった。
 もともとわたしは「居職」であるから、助言のようなことがあったら、という訊かれ様(よう)である。そのたびにこう答えた。

「最初からうまくゆかない、と考えていたほうがいいかな」

 その昔、フリーランスの物書きになったころ、それが目標だったからうれしかったが、すぐには慣れなかった。家にいると気が散るし、誰も見ていないからつい怠けそうになる。となりの机にいる後輩に声をかけるような気分で、ひとりごとを云ったりもしたものだ。

「ね、きょうの会議、何時からだっけ」
「あのページのキャプション、どの段階で落ちちゃったんだろうね」
「出かけて、そのまま帰るね。よろしく」

 ……答える者はない。
 会議も打ち合わせも、日時を自分で決めて覚えていなければならない。
 小さいのも大きいのも失敗はほぼ自分のせいだ。
 自分がいようといまいと誰も何も云わないが、かわりに電話を受けておいてくれたり伝言を残してくれたりする仲間もいない。

 たよりなかった。
 これでほんとうに仕事していると云えるだろうか、なんて本気で思いかけたこともある。
 それでも、わたしは慣れていった。
 不安定な暮らしが性に合ってもいたらしく、気を散らし散らし、怠け怠け、居職をつづけてきたのである。もう30年以上、その道を歩いてきた。
 最初からうまくはゆかないが、そのひとらしく慣れる、とは、だから、わたしの実感なのである。
 時代のムードかもしれないが、近年、なんでも最初からうまくやれる、と思いこむのが流行っている。うまくゆかなさや、不慣れ、失敗は恐ろしく流行遅れで、そんなところで立ち止まっていないで、さっさと前に進みましょうというのが、現代のムードだ。
 しかしほんとうは、たっぷりうまくゆかなさを味わい、不慣れを噛み締め、失敗して落ちこんでもがいたりして復活するという経験もしなければ、もったいないとわたしは思う。

「『最初からうまくゆかない』なんて云うひと、いなかった……」
「うまくゆかない自分を許せなかったけれど、そうか、うまくゆかないのなんか、あたりまえですよね」

 と、わたしのぼんやりとした助言ともつかない考えを受けとめてくれるひともある。
 せっかくだから……とわたしは考えている。
 居職に向いているひとがそのことに気づく機会をつくれたり、会社と家と半半くらいでゆきたいという希望がかなったりするといいな。

 なんにしてもさ、自分のことだけ考えていたら、だめだよ。

 いま、たったいま、こんなことばが目の前に降ってきた。
 ほんとうに、そうだね。

Photo_20201124075801
これまでしたいと思っていて、
実現できないでいたことする
ちっちゃな運動をつづけています。
〈その1〉
母が託してくれた念珠の珊瑚を用いて
娘たちの数珠をつくってもらいました。
珊瑚のあいだにはさんだのは水晶です。

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2020年11月17日 (火)

とりあえず、休む

 いつか、障りのなくなったころ表白する機会がめぐるかもしれないし、そうならなくてもいいと考えているのだが、ともかく「わるい目」に遭った。
 呆然とがっかりとが混ざり合った事態だった。

 このとき。
 なぜだろう、チャンスが目の前に立っている、と感じた。

「あらま、こうきましたか」

「わるい目」について分析し、対処する必要もあったけれどもルーティーンをこなさなくてはならないから、ごめん、ちょっと待ってね、とつぶやく自らをわたしはおもしろがっていた。

「ごめん、ちょっと待ってね」

 とつぶやくのは、この問題はしばし置いておき、ルーティーンをこなしたあと、あらためて「わるい目」と対面し、対処方法を考え、解決に向かおうというわたしだ。
 しばし置いておくあいだに、かすかにでも事態が変化しているかもしれないのだし。

「あのさ、とりあえず休んだらどう?」

 と、夫に声をかけられた。

「休みます。眠ります」

 これを綴り終えたら、蒲団にくるまって眠ります。
 眠っているあいだに、夢が何かをおしえてくれそうな予感とともに。

Photo_20201117085301
熊谷の実家の落ち葉。
落ち葉は、うつくしいですね。
このなかで眠りたいような。

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2020年11月10日 (火)

お気楽

 10月末、武蔵野市教育委員の任期満了。
 2期8年の務めを終える。

 なんという8年間だったことだろう。 
 あたらしい「生き方」を、わたしは確かに与えられた。
 そのことに尽きるように思う。
 だとすれば、この先のわたしの行動に、わたしの思考に、わたしの夢のすべてに、それは関わってくるはずだから、ここであわてて総括しなくともよいように思われる。

 いま、残したいことがあるとすれば、学校の教職員の皆さんへの、小声での伝言であろうか。

 皆さん、どうかお気楽に。

 こんなのはいかにも不謹慎であり、教育委員の立場では決して口にできなかった台詞だ。それでも、いま、どうしても、このことを伝えたがる自らを抑えきれずにいる。

 8年を通して、驚くことは数数あったが……、なかでも「学校において、えこひいきはあってはならない」というのが、わたしにはいちばんの驚きであった。
 そも、わたしの生業(なりわい)などは、読者からえこひいきしてもらってやっとのことで成り立とうというものである。なんとかえこひいきしてもらえるようにあの手この手で策をめぐらし、気をまわしながら仕事をしている、と云っても過言ではない。
 軽口を叩きあったり、情けないことを打ち明けあうつきあいになったせんせい方も少なくはないが、それでも彼女彼らはどこまでも「えこひいきはあってはならない」という壁を、決して崩さずに立った。
 このひとたちにはかなわない……、と思いながら過ごした日日は、こうして構築されたのであった。

 学校現場には、いろいろの苦心、苦労がある。
 しかしどんな苦心、どんな苦労も報われているとはいえず、うまく機能しているときには「あたりまえ」のように受けとめられ、ともすると「誤解」されて踏みにじられる。
 そんな現場の教職員に対して、わたしはもっともつよく惹きつけられていた。
 なぜなら、その存在のぬくもりが、その存在のつよさが、その存在の達成感が、児童生徒たちに直接降り注がれることを知っていたからである。

 ねえ、せんせい方、いまよりすこおし、気を楽に。

 一度でも、こう云えたなら、よかった。
 気を楽に。
 ……気楽ということ?
 そうなのだが、それはのんびりとはちがう。のんきともちがう。
 張りつめずにはいられない存在に向かって、素のあなたをもっともっと信じてほしいと訴えたい気持ちだ。

 どうかお気楽に。
 いまより少しでも、お気楽に。

 武蔵野市の教職員の皆さん、指導課の皆さん、教育委員会の皆さん、どうもありがとうございました。

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玄関のシーサーの居場所を変えました。
地面に立っていたのを、
棚の上に移動させたのです。
これは1998年の夏、
夫がテレビ番組作りで
沖縄に長期滞在したときに、
シーサー作家から直接
譲り受けてきた、宝物。

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2020年11月 3日 (火)

ふたつの時間を生きる

 つぎの年の手帖と予定表をもとめる季節がめぐってきた。
 いそいそと出かけてゆき、いそいそではあるけれども、毎年おんなじものをもとめる。ことしもまた。

 無印良品の月曜はじまりのカレンダー(ヨコ20,0×タテ14,5cm)。
 同じく、A6サイズの帖面(10,5×14,8cmA5サイズの半分)。

 これを2006年から使っていて、気がつけば15冊めが終わり、じき16冊めにうつろうことになっている。
 わたしの「ありのまま」の日常があらわれたカレンダーと帖面は、調べたいことがあって見返すたび、気持ちをくすぐられる。どちらも、仕事・しごと・遊び・年中行事ほかがごちゃ混ぜに記録されていて、じつにわたしらしい。
 わたしはごちゃ混ぜ人間。
 どの場面でも、同じ調子で動いているごちゃ混ぜ人間だ(ところどころ緊張の度合いは異なるが、それも年年たいした違いでなくなってきている)。

 そうして突如として2021年の予定表(カレンダー)と帖面をさすり、もの想いするわたし。

 ……会えない誰かを思うことがふえた。

 遠くにいて会えないあなた。
 事情が許さず会えないあなた。
 離れ場ならになって以来、行方知らずで会えないあなた。
 あの世とこの世に隔てられ、会えないあなた。

 きっとこれから先も、そんな「あなた」はふえてゆく。
 2012年、初めてカルチャーセンターでエッセイの講座を持ったとき、忙しい仕事をやりくりして1期だけ参加してくれたケーコさん。
 1期が終わったとき、カードをくださった。

「エッセイを書いてみよう」
 参加させていただきましてありがとうございました。
 参加しなかったら、生まれなかった原稿が4本、財産として残りました。
 つぎの期は残念ながら出席できませんが、「今ごろ新宿で山本さんが黒板に言葉を書いている」と、講義の日には思い浮かべることにします。
「今ごろアラスカでは熊が森を歩いている」と都会で思い浮かべるのは2つの時間を生きることだと星野道夫が言ったみたいに。では、またの再会を。

 ね、素敵な手紙でしょう?
 わたしはいつもこのカードを帖面にはさんで持っている。
「2つの時間を生きられますように」と希って持っている。
 会えない「あなた」を思いながら、そっとカードを読み返す。

Photo_20201103075401
いま、ガマズミは、こんなふうになっています。
このたびの器も、友人の手になるもの。
木の器で、エゴマのオイルを塗って仕上げてあるとか。
これには水は入れません。
見ているだけで、力とやさしさを
注がれるのです。

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