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2020年12月の投稿

2020年12月29日 (火)

つねに動いている

 ひとの世はつねにうつろっている。
 四季はめぐり、そのめぐりを幾度も幾度も受けとめながら——受けとめ損なうひとときを混ぜながらも、まずまず受けとめながら、人生のうつろいを重ねてゆく。

 うつろいやめぐりを静かに受けとめながら生きることを、順風と呼ぶとして、だ。どうやらひとの世はそうそう静かではない。
 大きく動くことがある。
 そんなときは、ああ、と大きく嘆息したりして、あるいはまた抵抗してみたりして、ひとは結局、動きのなかに巻きこまれる。

 2020年世のなか全体、大きな動きのときを迎えて誰もかれもが右往左往した。うねりのなかでいまも、働き、心身を砕くようにして過ごすひともある。苦悩の海原を船で漕ぎだすひともある。

 わが身にも仕事の仕方が変化、あたらしい挑戦のようなことが起こった。あまりにめまぐるしくて、その場その場をこなすのが精一杯、年の瀬にふり返ろうとしても……、整理がつかない。
 三女が韓国留学に出たり、長女が調布市の深大寺近くの古い家から引っ越したり、という身近な事ごとも、ある部分でわたしの人生と連動しているようでもある。

 ひとの世はつねにうつろっている。
 大きな動きに向かって、とうに動きはじめている。
 うつろいのうつくしさをとらえ、大きな動きをおもしろいと感じられるわたしで、ありたい。常に。

***
 皆さん、ことし1年どうもありがとうございました。
 この広場があったことが、常にも増して支えになった1年間だったような気がして、感謝しています。
 2021年のブログは112日からはじめたいと思います。
 よろしくお願い申し上げます。   山本ふみこ

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東京都西多摩郡瑞穂町の友人から
シクラメンを送っていただきました。
教育委員同士、ともに活動してきた先輩です。
8年間の活動のなか、
たくさんの尊敬してやまないひとを知り、
友情を育みました。
これもひとつの大きな動き(うねり)であり、
未来への架け橋になるのではないか、と
感じています。

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2020年12月22日 (火)

「これはチャンスの合図だわ」

「このたびは大変なことで、ふみこさん」
 背の高い男は云う。
 50歳のわたしが、仕事の選択について悩んでいたとき、目の前にぱっくり口を開いた淵があらわれた。覗きこんでいたら、底のほうから黒い雲に乗って上がってきたのが、背の高い男。黒っぽい拵(こしらえ)の、ぼんやりとした風情の青年だった。

「このたびは大変なことで、ふみこさん」
 男は一語一語切れ切れに、語りかけてきた。

 こんなふうにもったいぶって何かを告げようとする人物には用心しなければいけない。半世紀生きてきたのだもの、それくらいは、わかるのだ。
 だが、だからこそ、わざと驚いた顔をつくって、わたしはこう答える。
「うーん。ちょっと迷ってるけど、大変というほどじゃありません」
「いや、ここで選択をまちがえると、先がけっこうきつくなりますよ」
「ほ、ほんとうですか?」

「ほんとうですとも」
 と、男は前髪を、右手の人差し指で、なぞるようにかき上げながら云う。
「ほら下を見てごらんなさい。谷底には、ふみこさんの選択が靄(もや)のように浮かんで見えるでしょう。いち、に、さん、し、ご……」
 男の唱える数字は「はち」で止まった。
 下を見ると、たしかに小皿のようなものがいくつか浮かんでいる。薄い光を放って揺れている。
「あら、8ね。8種類も、選択肢があるということ? わくわくしますねえ」
「あなたは変わっていますねえ。怖くはないのですか? 選択をまちがえば、不幸になるというのに」

「怖くないですね」
 と云ってしまったその瞬間、背の高い男をがっかりさせたことを、わたしは感じとった。怖い、と答えれば、男はますますはりきって、わたしを煽(あお)ったろうし、もう少しそのまま煽られていれば、この男との戦いを優位に導けたのかもしれなかった。
 けれど、わたしの脳には、「戦い」、「競争」の観念がない。現代においてそれは欠陥なのかもしれないが、「ない」となれば、それなりに生きてゆくしかないのだった。

「怖くないですね。8つのうちのどれを選ぶかは、もう決まっているような気がするし、そもそも、仕事とか役割って、『選ぶ』ではないんじゃないかしら」
 そう云うと、男はかすかに慌てて口を挟む。
「『選ぶ』じゃなくて、なんだと云うんです?」
「そりゃあ、わたしをめがけてやってきてくれるんですよ」
「8つがあなためがけてやってきたら、どうするんです?」
「時として、8つとも素通りして行ってしまい、時によっては8つとも引き受けることになるわね。たいていは、ひとつ選ぶことになるんだけれども」
「……」
「ほら、見て。このたびは、8つのうちのこれがわたしの役目だわ」
 淵から、頼りなくも揺れながら上がってきた1枚の小皿。それを指差して見せた。
 指差しながらじつは、どぎまぎしていたわたし。
 自分で思っていたのとは、まるでちがう小皿が目の前で止まったからだ。けれど、わたしはなんでもない風に、がんばって笑顔をつくった。
「これがわたしのところに、きてくれたのね」
「……。えっと、あの、急ぎの用事を思いだしたので、これで失礼します」
 男は前髪を、指でかき上げながら云う。
「アナタ、わたしを落ちこませようとしてやってきたのでしょう? わかっちゃった。……これこそがチャンスなのね」

 男はいなくなっていた。
「チャンス」ということばによって溶かされたように、消えた。
 わたしの手のひらの上にのった8つのうちのひとつの小皿。この役目は、その後わたしを鍛え、学ばせ、気づかせ、とんでもなくおもしろがらせてくれたのだった。

 これはいまから12年前に、ほんとうにあったはなし。
 以来わたしは、落ちこみそうになるたび、「これはチャンスの合図だわ」と思うようになった。チャンスは、そんなふうにしてやってくるものらしい……のだ。

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これが届いたとき、じーんとしました。
友だちのお母上のちぎり絵のカード。
以前、この広場でブロッコリの作品を
紹介させていただいたことがありました。
このたびは、ほら、大根です。

思えばことしもたくさんの
おたよりをいただきました。
切手を貼ったもの、広場に届けられたもの、
それはたくさん。
小さな友だちが描いてくれたアバビエの絵のおたよりもありました。

ひとつひとつに励まされて、
ここまで歩いてきたのだなあ……。
どうもありがとう、ありがとうございました。

ふみ虫・ふみこより

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2020年12月15日 (火)

背の高い男

「わたしちょっと前に、ちょっと打ちこんじゃって」

 久しぶりに会った友人のクオさん(仮名)に、短い時間のなか、いろいろ話そうとして、早口になっていた。ほんとうは「ちょっと落ちこんじゃって」と打ち明けようとしたのだ。
「え、何。何に打ちこんだって?」
「いや、打ちこんだんじゃなくて、打ちこんだの」
 また、云いまちがえてる、わたしったら。
「落ちこむ」と云おうとすると、どうしても「打ちこむ」と云ってしまう。
 滅多に落ちこむことがないので、わたしとしたら、「落ちこみ自慢」がしたかったのだが、結局、なんだかうまく伝えられなかった。
「ああ、落ちこんだのか。それをたのしんでいたということだね」
 とクオさんは、少しも同情してくれない。

 滅多に落ちこむことがない、と書いたが、ほんとうは落ちこむことはある(わけあって小声)。
「落ちこむ」ような事態には、ときどき陥るのだ。
 そんなときは、決まって口に出してこう云う。
「それで何だっていうの?」

 50歳になったころだ。
 仕事の選択について考え悩んでいた。わたしにしたら、どちらの道を行くか、というほどの決断を迫られていたのである。
 考え悩みながら、ふと下を見ると、どうだろう。
 黒黒と淵が口を開いている。
 冷気があたりに漂い、いつの間にかあらゆる色彩が黒に塗りかえられていた。
 淵の底から、背の高い青年が黒い雲のようなものに乗って、上がってきた。こちらをじっと見ている男の様子は、ぼーっとしていて、果敢にことに挑んだり、何が何でも結果を出す、というタイプには見えなかった。
 男が、そのときの自分のこころの有りように、働きかけていると直感したわたしは、この相手を探ろうとした。
(それに、わたしはぼーっとした男が好きなのだ)。

「このたびは大変なことで、ふみこさん」
 男は一語一語切れ切れに、語りかけてきた。
「うーん。ちょっと迷ってるけど、大変というほどじゃありません」
「いや、ここで選択をまちがえると、先がけっこうきつくなりますよ」
 ほう、とわたしは思い、男の目的が見えたような気がした。
 男はわたしを落ちこませようと、静かに煽っている。

(ふん、ぼんやりした様子で、もっと落ちこめ、もっともっと……とあの手この手で、この男は)

 そうして男とわたしは会話をつづける。
                              〈来週につづく〉

*年末に「落ちこみ話」をしたりしてごめんなさい。
 でも、このとき学んだことが、いまの支えになっているのはまちがいないので、明るい気持ちで、どうか来週の「つづき」をお待ちください。

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「おたのしみコーナー」をご紹介します。
居間の背の高いチェストの扉の内側に、
これ、いいでしょう。
時として甘味のクッキーが加わったり、
ご当地ver.が届いたりしますが、この写真の
お三方は、最強。

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2020年12月 8日 (火)

「親切」は……。

「持っていた携帯電話が壊れてしもたんよ。みていただけますか」
「アプリのはなしなんです。たいてい無料アプリを入れて使っているのですが、有料ということに気づかずにアプリを入れてしまうのが心配なんです」

 あたらしい機種に交換するため、携帯電話ショップにきている。
 何を尋ねられても、答えられる自信がないなあと思いながら、わたしは頼りなく椅子の上にのっている。
「おお、これはじつになつかしいプランですね」
 なんかと云われながら、いま使っているスマートフォンからあたらしいものへの移行の手順やら、使い方の注意やらをおそわったり、有利な料金プランの説明を受けたりしている。そうしながら、つい、気は散ってゆく。

 携帯電話が壊れてしもた……と訴えるのは、手編みの毛糸の帽子をかぶって杖をつく老婦人だったし、アプリの相談をしているのは、ジャンパーの上にカシミアのマフラーをまいた70代後半、いや80歳になっているようでもある紳士であった。

「この携帯電話は、しばらく使用されていなかったのではありませんか?」
「そうなんですよ。じつは先週まで入院しておりましてね。家にもどってきてみたら、これ(携帯電話)がうんともすんとも云わなくなっていたんです」
「そうでしたか。すっかり充電が切れてしまったため、そうなったようです。充電いたしましたので、どうぞ安心してお使いください。ただし、いまお使いの機種はこれから2年ほどのあいだに使えなくなります。お早めの機種の変更をおすすめします」
「あらまあ、そうなの。では、また出直しますわね」
「そうなさってください。ご来店ありがとうございました」
 杖をつきつき、老婦人は、ゆっくりゆっくり店を出てゆく。
 ひとりでよく相談にやってきたこと!

「ちょっと拝見します。お使いのスマートフォンの利用状況、料金に関して、このマイページをご覧になると安心できます。LINEは使っておられますか?」
「耳が遠いものですから、電話よりもLINEが便利です。家族とも友人とももっぱらLINEで連絡をとり合っています」
「アプリですが、いま、有料のものを入れることになりますと、必ず『決済』の表示が出ますから、おわかりになるはずです。お困りのことがあったら、お気軽にご相談ください。ご来店ありがとうございました」
 老紳士はていねいに頭を下げ歩きだすも、店内のテーブルの前で立ち止まり、椅子に腰掛けた。今しがた手渡されたらしい説明書をひらいて、読みはじめた。
 確認して、わからないことをいまのうちに解決しようということのようだ。

 わたしはといえば、担当してくれたお兄さんが苦心してつくってくれた料金プランのなかみを理解したふりをして、あたらしいスマートフォンを受けとっている。情けないが、あとは自分で困りながら、何とか使ってゆくこととす。
 なりゆきで機種変更をしたものの、スマートフォンにはそれほど興味を持てないかわりに、きょう目の当たりにした「親切」にはおおいに心動かされた。
 ふたりの高齢の携帯電話ユーザーに対して、まったくもって頼りないユーザーであるわたしに対して、携帯電話ショップの若い店員は皆、親切であった。
 仕事だから、商売だから、当たり前だ、というはなしにすることもできようが、そうだとしてもそこには仕事に対する、ひとに対するプロ意識が存在する。

「親切」は……、「親切」というものは、人生の目標と云っても過言ではない、と、ふと思う。

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ことし11月、としまえん追想同人誌
「しゅうまつモノローグ」が
生まれました。
ひょんなことから、ここにわたしも参加させていただき、
「さびしくなんかないや」を寄稿しました。
限定10冊頒布します。
としまえんを愛してやまないあなたさま、
どうぞHP「連絡・申込み」からご注文ください。
代金は1,000円(送料込み)。
本品到着後、同封の案内にしたがって
お振込みください。

https://www.fumimushi.com/

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2020年12月 1日 (火)

見せない

 友だちからやさしい手紙が届く。
「ふみこさん、ふみこさんは自分のことはあとまわしにしているのだろうなあ、とときどき思うのです。何か困ったときや、元気をなくしたときなど、どうか、人に頼ってくださいね。
 気の利かないわたしでも、いつでもお手伝いしますので」
 そう綴られた手紙を、ぎゅっと胸にあてて抱きしめる。

「頼りますとも」
「困ったことを打ち明けますとも」
「元気をなくしたときには、はなしを聞いてもらいますとも」

 そうつぶやきながら、「そう云われてみれば」と思うのだ。
 苦悩や悩みを、わたしはひとにはあまり告げないできた……。
 そういうのがこの国に生きるわたしたちのやり方でもあった。
 まわりの大人から、「苦しいときにはひとを頼っていい」とおしえられたこともなかったし、父や母が他人(ひと)に自分たちの内情を打ち明けたり、困ったときすがったり頼ったりするところを見たこともない。
「隠せ」と云われたわけではなかったが、「見せない」のが約束であったのではなかったか。
 友だちが「人に頼ってくださいね」と書いて送ってくれても、わたしには、どうやって頼ればいいか、ほんとうのところ、わかっていない。
 見せ方が、わからない。

「見せない」わたしは、ひとの困りごとを「見ない」わたしではないだろうか。

 8年間経験した教育委員の役割を通して、「経済的に安定しているように見える当市にも貧困はあり、食べるに困る家庭、食べていない子どもが存在する」ことを知った。
 実際に児童民生委員をしている方がたにおはなしを聞いたり、市の複数の課をまわって調べたりして「こういう事例がある」という情報は集められるが、それではどこにそんな家庭があり、お腹をすかせている子どもが誰なのかは……、結局わからなかった。
 わたしの調べが足りないのは確かだが、貧困が隠されていることをつよく感じた。

 コロナ禍の影響が、ほんとうにひとを追い詰めるのは、おそらくこれからだろうと思う。耐えに耐えた挙句、もうどうにもならない、という事態となる前に、もう少しひとが皆懐(ふところ)を開いて、「見せる」道を選ばないといけない。

ーー友だちの手紙が、おしえてくれたこと。

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ある日、パンをトーストする
いい匂いがしてきました。
「自慢しちゃおうかな」
と云って夫が、こんなのを見せます。
学生のころもいまも大好きな、
パンの食べ方。
マヨネーズをくるくるっとやって……トースト。

〈お知らせ〉
12月6日(日)に、
雑誌「ハルメク」で文筆家・青木奈緒さんとオンラインのイベントを
します。
「書くこと」についての対談です。
ご興味のある方は、お申しこみ(会費2,000円)の上、
ぜひ、ご参加ください。

https://halmek.co.jp/corp/travel-event/330

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