老眼鏡をかけた後輩
長いこと、先輩たちに鍛えられ鍛えられ、その背中を追いかけつづけていたのだったが、いつしか、自ら先輩という名の椅子に坐っていた。
けれど、娘たちよりも若いひとと仕事をするようになっても、日常的な交流を持つようになっても、わたしは少しも貫禄を示せず、誰かを鍛える、などという立場から遠い。
それはわたしの力不足のせいにあらず(言い訳)。
年若きひとたちの感性、努力、センスがあまりにも素敵なのだもの。
これはわたしの今生の幸いなのだ……、佳き年下の仲間、友人知人にめぐまれたという、これは。
仕事を通じての関わりのみならず、あらゆる分野の後輩たちの発言、表現には驚かされっぱなしである。年齢としては後輩にちがいなくても、わたしの目からは先輩にしか見えないのである。
老眼鏡をかけた後輩だ、わたしは。
ところが。
昨年(2020年)の後半に、老眼鏡をかけた後輩たるわたしの耳は、幾度となく年若き先輩たちから、小さな、しかし切実なつぶやきを聞きとることとなる。
「何をやってもうまくゆかない」
つぶやきの中身はといえばーー。
「予測不能な未来」と、標語のように云われるようになって久しいが、新型コロナウィルス感染症対策のもと、予測の可能性は黒く塗りつぶされてゆくようであった。そんななか、不安にかられたひとたちが、思いのほかふえていったとしても、それは不思議ではない。
「何をやってもうまくゆかない」
ーーそれは、アナタのものとは思えない、大雑把な感じ方だと思うな。何がうまくゆかない……と思うの?
「一所けん命仕事してるつもりなのに、仕事として成立しないんです。ぶっちゃけ期待する実入りがない。顧客のため家族のためってことも、忘れずにいるつもりなんだけど」
ーーわかるよ。
自分のため、と、他者のため、ってのが両方きっちり入ってなければ「一所けん命」とは呼べないもんね。だったら、とことん一所けん命ゆくしかないよ。うまくゆかないはずないんだよ。
「うまくゆかないはずない……。そう云われると、実入りのことばっかり気にしてたかもしれないなあ」
ーー実入りは考えてもいいんじゃない? でも「一所けん命」にはちゃんと実入りもついてくるよ。何もやってもうまくゆかない、っていう状態は、たぶん、自分への、他者への愛情不足かもしれないよ。
「愛情不足?」
ーーそう。それね、わたしが20歳のころから、先輩たちに云われつづけたこと。愛情不足だと、仕事も日常もうまくゆかない。愛情不足だと、実入りにもつながらない。
若き麗しの後輩たちにアドバイスする機会がめぐってきてさえ、老眼鏡をかけた後輩のわたしは、このようにして「受け売り」でございます。
この季節の大切なお客さまへ
供するためのちっちゃな器。
お雛さま方へ、
本日は小豆を煮て供しました。
珈琲。うどん。グラタン。
焼き鳥。親子丼。
なんでもありです。
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