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2021年3月の投稿

2021年3月30日 (火)

鳩と目が合う

 気象庁が長年つづけてきた動植物の観測のうちのおよそ9割が、2020年廃止された。
 主として動物の初鳴き、植物の開花が発表され、わあっと弾み、季節感を引き寄せていたのだったが。ただし、観測対象として桜の開花と満開は残されているから、ことしも、桜の咲きはじめ、満開の時期は新聞とニュースで伝えられた。
 コロナ感染症拡大防止のため、外出を控えなければならない時期と重なっており、もうすぐ咲きます、とおしえられて、そうか、もうそんな季節か、と驚く思いが湧いたのだった。

 数日前、駅前の銀行に行く用事ができた。
 無事お金を出したり入れたりして銀行から出て、歩道橋をとんとんと上がったときのことだ。1羽の鳩が階段を上がった先にあらわれた。
 鳩は首をちょっと傾けて、わたしのほうを見る。
 目が合う。
 階段上にいる鳩、階段を上がるわたし、という場面で成立した鳩目線との遭遇である。どきっとした。俳句でも短歌でもひねれれば、いいのが生まれたかもしれないのに……、と思いながら頭を振って鳩と別れる。
 俳句も短歌も生みだせなかったけれど、このとき、自然観に委ねたひとの生について、思うことがあった。こうして鳩のはなしを綴っているのも、自然を求める、あるいは追従のこころの働きであり、それはいま、ぎりぎりとところまできているのではないのか。
 つまり鳩とひとを綴りつづける未来は、保障されていない。
 その未来は、いまやひとの在りようにかかっている。

 そうだ。
 気象庁の「生物季節観測」の長年の苦労に対して、お礼を云わなくてはならない。
 気象台の職員が、目で見て、耳で聞いて観測してきたことを想像していまさら感謝しているのである。
 そうしてこの「生物季節観測」を引き継ぐのはわたしであり、あなたであってもいいのではないだろうか。

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干し芋をほうぼうからいただきました。
うれしいうれしい。
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考えて、豚肉と炒めてみました。
ちょっと水に浸けてから、調理しました。
味つけは、しょうゆと酒のみ。
あ、さいごにバターをちょっぴり加えました。
……美味。

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2021年3月23日 (火)

「ホーム」とは何だろうか

「これ、どうぞ着て」
 あたりまえのように云って、先輩は持っていた紫色のカーディガンをわたしの腕にかけてくれた。
「でも、あの」
 とためらって見せてはいるけれども、これまでに何度も先輩が着ていたカーディガンを褒め、讃え、挙句欲しいなあ……というまなざしを向けつづけてきた。
 紫に、少し赤みを加えたラズベリーの色と呼んだらよいだろうか、それはうつくしい毛糸のカーディガンだった。丈は短め、ゆとりはなく、全体に締まったフォルム。それを着た先輩は、ほんとうに素敵だった。
 おそらく、このひとこそ、わたしがこの世で最初に認めた「おしゃれなひと」である。

 高校3年の冬、学校で当番制の委員になり、寄宿舎に50日間暮らすこととなった。このとき同室だったのが1年先輩(短大1年)のナオコサンだった。文机もとなり同士、布団もとなり同士。
 背が高く、手足が長い。色白の美人。
 持ちものは、何もかも少し風変わりで、うつくしい。
 おしゃれにもうつくしいものにも興味はあったけれど、ナオコサンを眺めるうち、このひとのセンスがとびきりのものだということはわかるが、自分にその才はないのだ、ということを自覚するに至った。
 だけど、いいのだ。
 おしゃれなひとを見抜き、そのひとの着るものを認めることはできるのだから。……そう思った。
 ナオコサンがわたしに譲ってくれた(奪いとったようでもある)ラズベリー色のカーディガンは、長く長くわたしの宝物であった。持っているもののなかでいちばんうつくしいウエアであった。

 学校を卒業した後、ナオコサンはインナーウエア(下着)業界専門誌の記者となる。1年おくれてわたしは出版の道を歩みはじめたわけだが、残念ながら、道が重なる場面はなかった。
 記者となったナオコさんは1988年独立して、現在に至るまで国内外の衣服(ファッション・ライフスタイル)に関する……研究家、ジャーナリストとして活躍している。

 先週のことだ。
 みすず書房から厚みのある封筒が届き、なかに『もう一つの衣服、ホームウエア——家で着るアパレル史』があった。
 ナオコサンの著書だ。
 読みはじめたら、たちまち時を忘れ、気がつくと読みきっていた。
 右目から涙がぽろんぽろんとこぼれた。左目は、おそらく、急いで読まなければいけない本3冊と、ゲラに遠慮したものと思われる。
 これまでのナオコサンの本は、主として専門的に綴らており、自身の思いや有りようはあまり語られなかった。この本には、ナオコサンがくっきりと立っている。静かに語る低い声に向かって、わたしは幾度となく「わたしもわたしも!」と、「わたしはね……、こうしてるんだ」と、応えながらページを繰るのだった。
 そのうちに懐かしさとともに、あたらしい何かが押し寄せて胸がいっぱいになり、右目からぽろん、となったのだと思われる。
 ホームウエアをどうとらえるかは、自らが知らず知らず確立しているはずの「軸」を考えることにつながる。
 現に『もう一つの衣服、ホームウエア』を読みながら、わたし自身の「オンタイム(活動時間)」と「オフタイム(休暇時間)」の分け方を認識した。それはわたしにとっての「ホーム」とは何かを、思わせるのだ。

 私自身、寝るときにはどんな素材が好きかというと、究極はシルクニットだろうか。シルクでも洗濯やアイロンが一苦労なシルクサテンなどのすましたものではなく、イージーケアで肌にしっとりなじむニットがいい。(本文より)

 ここに至って、わたしは唸る。
 ……シルクニット。
 わたしにだって寝るときのウエア=ナイトウエアは、ある。
 ナイトウエアへは夜の入浴後に着替える。
 白状するとわたしのナイトウエアは、ちょっとした活動服だ。入浴後にもうひと仕事するし、朝起きて、ナイトウエアのまま、ごそごそゴミ出しをしたり、届け物を受けとることも少なくない。そんなわけで、ひとから見て、ナイトウエアのようではないナイトウエアを、ずっと着つづけてきた。
 少なくとも朝とっとと着替えることにしたなら、わたしにもシルクニットの、すとんと頭からかぶって着るシンプルなワンピースが実現するかもしれないな。

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ほんとうにおもしろい本でした。
右目から涙、と書きましたが、
両目からウロコのようなものも
落ちました。
先輩のナオコサンと、
この本をめぐって、
「ホーム」をめぐって、
できることがあるのではないかと
いう気がしています。

『もう一つの衣服、ホームウエア
(家で着るアパレル史)』
(武田尚子/みすず書房)
定価2970円(本体2700円+税)
http://www.msz.co.jp

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2021年3月16日 (火)

クモタ氏、あやまる

 かつてはわたしも子どもだった。
 ほんとうのところ、子どものまま62歳になっているようなところがあり、まるきり大人らしくなく、心もとないことこの上もない。
 しかし、わりあいわたしは正直者だ。
 ウソはときどきつくのだが、隠したって仕様のないことは隠さないし、ひとからバカだなあ、と云われたりするのなんかは、心地よくて好きなのである。

 子どものわたしは、自分の前に聳(そび)える大人が苦手だった。
 そして……。
 ものすごく失礼な云い方になるのを許してもらわなければならないけれど、聳えさせておけばすむ大人なんかは、怖くなかった。
 この感覚はずーっとつづいていて、大人になったいまも、こんなふうに思う。

「このひとは、どうしてえらそうにしないのだろう。このひとだったら、少しくらいえらそうにしても、尊敬しちゃうのだが」

 尊敬してやまないのは、いつもこのタイプで、一面でわたしは恐れもするのだ。
 賢く誠実であるのに、少しもえらそうにしないこのひとを、怒らせたら終わりだ……、と思って。

 こうした人物に、幸いなことにわたしは複数出会ってきている。
 このひとたちをひとまとめにして、団子にする(こういうところが大人らしくない)としよう。
 名前?
 名はクモタ氏。
 その名の由来は雲であるし、「でも、蜘蛛も連想するわね」と云われたところで、わたしは蜘蛛も好きだから、ふさわしいと云えよう。
 賢く、物事に対する理解が深く、常に他者に寄り添うクモタ氏が、ある日、わたしに語るのだ。

「かつて、かっとなって、場を顧みず発言したことがあるのですよ」
「まあ、クモタさんが」
「それでことがこんがらかってしまい、現場に迷惑をかけたのです」
「どう収められたのですか?」
「過ちを認め、とにかくあやまりました。伝えたかったことの真実を伝え直したのは、ずっとあとのことになりました。あれは、失敗でした」

 このときわたしは、思った。
 大人の失敗も、あやまる姿勢も、もっともっと子どもたち、若いひとに見せたい。
 同時に、ひとの失敗を攻め立てずに、そこで起こった失敗(とその背景)を学ぶ機会とする空気を、つくって見せるのも大人のなすべきつとめだと感じたのである。

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わたしの手元にいまある、
「消印」を押されず送られてきた切手たちです。
こうした切手は、郵便局に返すのが
筋道だそうです。
それはそうなのですけれども、
はがきやカードに貼りつけて(模様として)
使うのはだめかなあ……と思ったりしながら、
缶のなかにしまっています。

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2021年3月 9日 (火)

1年後には……

 1年に一度。
 この間隔をかつて、若いころには、希薄なものとしてしか受けとめられなかった。
 たとえば、七夕。
 父娘のあいだでどのような話し合いがもたれたものか、織姫と牽牛は、ともには暮らすことかなわず、1年に一度会うことができるだけのお互いとなった。
 若かったわたしは、とんでもない事態だ!と考えた。
 天帝である父から若いふたりへ制裁、というのもこころに収め難かったが、何より1年365日のうちのたった1日しかともに過ごすことのできない恋人同士の境遇が気の毒でならなかった。
 わたしなら……、天の川を泳いで恋人のもとに向かうだろう。それがむずかしかったなら、近くにいる白鳥やら蟹、ふたごのきょうだいやらに頼みこんで助けてもらって向こう岸に渡る。なんて考えていたものだった。
 ところが30歳代も終わろうというころになって、その考えが変わった。

 ——1年に一度会えるなら、いいかな。

 そも、織姫と彦星の生涯はおそらくは永遠で、そうとなれば、毎日一緒に暮らさなくても、いや、暮らさないほうが新鮮味も失われないだろう。
 そんなふうに考えるようになっていた。

 人生のなかでめぐり逢う機会が、たとえ一度きりでも、どんなにか尊い。
 この受けとめ方の、それは緒(いとぐち)となった。

 さて、いま、おひな様方との別れのときが迫っている。
 現在家には、三女のために用意したもの、わたしが母からもらった小さな小さな米粒のような立ち雛、二女が小学生時代につくったふたつの雛(ひいな)が居間のあちらこちらに、存在している。
 例年節分で豆をまいた翌日に、おひな様方を茶箱から出して、飾ることにしている。ことしは、それが半ばころに移った。
 こういうところにも、そのときの自分の有りようがあらわれていて、それをそのままおひな様方に知ってもらう。

 ことしのわたしはこんな風です。
 いまの状態はご覧のとおり。

 おひな様方が近くにあるよろこびは、ことのほか大きい。
 ひとに告げないでおくこと、告げないほうがよいことを、わたしは、なんとはなしに、おひな様方に聞いてもらう。
 ことしも、いろいろいろいろ語りかけたのだ。
 連日新聞やテレビで報じられたこともそのひとつで、わたしは……、ことの本質の「ずれ」が気になって、だんだん重荷になってゆくなか、おひな様方に救われていた。

「発言のまちがいと、発言の背景にある考え方、油断はともかくとして、この叩かれようは異常だと思うのです」

 おひな様方は何も云わないが、ただ、聞いてくれている。
 わたしが眠ったあと、居間で、雛同士何かを話し合っているかもしれない、と想像するだけで慰めになる。
 わたしがおひな様方に聞いてもらったはなしのなかみは、近く綴るとして、今夜は、蕎麦を茹でて「これからも長いおつきあいを」という心持ちでそれを供して、おひな様とことしのお別れすることに決めている。
 東日本大震災の日、余震のなか、大急ぎで雛を箱に納めた10年前から、おひな様方とわたしとの縁(えにし)は深まったように思う。
 あのとき、1年後お会いする日までなんとか生き抜きますという、切羽詰まった思いがわたしにはあり、蕎麦も供さず、現実から逃れるように大急ぎでお別れをしたのだった。

 1年後、またお会いしましょう、おひな様方。
 どうもありがとうございました。

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コロッケを、おひな様方につくって
供しました。
ちっちゃいまんまるコロッケです。
ことしは、いろいろお供えできておもしろかった……。
「こんなものまで」と、
思われたことでしょう。
クスクス。

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これは、二女が小学生時代に
綿棒を使ってつくった雛(ひいな)です。
コロッケを、どうぞ。

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2021年3月 2日 (火)

叱られ者

「カミサマ ゴメンナサイ」
 台所のほうで声がする。
「カミサマ ゴメンナサイ」
 また、誰かが云ってる……。

 なつかしい母の口癖である。
 それを受け継いだのはわたしの娘たちで、近年、たびたび聞かれるようになっている。食べきれなかったもの、何らかの理由で残ったものを捨てる場面で、これは、使われる。

「カミサマ ゴメンナサイ」
 とすまなそうに云いながら母がものを捨てるところを、わたしも幾度となく目撃している。
 わたしにだってあるのだ、罪悪感とともにものを捨てること。けれど、わたしの口癖にはならなかった。誰かに見咎められぬよう、目配りしこそっと捨てるときは、無言だ。
 折り目正しく常識人だった両親のもとで育ったわたしだが、父・母の理想からはみ出しがちであり、子どものころから「叱られ者」であった。叱られたかったわけではないが、ほんとうによく叱られた。
 これでよかったのは、大人になってからだ。
 会社で上司や先輩から叱られたり、小言を云われたりして同僚がしょげているのを見て、そのくらいたいしたことない、と思うのが常だった。叱られ慣れていたものだから、自分ががつんとやられる番がまわってくると、その場で反省してあやまりはするものの、すぐケロリとする。
 ふり返ると、イヤな子ども、イヤな後輩だったな。

「叱られ者」は、天邪鬼でもあるので、おっかない大人の真似はしないのだ。
 父と同じ文句、母の口癖を受け継がなかったのもたぶんそのせいで、わたしはあまりおっかなくない母親、先輩になっている(と、思う)。
 そんなわけで、わたしの娘たちは、誰も「叱られ者」ではないし、おっかないところのある祖父母にも無邪気に親しんでいたものだから、その口癖を使うのである。

「カミサマ ゴメンナサイ」
 を耳にするたび、ふーん、なかなかいいセリフじゃないかと、このごろ思うゆになっている。隔世にて伝わった口癖を逆輸入して、このごろときどきわたしもつぶやいてみる。

「カミサマ ゴメンナサイ」

Akahata01  
わたしだって、変わる。
この春は、芽も出すよ。

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