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2021年9月の投稿

2021年9月28日 (火)

くまがや日記(17)

9月∈日 
 東京での仕事に向かう。
 熊谷駅の売店のガラス戸に写る、湘南新宿ライン(高崎線)の車窓に写る自分の姿になんとはなしに違和感をおぼえながら、その感覚がどこからくるものなのか、わからないままでいる。
 新宿駅に近づき、立ち上がろうとしたときだ。
Vネック!」
 この日は気温が高く、わたしは黒い袖なしのブラウスに白いレースのタイトスカートを合わせている。黒カーディガンを肩羽織りにしているのはいいとして、そうだ、違和感の原因はVネック。
 丸顔であるせいかVネックが似合わず、丸首を通してきた。
 それがどうしたことか、この日Vネックを着ているのである。
 朝、寝ぼけてブラウスをうしろ前に着たものらしい。どちらが前でもかまわないデザインだが、わたしはVをうしろ側にして着なければならない。
 新宿駅で洗面所の個室に飛びこみ、着直す。
 一瞬にして違和感は消え去った。

9月∈日
 このところ、夜なべ仕事がつづいている。
 熊谷の夜は深く、真っ黒だ。
 深みにはまり、黒く沈むひとりきりのこの時間は、外から流れこむものを遮(さえぎ)る。もしかしたら、もっともわたしに必要なひとときであるのかもしれない。
 とっとと仕事を進めればいいのだが、夜に誘われて、気が揺らぐ。
 ことばを手に入れたいと焦りながらも、わざとゆっくりハーブティーを淹れたりしているうち、夜は更けてゆく。

9月∈日
 庭をデザインする仕事をしているササキさんがバイクでやってきてくれた。
 待っていました、ササキさん。
 自作の天然酵母のパンと、これまた自作の味噌をお土産にいただく。このひとの佇まいは……、不死身の魔法使いだ。
 この日はこれから庭を、畑をどうしてゆくかを相談することになっていたのだが、庭を眺めるなり、茂みのなかからスズメバチの巣をみつけ出したのにはおどろく。
 わたしよりスズメバチたちがおどろいたのにはちがいないが。
 殺虫剤を噴霧し、着火ライターを使って火を点けて、その即席火炎放射器で巣を焼く様子は、さながらファイヤーショーだ。スズメバチたちは、なぜだろう、はじめからから戦意を失っており、あっけなく落ちてゆく。
 熊谷に住むようになってから、ヒト以外の生物との折り合いについて考える機会がふえている。
 スズメバチに向かっても、すまない気持ちになるのだった。せめて、ここに生前の様子をとどめておこう。
 巣の立派なこと。蜂たちの勤勉。

9月∈日
 市役所に出かける。
 ほんとうは市役所への用事はおまけであり、本筋は、市役所近くの古い中華料理店での昼ごはんである。
「天津丼をお願いします」
 天津丼を外で注文するというのは、人生初のことだ。
 いつか食べてみたいと思うのに、結局五目焼きそば、麻婆豆腐、レバニラ炒めを頼んでしまうわたしだ。夏は冷やし中華ね。ラーメンはいわゆるラーメン店で食べることにしているから、頼まない。
 盆の上に天津丼、わかめとねぎの味噌汁、漬物がならんでいる。600円也。
 ふわふわでなく、とろみもついていないし、ご飯の上に山吹色の座布団がのっているような見かけなのだが、そこに滋味がある。人生初の注文として、忘れがたい天津丼となる。
「おいしゅうございました」
「そりゃよかった」と白髪頭の親父さんが云い、夫人が「うれしいわねえ」と笑った。
 ああ、この店やっぱり好きだ。

Photo_20210928074501
いま、いちばんしたいのは、
手紙書きです。

父の絵でつくった
絵はがき(1985年/城ヶ崎海岸)で、
ことばが届けられますように。

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2021年9月21日 (火)

くまがや日記(16)

9月◆日 
 朝、洗濯ものを干そうと裏口を出たところで、足がとまる。
 数歩先に小さなカエルが佇んでいたのである。こちらはいつも通りの下駄履きで、カラコロと音をたてているのだが、カエルは薄鈍色(うすにびいろ)の背中を見せたまま動かないでいる。
 下駄を爪先立てて、音が鳴らぬようにして干し場に進むと、その横顔が見えた。
 アオガエルだろうか。
 まわりに合わせて(たぶん)青の色味を消し去っているせいで、その横顔には憂いの影がさしている。
 洗濯ものを干すあいだ、カエルは動かなかった。

 これまでも幾度となく他人(ひと)の憂いに接してきた。
 カエルが何を憂いているのか察することさえできないけれど、友人知人のかなしみを見守るのと同じやり方で、静かに自分の仕事をこなすこととする。

「あと1時間もすれば、アナタの悩みは消えているんじゃないかな。そうなるといいね」
(ヒトの場合には「3日もすれば」と念ずるところを、1時間もすればとやってみたのである)

 2度めの洗濯を終えて、ふたたび裏の干し場に出たとき、カエルはもうそこにはいなかった。

9月◆日
 東京都のある中学校に出かける。
 1時間目の道徳の授業を見学ののち、体育館で短いはなしをすることになっている。
 目の前に坐る制服姿の中学生たちは、かわいらしくもあるけれど、ぐっと大人に近づいているようでもある。彼らの4倍ほどの年齢となっているわたし……、本物の大人とはとても云えないように思えてきて、いきなり緊張す。
 本物とは云えなくても、一応大人であることをよすがに「ひとの喜びを、喜ぶ」というはなしをする。うらやましさが、時に妬み嫉みに転じて苦しむこともあるけれど、とにかくまずは「よかったね」と云おう。
 かたちから入るということ。
 そんなことをつづけるうち、ポイントがたまって、自分にも喜びが訪れる、と話すと、生徒さんたちの顔にささーっと光が差した、笑顔である。

「ひとの喜びを、喜ぶ」は、わたしが子育てのいちばんのめあてだった。

9月◆日
 図書館は、わたしの仕事の支えだ。
 熊谷市に転居して、もっとも気がかりだったのが、図書館との縁(えにし)。駅向こうの熊谷市立図書館に何度か通い、だんだんに馴染んできた。ことに駐輪場のおじさんの親身なことと云ったら……。
 きょうは小さな通用口から入館する方法をおそわる。
「ここからも入れますよ。いっていらっしゃい」

 予約しておいた本5冊が、ひとつのカゴのなかでわたしを待っていてくれた。

9月◆日
 柿が庭と、裏庭とになっている。
 無類の柿好きなので、実が視界に入るたびにわたしのこころははずむ。カラスやらムクドリ(?)やらもつつきにくるが、まあ、どうぞ。
「合戦」はいたしません。

Photo_20210921095301
ポストの足元の彼岸花
咲きました咲きました。

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2021年9月14日 (火)

くまがや日記(15)

9月◇日 
 きびしい教官のもと韓国語の勉強をはじめて、10日。
 脂汗と冷や汗をかきながら、必死で文字の組立てと発音をおぼえている。
「ケンチャナヨ?(だいじょうぶですか?)」と云えれば、「괜찮아요」を読んだり書いたりできなくてもいいのじゃないかと思いかけるのだけれども、ハングル(文字)がまったくわからないのは、ABCを知らずに英語を学ぶのと同じだと、そのたび自分に云って聞かせている。
 教官の指差す文字を発音しようとするが、おぼえのわるいことと云ったら。 昔から、過去の出来事や情景、ひとの発したことばなんかは細細おぼえているくせに、暗記モノがからきしだめだ。
 しかし、おもしろいことに気がついた。
 前の日練習してはかばかしい成果があげられない読み・書きを、1日おいて読んで(書いて)みると、すらっと読めたりする。
「ひと晩寝ると、脳に植えつけられるみたいよ。だから、試験前の徹夜勉強はよくないと、云われています」
 と、教官。

9月◇日
 きびしい教官こと三女の栞の、新型コロナウィルス感染症対策としての待機期間が明けた。
 いちばん最初にしたことは、ふたり散歩である。
 熊谷駅まで徒(かち)で行き来する。近道を選べば片道40分だと夫は云うが、「散歩にふさわしい道」「行きと帰りと異なる道」を選び選び進む。ならんでいると、横を歩く相手が、あるまとまった経験を経た存在であることが伝わってくる。
「思いきって韓国へ行ってよかったね。勇敢でした」
「あはは、それはオンマ(わたしです)もでしょ。思いきって移住を決め、実行してよかったね。勇敢でした」

9月◇日
 熊谷市の北部にあたる籠原(かごはら)まで夫運転の車に乗せてもらい、家まで栞と歩いて帰ることとする。
 午後3時スタート。
 夫に行きの車のなかから、ここを曲がると、歩きやすい道に出て、そこをまっすぐ歩けばあなたのわかる場所に出るからさ、と目印をおしえられていたのだが、はなしに夢中になっていて、目印を見落とした。
 歩きやすいどころか、トラックがびゅんびゅん通る国道17号バイパスの脇を行く羽目に陥り、やっとののどかな道に入ることができたときには、迷子になっていた。迷子もまたたのし、とゆきたいところだけれども、このあたりは東京とはちがう。黄昏れ、夜の幕が引かれはじめれば、足元もおぼつかなくなるだろう。
 明るいうちに、とこころを決めて南東に向かって歩く。
 家に帰り着いたとき、午後5時半をまわっていた(計画では1時間ほどの散歩のつもりが)。

9月◇日
 東京で小学校の校長をしている友人から、メール。
「完全巣ごもりの夏が終わり、2学期はじまりから感染者への対応に明け暮れています」
 という書きだし。
 友人自慢になるけれど、世のなかの「校長」がみんな彼女・コザクラせんせい(仮名)のようであったなら、学校に通う児童、教職員はしあわせだろうなあと常常思わされている。驚くような出来事を、あわてず騒がず解決してゆく姿に接するたび、ぽかんとする。おもしろがっているようにさえ見えるから、ぽかんなのである。尊敬のポカンである。
 いかにコザクラせんせいが優秀でも、新型コロナ感染症にはどんなに苦しめられていることだろう。相手が目には見えない上、その受けとめ方、恐ろしがり方がひとによって異なるからだ。

 この困難な時代を生きる子どもたち、我慢ばかりの毎日を生き抜いてくれて……、ありがとう。いつか、この時代に育ったひとたちには力があると、讃えたい。
 子どもを守り導く大人たち、学校の教職員の皆さん、日夜ほんとうにありがとうございます。

 コザクラせんせいからのメールの結びはこうだ。
「私は変わりなく元気です。もう一息頑張ります。近況のご報告まで」

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熊谷の家の門から
歩いて77歩(下駄履きで、からんころんと)先に、
ちっちゃいけれど頼りになるポストがあります。
その足元に彼岸花の赤ちゃんみっけ。

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2021年9月 7日 (火)

くまがや日記(14)

8月☆日
 韓国の語学留学からもどった三女栞が、家のなかで新型コロナウイルス感染症対策としての隔離(厚生労働省によると「待機」)生活を送っている。
 韓国を旅立つときにPCR検査を受け、日本到着後も成田空港で同検査を受けて、いずれも「陰性」の結果だったから、迎える夫とわたしよりも保証されているようにも思われるが、決まりは決まりだ。
 常にスマートフォンによって位置情報が確認されている上、ときどきAIから連絡があり、自らがひとりで居る状況を写してみせる約束だ。
 なんとはなしにわたしも緊張し、家に居る。

 栞をせんせいに、韓国語(ハングル)を勉強。
 基本的な母音子音の成り立ちがわかった。これまで記号のように見えていたハングルが、親しくもうつくしくも感じられる。
 その昔、出版社に勤めていた時代に、うしろの席のベテラン編集者のWさんがハングルを学んでいた。勉強の気配、隣国に対する敬意は日ごと背後から伝わり、わたしに影響を与えていたような気がする。ひとはいくつになってもあたらしいことを学ぶことができるのだ、と。
 先輩Wさんはその後定年を待たずに退職し、韓国に行ったのだ。60歳代半ばの転身である。
 わたしにもことばを覚えて話したいひとがいる、ことばを覚えて読みたい本がある。……勉強、勉強。

 韓国ドラマ「ミセン」(未生/미생)を観る。
 鼻の前に「ミセン」をぶら下げて仕事をし、ここまでと決めた分を仕上げてから、栞とともにテレビの前に坐る。このドラマは日本版もつくられているが、大好きなイ・ソンミンを観るのが、わたしのたのしみなのだ。
 韓国の大手総合商社を舞台に繰り広げられる、恋愛なし、記憶喪失なしのドラマだった。全20話。韓国人の友人にすすめられたのだったが、ありがたいことに脳がちょっぴり元気になる。

8月☆日
 やわらかいタッチのパンダの絵はがきが届く。
「突然のハガキ失礼いたします。『札幌パンダ』の妹です」
 という書きだしで、「札幌パンダ」さんが7月のおしまいの日、病気で旅立たれたことが記されていた。札幌パンダさんは、わたしが主催するエッセイ講座のお仲間で、20208月に入会、思えば1年間の縁(えにし)である。
 入院先から作品を送ってくださることもあったが、病状については触れず、さいごまで変わらぬやりとりをつづけてきた。なかでも、ペンネームをつける際には、札幌東京間を何度もはがきが往復し、「札幌パンダ」という筆名が生まれたのだった。
 短いものをたくさん綴ることにしたらどうかな、と作品に添えてもどしたのは7月の半ばのことだった。
 この世での目文字はかなわなかったけれど、いつかきっと会えるだろう。 
 7月にホームページにて公開した作品を、ここに——。

***** 

うまい!  札幌パンダ(サッポロ・パンダ)

 若い時代が過ぎ去ったと感じたのは、病気になったからだろうかとふと思ったが、それはちがう、と感じた。
 病気にならなくても過ぎ去ったのだ。
 絵を描いたり。草花、野菜を育てたり。そのほか、いろいろの興味が湧いてくる。
 昨年、種からほうれん草を植えて育てた。
「うまい!」
 この濃い味は何なんだ。
 トマトもすずなりにできた。
 たのしみは、たくさん。
 人生はまだまだ、知らないことばかりだ。

2021年6

*****

8月☆日
 東京に出かけ、家にもどるとき、ふと畑のあぜ道を歩こうと思いつき、足を踏み入れる。靴は汚れるのだが、あぜ道はやさしい。あぜ道は足先からわたしに「よく来たよく来た」と伝えてくれているようで、わたしはかまわず、エナメルの靴でゆく。
 ブルーベリー畑にさしかかる草むらの上に、白いものが見えた。
「あ、真珠」
 2週間前に落とした、わたしのピアスだった。
 誰かが置いたように落ちていた。もしかしたら……と思う。もしかしたらアリたちが、お祭りか何かに使い、それが終わったので返してくれたのではないか。
 身をかがめてピアスを拾い、わたしはそこらの草むらに向かって云う。
「ありがとう、ありがとう」

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摘みとったプルーベリーと
記念撮影。

帰ってきたピアスです。

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