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2021年10月の投稿

2021年10月26日 (火)

くまがや日記(21)

10月△日
 寒くなってきた。
 わくわくする。年年、冬が好きになってゆき、かつてそうでなかった時代からすると、夢のようだ。子どものころ、あまり冬が好きでなかった。
「毛糸のパンツを穿きなさい」と云う母に追いかけまわされた記憶。オーバーコートを着たくなくて子ども部屋に(オーバーコートを)隠した記憶。早くあたたかくならないかあと、そればかり思いつづけていた記憶……。冬に申しわけなかった。
 この歳になってやっとのことで、この星(地球)のこの区分け(日本)、この地域(埼玉県熊谷市)を1年を通じて愛するという意味で、感覚の四隅が整ったということとしよう。うん、そうだ。ずいぶん時間がかかったけれども。
 土間でガスストーブ、灯油ストーブを焚いてみる。
 大工のテバカさんが、どこかの現場から新品をもらってきてくれたガスストーブと、長くわたしたちとともにあった灯油ストーブと。両者ははじめ、睨(にら)み合っていたのだが、15分もすると、するりとこの場の住民となってみせた。
 5本指のハイソックスを求めてきて、わたしはそれを穿く。そうして下駄。

10月△日
 若いひとと話すときの注意点。
 娘たちも同じだ。
 決して云わないと決めていることがある。

「で、あなたは何をしたいの?」

 夢を語る後輩に、将来を悩む後輩に、「で、あなたは何をしたいの?」は禁句。
 それをみつけたいと思っている後輩たち、若いひとたちには、「したいこと、するべきことはやがて、あなたのところに訪ねてくるよ」と伝えたい。
 人生劇場の登場人物には、恋愛、学び、たのしみとの出合いが待っている。たとえば恋愛なんかは「やらかしちまったー!」という体験も含まれるわけだが(いつかこの「やらかしちまった!」の価値について書きます)、それらは、自分で選びとってゆくものだ。
 が、したいこと、するべきこと=仕事や役目は、「そのとき」の自分めがけて訪ねてくる。だから、「自分の天職はなんだろう」なんて考えず、「で、あなたは何をしたいの?」なんてことには答えず、いまできることをすればいい。
 と、これは、この日会った若きひとに伝えることができた。
「だからいまのいま、訪ねてきた仕事、役目は断らないほうがいいよ」

10月△日
 ポストカードをつくる。
 たくさん溜まっているわたしの描いた挿絵のなかから、12枚を選び、それを友だちのりーちゃん(くまがや日記No.20に登場の)がデザインし、りーちゃん夫妻経営の印刷会社で「刷って」もらった。
 ポストカードをつくることは長年の夢だった。
 りーちゃんとのやりとりのなか、それを生みだしたかった。そんなことを40歳のころから云っていたのだが、そうならなかった。しかし、かなったなあ。

10月△日
 二女梢の誕生日。
 3人娘とわたしと、4人で誕生日鍋の会を開く。
 牛肉あり、豚肉あり、もつあり、野菜いっぱいの鍋の会だ。
「おめでとうおめでとう」と云いながら、口口に愚痴ばなしがはじまる。このメンバーでしかできない愚痴の発表会だ。
 おめでとうの梢が、いちばんの聞き役になっているのがおもしろい。
 そういえば、このひとの姉、妹、そしてわたしも、梢に「聞いてもらって」気をおさめる場面が少なくなかった。
「聞いて聞いて。仕事でとんでもなく欲張りおばさんに会ってさ」
「聞いて聞いて。自慢話を3時間も聞かされたー」
「聞いて聞いて。なんか忙しくて、日常がぐしゃぐしゃしてるー。落ち着かないー」
 梢、水餃子のお尻に噛みつきながら、云う。
「あはは、そういう星めぐりなんじゃないかな、いま」

 おしまい。

Photo_20211026111601  
ポストカードを袋詰め(内職)する
ふみこ……。
近く、お求めいただけるルートをお知らせします。
どうかよろしくお願い申し上げます。

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2021年10月19日 (火)

くまがや日記(20)

10月□日
 友だち夫妻来訪。
 ゆっくり会って話すのは、10年ぶりだ。
 印刷会社を経営しているふたりは、長年わたしの名刺、挨拶状年賀状を印刷してくれているから、無沙汰というわけではない。
 この10年のあいだには、夫人のりーちゃんの病気があった。
 入院ちゅう、「わたし、病院が好きなんだよね。手術室では、テレビや映画で観る無影灯や、メスがならんでるところとか、自分の目で観たいから麻酔待って、と云って、ドクターに笑われた」というメールがきたとき、どうしたら応援できるだろうかと焦っていたわたしは、ぺしゃんこになる。気丈で、おもしろがりのりーちゃんに、むしろ応援されて、ぐしゃ、と音を立ててわたしの肝がいったん潰(つぶ)れたのだった。
 
 ……まいりました。

 その後、抗がん剤治療の影響で髪が抜けたときも、りーちゃんはつるつる頭の写真(「ドラゴンボール」の亀仙人のメイクをしていた)を送ってきたが、そのときは、もう平気だった。あはは、あはは、と笑う。
 りーちゃんは、きょう、金髪モヒカン、かっこいい杖をついてあらわれた。
 めまいがあるから杖を頼りにしてもいるのだが、ちょっとあやしい。あれはアクセサリーじゃないのか、あれはイヤな奴に膝カックンするための道具じゃないのか。
 りーちゃんが歩くと、行き交うひとはたいていふり返る。杖があってもなくても、金髪のモヒカンであろうとなかろうと、昔からそうだった。

 ……まいりました。

10月□日
 ユウナとモエ来訪。
 このふたりは、説明を求められるなら、「夫の前の結婚のときに生まれた娘たち」である。ちっちゃいころから、わたしもよく知っていて、仲よくしてもらっている。
 戸籍上わたしは3人娘を持っていることになっているけれども、ほんとうは7人娘を持っている。ユウナとモエ。それからわたしの前夫のところのサクラとマキ。
 ……と、梓、梢、栞、を合わせた7人が、いつもわたしのなかに棲んでいる。

 散歩しながら、ユウナが云う。
「背中が痛いの。整体にも通っているんだけど、なかなか痛みがとれないの。それから……」
「わたしが通っている整体のせんせいのところにも、行って診てもらっておいで。治療費おごるからさ。ね。ね」
 福祉作業所で仕事をしているユウナの日常的な姿勢は、首、背中、腰に負担をかけるのだろう。痛いと聞かされるとせつなくなるが、そんな感傷は邪魔なだけだから退場してもらい、おせっかいを焼くのにかぎる。
 小川町(おがわまち/埼玉県比企郡)まで出かけ、おいしいカレーを食べながらモエが云う。
「お父(おとう)が怒るのをみたことないな。オカアチャンもあんまり怒らないけど、まあ、ときどき叱られたかな。ふんちゃんはさ……」「ふんちゃんは?」
(わたしはときどき怒ってあばれたり、ヒステリー起こすからなあ)
「ふんちゃんはさ、子ども以上にはしゃいで、遊ぶひと」
「え」

10月□日
 友だちの故郷(北海道の芽室町)からじゃがいもが届く。
 これまでどのくらい美味しいじゃがいもを食べさせてもらってきたことか、と思うなかでも、このたびのじゃがいもは格別。じゃがいもと呼び捨てにすることも憚(はばか)られて、「おじゃがさん」と云う。
 おじゃがさんはコロッケになり、ポタージュになり、ポテトサラダになったが、皮はすべて揚げてチップスにした。おじゃがさんは皮まで美味しいのだ。
 おじゃがさんを送ってくれた友人、リラ(仮名)ちゃんには、ことし悲しい出来事があった。
 リラちゃんの、乗り越える力を信じていたが、それでも何かせずにはいられなくて、毎日、湯船に浸かりながら声に出して祈っている。
「リラちゃんを守っていただいてありがとうございます」
 カミサマを脅すような祈り方である。
 ときどきわたしが家人たちに向かって「食器を洗ってくれてありがとう」という云い方で、後片づけを促すのにも似て、気は引けるが、「お守りください」では足りない気がして。
 これを聞き届けるカミサマ、どうか気をわるくしないでください。
「リラちゃんを守っていただいてありがとうございます」

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ほら、これが、
じゃがさんの皮チップスです。

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2021年10月12日 (火)

くまがや日記(19)

10月★日
 熊谷に引越してきて初めて聞いたことばがある。
「うなう」
 最近、夫はちょっと時間をみつけては「うなう」という呪文を残して出かけてゆく。
「□□の田んぼをうなってくる」
 トラクター(耕運機)のエンジンをかけ、ブブブブブと出かけてゆく。
 野良着に着替え、首に手ぬぐいを巻きつけて。
 うちの田んぼは、この2年間米づくりを休んでいる。1年目は両親の介護のため、2年目はコロナ禍でほうぼうからの応援を呼べなかったため、と夫は説明している。
 それを「然(さ)もありなん」と聞いていたのだが、夫のこころはそれではおさまっていなかった。
 よその田んぼに青青と稲が育つのを……、稲が根と葉をのばしてゆくのを……、とうとうもみのなかで実が育って穂が垂れてゆくのを……見ては、うらやましそうにしている。
 せめて耕作を休んでいる田んぼが草ぼうぼうにならぬよう、トラクターで出かけて行って、うなう=耕して雑草を除くのだ。田畑を預かる誇りにつながっているのだと思う。
 荒れた田畑は恥ずかしいという思いが、わたしにも少しわかるようになった。

 恥ずかしいといえば、夫が農作業に出かけるときのあれは、ちょっと恥ずかしい。ダンガリーのシャツの袖に、ときどき、花模様のアームカヴァをつけるのだ。はは愛用のアームカヴァ。
 ちがうものを縫うか、どこかで探そうと思うのだが、なんとなくははの腕が動いているようで、なつかしく、そのままにしている。
 来年は米も麦も(二毛作)つくるそうだ。

 10月★日
 コイドさんのお宅にお呼ばれ。
 この家の改築の設計と工事責任者の、コイドさんである。
 久しぶりのお呼ばれだが、スカートではあるまい。だってね、クマやら、シカやら、イノシシやらの肉を食べさせてくれるというのだから。白いオーバーオールを選んで出かける。
 神川(かみかわ)町までうちからクルマで1時間10分かかることがわかった。毎日これだけ時間をかけて自分で運転し、うちまでやってきてくださっていたのだなあ。
 コイドさんのお友だちが仕留めたというクマの燻製はくせもなく、おいしかった。食べながら、もしもどこかでクマに出くわしたら、こう云おうか。
「わたしはさ、クマを食べたことがあるんだぞー。アナタのことも、食べちゃうぞー」
 しかし、こういうときわたしは強気になりきれない。
 つい申しわけないような気持ちになって、叫んでしまいそうだ。
「こんどはわたしを食べますかー?」
 コイドさんとはあまりはなしができなかったけれど、家に集っていた3歳から6歳までの女の子4人、男の子2人、計6人と遊ぶ。近くの広場に連れてゆき、走ったり、ころがったり、竹とんぼを飛ばしたりする。
 ターザンロープにも挑戦。
 いちばん年上の6歳男子ヤマチャンが、挑戦をしぶっている。
「あのね、前にね、落ちちゃったことがあるの」
 なるほど、そのとき恐ろしい目に遭ったのね。
 でも、きょう克服できたなら、ずいぶんいいのじゃないかな。
 こういうとき、無理強いはだめだ(したくなるけど)。
 ちょっとでもその気になるのを待たなくては。
「やろうかな」
 ヤマチャンがターザンロープのロープを握りしめ、わたしの顔を見上げる。
 ターザンロープのスタート台に、ふたりきりだ。
「やる?」
「やめておく」
 こんなことを3回くり返したあと、好機到来。
 こういうのは風が運んでくるのかな。耳をすますと羽音が聞こえる。天使の……羽根のパタパタ、パタ。
「ロープのこぶに足をからめて。ロープから手をはなさない」
「うん」
 そっと背中を押す。
「もう一度やっとこう。そすりゃ、もう二度と落ちないからさ」
 少しつよめに背中を……。

 コイドさん、クマも、ピザ窯のピッツァ(とくにチーズだけで焼いて、生ハムとわさび菜をのせた)もおいしかったけど、ターザンロープがいちばん泣けた、きょう。

 帰り道、梨の直売所に寄って、ことしさいごの梨を買う。
 梨は神川町の名産のひとつである。

10月★日
 自転車で行けるところに、花屋さん発見。
 ちょっと不思議な店の扉をあけてみよう……。

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家のなかで、この方に逢いました。
軍手をはめて、そっとつまみ、
外に逃がしました。
この時期、この方がたは凶暴ですから。

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2021年10月 5日 (火)

くまがや日記(18)

9月∵日
 午後4時過ぎ、散歩に出かける。

 東京に住んでいた頃には、晩ごはんも片づけも済んだ夜、どうかすると午後9時ごろになって散歩に出かけたものだったけれど、ここ埼玉県北の田園地帯でそれはできない。
 門の外には、いくつかの街灯が頼りなく灯っているだけだし、何よりも、外をふらふら歩いているひとなど、いないのだ。
 夏のころ、夜8時ごろ「ちょっと」と思ってひとりで門を出て、そこらをひとめぐりしたときのことだ。
 この地域は夜のひとり歩きには不向きだということを思い知って、家の近くまでたどり着いたところで、ひとりの青年とゆきあった。
 あちらは運動のため走っていて休憩しようと足を止めようとしたという佇まいである。首からタオルをかけた運動の拵(こしら)えで、街灯の光のなかに浮かんだ。
「ひっ」とからだが竦(すく)む。
 あちらさんも同じで、お互い驚きの顔を見合わせたのだ。

 それで、散歩は夕方だ。
 散歩にふさわしい道を、北に向かって30分歩き、そうしてもどる。
 夕焼けを褒めているのか、翼をひろげて飛ぶ白い鳥がガラガラ声で鳴いて、わたしを驚かす。

9月∵日
 三女が韓国留学からもどって、わたしの机まわりで勉強をしたり、仕事らしきことをしたり……。
 ときどき、するどい指摘がとんでくる。
「オンマ(わたしである)はさ、メールや電話であやまり過ぎる」
 これが本日の指摘。
「そうか、とにかくわたしって落ち度が多いから、あやまり癖がついてるかもしれないね……。遅くなってごめんなさいだの、選択に手間取り申しわけありませんだの。あやまり過ぎはだめか」
「うん。あやまられると、それほどのことでない事柄でも、相手はあやまられたと認識するでしょう? すると関係がでこぼこしてくるのよ。あなたは悪い、自分は悪くない、みたいなさ。あやまるよりも、ありがとうって云うほうが、ふさわしい場面も少なくないかも」

10月∵日
 熊谷の家を訪ねてくれるひとたちのなかには、ひと桁(けた)年齢の友人もある。
 8月にひとり、9月にひとり、そうして10月のはじめにひとり。
 偶然にも、3人が3人とも小学校2年生であった。
 女の子がひとり、男の子がふたりだったけれども、小学2年生たちは皆魅力的で、自分の足で歩くので精一杯だった自分の小学2年生時代をふり返って、目を見張らずにはいられない。
 考えてみれば、コロナ禍のなか学校にあがって、ほとんど不都合のなかで過ごしている子どもたちだ。
 あれもできない、これもできない、それも……この程度でやめておこうという、そんな連続なのではないか。そんななかでも、子どもたちは子ども時代を生きている。
 子どもたちの近くの大人は、家族も、学校のせんせい方も、子どもを守るため日日張り詰めでいるのだし、子どもから距離のある大人は、子どもたちを甘やかしちゃえ。……と思ったりする。

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これは、ひと桁年齢の友だちのひとり、
ちかちゃんが描いて送ってくれた
ブルーベリーの実の絵です。

「……天才だわ」
と思いました。

また遊びにきてくれるかなあ。

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