日記(2022年4月)
4月◯日
「……疲れた」
あ、また云った。
口から「疲れた」ということばが出ることがある。こう云っておけば気がすむのか。どういうふうに、何の気がすむのかわからないけれども。
あまり疲れないが、わたしはときどき眠たくなる。睡眠時間があまり長くない、ということもあって、電池が切れたようになって、昼間でもとつぜんちょっぴり眠ったりする。こういうときは「……疲れた」は出ない。
「ちょっと眠ります」
と云って、ほんとうにちょっと眠るだけだ。
「……疲れた」は、たぶん場面転換の合図なのだ。
合図であるにせよ、「疲れた」と口で云うだけで、自分もその気になるのではないか。それは困る。せっかく疲れにくく、眠たくなるだけだというのにさ。
「何もかもうまくゆく」
とか云ってみよう。
4月◯日
畑の際の梅の木に、実がたくさんなっている。
昨年5月にここに越してきたとき、目を逸らそうとした光景だ。
「あ、なってる」
と気がついたけれども、なにしろそのときは台所なし、浴室なし、洗濯機なしの生活だったし、梅の実をどうかするなんて、とても無理だと思ったからだ。
だが、生きて育っているものを無視することは、もっと無理だった。長女と小梅と大きいのを摘みとって、自分たちで梅干し、梅酒、梅シロップを漬けに漬けたりしたのだった。切羽詰まったしごとが功を奏したものか、昨年の梅干しはうまくできた。
4月◯日
あたらしい冷凍冷蔵庫がやってきた。
冷凍部分の働きがあやしくなってきたのはことしの3月だったけれども、15年一緒にやってきた相棒だったから、じたばたする。久しぶりに取扱説明書を出してきて、不具合解消に挑むけれども、かなわず。
結局あたらしいのを求めることとなったのだ。
もとの冷凍冷蔵庫からすっかり食品を出したとき、決して食べることはないだろうと思われるいくつかのもモノと対面することとなる。
すぐ処分するわけにはゆかないから、凍らせて、あるいは冷やして時間稼ぎをさせられているモノたち。
4月◯日
あたらしい冷凍冷蔵庫の取扱説明書の別冊「クラウドサービスガイド」というのを見ながら(片手にスマートフォンを持っている)操作をすすめてゆくと……、冷蔵庫との会話が実現。
「きょうの天気は?」
と尋ねる。
「晴れときどき曇りです。降水確率は10パーセント」
と、これは冷蔵庫。
いつか煩わしく感じるようになるかもしれないけれど、こういうことに慣れておきたいという気持ちをわたしは持っているらしい。……らしいという表現は奇妙だが、実際、慣れておきたいという気持ちとわたしとのあいだには距離がある。
いったいどんな未来が待ち受けているのだか。
そう思いながらも、未来の有りようをないがしろにはできないと感じているのだ。
「遅くまでお疲れさま。おやすみなさい。きっといい夢を見られますよ」
冷蔵庫に云われて、どきどきする。
「おやすみ」
梅の実がなりました。
〈公式HP〉
https://www.fumimushi.com/
〈公式ブログ〉
http://fumimushi.cocolog-nifty.com/fumimushi/
〈公式Instagram〉
https://instagram.com/y_fumimushi
最近のコメント