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2022年5月の投稿

2022年5月31日 (火)

日記(2022年5月)

5月☆日
 雑誌社から「これからの夢、目標」なる企画が持ちこまれる。
 ほかにも、同じ問いに応えるひとがあるそうだし、200字ほど書けばいいというので、「合点承知」とばかりに引き受けた。
 ……、さあ書いてしまおうとして、どきりとする。
 これまで、夢や目標を自分で考えることをしてこなかったことに、あらためて気がついたからだ。いつも目の前に置かれたことを、受けとめ受けとめやってきた。
 いや、それがわたしの夢であり、目標なのだ。
「なりゆき」を生きる夢。
「なりゆき」を受けとめる目標。


5月☆日
「これ、ふんちゃんにあげる」と、義妹(いもうと)の重ちゃんから、小さな筒状のモノを手渡される。
 おお、なつかしい。
 父が愛用していた整髪料「丹頂チック」である。
「重ちゃん、結婚したばかりのころ、父に『丹頂チック』を買っておいて、と頼まれて、『丹頂チックって何?』って云ってたね」
「丹頂チックを買っておいて」と云った父も、「それ何?」とあわてる重ちゃんを見て可笑しそうにした母も弟も、この世にはいない。
 おそらくこれは、10 年近く前のチックである。
 よくとっておいてくれたなあ。
 キャップをとって、鼻に近づける。未使用ではあったが、確かにこれは父の匂いだ。


5月☆日
 東京で、久しぶりに叩きつけるような、滝のような雨を見た。
 ガラス張りの屋内から、眺める。
 号泣? 
 そんな雨を眺めながら、このところ泣いていないな、と思う。がまんしているわけではないけれど、泣かない。子どものころは、ときどき泣いたものだ。あーん、あーんと声を上げて。
 泣き下手になったのか。
 この日も先に雨に泣かれ、わたしは泣きそびれている。


5月☆日
 草取りをしたい。
 山と積まれた机仕事をまずは片づけなければならないから、鼻先に草取りをぶら下げる。
 机仕事をひととおり、すませたら、長靴を履き、麦わら帽子をかぶって庭の草取りをしよう。

「草取りには悩まされる」
「草取り、大変ですよ」

 すぐとこんなはなしになってゆくが、わたしは「そうですね」とは、云わない。云いたくない。
 むしろ「草が生えなかったら、大変だよ」と云いたい。

 草取りばかりじゃない。
 あらゆる「悩まされる」は愚痴であり、あらゆる「大変ですよ」は脅しである。
 草取りをするのは「あたりまえ」なんじゃないかと、わたしは思う。
 そうして、できないときは、あたりまえの顔をして庭に向かって「ごめんなさい」と云う。

5月☆日
 草取りのはなしのつづき。

「ヤカンニョウ」ということばが耳に入ってきた。
 テレビが云うのだ。
 見ると、画面に「夜間尿」と書いてある。
 夜間トイレに起きるのは大変だが、このクスリを飲めば起きずにすむということらしい。
 もよおしたら、夜間だって起き上がってトイレに行けばいい。わたしは、そうする。
 ただし……そうだ。
「夜中に行き合っても、挨拶は不要。こちらはぼんやりトイレに起きているのに、目が覚めてしまうからな」
 昔、父がわたしに云ったのだった。

Tancho
ほら、これですよ。
いま、これをひっつめヘアに使うそうですよ。

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2022年5月24日 (火)

ドテ人間

 この数日、気がつくと「かっちゃん」とありとあらゆるものに向かって、呼びかけている。

 517日、かっちゃんがとつぜん、出先で倒れて、死んだ。
 かっちゃんのお嫁の重ちゃんから電話で知らされたときからこれまで、わたしは気がつくと、「かっちゃん」「かっちゃん」とやっている。

 11か月と21日ちがいの弟。
 生まれてからわたしのほうが大きかったのは、かっちゃん満1歳の誕生日のころまでで、あとはずっとかっちゃんがでっかくて、わたしはいつも、妹扱いだった。

 いいんだ、それでも。

 子どものころは、いつも一しょだったが、大人になってからは無沙汰がつづいた。

 父と母を見送ったあと、日常的には連絡をとることもなく過ごしていたが、昨年のわたしの誕生日に、とつぜんメールが届いた。

 「お誕生日おめでとう!
 引き続きがんばってください!

 ね、ふんちゃん、ドテ人間おぼえてますか?」

 

 ……なんだ、ドテ人間って。
 いや、覚えている。
 

 子どものころ、いつもふたりで描いていた漫画の、彼がつくった主人公だ。パラパラ漫画も描いたなあ。ドテ人間と、わたしがつくったカンチ くんとがやりとりをする。
 頭の上に毛が1本(横になびいている)、出っ歯の風変わりなドテ人間……、あのキャラクターはかっちゃんのどのあたりから生まれたのだろう。

 両親に親孝行らしい親孝行をできなかったわたしは、「大人になったらぜったいにかっちゃんとは揉めない。けんかをしない」と誓ったのだった。それがわたしにできる親孝行だと思ったからだ。
 それを実現させるため、なるべく遠くから弟と、弟の家族を見守り、したいようにしてもらいたいと願っていたんだ、と云って、誰が信じてくれるだろう。

 いいんだ、信じてもらえなくても。

 これからは、ねえ、かっちゃん、お嫁の重ちゃんと甥のマークンを近くで守ります。

Photo_20220524080801
東京の暮らしがはじまって、1年目。
わたし5歳、弟4歳のころ。

Img_1387
うんたったラジオ06

夜の散歩、門をくぐる、お茶を淹れる。
そんなことをしながらの「葉書」について、おしゃべり。
https://open.spotify.com/episode/5iZnLlD2l9MIx7khDfKG4y




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2022年5月17日 (火)

100字随想 5月

アガサ・クリスティの『ナイルに死す』の新訳版をもとめる。中近東を旅する気持ちで一気に読んだ。「あの娘は愛しすぎている」「間違った星を追わないように」エルキュール・ポアロのこのことばが事件を解く鍵。(98字)

  *映画タイトル「ナイル殺人事件」が文庫本のカヴァに掲げられている。
  (アガサ・クリスティ作 黒原敏行訳/早川書房)


梅の木の茂みのなかに真紅の薔薇の花が咲いている。庭の裏の隅っこにはピンクの薔薇。亡きははがこっそり植えたのだ。「みつけたのね」ははは、まだまだあちらこちらに何かを隠しているはず。……みつけますよ。(98字)


庭に真っ赤ないちごがなっている。豊作だ。これでジャムをつくって、世界じゅうの子どもたちにひと匙ずつ舐めさせてあげられたらな。「これは魔法のジャムなのです。ひと舐めすれば、笑顔になって勇気が湧くのよ」(99字)


フィンランドの旅のはなしを聞いて、映画「かもめ食堂」が観たくなる。DVDラックからとり出して、ひとり上映会。そうそう、このひとにも会いたかった。憧れの片桐はいり。なんて姿勢がよく、かっこいいのだろ。(99字)


せんべいと文庫本を持って廊下でごろり。のつもりが、せんべいが見当たらない。たしかに手に持っていたはず。せんべいの足取りを逆にたどって探す。みつからず廊下にもどると、文庫本のあいだに2枚はさまっていた。(100字)


Ichigo
いちご!

Pt_flyer01
「パイナップル ツアーズ」
夫・代島治彦(だいしま・はるひこ)初めての製作した映画です。
しかも劇映画。
1992年に劇場公開されたこの映画(いまからちょうど30年前!)を、
わたしは大好きなのです。
沖縄への入口かなあ。
ここから、「沖縄」を考えるようになりました。
沖縄本土復帰50年を記念して、
デジタル・リマスター版にて全国で再上映がはじまりました。

「パイナップル ツアーズ」デジタルリマスター版公式HP
http://pineapple-tours.com/#modal

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2022年5月10日 (火)

闇雲道中

 5月8日。
 この日目覚めたとき、わたしはひとりだった。
 夫は沖縄に仕事で出かけ、ひと月半くっついて過ごしていた三女は再びカナダへと旅立ったからだ。

 そうしてまだ起き上がらず、日課の「数独」に挑みながら——これを解くなか、ゆっくり脳が立ち上がってゆく感覚が、好きなのだ——あ、と思う。
「1年たったのだな」

 そうだ。
 ここ熊谷の古い家に移り住んで、1年が過ぎたのだ。
 トイレがあるほか、水まわりとしては裏庭の水道が1本あるだけの、改築只中(ただなか)の家に住みはじめたのがこの日、5月8日だった。
 仕事をするのにも、家事をするのにも「集中」なんてことは云っていられなかった。かつて若かりし日の自分の暮らしを曲芸「皿まわし」にたとえたことがあったっけ。
 もの書きとしてデビューしたとき、こんなことを書いている。

 ときどきは、お皿を落として割ったり、いらいらしたり、勢いがなくなってあわてたり。でも元気でいれば、まあ、なんとかお皿はくるくるまわっている。そんなテンポが好きなのだ。
                         ——「皿まわしみたいな時間割」より

 そうだこの1年も、皿まわし一直線だった。
 毎日午前10時と午後3時にお茶を用意し、そのあいだにも「山本さん」「ふみこさん」と職人さんたちに呼ばれながら、よくも(仕事の)〆切を落とさないでいられたものだ。
 職人さんたちに礼を尽くすことを「いちばん」と思って暮らしていたから、何ということもなかった。しかしときどき眠る時間が極端に少なくなって、昼間、立ったまま眠っていたこともあったな。
 自分の仕事をするときも、昼間浴びるように受けとめている職人さんたちの仕事に触発されて、「わたしも職人として」なんて活を入れた。
 それがかたちを変えながらも、つづいたのである。

 150年超えの古い家が、あらたに何かを産もうとするのに立ち合うような日日だ。移り住む前から、なんとはなしに、しかしはっきりと自分を「この家の管理人」と位置づけるようになっていたわたしは、家の背をさすりながら(比喩であります)、傍にしゃがんでいる。

 ね、何を産むの?

 優秀なお産婆さん(これまた比喩であります)が入れ替わり立ち替わりやってくるものだから、わたしはいちいち目を丸くして、その仕事を眺め、あるときには請われるまま湯を沸かしたり、時を察して食べるものを準備したりする。

 古い家はまだ何かを産もうとして、呼吸をつづけている。

 ね、何を産むの?

 2年目がはじまった日、わたしはこれからの1年間もたのしみながらゆこうと思っていた。古い家は、あたらしいわたしも産んでくれているような気がしている。

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受粉したブルーベリーの雌しべ。
畑では新しい実が産まれようとしています。

Img_1363  
うんたったラジオ05

高崎のビジネスホテルにて。
出発の前に、準備をしながらおしゃべり。
今回は「期待」について。
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2022年5月 3日 (火)

「好きなようにやっていいよ」

 その日は東京で、3つの仕事をこなそうとしていた。
 電車に飛び乗っては乗り換え、地下鉄の長いエスカレータを上ったり下りたり、地上でも急ぎ足になる。
 こういうときは、案外アンテナがしっかり立っているらしく、おもしろそうな店や、街の空気、行き交う誰かさんのファッションをつぎつぎにキャッチしてゆく。

 新宿駅から山手線に乗りこみ、「これでつぎの仕事に間に合うな」と安堵する。
 ふと扉のほうに目をやると、若い男(ひと)が立っていた。18、9(歳)かな。背中を座席の枠にもたせかけて、窓から外を見ている。
 白いシャツにデニム。足元は革製のサンダルである。
 ん? スタンドカラーのシャツの襟元に何かがうねって見える。真珠のネックレスである。
 近年、アクセサリーをたのしむ男性がふえたなあと気がついてはいたけれど、若いひとの真珠のネックレスあしらいは初めてだ。ふーん。
(それはいいけど、キミ、お母さんのアコヤ真珠のネックレスをこっそり持ちだしたのじゃないだろうね)。
 真珠のネックレスがきれいだと思い、実際に首にかけて出かけるなんて、素敵だ。さりげなく、堂々としているところがまた、いい。男は真珠のネックレスをつけたりしない、と決めつけず、そのあたりを軽くまたいでいる。
 そういえば、最近わたしは葬祭のときのほか、真珠おネックレスをつけていないのだ。山手線の男の子を見習って、白シャツや黒シャツに合わせるとしよう。

「渋谷駅、変わったなあ」
 と思いながら、きょろきょろしていたときだ。
 前方から印象的な気配が近づいてくる。
 紫の紬の着ものをまとう、白髪をひっつめにした女性。半幅の帯をかなり低い位置に締めている。帯の色は黒。
「かっこよく見えるなら、それでよし」
 と、その女(ひと)の着物姿は語っている。
 かっこよさとともに、惹きつけられるが、楽そうなところだ。帯の結び目もぺったんこ(帰宅してから調べたら、「吉弥結び」)。こちらも、着ものの決まりごとを軽くまたいでいる感じだ。

 このところ、わたしは「窮屈」に陥っている。
 自ら「窮屈」を着こんで、これでよし、と思っている感じだ。
「窮屈」はある意味、無難へと導くやり方だからね。
 3人の娘に向かって、「好きなようにやっていいよ」と云い云い暮らしてきたはずなのに、自分にはそう云ってやらなかったのかもしれない。
 あらためて、云ってみる。

「好きなようにやっていいよ、ふんちゃん」

Fumiko20220503_20220503085401
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