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2022年6月の投稿

2022年6月28日 (火)

100字随想 6月



夜、田んぼに出る。稲の育ちは? 水の塩梅は? じっと佇んでいると蛙が合唱をはじめる。「地には稲、天には星」と歌うのだ。見上げれば、夜空に北斗七星。あれはさそり座? 赤く光るのはさそりの心臓アンタレスだ。(100字)


朝から原稿書き。3本書かなければならない。傍らにシークワーサー水を置き、ねじり鉢巻。締切が迫り呑気ではいられないけれど、「書く」よろこびが脳内にひろがる。門を開けないまま夕方になった。こんな日もある。(100字)


熊谷を起点に活動するPUBLIC DINER加賀崎勝弘さん来訪。「はじめまして」名刺の「勝」の字を見て、思わず「かっちゃん」と云う。先月逝った弟(勝一)を呼ぶように。「ぼくもかっちゃんと呼ばれています」(100字)


きゅうりの豊作とくれば「きゅうちゃん漬け」。鍋にしょうゆ、砂糖、味醂、酢と生姜のせん切りを入れて煮立てる。火を止めてきゅうりを漬ける。煮汁がさめたらきゅうりをとり出し、同じことをくり返す。好きな作業。(100字)

  *「きゅうちゃん漬け」材料
    きゅうり(厚さ5mmに切る)………1kg
    しょうゆ……………………………2カップ
    砂糖………………………………………250g
    味醂と酢………………………………各50cc
    生姜………………………………………3片
   (きゅうりを刻んだあと塩をふってさっと混ぜ、1015分おく。
    これをていねいにもみ、水を注ぐ。
    ざるに流し入れ、水気をきって、煮汁につける)。


熊谷市の暑さが報じられ、友人たちからお見舞いを受ける。ありがとう、ありがとう。ここには田畑をわたる風があり、古い家は木陰のようでもある。「熱中症注意」を浴び過ぎて、なんだかその気になってしまいそうだ。(100字)


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二女とともにきゅうり3kgを刻み、
「きゅうちゃん漬け」をこしらえました。
夏の自由研究第1弾です!

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2022年6月21日 (火)

大しゅうかーく!

 田植え。
 祭りを待つ気持ちで、その日を待つ。

 水入れ、代掻(しろか)きを経て、6反を2日がかりで植えた。
 東京の友人たちが名乗りを上げて手伝いにきてくれたのはうれしかった。そのなかに小学3年生がふたり——ひとりはチカチャン、ひとりはハルフミクン——混ざっていた。

 1日目の午後と、2日目の午前中に田植え機で、夫が苗を植える。このとき、田んぼの端で、田植え機に苗を積みこむのが〈7人娘〉のうちの上から3番めの萌である。長いこと、おじいちゃんの田植えを助けてきただけあって、手際がいい。
 おばあちゃんが残してくれたもんぺも似合っている。
 この姿を、おじいちゃんとおばあちゃんはどこかでこっそり眺めて、目を細めているのにちがいない。こちらからは見えないだけで。

 2日間のわたしの役目はごはんとお茶当番。
 田んぼから離れてのひとりのしごとはちょっと孤独だが、作業する人びとや、どこかで田植えを見守っている見えないひとたちのことが、しきりに思われる。
 おそらくこの日は、あの世とこの世の架け橋が、台所あたりに存在していたのだろうか、ちょっとにぎやか。にぎやか、と云っても面倒な気配はなく、泉のほとりに立っているような心持ちになっている。
 庭で1日目は7人、2日目は13人。そろって昼ごはん。

 そうして2日目の午後には、東京から助けにやってきてくれた友人たちの、大活躍がはじまる。祭りの山場。田植え機では植えられない田んぼの外側のぐるりを、手植えしてゆく場面だ。
 裸足で「ニュウ」と、田のなかに足をさしこむと、一瞬自分がヒトでなくなったような気持ちになる。ヒトでなければ何か、と問われても困るけれども、土の精に近づく感じだろうか。
 初めて「ニュウ」を経験するチカチャンとハルフミクンは、どうだったろうかと、台所で洗い物をしながら想像する。
 後片づけを終えて、田んぼに様子を見に行くと、すでに手植えは終わっていて、機械が植え損なった隙間をみつけて植える、最終的な段階にまですすんでいる。誰も彼もすっかり慣れて、あぜ道ばかりか田んぼのなかの歩き方もうまいこと。

 3時のお茶のあと、もうひと働き。
 畑の草取りだ。ここにはわたしも参加することができた。
 そこにじゃがいもが植わっているとはわからないほど、草がのびている。そこにチカチャンとハルフミクンとともに挑んでゆく。

「大しゅうかーく」
 と、ハルフミクン。しゅうかくというのは、雑草のことなのである。
「中しゅうかーく」
 と、こんどはチカチャン。

「小しゅうかーく」
「やばい根っこしゅうかーく!」

 田んぼでは、しきりに蛙が鳴いている。


***
2日目の昼ごはんにつくった「ドライカレー」のレシピを、ここに置いておきます。おいしいですよ。

ドライカレー(4−5人分/おかわりできます)
合挽肉(ナツメグを混ぜておく)………………500g
玉ねぎ(みじん切り)……………………………2個
人参(みじん切り)………………………………1本
しょうが(みじん切り)……………………大さじ2
にんにく(みじん切り)…………………………2片
ピーマン(みじん切り)…………………………4個
ベイリーフ…………………………………………2枚
カレー粉………………………………………大さじ4
ソース………………………………………大さじ2
サラダ油…………………………………………適宜
塩………………………………………………小さじ2
こしょう……………………………………………適宜
しょうゆ………………………………………小さじ2
ブイヨン…………………………………………2個
トマト(水煮缶/トマト4個でもよい)………1缶
ヨーグルト……………………………………1カップ
プロセスチーズ(ころころに切る)……………3枚
干しぶどう(みじん切り)…………………大さじ3

*野菜のみじん切り、粗くてかまわないのです。わたしはフードプロセッサーを使っています。

①鍋にサラダ油を熱し、ニンニクを炒める(弱めの中火)。
②玉ねぎ、にんじん、しょうがを加えて炒める(中火)。
③ピーマンを入れる。
④ここでちょっと強火にして、合挽肉を加えて炒める。
⑤中火にもどし、カレー粉の半量(大さじ2)、ソース、塩、こしょう、しょうゆを加える。
⑥ブイヨンとベイリーフを入れる。
⑦トマト、ヨーグルト、チーズを入れ、カレー粉の残り半量を加える。
⑧干しぶどうを加える。

*煮こむカレーではないので、にんじんやピーマンが苦手なひとにも食べてもらえるところが気に入っています。
*仕上げに生クリームか牛乳を少し加えると、味がまあるくなります。
*田植えの日、これを3単位こしらえました。残りはそれぞれお土産に。

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田植えの終わった田んぼを、
日に何度も見に行きたくなります。
蛙がうれしそうに、大合唱です。
わたしも歌っちゃおうかな。

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2022年6月14日 (火)

日記(2022年6月)

6月☆日
 東京で三鷹(二女の家)に泊まる。
 昨日朝から夜更けまで降っていた雨が上がり、カーテン越しに光を感じる。
 きょうはきょうとて、東京行脚(あんぎゃ)だ。

「いっていらっしゃい」
「行ってきまーす」

 玄関前の傘立てにさしたままにした傘を、開く。娘の家で、勝手に傘を干したりするのは憚(はばから)られて、昨夜はそのままにした。濡れた傘をさして歩く。

 晴れた朝、こうするのは濡れた傘を干すためだが、「日傘なんです」と胸のなかで云いわけ。
 その昔、子どものころ大人の日傘が好きでなかった。ちょっと恨んでいたかもしれない。家の窓、あるいは学校の教室窓から外を眺めて、傘が見えると、あ、雨と思う。

 これじゃあ、傘をさして行かなきゃならないな。
 これじゃあ、外で遊べないな。

 幼いわたしはすぐにそう決めこんだのだ。
 世のなかには……、いや大人の世界には日傘というものがあって、それは雨でなくてもさす傘だということを、知らなかった。
 母が折りたたみの日傘をさして歩くのを見たときは、度肝を抜かれた。
「雨、降ってないよ」
「ああ、これ。日傘なのよ。日が照っているとき、日よけにさすの。ふみこみたいに真っ黒に日焼けするのは、困るからね」
 ……そうだったのか。
 まぎらわしいなあ。雨かと思っちゃうじゃないか、とあのころのわたしは、そう考えた。

 三鷹駅から吉祥寺まで歩くうち、傘は乾いた。
 久しぶりに井の頭公園をひとまわり。

6月☆日
 門の前でへびに会う。
 シマヘビの子どもだ。
 家の前の道は狭いが、それでも車は通るから、轢かれたら大変。
「畑のほうにお入りよ」
 とみたび声をかけるが、一向に通じない。
 しかたがない。梅の枝を拾ってきて、へびをくるくるっとやる。枝にまきついたところを、そのままぽーんと畑に放る。これでよし。

6月☆日
 近所の公民館から「おはなしの会を」と頼まれて、出かける。
 公民館のウサミさんが「文章で気持ちを伝える」という題をつけてくれた。
 その題を見たとき、文章で他者(ひと)に気持ちを伝えることのほか、自分自身にも伝える、これが何より大事だと思わされる。
 ありがとう、ウサミさん。

 想像していたとおり、ひとは集まらなかった。7人。
 わたしは少しも困らないけれど、公民館が困らないといいな、と思う。
 集まった皆さんと小川未明(おがわ・みめい/1882-1961)の童話「野ばら」を読む。およそ100年前に書かれたおはなしである。
 大きな国と小さな国は、国境を定めた石碑を守るため、そこへ、それぞれ老兵士と青年兵士を配置していた。
 そこには1株の野ばらが茂っている。
 ふたりはだんだんにこころを通わせ、毎日将棋を指すようになる。
 やがて大きな国と小さな国は、利益問題から戦争をはじめる。
「わたしは老いぼれていても少佐だから、わたしの首を持ってゆけば、あなたは出世できる」
 と、老兵士。
「どうしてあなたとわたしが敵(かたき)同士でしょう」
 そう云って青年兵士は戦地へと向かうのだった——。

 510日毎日新聞の夕刊に「野ばら」が紹介された翌日、熊谷市立図書館に飛んで行って、この物語が収録された『小川未明童話集』を借りて、読んだのだった。
 作品としてもこころを掴まれたが、それだけではなかった。ウクライナ侵攻が思われ、平和について考えさせられ、100年前にこれを書いた作家に向かって、小さくつぶやかずにはいられない。
「あなたは、いまを見通しておられたのか」

 公民館にやってきてくださった皆さんと、これを読めてよかった。

6月☆日
 シマヘビと出くわし、くるくるぽん、とやったはなしを友人に聞かせるたび、顔をしかめられている。
「へびは苦手ですー」
「へび、怖くないのですか」

「怖くないです」
 ヘビに棲みにくくなってゆく一方の土が、わたしには怖い。

 ヘビや虫が怖くないわたしには、もしかしたら熊谷市街地の風土や田畑が向いているのかもしれない。と、ふと思う。

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井の頭公園の朝。
時間があったので、散歩しました。
ここも、わたしのホームだなあ……。 

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2022年6月 7日 (火)

後発的当事者

 ときどき、その場に立ちたくなる。
 恐ろしくもあり、胸も頭も激しく揺さぶられるのだけれども、一方で、不思議な静けさに包まれる場所だ。

 原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市下唐子)。

 画家の丸木位里(まるき・いり/1901-1995)、丸木俊(まるき・とし/)夫妻共同制作による《原爆の図》全15部が常設されている。
 そのほか、常設展示作品として、夫妻の晩年の大作《水俣の図》、《南京大虐殺の図》、《アウシュビッツの図》《水俣・原発・三里塚》がある。

 丸木位里の水墨画と、丸木俊の油彩画の融合はあまりにも力強く、しかしうつくしく、見る者の衣服、防御などはおかまいなしに、直接からだの芯に訴えかけてくる。
 日常生活のあれこれにとりまぎれて、離れてゆく歴史的一大事の記憶を、ゆっくりとたどることになる。祖父母、父母(ちちはは)から、周囲の先輩、大人たちから、その記憶について話を聞く機会を、わたしはあまり持てなかった。
 そのかわり、たとえば読書を通して、「原爆の図丸木美術館」のような場所を通して、知って、学んで、考えてきたともいえるが。
 そんななか、ふと父がもらした学徒出陣前夜のつぶやきが思いだされたり、母が学生時代に通ったという軍事工場での作業のはなしが浮かぶのだった。ああ、先輩たちが語ったあれは、あの時代の「このこと」であったか、というように。

 さて、この春、しきりにわたしは「原爆の図丸木美術館」を訪れたい心持ちになっていた。
 これまで「その場に立ちたく」なったとしも、東京から出かけるとなると、そう簡単ではなかった。時間をつくり損なって、結局気持ちをおさめるしかないこともたびたびだった。
 ところが昨年5月に埼玉県熊谷市の住人となったわたしは、夫もしくは友人に車に乗せてもらいさえすれば、30分ほどで「原爆の図丸木美術館」に到着する身となった。
 美術館の下方を流れる都幾川(ときがわ)を眺めながら、近くに越してきた縁(えにし)を思うのだ。

 このたび美術館の企画展「東北画」のなかで、「後発的当事者」ということばと出合った。
 実際にその事柄の関係者でなくても、その一端を担おうとする生き方をあらわす造語だという。

 未来に向け携えていたい指針の看板が、自分のなかに置かれたように思う。

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梅の収穫を終え、梅の剪定をしました。

(ご案内①)
「原爆の図丸木美術館」を未来につなぐため、
支援を募っています。

「原爆の図保存基金」の主たるなかみは
つぎの通りです。

・展示保存に適した新館の建設
・海外発信の充実
・アーカイブの整理・構築

HPへアクセスのこと。
https://marukigallery.jp/

(ご案内②)

6月13日(月) 10 : 00ー11 : 30 
埼玉県熊谷市「大幡(おおはた)公民館」において、
さわやか学級が開かれます。
「文章で気持ちを表現しよう」

対象は熊谷市内在住、または在勤の方だそうですが、
移り住んでまだ1年、いったいどれほどおひとが
いらしてくださるか……。心配しています。
ご興味のあるあなたさま、どうぞ、お出かけください。

申し込みは熊谷市大幡公民館
048-524-5141 へ。

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