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2022年9月の投稿

2022年9月27日 (火)

100字随想 9月

釘を打つ。棚を吊る。はたきをかける。蕎麦を茹でる。家で働くとき、父は手拭いを頭に巻いた。そうして夜はきものだ。手拭い使いをわたしは受け継いで、家でも外でも頼りにしている。きものは……、真似できない。(99字)


熊谷駅に着き、そこから自転車か迎えの車で家に向かう。玄関の引き戸を開けると、ほっとする。「ただいま」。長年暮らした東京を大好きだが、いまは仕事仲間のような存在。親しくともに何かをこなし、わたしは帰る。(100字)


相棒(夫)が好きだといいなあ、と思いながら玄米を炊く。「いいね」と云うので、以来玄米を食べている。変化しながら生きているのだ。変化をおもしろがる精神を、持ちつづけたい。長生きするかもしれないのだし。(99字)


お彼岸。「お線香を上げさせてください」とやってくる不意の来客に、あわてる。脳梗塞で倒れた夫の従兄弟から、1年間のリハビリ生活ののち、ほぼ元どおり!という話を聞くわたしはタンクトップにショートパンツ姿。(100字)


ブルーベリー木立ち30本のうち、いまなおさかんに実をつけるのは晩生の2本だけで、あとはだんまりを決めこんでいる。眠っているみたい。植物のうつろいは、いきなりだ。「ありがとう」も、伝えられなかった。(100字)


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藍色の模様が好きで、選んでいます。
うちの古顔をご紹介します。

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2022年9月20日 (火)

ちっちゃな冒険

 めずらしい5人のお客さんを熊谷の拙宅に迎えようという計画だった。
 話が決まってからは、お客さん方の昼ごはんの献立を立て、買いものは前日に行けばいいなと考えて、あとはできるだけいつも通りにしていることとする。たのしみにし過ぎたり、興奮したりするのはよそう、と自らを戒めていたのである。

 鶏もも肉。シーフードミックス。いんげん。白菜。きのこ類。小松菜。厚揚げ。にんじん。ワイン。チーズ。
 ……という買いものメモ。

 簡単パエリア。野菜いっぱいのスープ。ポテトサラダ。小松菜と厚揚げの煮浸し。
 ……という献立。

「このスープ、『畑の宿がえ』というスープなの。昔、母が夏につくったなつかしいスープでね、畑の夏野菜を、鍋に入れちゃう、というコンセプト。きょうのこれは、ホタテの干し貝柱でだしをとりました」
 そんなことを聞いてもらおうと、思っていた。

 ところが。
 2022年台風14号が、この計画を吹っ飛ばした。
 前日の正午、延期を決める。台風が、熊谷に大雨を降らせるか、大風を吹かせるか、それはわからないが、台風を軽く考えてはいけないね、と皆で話し合って決めたのだ。

 その日がはじまってみると、たいして雨が降らないばかりか、ときどき陽が射したりして、胸がちくちくした。こういうときはおそらく、仕事も雑用も家のしごともはかどらないから、わたしは自転車をひっぱり出す。
 生暖かい風に立ち向かうようにして、自転車を進める。歩くひと、自転車のひとを見かけないのは、台風を恐れてのことだろうか。
 自分はちっちゃな冒険をしていることになるのかもしれないな、なんて思う。 
 駅の近くでうどんを食べたり、あちらこちらまわって文具、基礎化粧品、下着などを買ったり、埼玉県北随一の百貨店「八木橋」の地下食品売り場で、漬物を選んだり……。
 うちに来ることになっていた5人は、どんなきょうを過ごしているかな。残念がってくれてもいるだろうけれど、思いがけず時間を手にすることになったのだ。それぞれ仕事を持って忙しくしているが、たぶん手にした時間を仕事に切り替えたひとはないのではないか。
 みんなも、ちっちゃな冒険ちゅうかな。

 読書。
 部屋の模様替え。
 手紙書き。
 映画鑑賞。
 釣り道具の整理。

 百貨店のカフェラウンジでそんな想像をしながらアイス珈琲を飲んでいたら、となりのテーブルの坊やが、「ぼくはね」と話しかけてきた。
「おいしいもん、待ってるの?」
「そうなんだよ」
 そこへ坊やのお母さんが運んできたのは、コーンスタントにおさまったチョコレートのソフトクリームだ。
「あ、いいんだ(……わたしもそれにすればよかった)」
「ひゃっほ」

 わたしのちっちゃな冒険は、これでおしまい。
 口のまわりを茶色に染めた坊やちゃんが手を振っている(ラストシーン)。

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「八木橋(やぎはし)」前の、
有名な温度計です。
夏になると、この温度計がニュースになります。
暑い暑い熊谷を象徴する、名物です。

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2022年9月13日 (火)

日記(2022年9月)

9月□日
 父娘がやってくる。
 父(40歳代)も友人、娘(小学3年生)も友人である。
 ふたりはうちに着くなり昼ごはん(夫が買ってきた海苔巻きと、わたしのつくったスープ)の卓につかされ、「さあ」と促されてブルーべりー摘みをする。
「時間は、きっかり1時間。さあ、はじめ」

 忙(せわ)しないのにはわけがある。
 午後3時から熊谷駅ビルの映画館で、「さかなのこ」を観ることにしている。
 前の日、「ふたりと何をして遊ぶ?」という相談になったとき夫が、「『さかなのこ』をみんなで観ない?」と云ったのだ。
 グッドアイディア。

 映画「さかなのこ」がはじまった。
 ちらっと覗き見ると、小学3年生のちーちゃんは真剣そのもの。映画に引きこまれているのだった。ちーちゃんの「引きこまれ」とわたしの「引きこまれ」は、きっとどこかがちがうだろう。
 だけどだけど、自分が好きなことを大事にしようということだけは、共通に胸に宿ったのではないかな。……たぶんね。

 キャスティングが最高!だった。
 スクリーンのなかで「のん」(さかなクン役)が、「普通って何?」という台詞を云ったときの横顔を、わたしは忘れないだろう。


9月□日
 〆切迫る(わたしは〆切の日に原稿を書く。だから、ほんとうに〆切迫るであった)夕方、とつぜん椅子から立ち上がり、野良着に着替える。夫は、東京に打ち合わせ、留守である。
「アンタ、いつもやることが唐突だよ」
 と一応ツッコミを入れてから、庭へ。
 庭は、雑草が丈高く茂り、石を詰めた蛇籠(ジャカゴ)も、小道も見えなくなっている。ブルーベリー摘みにかまけて、庭の草取りまではできなかったのだ。
 熊谷に引っ越して初めてできた近所の友人のミサオサンに、数日前に会ったときのこと。
「ふみこさんの家の庭、一目見て、天国!と思ったの。また、行きたい」
 あわてて、わたしは手をぶんぶん振って答える。
「いまは、天国ではないです。ぜんぜん天国じゃありません。ちょっと待ってください、もう少ししてからいらしてくださいね、ね、ね」

 そんなこともあって、わたしは唐突に草取りをはじめる。
 午後6時になろうとしていて、あたりはどんどん暗くなってゆく。小鎌とスコップ、植木ばさみを使って、抜いたり切ったり掘ったりする。1時間後、抜いた草がねこ車(一輪車)とリヤカーに堆(うずたか)く積まれた。
 積まれた草は見えるが、暗くて、庭がどうなったか、はわからない。

 それにしてもミサオサンは、どうしてここを天国と思ったのだろう。ミサオサンにしか見えない何かがいたのだろうか。


9月□日
「十五夜だよ。お月見しない?」
 と夫が云うので、庭に出る。

 お月さんははにかんで、くっきりとは見えない。
 だけど、お互いに云いたいことはわかる。
「ありがとう、ありがとうお月さん」
「ゆっくりおやすみ、あなたさん方」

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ねこ車とリアカー卿です。

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https://anchor.fm/untatta-radio/episodes/09-e1ni4pc

うんたったラジオ09
軽井沢旅行から帰ってきました。小さな奇跡に気づいて喜ぶ、
観光案内所には行っておこう、沢村一樹のおしゃれなパン屋?
など。

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2022年9月 6日 (火)

 摘む

「おはよう、おはよう」
 防鳥ネットをくぐって、その場に立つなり、わたしは別の人間になる。……人間ではなくなるのかもしれない。魂を覆う肉体部分が薄くなってゆきながらなぜか、どこかがつよくなっている。

 熊谷に越してきて1年が過ぎ、ひとから「畑仕事が大変でしょう」と云われるたび、どう応えていいものか迷う。わたしには机仕事も、エッセイ講座の講師としての仕事もあって、ほんとうのところ田畑のことは夫に任せきりだからだ。夫のほうは、新作のドキュメンタリー映画の製作の只中だが、何かに突き動かされるように、お百姓をつづけている。
 おそらく夫のなかで「同一性(identity)」が成り立っているのだと思う。

「田畑仕事はほとんどしていません」
 と云えば、熊谷の田畑を裏切るようでもあり、友人知人の「移住」へのイメージを壊すようでもあり、「庭仕事をちょっとするくらいなのです、わたしは」と、口のなかでもごもご呟いたりして、情けない。

 10年前に夫が植えたブルーベリーの苗木が育って、実の収穫ができるようになったのはそれから3年が過ぎた夏だった。ブルーベリーを植えた当時、夫もわたしもいずれ夫の実家である熊谷に暮らすようになる、とは想像すらしていなかったが、熊谷にひとつ因(よすが)を持とうと考えたのだった。
 ちちははも因。実家の田んぼも因。なつかしさも因。
 そうにはちがいなかったが、自分たちではじめる自分たち独自の役割としての因を思っていたのだと思う。
 30本植えつけたブルーベリーは低木だが、よく実る。収穫期は7月から9月中旬。ムクドリの好物だから、6月末に防鳥ネットをかける。
 木の間隔はうまい具合だが、あまり剪定しなかったから、佇まいは野放図そのものだ。

 夏がきて、朝のブルーベリー摘みがわたしの当番になった。
 2日に一度、朝6時から2時間摘みとりをし、出荷する。出荷先は親しくなった総菜店か、農協の農産物直販所である。朝収穫しないと、出荷のタイムリミットに間に合わないし、気温がぐんぐん上がるのだ。体力を奪われて、夢中になって摘んでいると、とつぜんふらーっとして、慌てる。
「おはよう、おはよう」
 ブルーベリー畑で摘みとりをはじめると、魂を覆う肉体部分が薄くなり……、というはなしはもうしたのだったな。ええと、わたしはいきなり無心になる。目は太った実を探し、指先はそれをつかみにかかる。
 そのうちブルーベリーとのあいだに何かが通いはじめ、木を渡り歩きながら「いいねいいね。きれいだし、おいしいし」「あなたは、あさって。またね」なんて声をかける。
 パクリ。
 ときどき、摘んだ実をバケツではなく、自分の口に入れる。
 パクリ。

 ブルーベリーの実は数粒ずつ実を寄せ合っている。たわわに実るグループもある。
 そんななかから、太ったのをひと粒摘むと、胸がチクリとする。
 もしかしたら、このひと粒は一家のお父さんかもしれない。……お父さんだけ連れてゆくのか、わたしは。
 ふた粒寄り添ううちのひと粒に手を伸ばす。……恋人を引き離すのか、わたしは。
 グループのほとんどを摘みとり、ひと粒残したりするときはチクリでは済まない。グサリである。
 無心が生む、浅はかな物語のなか、感傷的になってゆくのは、命あるもの同士が向き合っているからでもある。それでもわたしはブルーベリー摘みが好きなのだ。
 ひとに聞かれたら、「わたしはブルーベリー摘みを担当しています」と答えようと思うのに、いまや、誰も「畑仕事は?」とは訊いてくれない。

 ブルーベリーの摘みとりは、9月の中旬までつづきます。

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ブルーベリー、大家族の風景。
02_20220906074001
ブルーベリー、恋人の風景。

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