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2022年10月の投稿

2022年10月25日 (火)

100字随想 10月

小部屋の窓からちっちゃな卵型の橙色が見えた。「カラスウリ!」小学生のわたしは、通学路の雑木林にカラスウリをみつけると、はずんだ。ところで夏には、1日かぎりのレースみたいな花が咲いていたはず。見逃した。(100字)


スマホを持たずに散歩がてら買いもの。家人に確かめたいことができて百貨店の受付へ。「公衆電話はありますか?」「この近くにはないのです」……そうか。こんな調子で豆腐店、銭湯が消えてしまったらどうしよう。(99字)


おもてでクモの巣をみつけると、なんだか見逃したくなる。けれど物干し竿を占領されるようなときは巣をまきとって、引っ越してもらう。翌日見ると、同じクモがもう立派に家を築いている。彼らは勤勉でぬかりない。(99字)


てのひらの上に、種。白いハツカダイコンの「雪小町」さんだ。庭に出て土を耕して筋をつくり、種を指のあいだにはさんでほろほろ蒔きながら、これはわたしの未来だ、と思う。10日後また蒔く。長く収穫するために。(100字)


朝起きると冬だった。昨日は夏だった。「寒い寒い」と云ったり「暑い暑い」と云ったり、忙しないこと。寒くても暑くても朗らかに暮らしたい。地球に住まわしてもらうひととして、あれもこれも受けいれて、朗らかに。(100 字)

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稲刈りのあと、畑の敷き藁に使うため、
藁ぼっちをつくりました。
こうして田んぼに積んでおくと、
長く保存できます。

Fumimushisha_logo  

ふみ虫舎エッセイ講座 10人募集します。

入会のチャンスを待ってくださっている皆さん、
この秋、ふみ虫舎エッセイ講座の会員を10人追加募集いたします。
受講料24,000円(1期6回/1回4,000円×6)を下記へお振りこみください。
講座は、継続することができます。
ご希望の方は下記へメールを。簡単な「案内書」をお送りします。
それを確認し、決心がついたら(←おおげさ)本申しこみをしてくださいまし。
お申しこみが10人に到達しましたら、再び一時募集を休止させていただきます。

基本的には通信講座ですが、月一度東京新宿で教室を開催しています。
東京に近いとは云えない地域にお住いの皆さんが、
上京時に参加してくださることがあるのは、うれしい限りです。
今後はYouTubeでの教室配信もふやしてゆく計画です。

書くことは、思いがけないほど人生の支えになります。
あなたのなかに隠れている「あたらしいあなた」をみつけましょう。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

ふみ虫舎 yfumimushi@gmail.com
山本ふみこnenn

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2022年10月18日 (火)

あたらしい風

「ことしはふたりで稲刈りをしない?」
 夫がこう云ったのは、9月の終わりのことだった。
 それはまるで、「ちょっと散歩に行かない?」とか、「深谷シネマに映画観に行かない?」というくらいのふわっとした誘い方だった。
 誘う。
 ほんとうに誘う感じ。

 こちらも、ついふわっと応じる。
「はーい」

 だがしかし、「ことしはふたりで」とは、どういうことを意味しているのか、まるでわかっていなかった。わかってもわからなくても「はーい」と云ったり「やだよー」と云ったりするのが、わたしである。
 稲刈り第1日目を迎える。ことし田植えをした田は6反(畳3600畳分)、この日はその半分の稲刈りをする計画だ。

「はじめようか」
「はーい」(ひとつ覚えである)

 田んぼは、家の前の畑の向こう側、近いのである。
 コンバイン(稲刈り機)で出発する夫。
 長靴を履いて畑を横切って出発するわたし。

 足で歩くわたしのほうが、先に田んぼに到着し、かなり待っているのが可笑しい。軽トラ(軽トラック)、トラクター(乗用耕運機)は一般道を走ることができる(ナンバープレートが付いている)。田植え機、コンバインたち、ほんとうは一般道を走れないのだが、一部走らせてもらって田んぼに到着。
 すごくのろい。長靴を履いたわたしの歩みよりものろいクルマって、愛しいなあ。働きどころは、速さじゃないんだものね。

 田んぼでは外側から、反時計まわりにコンバインで稲を刈ってゆく。
 こんなことにもいちいちわたしは、驚いている。
 ああ、外側からくるくるまわって刈るのね、さいごは、まんなかで終わるのね。

 わたしの役割は、コンバインのあとをついてまわり、コンバインがなぎ倒して刈りきれなかった稲を、鎌で刈りとること。コンバインは「くるくる」の曲がり角の刈りとりが苦手だ。そこを手助けしたり、落ち穂を拾ったり……。
 コンバインは、わしわし食べるように稲を刈りとって、ぐんぐん進んでゆく。ものすごく優秀な機械だ。

 気がつくと、わたしの前をカラスが2羽ゆっくり歩いている。番(つが)いだろうか。
 何をしているかというと、丈高く育った稲を刈りとったことによって、あらわになったカエル、虫たちをつかまえて食べているようだ。もうもう夢中だから、わたしがすぐうしろに迫っても、逃げるどころじゃない。
「カラスさん」
 と呼びかけると、あわてて飛び立つ。
 カラスたち。鳥たち。虫たち。ヒトたるわたし。みーんながくるくる反時計まわりに歩いてゆくのは、何かの遊びのようで愉快。来世は、あなたがカラスで、君たちが鳥たち、わたしが虫かカエルかもしれないけれど、そのときもよろしくね……。

 籾の袋詰め、藁のこと、いろんな作業があった。
 日の暮れるぎりぎりまで作業をして、わたしはあたらしい風を思っていた。いつも、こんなふうに自分の前に置かれた役割をこなしながら生きてきたけれど、こんなにも土に近い役割を与えてもらえるとはね。

「どうして『ことしはふたりで稲刈り』と云ったの?」
 と、黄昏た田んぼのまんなかで、夫に訊く。
「これから仲間に助けてもらうとしても、まず、ふたりで全行程をしてみて、困ったりしてみたかったんだ」

「はーい。ははは」

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コンバインのうしろをついてわたしは…
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2022年10月11日 (火)

日記(2022年10月)

10月□日
 朝起きたら、様子がちがっていた。
「寒っ」
「涼しい」を通り越して、寒いのだった。
 気の迷いであろうと思った。わたしの勘違いというのと、季節の側のうっかりという、ふたつの気の迷いを疑ったのである。それも朝のうちに解消するだろうという気がして、わたしは半袖のTシャツとオーバーオール姿で台所に立った。
 しかし、寒い。
 天気予報を聞くと、11月下旬の気温であるとのこと。あわててフード付きのパーカーをひっぱり出して着る。

 長袖の丸首白シャツにブルーのスカートを合わせ、久しぶりにストッキングまで履いて外出準備。東京行きの日だ。カーディガンを持つことにする。が……、11月にこんな姿でわたしは街を歩くだろうか。ふと不安になって、長袖の肌着を着てみる。
 昨日まで、袖なしのタンクトップを着ていたのにな、と思いはしたが、暑くなったらどこかで肌着をこそっと脱げばいいのだ。

 冷たい雨も降っている。
 コートを着ているひとに目をやりながら、うらやましくなる。肌着を脱ごうなどとは、一瞬も考えなかった。おもしろいのは、夕方には、寒さに慣れていたことだ。
「寒いってのはこういう感覚よね」
 と自分のカラダと気をそろえ、うなずきあっているのである。


10月□日
「やや、もう稲刈りが済んでる。ここの田んぼはうちと同じ週に田植えをしていたはず」
 ならんで歩いていると(クルマで走っていることもある)、夫はよその田畑を観察して、必ず何か云う。
「さつまいも、よく育っているなあ」
「きれいに草刈りしてあるなあ(田んぼのあぜ道)」
 という具合だ。
 ひとと比べて自分がどうだ、とか、よそとくらべてうちはこうだ、という意識をまるきり持たない夫が、田畑となると、はなしは別なのである。
 こういうのは、お百姓のこころなんだと思う。
 天候を読んで計画を立てたり、よその田畑の様子を見て自らの作業を省みる。
 ちちがいよいよ弱ってきた年から2年間、田んぼを休んだときには、他所の田んぼを見て、夫はよくつぶやいていた。
「青青とした田んぼ、うらやましい」
「お、稲穂が出てきている」


10月□日
 東京での仕事の日。
 熊谷駅に到着するなり、財布を忘れたことに気がついた。
 スマートフォンは持っていて、ここに鉄道ICカード機能を入れているから、電車に乗ることはできる。電子マネー(クイックペイ)もあるから、買いものもできる。が、電子マネー決済ができない場面もあるから現金を持たないのは、やはり困るのだ。

 財布なしなんか、なんでもないよ、と思っていたが、そうではなかった。「経済活動不能」な自分、というような気分になってゆくのに驚く。

 時間が40分空いたから、マッサーッジを受けようかな→「はっ」
 腕時計の電池が切れているから、交換しよう→「はっ」
 古着屋を覗こうかな→「はっ」

「はっ」として、どれもやめることにしているうち、だんだんしょんぼりしてゆく。財布を持っていない不安から生まれるしょんぼり以上に、お金に依存している自分の不自由を思ってしょんぼりするのである。
 持っていなくても持っていても、へっちゃらさ、というわたしに戻りたい。お金を持ち歩くことなどなかったが、少しも不安じゃなかった子どものころに? 子どもには戻れないが、財布を忘れたことをおもしろがれる大人でいたいのです。


10月□日
 東京都武蔵野市中央図書館へ。
 友人で仕事仲間でもある、児童文学者の山花郁子さんの講演会に行くのだ。尊敬してやまない、何より大好き!な先輩なので、わたしは駆けだすように出かけたのである。
 講演会には「平和の種をにぎりしめて——子どもの本とあゆむ91歳の道のり」というタイトルがついている。
 そうなのだ、山花郁子せんせいは91歳。
 2年くらい前、「もうすぐ90歳になるの。気がついたらね」と云われるのを聞いて、椅子からころげ落ちそうになった。
 武蔵野市図書館子ども文芸賞の審査をともに担当して(山花せんせいは読書感想文、わたしは童話・小説・随筆の部門)久しいが、わたしは山花せんせいを自分より幾分年上だというくらいに認識していた。 
 なんと瑞瑞しい感性と、愛らしい魅力をもつひとであることか。

 本日の講演のはじまりのところを、ここに置いておこう。お福分け。

1936226日、雪のあの日、弟が生まれました。弟に会いに、病院に行くのに、長靴を履いて歩きました。『ひとが歩くと、足跡がつくのね』と5歳のわたしは思いました。これがわたしの原風景です」
1936226日は日本で起きた「二・二六事件」の日。

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今週末、うちも稲刈りです。 

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2022年10月 4日 (火)

くさのこえ

「鎌のチカラというのは、たいしたものですね。道具は、やっぱりすごい」
 ふり返ると、麦わら帽子の男がわたしの後方でしゃがみ、鎌を動かしている。
「……そうですね。道具はでも、手入れをし、保管に気をつけないと、たちまちすごくなくなります」
 そう応じながら、麦わら帽子の男がどこからやってきて、どうして庭の草とりをしてくれているのか、わからない。
「あの、喉は乾きませんか」
 声をかけると、麦わら帽子が動いた。
「はじめたばかりですから。平気平気」
 麦わら帽子の下の笑顔には見覚えがある。

「ニシジマヒデトシ」

 俳優の西島秀俊が、草とり。
「でもね、山本さん、このひとの草とりの腕は確かですよ。そいつは私が間違いなく保証します。よかったら一度草とりをさせていただけませんか?」
 これまた知らない男の声がこう云ったのをなんとなく思いだした。この男の紹介で、西島秀俊はここへやってきたらしい。
 とった草をそれぞれ手元に置いている箕(み/手籠)に入れ、何度もネコグルマ(一輪車)に運んだ。そうしてネコグルマがいっぱいになると、リヤカーに積んだのだ。
 その間(かん)西島秀俊もわたしも、ほとんどことばを発することなく作業をつづけた。一度、草いっぱいの箕を抱えてネコグルマのもとで顔を合わせたとき、西島秀俊がつぶやくように云うのを聞いた。
「雑草というのは、受けいれ難い存在だなあ」
「ええと、それはとってもとっても雑草がなくならないというはなし? それとも雑草なんてものはないのじゃないかということ、ですか?」
「あ、雑草なんてものはないのじゃないか、というほうです。みんな名前を持っている植物なのに、とふと思ったのです。かわいい花や実だかタネだかをつけてるヤツもいて、ちょっと複雑な気持ちになりました」
「わかります。勢力がつよい植物をわたしの都合で抜いている、と考えています。うちの裏手に夫が堆肥場をつくったので、そこへ運んでいい土になってもらいます」
「それはいい」
 と麦わら帽子の下の顔が、笑う。
「あとで堆肥場を見せていただいてもいいですか」

***
 そこで目が覚めた。
 夢を見ているのだという意識がわたしにはあった。
 これが現実だったら、西島秀俊のもてなし方を考えて焦ったり、帰りはタクシーを呼んだほうがいいだろうかと、余計なことで気を揉んだりドタバタしそうなものだが、夢だとわかっていたからこそ、とことん草とりをした。
 少し前に西島秀俊が主演してアカデミー賞・国際長編映画賞(旧外国語映画賞)を受賞した映画「ドライブ・マイ・カー」の原作を読んだからかもしれない。
 村上春樹のこの作品に、惹かれて、文庫をとり出し、何度も読んだ。
 夢のなかで、知らない男が草とりに西島秀俊を推薦するくだりは、「ドライブ・マイ・カー」のなかの台詞に酷似している。その場面を、わたしは好きだったのである。
「でもね、家福さん、この子の運転の腕は確かですよ。そいつは私が間違いなく保証します。よかったら会うだけでも一度会ってやってくれませんか?」
 というのが、原文である。
 ただひたすら運転がうまい20代半ばの女、ぶっきらぼうで無口でかわいげがないというところに「彼(家福)」が興味を惹かれる感覚が、たまらない。
 ひとが何かの腕を持っているということ、世間的にはあまり評価されない、もっと云えば評判のよくないということに、惹かれるのがわたしだ。
 その魅力をみつけ出せることにおいて、わたしはわたしを好きである。

 ところで、この数日、わたしはほんとうのほんとうに草とりをしている。
 夏のあいだ担当していたブルーべリー摘みがおおよそ終わったからでもあり、庭仕事を紹介する映像の製作がはじまったからでもある。何にしてもわたしの前にあらためて「庭」が置かれたかたちだった。

 置かれたら、おもしろがらないと。

 そう思ったら、俄然やる気が湧いて、時間をみつけては庭にしゃがむようになった。
 庭には虫もとかげもいるし、鳥もやってくる。ひとの気配もある。西島秀俊のことはともかく、5月に旅立った弟が草のあいだからあらわれるような気のすることもあった。150年以上もここに存在する家に、どのくらいのひとが暮らしたかわからないけれど、そんなひとたちも、ときどきやってきて草とりを手伝ってくれているようだ。

※「ドライブ・マイ・カー」(村上春樹)『女のいない男たち』(文春文庫)所収

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庭と、裏庭と3本の柿の木があります。
ことしは、柿は実りを休んでいます。
それでも見上げた木に、
身を寄せあう柿が見えました。

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