「そうですね」と云いながら
5月23日
弟がこの世から旅立って、1年が過ぎた。
父と母が年に何度かわたしたちを招いてくれた帝国ホテルに、きょうはわたしが皆を招待する。
弟のお嫁のしげちゃんはじめ、総勢5人の会となる。
明かりを幾分落としていることもあって、帝国ホテルのロビーには、過去の記憶がたゆとうている。人待ち顔でソファに腰を下ろしていたり、お茶を飲んだり、記念撮影をしたりしているひとたちの半分は、あの世から来たひとなのではないか。
ほら、あのひと。
羽織袴のあのひとなど、明治時代のひとのようだ。
ひょいと、弟や両親があらわれるような気配もある。
「みんな、いるね。なんだかね」
と、しげちゃん。
同じことを感じている。
テーブルに、弟の笑顔の写真立てを置く。
この1年のことを話すしげちゃん。
ほんとうによくがんばったなあと思いながら、皆で耳を傾ける。
さびしい気持ち、辛い記憶、めんどうな事ごと、先行きの不安を、声で伝えてもらう。これがしたかった。
対面して声で伝えあうことで、しげちゃんが安心してくれたなら……。
5月25日
きょうも打ち合わせ。
「近道」ということを考えさせらながら、帰りの電車に揺られている。
そうだ、わたしは……と、思う。
仕事も、しごと(こちらは家事)も、人づきあいも、ありとあらゆることに関して、わたしは「近道」を求めていないのだ。むしろ「遠まわり」ばかりしてきた。
なるべく早く、なんてことを考える場面においても、できるだけ手間をかけたいという神経が動いている。「ていねい」というのともちょっとちがう。「足踏み」かもしれない。
「それ、めんどうですね」
「一度で済むようにしませんか」
というはなしになるたび、めんどうくさいことをくり返そうとするのは、天邪鬼だからかな。
わたしのまわりには手間を惜しまないひとがたくさんいて、そんなひとたちから仕事やしごとをおそわってきたからでもある。
「めんどうなことはしたくないな」
「またやるんですか?」
なんてことを云われると、じつはしょんぼりする。
相手を傷つけてはいけないから、
「そうですね。めんどうだと思われるかもしれませんが、それをするとよりよいものができます」
「そうですね。だけどもう一度だけやりましょう。そうすると考えが整理されて、成し遂げたいかたちが見えてきますよ」
てことを、わたしは云う。
「そうですね」と云いながら、傷ついている。
能率がわるいことを指摘され、自分でそれを認めたことになるからだ。
5月26日
昨日考えたことのつづき。
その上わたしは……、とふり返る。
その上わたしは「無駄」も好きなのだ。
ことしのはじめに「無駄を出さない」というテーマで原稿を頼まれたときにも、こんなことを書いた。
無駄は出さないようにと自らと約束して、思いきった荷物減らしをはじめたのでしたが、だんだん「無駄」とはいったいなんだろうか、という疑念のようなものが生まれました。
役に立たず、益のないこと(もの)を指すのが「無駄」だというのはわかるけれども、役に立たなくても、家のなかに……、日常のそこここに……、自らのなかに……佇む「無駄」のなかには、おもしろみだってありはしないだろうかと、思わされていたのです。おもしろみを超えて、この世にゆとりを生みだす機会をつくる「無駄」もありそうで。(抜粋)
やっぱりただ天邪鬼なのかもしれない。
ズッキーニが、あれよあれよという間に
育ちました。
黄色い花が咲いています。
花は夕方しぼみはじめ、夜はすっかり閉じて
眠ります。
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