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2023年5月の投稿

2023年5月30日 (火)

 「そうですね」と云いながら

5月23
 弟がこの世から旅立って、1年が過ぎた。
 父と母が年に何度かわたしたちを招いてくれた帝国ホテルに、きょうはわたしが皆を招待する。
 弟のお嫁のしげちゃんはじめ、総勢5人の会となる。
 明かりを幾分落としていることもあって、帝国ホテルのロビーには、過去の記憶がたゆとうている。人待ち顔でソファに腰を下ろしていたり、お茶を飲んだり、記念撮影をしたりしているひとたちの半分は、あの世から来たひとなのではないか。

 ほら、あのひと。
 羽織袴のあのひとなど、明治時代のひとのようだ。
 ひょいと、弟や両親があらわれるような気配もある。
「みんな、いるね。なんだかね」
 と、しげちゃん。
 同じことを感じている。

 テーブルに、弟の笑顔の写真立てを置く。
 この1年のことを話すしげちゃん。
 ほんとうによくがんばったなあと思いながら、皆で耳を傾ける。

 さびしい気持ち、辛い記憶、めんどうな事ごと、先行きの不安を、声で伝えてもらう。これがしたかった。
 対面して声で伝えあうことで、しげちゃんが安心してくれたなら……。


 5月25
 きょうも打ち合わせ。
「近道」ということを考えさせらながら、帰りの電車に揺られている。
 そうだ、わたしは……と、思う。
 仕事も、しごと(こちらは家事)も、人づきあいも、ありとあらゆることに関して、わたしは「近道」を求めていないのだ。むしろ「遠まわり」ばかりしてきた。

 なるべく早く、なんてことを考える場面においても、できるだけ手間をかけたいという神経が動いている。「ていねい」というのともちょっとちがう。「足踏み」かもしれない。

「それ、めんどうですね」
「一度で済むようにしませんか」
 というはなしになるたび、めんどうくさいことをくり返そうとするのは、天邪鬼だからかな。

 わたしのまわりには手間を惜しまないひとがたくさんいて、そんなひとたちから仕事やしごとをおそわってきたからでもある。
「めんどうなことはしたくないな」
「またやるんですか?」
 なんてことを云われると、じつはしょんぼりする。
 相手を傷つけてはいけないから、
「そうですね。めんどうだと思われるかもしれませんが、それをするとよりよいものができます」
「そうですね。だけどもう一度だけやりましょう。そうすると考えが整理されて、成し遂げたいかたちが見えてきますよ」
 てことを、わたしは云う。
「そうですね」と云いながら、傷ついている。
 能率がわるいことを指摘され、自分でそれを認めたことになるからだ。


5月26
 昨日考えたことのつづき。

 その上わたしは……、とふり返る。
 その上わたしは「無駄」も好きなのだ。

 ことしのはじめに「無駄を出さない」というテーマで原稿を頼まれたときにも、こんなことを書いた。

 無駄は出さないようにと自らと約束して、思いきった荷物減らしをはじめたのでしたが、だんだん「無駄」とはいったいなんだろうか、という疑念のようなものが生まれました。
 役に立たず、益のないこと(もの)を指すのが「無駄」だというのはわかるけれども、役に立たなくても、家のなかに……、日常のそこここに……、自らのなかに……佇む「無駄」のなかには、おもしろみだってありはしないだろうかと、思わされていたのです。おもしろみを超えて、この世にゆとりを生みだす機会をつくる「無駄」もありそうで。(抜粋)

 やっぱりただ天邪鬼なのかもしれない。

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ズッキーニが、あれよあれよという間に
育ちました。
黄色い花が咲いています。
花は夕方しぼみはじめ、夜はすっかり閉じて
眠ります。

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2023年5月23日 (火)

間に合いますとも

5月17
 東京での2日つづきの仕事。
 きょうは熊谷に帰らず、長女梓の高島平の家に泊めてもらう。
 夕方到着するなりわたしは2時間ほども眠った。
 起きだすと、リビングダイニングのテーブルに向かって、梓が書きものをしている。
 テーブルから小さな紙片の重なりが崩れて床に落ちた。スーパーマーケットやら花店、書店やらのレシートの雪崩(なだれ)。

「あ、家計簿をつけてるの?」
「そうなの。きょうの仕事終わったから、やっちゃおうと思ってさ」
「レシート、領収書の山だね。家計簿つけ、溜めたな。いつからの分?」
「1月1日」

 ええ? そんなに溜めた? と思うが、同時に感心もする。
 1月1日からずっとつけられなかったとして……、わたしならやめちゃう。やめちゃって「来年はつけようっと」と考えるだろう。それを平気な顔してつけているから、感心したのである。

「それはそれは」
「ぜんぜん平気よ。間に合いますとも」

 なんだってそうだ。
 溜めても、いつからだってやれば間に合うんだ。
 そう思っただけで、胸のあたりがひろがって、勇気が湧く。


5月18
 家に戻ると、たくさんの手紙がわたしを待っていた。
 エッセイ通信講座の作品(これを読んで、わたしが青ペンでこんな書き方もあります、とやる。参考までに)が5通。はがきが2通。少しふくらんだレターパックライト1通。白い封書ひとつ。
 作品の封筒は、ひとまず定位置の籠へ。
 はがきは読んでひと笑いしてから、状差しがわりのひきだしへ。
 レターパックライトは友だちからのもので、あられ(せんべい)が入っている。「会いたいなあ」と書いてある。わたしも会いたい。

 さいごの白い封書をうやうやしくはさみで、開く。
 102歳になるわたしの友人ユニスさんからのてがみ。5月14日のお誕生日にお送りした新茶へのサンキューレターだ。
 ユニスさんはアメリカと日本の〈ダブル〉であり、ふだん話すのは日本語だが、書く・読むは英語を通している。

 I am very happy that you remembered my 102nd birthday. The gift of SHINCHA is always welcomed I thank you from the bottom of my heart.
 Hope to see you again sometime.
                           Gratefully
                                   Qunice

 東京でさいごに住んだ家のご近所に、ユニスさんはお嬢さん一家と暮らしている。うつくしくて勇敢で、おしゃれな……先輩。
 102歳ということだけでなく、存在全体が光っている。その光を浴びて、わたしも人生をおもしろく、勇敢に生き抜きたいの。

〈4年前の夏の思い出〉
 提げ袋を持って帰ってきたユニスさんと会う。
「お帰りなさい、お買いものですか?」
「これ」
 提げ袋を開いて見せてくださる。カップ入りのみぞれ(かき氷と白みつを混ぜたもの)が5個入っている。
「皆さんで、きょうはおやつにみぞれですね」
「いいえ、これ全部わたしのよ。小豆でも抹茶でも、いちごでもなく、白みぞれが好きなのに、これが遠くのコンビニにしか置いてないの。5つ買って冷凍庫に入れておけば、安心でしょう?」


5月19
 ちょっぴり寒く、鍋をなつかしもう、という心待ちから「トマト鍋」をこしらえる。
 材料はうちにあったこれ。
 にんじん。エリンギ。えのき茸。トマト。じゃがいも。とうもろこし。
 これをスープで煮ておき、食卓のカセットコンロの上にのせる。煮立ったところにぶた肉、ソーセージ、いんげん、きゃべつを入れながら食べる。お、いける。
 さいごはうどんで〆る。
 このうどんだが、仕事仲間で友人でもある徹さんからいただいたもの。同級生が営む「林製麺所」(埼玉県朝霞市)の地粉うどんだそうだ。一度食べたら忘れられないうどん。中華めん、よもぎうどん、ひやむぎ(夏)、ひすいめん(夏/ほうれんそう入り)、ひもかわ(冬)、しょうがうどん、そしてそばも、美味しい。
 一度褒めたら、会うたびに徹さんは朝バイクで買いに行ってくれ、袋をぐっと前に出して、わたしに渡してくれる。
 荷物を持つのが苦手なわたしだが、うどんだけはにこにこ持っている徹さんと会う日は当てにして、袋まで用意して出かける。いつか、お店に行ってみたい。「そこ」でしか買えない麺たちだし、林さんというひとがどんなひとで、どんな手をしているか見たいからだ。

 ところで「トマト鍋」。
 うどん(あらかじめ茹でておく)を入れる前にとろけるチーズを加えてみた。
 ひゃー! いけます。


5月22
 庭できゅうりが2本とれた。
 油断していたら、1本は肥満気味。夫が気づいてとってくれた。庭はわたしの担当だというのに。
 見まわると、ベリーがたくさん色づいていた。収穫。
 いちごも収穫。
 みんなみんな、どんどん育つ。

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ベリーの実がなっています。
昨日見る庭、枝、草たちと、

きょうの庭、枝、見にくる草たちとは、
異なります。
それでも、母娘で仕事をするおもしろさが、
明るくゆらめいています。
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ジャムを作りました。

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\うんたったラジオ19/
お便りが来ました! アズサの木の香り。本屋さんで本を注文する。
元気のない友人にどんなことができる? など。


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2023年5月16日 (火)

農繁期がやってくる!

5月9日
 ゼラニウムのはなしのつづき。

 ホームセンターに買いものに出かけ、もしやと思って、花や野菜の苗の売り場を覗く。
 あった。
 赤い花をつけたゼラニウムの苗木の行列。
 熊谷市の住民になってから、どこに行ってもゼラニウムに出合うことがなかった。散歩の道すがら眺める家家の庭でも、園芸店でも。
 冬、園芸店で尋ねたとき、「このあたりで、ゼラニウムの冬越しはむずかしいですね。この時期、うちにはないですね」という答えが返ってきた。
(ここ、温室じゃないのさ)
 と密かにふくれる。
 もしかしたら、此処いらの皆さんはゼラニウムを好きじゃないのだろうか。
 そんなことを考えながらこの季節を迎えたものだから、ホームセンターでゼラニウムの苗木の行列を見たとき、跳び上がった。花の色も、わたしの好みの濃い赤だ。7人(と云いたくなる)連れ帰って植える。玄関前の鉢植えに3つ、残りの4つは初めて地植えにしてみた。


5月10
 庭で、ゼラニウムに会うよろこび。
 しぼんでいた感覚が、ふくらむようだ。
 赤い花を見ながら、遠い国国の戦火を思っている。
 深夜の空爆。朝になると、大切なものが何もかもなくなっている。日常生活も夢も黒焦げで、かたちすら残らない。
 世界の狂気が鎮まることをねがいながら、目の前のうつくしいものたちに祈りを捧げよう。みるみる大きくなる花の蕾、たくさん実をつけているいちごたち、それから赤いゼラニウムにも。


5月12
 昨夕萌がやってきて、今朝早くから種籾(たねもみ)蒔きを手伝ってくれている。
 萌は夫の娘であり、種籾蒔きは稲の育苗(田植えまで育てる)の最初の作業である。
 この日までに夫は、大鍋で60度のお湯に種籾を浸(ひた)したり、その後大樽で水に浸(つ)けたり、育苗箱に土を入れたりして準備していた。

 仕事に追われて、きょうのわたしは少しも手伝えない。
 机の上でひとつ仕事を終えるたび、門の下で作業しているふたりの様子を見にゆく。
 昔ながらの籾蒔き機に種籾を入れて、土の入った育苗箱に手まわしで蒔いてゆく→ 夫。
 籾蒔き機に併設の覆土(ふくど)機を使って、種籾を土で覆う。これまた手まわし→ 萌。
 どちらの作業も機械任せにはできない。種籾がまんべんなく育苗箱にひろがるように種籾を足したり、ほどよい量の覆土となるよう手でならしたり。
 覆土。これにより乾燥が防げるが、土が多過ぎると酸素不足になり、発芽しなくなることもある。

「この作業したことないな。土入れ(育苗箱への)は何度かして、立って作業するシステムをつくったの。お母ちゃんはさ、地べたにぺたんと坐って開脚して土入れしてたでしょう? わたしはからだが硬くて、それができなかったの。来年は、種籾蒔き、できるようにしたい」
 とわたしが云うと、萌が笑う。
「わたしは土入れしたことない。種籾蒔きと田植えだけ」
 そうかあ、こうやって作業をつなげてきたんだなあ、と思う。もっともいちばんセンスがいいのは、萌だけれども。

 田植えは6月半ばの予定である。
 その前に麦刈りが待っている。
 麦刈りと田植えのあいだは、1週間から10日だ。
 農繁期がやってくる!


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 萌と夫は苗代(苗を育てる田んぼ)の準備作業を、わたしは机仕事を、それぞれ集中してつづけ、昼から出かけて深谷シネマに「土を喰らう十二カ月」を観にゆく。
 前の週友だちのカコチャンが観たはなしを聞いて、俄然観たくなったし、深谷シネマに萌を連れて行きたかった。

 沢田研二がよかった。
 ザ・タイガースの歌が大好きで、ジュリー(沢田研二)をこの世のひととは思えないほど素敵だ!と思っていた小学生時代から今日に至るまで、沢田研二はやっぱり沢田研二だと思いつづけてきた。
 70歳代になった沢田研二は、やっぱり沢田研二だった。
 太って姿は変わったけれど、目は変わらないし、何と云っても声がいい。
 映画の暗闇のなかで、あれれ?と思う。
 いまの沢田研二が夫に重なって見えてくる。……似ている。
 隣りに坐ってスクリーンを見ている横顔を盗み見ると……、どうしても似て見える。
 その昔、この世のひととは思えないほど素敵だ!と思った男(ひと)と夫が似ているのは不思議だったが、そういうこともあるのだなあ。
 映画を観たあと、日本酒が飲みたくなり、酒屋に寄って(魅力的な酒屋を発見)「八海山」の本吟醸を1本求める。

 萌を深谷駅まで送る。
 たのしい3日間だったよ、萌。

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育苗箱160個。
たっぷり水をやり、筵(ムシロ)をかけてムロをつくる。
3日ほど置き、ムロのなかで発芽させます。
その後苗代に移して、田植えを待ちます。

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\うんたったラジオ18/
GWスペシャル。名前は小さな物語。両神山に登る。
『大家さんと僕』。『あさってより、先は見ない。』のこと、など。
お庭からお茶をしながらお届け。

▼池袋コミュニティカレッジの写真家・田邊美樹さんと山本ふみこの対談 
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山本ふみこ新刊刊行記念『あさってより先は、見ない。』講座
5月20日(土)13:30~15:00@池袋コミュニティ・カレッジ
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2023年5月 9日 (火)

ゼラニウム讃歌

5月2日
 前の週の、両神山行きで用いた靴を陰干しした。
 靴を見るだけで、愉快だった、そうしてだいぶ間が抜けてもいた登山の日のことがよみがえる。

 両神山(りょうがみさん)は秩父の山(1723,5m)。
 日本百名山のひとつである。
 夫と、長女梓と、わたしの3人で出かけた。秩父、また、群馬の山々に近く暮らすようになったことだし、この2年ほどできなかった山歩きをあらためてはじめようという計画だった。
 前の日に秩父で芝桜の公園の散策、秩父神社に参拝、秩父まつり会館の見学などをして、旅気分で小鹿野町営国民宿舎「両神荘」に一泊する。
 思えば忙しない日がつづいていたため、心身がのんびり方面へ大きく傾いたのかもしれなかった。3人が3人ともそんなふうだった。
「露天風呂に入っていたら、女湯(露天風呂)から、あなたたちのおしゃべりが聞こえたよ。安住紳一郎アナウンサーのユーモアについて語ってたでしょ」
「あらま」
 という調子。

 翌朝呑気に宿の朝ごはんを食べ、食料を調達してから、ゆっくり日向大谷口から登りはじめる。
 結局3時間半登ったところでひき返した。頂上まで行き、ひき返すための時間が不足していることがわかったからだ。
 山の空気を吸えたことも、体力に合うペースをつくって歩けたことも記憶に刻まれたけれども、何より3人でひき返す決断ができたことが、よかった。
 これでまた、山歩きがつづけられる、と思った。

「両神山、再チャレンジしよう」
「約束ね」
「おお!」


5月4日
 世のなかのゴールデンウィークの裾をつかむような気持ちで過ごしている。休みの感覚はなく、いつもどおりなのだが、なんとなくこそこそ仕事をする。誰からも責められたりはしないのに、「ちょっとだけね」なんて云いわけしたりしている。

 友人のカコチャンから「深谷シネマ(深谷市は熊谷市のおとなり)で『土を喰らう十二カ月』*を観るけれど、帰りにちょっと寄ってもいいか」という連絡が入る。……いいね、そりゃ、いいね。
 カコチャンは、11年間も小学校校長を務めたひとだ。何があってもゆったりとかまえた愛情深いせんせいだった。
「『土を喰らう十二カ月』のさいごでね、ジュリーが歌うのよーーー」
 と会うなり、うっとりしたという顔で云う。
 お土産は深谷の地酒「東白菊本醸造原酒」と「東白菊にごり酒」。
「お茶? お茶はいりません。これ、飲みましょう」
 というわけで、柿の木の下の木陰で、はじめる。
 昼下がりのお酒、久しぶりだ。よし、飲むぞ、と思う。

*「土を喰らう十二カ月」
 沢田研二・主演
 松たか子
 西田尚美、尾美としのり、瀧川鯉八、壇ふみ、火野正平、奈良岡朋子
 監督・脚本:中江裕司
 原案:水上勉
   『土を喰う日々——わが精進十二カ月——』(新潮文庫)
   『土を喰う日々 わが精進十二カ月』(文化出版局)
 料理:土井善晴
 音楽:大友良英


5月6日
 わたしには夢がある。
 庭にゼラニウムを植える夢。

 その昔、子どもだったわたしは母方の祖父母の家が大好きだった。
 母に連れられて遊びに行くと、ひとり残って泊まる、ということになる。当時祖父は第二の職にあり、銀座に出勤していたが、家にいるときは庭しごと、大工しごとをしていた。
 器用なひとだった。
 祖父のそばにいるだけで、おもしろくてたまらない。祖母のしごともたのしそうで、台所の戸の外に出した七輪で、さかなを焼いたりするのをじっと眺めていたりした。そうだ、わたしのなかであのとき、幸福という概念が生まれた。

 祖父が旅立ち、数年後祖母が逝ったあと、家はなくなってしまったが、わたしのなかには、ある。母屋も、離れのように建てられた湯殿も、温室も、整頓された道具小屋も、隅々までおぼえている。
 大人になって何年もたってからのことだ。
 いきなり、あれはどこだっただろう——園芸店であったかもしれない——嗅覚の記憶がよみがえった。
 何の香り?
 誰から発せられるものなの?
 わたしはキョロキョロし、とうとう香りの主をみつけた。嗅ぎあてたのだ。

 ゼラニウム。

 この花の香りは、おじいちゃんの庭に漂っていたものだ。なつかしくて、涙があふれた。
 そういえば、おじいちゃんの庭にならんでいたのは、赤いゼラニウムの鉢植えだったのだな……。
 以来、わたしはゼラニウムを求めてそばに置くようになった。
 ベランダの手すりや、庭の塀に植木鉢をひっかけて育てたのだが、ときどき風が株ごと攫ってしまう。そこでテグスでゼラニウムを植木鉢にくくりつけたりしたが、どうも、うまく育てられない。求めては枯らし、枯らしては求めた。

 熊谷に引っ越してきてからも、いつかゼラニウムを育てたいと思っていた。
 庭をデザインし、つくってくれたササキシンイチさんに、「ゼラニウム」と云いかけたこともあるのだが、云えなかった。口出しをしたくなかったからだ。
 けれど、庭のことを自分でするようになったいまなら……。  つづく

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トレッキングシューズたちです。
「また、よろしくね」

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2023年5月 2日 (火)

くつ下自慢

4月25
 散歩。
 20分先の、遊歩道から見える熊谷農業高校の牛に会いにゆく。

 道端につづく家庭菜園の、作物風景を眺めながらてくてく、てくてく。じゃがいも。玉ねぎ。そら豆。スナップエンドウ。茄子……。そうしていちご。
 どんな作物も、ふさわしい時期に収穫しなければならないけれども、なかでもいちごは、どんどん摘まなければ。赤い色も、甘い香りも虫たち、鳥たちを誘い、横取りされてしまうもの。
 気になるいちご畑がある。
 昨日も、一昨日も、赤く実ったいちごがそのままになっている。
 この菜園の主に、何か起きたのではなかろうか。
 これをすっかり摘みとって、いちごジャムにしたら、中くらいの瓶にして3瓶はできるだろう。……わたしがそれをしてはいけない? ……こっそりいちごを摘みとってはいけない? 
 いちご畑に「いちごを摘んでジャムにし、お預かりしています」という手紙を瓶に詰め、わたしの連絡先を書いて置いておくのはどうだろう。
 そう思いながら、実行できずにいる。

 ところで散歩先の牛さんたちは、昼ごはんのただなかで、草を食べさせてもらっていた。先にえさを食べはじめた仲間の様子を見て、「早く早く」とえさの順番を急かして鳴く牛の声を聞いたら、お腹がすいてきた。


4月29
 朝いちばんの草とり。
 寝巻きから寝巻きでないものに着替え、顔を洗わずに日焼け止めを塗って、草とり。きょうはすることがたくさんあるのだとか、あそこへ出かけてあのひとに会う約束をしているとか、そんな予定をはっきり飲みこめないぼんやりとした朝のうちに、ともかく。
 30分間ほどの草との会話。

 最近気がついたこと。
 わたしの草とりは、ねこ車(一輪車)を雑草でいっぱいにするのが目標で、目につく草を、あちらかと思えばこちらに飛んで抜く。目まぐるしく気の散ってゆく草とりである。
 この世にわたしを残して旅立った父、母、弟は、そんなやり方をしない3人だった。草とりの時間と決めた30分のあいだに、たとえばライラックの植わったあたり、たとえば塀に沿ったところの草をすっかり抜こうというやり方だ。
 3人の草とりは、ねこ車をいっぱいにしないまでも、決めた「部分・部分」をきれいに仕上げる。
 きょうもきょうとて気を散らし、飛び飛びに草を抜きながら、わたしは考える。
「こんな娘を、こんな姉を、両親も弟も不思議なものを見る思いでみつめていたのだろうな。許してくれていたのだろうな」
 この世にひとり残されたわたしは、のびのびと自分のやり方を貫く、という気持ちにはならずに、少し控えめに気を散らしている。
 30分のあいだに、ねこ車いっぱいの雑草を抜いて集めた!とうれしがりながら、深く恥じ入っている。


5月1日
 4月の半ばに友だちから小さな荷もつが届く。
 遠くに住んでいて、簡単には会えない友だちの「いま」を、「変化」を嗅ぐようにして、くり返し手紙を読む。

 つよくなったな。
 自由になったな。
 おもしろがっているな。

 一旦手紙を置いて、そおっと同梱の包みを開くと、うつくしいくつ下があらわれた。
 それは友だちの手編みのくつ下。

 ずっと書架の棚に飾っておいたのを、本日、初めて履いてみた。足元から、何かがたちのぼるようだ。虹の上を歩くわたし? 雲の上を渡るわたし? どちらにしても、ふわりと浮かぶ感覚である。

 ときどき出かける食堂のお姉さんにきょう、「素敵なくつ下」と褒められる。
「友だちの手編みなの」
 そう云いながら、パンツの裾を引き上げて、見せる。

 家の前で会った近所の友だちにきょう、「ふんちゃん、すごいくつ下履いてる」と驚かれる。
「友だちの手編みなの」
 そう云って、パンツの裾を捲(まく)り上げて、見せる。

 書留を届けてくれた郵便配達のお兄さんにも見せたくなる。だけど、お兄さんはくつ下に気がつかなかったから、「友だちの手編みなの」は我慢。

  夕方庭にまよいこんできた黒猫に、「友だちの手編みなの」とやる。

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どうです?
自慢せずにいられましょうか!

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\うんたったラジオ17/
すこし元気がなかったときに聴いた、
アナウンサー・安住紳一郎の声。
子どもの頃にやっていた24時間放送。
うんたったラジオはわたしの夢だった……⁉︎ など。
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山本ふみこ新刊刊行記念『あさってより先は、見ない。』講座
5月20日(土)13:30~15:00@池袋コミュニティ・カレッジ
お申し込みは下記HPまで。
https://cul.7cn.co.jp/programs/program_998322.html?shishaId=1001

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山本ふみこ新刊『あさってより先は、見ない。』
thebese「ふみ虫市場」にて発売中!
ご希望の方には著者がサインをいたします。
https://fumimushi.thebase.in/

〈公式HP〉
https://www.fumimushi.com/
〈公式ブログ〉
http://fumimushi.cocolog-nifty.com/fumimushi/
〈公式Instagram〉
https://instagram.com/y_fumimushi
 






 

 

 

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