干し芋
2月21日
映画「PERFECT DAYS」(パーフェクト デイズ)を観るため、東京に出ようか、それとも高崎に? と考えたとき、高崎に軍配があがった。
高崎は、群馬県の誇りのようなものをまとっていて、ちょっと気高い。行ったことのあるひとはわかるだろうけれども、それにくすぐられる。
そうでなくても高崎のミニシアター「シネマテークたかさき」は好きな映画館なのだ。
行くぞー! シネマテークたかさき!
しかししかし。
ドイツの名匠ヴィム・ヴェンダースと日本を代表する俳優役所広司のセッションが実現し、カンヌ国際映画祭で男優賞をとっている話題の映画を、わが街熊谷で観られないのは、なぜか。
もしかしたら、AIが観客動員数を予想すると、この作品が熊谷のシネコン(ひとつの施設のなかに、異なる座席数の映画館をいく種類も持つ大型映画館)での上映と結びつかない結果を生むのかもしれない。これは……わたしの想像だ。
でも熊谷市民とすると、その興味対象と、文化の程度の読み具合は容認しがたい。これは……わたしの感想だ。
雨のなかたどり着いた「シネマテイクたかさき」は、満席だった。
いまだ「PERFECT DAYS」上映の決まらぬ近県からも、ひとが集まっているのだろうか。
考えてみると、最近、どうしても観ておきたい映画の数がふえている。どうしても読んでおきたい本の数より、多いくらいに。2024年がはじまってからというもの、「PERFECT DAYS」のことばかり考えていた。
相当に影響を受けるだろうな、という予感が胸にひろがる。
ヴィム・ヴェンダース監督についてわたしが知っているのは、ドキュメンタリーと劇映画の両方を録り、特徴としてはロードムービー(road movieはふつう旅や移動を描くが、「PERFECT DAYS」は時間的移動を描いているといえる)を得意とすること。ドキュメンタリーは劇映画風にとらえ、劇映画はドキュメンタリー風にとらえてゆく……「PERFECT DAYS」は劇映画だが、ドキュメンタリータッチである。
それからヴェンダース監督が、小津安二郎を愛し尊敬してやまず、彼の作品との出会いをキャリアのなかでもっとも大きな出来事としてとらえていることも、書いておきたい。
小津安二郎の足跡をたどる映画「東京画」も製作している。
そういえば、小津安二郎の映画も、ことが起きるようで起きないが、ヴェンダース監督の作品、それから「PERFECT DAYS」も、同じだ。
役所広司という俳優のすごさは、受けとめているつもりだったが、あらためて度肝を抜かれる。役所広司演じるHIRAYAMAが日常的にしていることのなかには、わたしがしていることがいくつもあって、共感するのだが、とらえ方がちがう。
おもしろがり方がちがうのか。
それもあるが、昨日したのと同じことをしていながら、きょうのそれは昨日のとは異なるという意識が醸される。いや、それを云えばHIRAYAMAは、目を弓形にゆるめて「同じじゃないかなあ、昨日と」と笑いそうでもある。
起きそうで何も起きない、起きなさそうで起きている「日の連続性」に、ぐぐっとつかまれている。
2月22日
この冬、ことさらに好きになったものがある。
干し芋。
これが好物だという友だちから、贈られることもあって、そうか、と思い、火に炙って食べていたが、わたし自身、好物というほどではなかった。
そうだ、母も好きだった。
ストーブの上に網をのせ、そこで平べったいさつまいもを炙っている姿が記憶に残っている。たのしそうだったな、お母ちゃま。
そんな記憶にいっぱられて、出先で干し芋を見かけるたび、「あ」と思うようになった。干し芋、安くない。
夫人とおぼしき女(ひと)が手にとっているその横で、夫が「高いな。芋なのに」なんて云っている場面に幾度か遭遇した。
初めて自ら、干し芋を買ったのである。
すると、なかなかのものなのだ。感触も、味もなかなかなのだが、それを食べる情景が、いい。間食にちがいないのだが、冬の風物詩をわたしは紡いでおりますよ、という、ね。
それで、自分でも干してみたくなった。
さつまいもをまるのまま茹でて、
切り、干しました。
美味しくできました。
さつまいも(紅はるか)を育てて、
干し芋をつくれたらいいな。
という夢が生まれました。
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