「湯」とか、「喋り」とか
5月24日
めまぐるしい10日間がつづいた。
泳ぎつづけるような日日だった。
辛かったかというと、少しもそんなことはなく、こころは平静で、事態をおもしろがっていた。それでも息継ぎがうまくゆかず、アップアップする場面、一度立ちたいと水の底を探すもそれらしいものはみつからず、ひやりとする場面はあったのだ。
昨夜やっと陸にたどり着く。
久しぶりに疲れた。
いつもなら2時間も眠れば、もとにもどるが、そう簡単ではなさそうだった。
「くだらないことを喋ろう」
そうすることで回復をはかろうとは、10日前泳ぎはじめる前に思いついていたから、二女の梢に「喋ろう」と提案。
梢のほうも忙しい日日がつづいて、ふたつ返事。
「くだらないことを喋ろう」
東京でひとつ仕事をしてから、午後、待ち合わせてふたりで町はずれの小さな温泉に向かう。
バスに乗ってたどり着いたのは、ちょっと不思議な温泉場。
ひと呼吸してから、異世界に足を踏み入れる。
静かにくだらないことを喋りまくる。
「ね、くだらないってどういう意味だろう」(ふ)
「……とるに足らない?」(こ)
「きょう、生まれて初めてウィダーインゼリーを買って飲んだ」
「いまはinゼリーね。いまのは森永製菓の製品で、提携していたウィダー社の冠名をはずしたらしい」
「inゼリー? 商品名として、ちょっと間が抜けてない?」
5月25日
梢の家で目を覚ます。
ふたりできょうは後楽園へ。
東京ドームに併設されたスパ施設へ。
湯に浸かったり、岩盤浴で寝そべったり、喋ったりしているあいだに、気がつくとからだの表面に、だるさが浮いてきている。
「このだるさとは、ちょっとの間つきあうことになるかもしれないね」(ふ)
「だるいとか、疲れたとか云えたり、くだらないこと喋る相手がいるのは、ありがたい。それでメンタルが守られてるんじゃないかな、と思う。」(こ)
「おお、そうだねー。ありがとうね」
「こちらこそ」
「ところで、こんどまたここにきて、後楽園遊園地のジェットコースターに乗りたい」
「ははは。お母さん、よみがえってる!」
5月27日
せっせと仕事。
からだの表面に浮いてきただるさが、まだまとわりついているが、気力はもどった。
ひとつ原稿を書きあげて、自転車に乗って天ぷらそばを食べにゆく。
25日に初日を迎えた夫代島治彦の映画「ゲバルトの杜ー彼は早稲田で死んだ」。思いがけないほどたくさんのひとが観てくれているとか。
若いひとたちも、「この歴史を、まったく知らなかった」「これをいま、受けとめられたことに意味があると感じている」などと感想を寄せてくれているそうだ。
わたしが泳いだり(比喩です)
呑気に過ごしているあいだに
麦畑は色づいていました。
これぞ麦秋です。
ある日、こんな札が立っていました。
刈りとりは6月3日からするようにと
農協の「見まわり番」が立てたのですって。
うちの麦刈りは
6月3日の週を予定しています。
夫の映画「ゲバルトの杜ー彼は早稲田で死んだ」
初日舞台挨拶(5/25・渋谷ユーロスペース)。
ドキュメンタリー映画のなかに組みこまれた
短編劇を作・演出した劇作家の鴻上尚史さんと
出演者の望月歩さん、琴和さんたちが並んでいます。
映画に関心のある方は公式HPをご覧ください。
http://gewalt-no-mori.com/#modal
〈公式HP〉
https://www.fumimushi.com/
〈公式ブログ〉
http://fumimushi.cocolog-nifty.com/fumimushi/
〈公式Instagram〉
https://instagram.com/y_fumimushi
最近のコメント