とにかくきょうも生き抜こう
7月24日
夏の食卓の5割ほどが、ワンプレートごはんだ。
大きめ(直径24−26cm)の皿を数種類持っているのも、この季節に向けての、わたしなりの準備なのかもしれないな。
ワンプレートにこだわるのは、楽をしたいからだ。洗いものが減る。そうして、遊びたいからだ。ワンプレートと呼んではいるけれど、小さな小さな鉢や豆皿を使って、ままごとみたいに遊ぶ。
冷蔵庫があったって(うちにも、それはあります)、夏は1日1日つくっては食べきる「本日主義」でゆきたいから、ワンプレートのなかにそれを実現させる。
たとえば切り干し大根の煮ものを、煮もの然として盛りつけたり、サラダ風に仕立てて盛りつけたり。常備菜だって食べきる。
本日、わたしひとりの昼ごはん。
玄米
肉そぼろ
野菜炒め
をつくっては、のせてゆく。
よし、目玉焼きをのせよう!
ひとりごはんのときもわたしはしっかり食べるが、ひとりのときはしごとが大雑把になる。大雑把を許すというか、大雑把に挑む感覚。
卵ふたつで目玉焼きをつくり、肉そぼろと野菜炒めの境目めがけてドン、とのせた。
大雑把で、すごくいい。
食卓に運ぶとき、スキップをし損なって……、目玉焼きがひとつ皿から落ちる。
あ“―。
草履を履いた素足に落ちてきた。
あぢー。
きょうのはワンプレートごはんじゃなく、「ひとり暮らし・初めてつくった昼ごはん風」だったな、と思う。
7月26日
夜中、2024年パリオリンピックの開会式をテレビで覗く。
セーヌ川の上を、選手たちをのせた船が流れてゆく。
セーヌ川と云えば、「シェークスピア・アンド・カンパニー」だ。
社会学者の日高六郎氏を神奈川県・葉山にお訪ねしたとき、聞いたはなし。
1971年、パリ。
日高六郎・暢子夫妻(暢子さんは画家)はセーヌ川のほとりで「シェークスピア・アンド・カンパニー」なる看板をみつけた。どうやら本屋であるらしい。なかに入ると、英語の本ばかりがならんでいる。
「シェークスピア・アンド・カンパニー」は第一次世界大戦直後、アメリカ人の若い女性が英米の本を扱うため、開いた書店だった。
そこはいつしか作家やフランス文学者のたまり場となっていた。ロマン・ロラン、アンドレ・ジッド、ポール・バレリー、ジャームス・ジョイス……。
イギリス、アメリカで発禁となったジョイスの傑作『ユリシーズ』、ここから初版本が出ている。
日高夫妻のはなしはここで終わりではなかった。
「シェークスピア・アンド・カンパニー」の2階には店の主人の住まいだった。夥(おびただ)しい数の、文学と、社会運動の歴史に関する本がならんでいた。
「ストーブには火が燃え、大きな鍋がかかっていました。……いい匂い。旅のアメリカ人少女が、ソファに寝転んで本を読んでいた。店の主人は葡萄酒をあけ、スープをご馳走してくれました」
帰国した夫妻の家には、若者が集うようになった。
セーヌ川のほとりの店でみつけた熾火(おきび)を持ち帰り実現した「学びの場」「憩いの場」だったのである。
——思わぬ思いでの寄り道。
2024年パリオリンピックのはなしの途中だった。
選手の皆さん、そこに立っているだけで金メダル!
この先の競技で得るメダルとか、メダルの色とか、そこはヒトの領域じゃないと思う。
のびのびと競技をして、パリをたのしんで、胸を張って帰ってきておくれねー。
競技人生について、まるでわかっちゃいないオバチャンの、声援のことばだよー。
7月29日
熊谷でとうとう40度超え。
昼間クーラーを入れたベッドの部屋で、うとうとした。
それで、夜中に仕事。
ちょいと自堕落なことである。いいんだー、「とにかくきょうも生き抜こう!」の精神でゆく。
旧暦のお盆が過ぎれば、秋がくる。
そこまで生き抜こう!
何年も何年も前、
まだ東京と武蔵野市に住んでいたとき。
どこかの国でテロ事件が起きた翌日の朝でした。
次女の梢が、
出がけに玄関でこう云ったのですよ。
「とにかくきょうも生き抜こう」
そのとき書いて、玄関の棚上に
隠すようにおいた紙切れを、
いまも置いています。
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