足の指を数える
2月18日
朝、くつ下を履く。
1年のうち、5月から10月までは素足に草履(ぞうり)を履いて、11月から4月まではくつ下に草履を履いて過ごしている。家の土間でのはなしだ。
2月であるいまは、くつ下期間。
くつ下は、5本指のを履く。朝、5本指くつ下を履くとき、わが胸に浮かび上がる感慨について、これまで幾度書いたことだろう。わかっていても、書かずにはいられない。
——ああ、きょうこそ、足の指がひとつなくなった。
と思わない日はない、というはなしだ。
今朝なんかは、右足のくつ下の指が決定的に余っていたから、はじめからやり直す。足先にひっかけたくつ下を神妙にとり去り、右手の親指と人差し指で、第1趾、第2趾、第3趾、第4趾、第5趾をつまんでゆく。
こうしてみれば、指は5本ある。
くつ下の指と、自分の指とのあいだに折り合いをつけながら、ゆっくりやり直す。
履けた。
5本指ソックスの裏側に穴があるのを発見する。
——困った、出かけるまでに、もう時間がない。
とつぶやく胸のうちで、くつ下にあいた穴を愛しんでいる。どうしてこういう気持ちになるのか、さっぱりわからないけれど、このわからなさにつきあわないと、自分を見捨てることになりそうだ。
穴といっしょに出かける。
2月19日
月一度の「ふみ虫舎エッセイ講座」の教室の日。
きょうは、ブックデザイナーの柴田裕介さんをゲストに迎える。
柴田さんの肩書きは何か、と訊いてみたところ、「エディトリアルデザイナー」ということばが返ってきた。雑誌をはじめとした印刷物に特化したデザイナーである。
自分としてはどう呼ばれてもかまわないが、とことわりつつ、仕事をはじめたときに、師匠が「エディトリアルデザイナー」を名乗っていたから、聞かれたらそう答えることにしているとのこと。
「エディトリアル」には「編集」という意味がある。
柴田裕介さんと仕事をするとき、「編集」分野についても大きく担っていただいている。いただこうと企てるわけではないが、いつのまにか……。
デザインの歴史はこの半世紀のなかで大きく変化した。
その前半期に、雑誌編集の仕事をしてきたわたしは、恥ずかしながらも(ほんとうに恥ずかしながらも)誌面のデザインをしていた。取材して、記事を書き、割付(わりつけ——雑誌や書籍のページの文字、挿絵や写真、図の配置を指定する——)をして入稿——印刷所に渡す——するのが、若かり日雑誌記者・雑誌編集者だったわたしの仕事だった。
本格的にブックデザイナー、装幀家という仕事人に会ったのは、出版社から独立してからあとのことである。そこからは、自分で誌面のデザインをすることはなくなった。
やがてわたしは、「デザイン」を交流、つながりの鍵だと考えるようになる。
うつくしさ、おもしろさ、わかりやすさをひき出す鍵。「デザイン」に無頓着であると、ひととのあいだに橋がかかりにくいようだ。
講座では、聞き役のわたしがポンコツであることを露呈しながらも、柴田裕介さんがそこにいて、落ち着いた口調で話をすることで「デザインとは何か」が伝わるのを感じていた。
「質問があるひと」
「はーい。柴田さんの、カーディガンのなかの、Tシャツの柄を見たいです」
うん、そういうことかもしれないね。
……と、思う。
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