どくだみさん
4月24日
詩人の井坂洋子せんせいとの対談の、2回目。
このたびは、わたしがお仲間とつづけている「ふみ虫舎エッセイ講座」に組みこんで行った。
いつ、わたしは井坂洋子せんせいと対談しようと考えたのだろうか。
どうしてもしなければならないと、思った。
そう思っていながら、もじもじする。
このたび井坂せんせいにも、「え? もじもじ? あなたが?」と、笑われたのだが、体質としてわたしは「もじもじ族」である。こうしようと決めたら、脇目もふらず突進するところもあって、そこに注目すると大胆にも見えようが、そのじつ、「そこ」までそうとうもじもじする。
もじもじ、もじもじ。
いつ、わたしが井坂洋子せんせいと対談しようと考えたのかを思いだせないのは、「もじもじ」と「決断」のあいだに、あまりにもいきなり架橋が実現するからなのだ。
井坂洋子せんせいはわたしの恩師である。
あまりにも歳が近く、それからわたしが、ずっとずっと日常的に「井坂洋子」をむしゃむしゃと食べつづけてきたから、誰もそのことに気がついてはいない。何よりわたしの創作に、それが痕跡として刻まれないのが、いけない。
けれどきょう詩人の牟礼慶子はなしになったとき、「牟礼慶子さんがわたしの詩の母だとすると、山本さんは牟礼慶子さんの孫弟子になるのかしらね」と云われたとき、目から氷の涙がカランコランと落ちた。
どうして凍っていたのだろうか。
たぶん、目を見開いたまま、凍りつくようにわたしが止まったからだ。
いい日だった。
お仲間の数人に混じって、井坂洋子せんせいと日本酒「作(ざく)」を呑む。
透明感のある三重の地酒。
透明感のある詩人。
ぴったりだなと思いながら、ぐびっとゆく。
4月26日
庭で草とりをする日日。
水やりもかかせない。
タネを蒔いた土へ、苗を植えつけた土へ。
草とり。
対象はいま、7割がたドクダミだ。
こんなにもうつくしく、きっぱりと潔い草を、わたしは雑草として抜くのである。鎌も使うこともあるが、ドクダミには素手で、触れたい。葉をつかんでひっぱると、たいていうぷちっと千切れるが、どうかすると、ずるずると土のなかから根があらわれることがある。
気持ちよくひっぱりながら、ドクダミの未来を土のなかから抜きとるようで悲しくなる。
ドクダミをなきものにしようとする自分をひっぱって、ずるずるとどこからか抜き去り、解放してやりたくなる。
ね、どくだみさん、わたしの指はこのところ、あなたの香りに染まっています。みつければ、ひっぱりたくなるからね。
6月になれば花も咲くだろう。
それを書架に飾ろうか。
葉は干してお茶にしようか。
葉をグリセリンに漬けこんで化粧水をつくろうか。
どくだみさん、ね、どくだみさん。
いま、わたしのまわりでは
みどりが動き、花が動いています。
ブルーベリーも花をつけて、結実に向けて旅をはじめました。
ふみ虫舎エッセイ講座傑作選
「週刊ことば山」note連載をはじめました。
面白いですよ。読んでくださいまし。
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