カテゴリー「日記」の94件の投稿

2016年1月19日 (火)

雪が降りました

 ……静かだ。
 という感覚とともに目覚めた。

 窓から外を見ると、何もかもが白色で、ものの輪郭は無いのに等しかった。庭の樹樹も、草も、ゼラニウムもかくれんぼをしている。土や草木は雪を存在全体で受けとめるが、人工物はそうはゆかぬ。クルマなぞはかくれんぼが下手くそだ。屋根には分厚い白色をかぶっているが、側面はボデイそのままだから、ありゃ、真っ先にオニにみつかるな。

 いやちがう。
 真っ先にみつかるのはわたし、ひと、じゃないかな。
 ひとのかたちは、雪のなかでもそのままだもの。蓑笠(みのかさ)をつけていれば隠れられるだろうけれど。
 雪を眺めるわたしときたら……「あー、あー」としか声が出ない。
「あー」と歌っては昔を思い、「あー」と云っては昨日を思い、「あー」と唸ってはきょうこれからを思うのだ。限りなく雪に弱い東京に住んでいるから、気の揉めるのは習い症。地域の学校は通常の登校だろうか、交通はどうなっているか、いまのいまとて気にしている。
 だが、どこかできょうのわたしはこんなふうに感じている。

 雪を、困ると云いたくない。

 雪を、怖れたくない。 

 困ることが起こったなら、そのときただ、困ろう。

 怖れることが起こったなら、あたりまえにただ、怖れよう。

 こうして昼過ぎ、わたしは長靴を履いて、隣町まで出かけたのだ。

 ひとの足は、長靴7割、どこかしら雪対策のある履きもの1割、いつもどおりの靴2割、というのがわたしの観察。

 雪は……、天が降らせた雪なのだ。

 わたしの前に本日置かれた雪を、ただただ受けとめたい。
 あたりまえに受けとめたい。

 帰り道、家に近づくなか、わたしは路地を選んで歩いている。

 細長いパン、えのき茸、クレソン、根三つ葉、豆乳という持ちもの。それを揺らし揺らし歩きながら、自分が何かを探していることに心づく。
 見上げると夕焼け。
 夕焼けが雲の底部を染めている。
 天上から誰かが、贈ってくれた雪景色(ゆきげしき)。昨年旅立ったフジモトマサルくんだわ、きっと。
 それから。
 小学1年生くらいだろうか(なんとなく)、おかっぱの女の子。家の前でひとり、かわいらしい雪だるまをつくっている。

 そうだ、わたしが探していたのはこれだった。

 天から友が手紙のように降らせる雪。
 地にあって、雪をよろこぶ子どものつくる雪だるま。

Photo

ことしはこの帖面に、1年を記録します。
昨年12月、友人の悦子さんが、
イタリア旅行のお土産にくれた帖面です。
1時間」をともに過ごすため出かけた羽田空港で
これを手渡されたとき、驚きました。
この10年使いつづけている帖面と、
まったく同じサイズだったからです。
友だちというのは、そういうものなのかもしれません。
どこかが、ぎゅっとつかまれている……

| | コメント (0)

2016年1月12日 (火)

ほお。

 つい先日、うちにひとが集まってごはんを食べるということがあった。
 鱈とじゃがいものグラタンやら、鶏の梅酒煮やら、千つき汁(大根と里芋のすまし汁)やら、豆腐サラダやらをつくる。お餅も焼いた。
 いつもながら大ご馳走というわけではなかったけれど、一所けん命こしらえて、ふっと吐息とともに皆に遅れて卓につく。
 卓では、わたしの友人が、三女に向かってこう尋ねているところだった。
「お母さんのごはんで、何がいちばん好き?」
「うーん、何だろう。ああそうだ、最近では、タンドリーチキンかな。あれはすごくおいしいの」
 ぎょ。
 わたしは娘の答えの思いがけなさに、心底驚くのだ。よりにもよってそれを選ぶかね、あなたは。「あれはすごくおいしいの」と、きたもんだ。
 ここでちょっと小声になるのだが、最近わたしが何度かつくったタンドリーチキンは、じつはムジルシせんせいの料理なのだ。ムジルシせんせいというのはあれです、無印良品。レトルトの袋からにゅっと絞りだしたるスパイス(ヨーグルトまで入っていて、それだけあればよい)に鶏肉を漬けこんで、オーブンかフライパンで焼くだけで、なかなかにおいしいタンドリーチキンができ上がる。インスタントラーメン(焼きそばも)を持っているほか、その類いのものでわたしが持っているのはそれだけというくらいなのだが。
 それがいちばんか。……ほお。
 やれ、可笑しいこと。

 そんなことがあって数日後、また台所で。

 後片づけを終えたのち、ふと何かしたくなった。そうだ、にんじんサラダをつくっておこう。せん切りにしたにんじんを干しぶどうとともにドレッシングに漬けこむ。

 せん切りをしたい夜です〜。

 それはどんな夜のこころでしょうか〜。
 干しぶどうも入ります〜。
 にんじんさんは、ちょっとはにかんでいます〜。

 てな歌をうたったりしているうちに、にんじんサラダは完成だ。

 さ、残った干しぶどうを……。あれ、ないよ、干しぶどう。
 台所のカウンターの向こうで、夫が読書しながらワインを飲んでいる。その手もとに小さな器があり、干しぶどうが入っている。あらま。干しぶどうをつまみにワイン? ぶどうつながりである。
 チーズ切ろうか?と声をかけるが、「いや、いい。干しぶどうで」という返事。
「干しぶどう大好きだから」
 へ?
 知らなかった。夫が干しぶどうを大好きなんて。もともと食べものの好き嫌いのないひとだから、嫌いだとは思わなかったけれど……、大好き、なのね。
「子どものころから、大好き」
 ……ほお、そこまで云いますか。

Photo

昨年のクリスマスのころから、
ストレチア(極楽鳥花)があざやかに
存在してくれています。
八丈島からやってきてくれました。
島のシンボルの花なんだそうです。
眺めているだけで、うっとりと不思議な気持ちになります。
         *
さて、皆さん。
わたしを助けてくれるムジルシせんせいの
タンドリーチキンのたれのようなものを、
もし持っていて、お薦めがありましたら、
どうぞ「ひそっと」おしえてください。

| | コメント (41)

2016年1月 5日 (火)

年越しの日記(2015−2016)③

11
   2016年が明けた。
 常よりもほんのちょっぴり気を入れて掃除した。ごく簡単なおせちが重箱に詰めてあり、屠蘇の仕度がある。居間の籠のなかに羽子板が見えている。
 わたしのする正月の拵(こしら)えなど、じつにさりげないものであるのに、どうしてどうしてあたらしい年はそれらしく明けたのだ。

「トイレ掃除はわたしがする。帰ってくるまでしないでよ」と云って大晦日に映画「スターウォーズ/フォースの覚醒」を観に出かける者あり。

「ガラス拭きね。はいはい」と独り言(ご)つ者あり。
「ね、味見お願い」通りかかる誰彼をつかまえては小皿を差しだす者あり。

 思えば暮れのこんなような情景が、
2016年の元旦の一部をつくったようでもある。
  2016年元旦の発見。
 自分がかまぼこ好きだということを、あらためて知った。奮発して求めた上等かまぼこが、気持ちを盛り上げる。

1
2
 夫の両親とともに、妻沼聖天山(埼玉県熊谷市)へ初詣。ちちとははが「しょうでんさま」と呼ぶ(しょうてん/しょうでん)この地をわたしはとても好きだ。そして、長細いおいなりさんで有名な名物・聖天寿しが買えたらうれしい、などと密かに考える。
 しかし、2012年聖天堂(本殿)の国宝指定のあと、人気が高まったため、この日も大行列。参拝まで40分待つこととなる。聖天寿しの店の前にもたいそうな行列ができており、「きょうはあきらめようね」と話し合っていたところ、行列の前方からははに声がかかった。
「何人でいらしたの?」
「え? ええと1、2、3、4、5人!」
 ちちとははの親友Aさん夫妻がわたしたちの分の折り詰めまで求めてくださったのだった。
「はい、お年玉」
 どう考えても、これは奇跡だ。そうだ、ことしは、このようなことを見過さず、奇跡とわかって受けとめよう。
 聖天寿しは土産とし、聖天さまを訪れるときの約束でもある「実盛公うどん」(そばもあります)を食べる。聖天さまを建立(こんりゅう)した斎藤別当実盛公に因んだうどんで、大和芋のせん切りがのっている。うどんもいいが、店の佇まい、接客も寄らずにはいられない理由である。

1
月4日
 ヤエバアと電話で話す。
 ヤエバアは元義母ということになるが、わたしにはいまも大切な大切な存在。しかしながら、直接はなしをするのは久しぶりだ。前の日に御招ばれした子どもたちに託してもらった土産のお礼をと思って受話器をにぎりしめたのだった。変わらないやりとりに、胸が熱くなる。
 と、とつぜん、わが口から思いがけないことばがするすると……。
「ヤエバアもわたしも向こうに行くのが怖くないものね。先に行って待っているひとのことを思いつづけているから。死ぬまで生きようね」
 わたしの元夫(現在は友人)の妹に当たるヤエバアの長女が22歳で他界し、その日から31年が過ぎた。その日からわたしの死生観が変わりはじめ、「死」が親しいものになった。親しくなり、慕わしくも思うようになったからと云って、死別の悲しみを知らぬわけではない。その悲しみを悲惨と位置づけたくない、うつくしさ愛しさとともにあることを忘れたくないという思いがずっと、わたしにはあって、「そんな死への思いが、ひととのあいだに云い様のない違和を生じさせることがあったの。だけど違和は支えにもなっていった。……ヤエバア、死ぬまで生きようね」と、わたしは話していた。
 ああ、もっともふさわしい相手に伝えるべきことを伝えた。

 年の瀬のゆるゆるとした働き。

 正月のかまぼこ。聖天寿し。実盛うどん。ヤエバアとのやりとり。家人たちとの会話。
 奇跡に満ちた年越しであった。

Photo

昨年のおわり近く、
友人から申の飾りが届きました。
あまりにかわいらしく、クリスマスのリースをはずした
翌日、つまり1226日の朝、早早と玄関扉に飾りました。

Photo_2

おさるさんのアップです。
12年後まで大事にするんだ。

| | コメント (39)

2015年12月29日 (火)

年越しの日記(2015−2016)②

1224
「ローストビーフ、焼いておいてくれるかな」
「え。ロ、ローストビーフ? 夕方打合せがあって、出かけるんだけど」「わたしより先に帰ったら、お願い。肉は塩こしょうをすりこんで縛り上げておいたし、焼くだけだからね、ね。ここにほら、焼き方書いときました。※○○□□▽△◎◎※だけ気をつければOK
「……※○○□□▽△◎◎※」(ローストビーフの結末は、下記写真キャプション参照のこと)
 これが夫とわたしの朝のやりとりで、わたしはことしさいごの朝日カルチャーセンター(新宿)のエッセイの講座に出かけた。午後、同じ建物のなかで英文翻訳塾の生徒になって、帰宅は午後6時の予定。
 クリスマスディナーは準備万端である。

 バゲット/ハーブ・チーズブレッド

 コンソメスープ(浮き実はアルファベット・パスタ)
 ローストビーフ(サラダ添え)
 グラタン(鮭、鶏もも肉、白菜、じゃがいも) 
 ピクルス
 紅茶ケーキ(生クリーム添え)

 メニューのうち、コンソメスープとグラタンは前の晩にわたしが仕込んだものだが、ハーブ・チーズブレットとピクルス、紅茶ケーキは近所に住む友だちのノゾミさんのお手製。クリスマスの雰囲気の大事な部分を担ってもらった。ありがたや。


 ことし
12月のはじめ、机上にフラ・アンジェリコの「受胎告知」(ポストカード)を飾った。「受胎告知」をテーマにした絵画は数多くあるけれど、フラ・アンジェリコの描くマリヤは敬虔に、御使(みつかい)ガブリエルのことばを受けとめている。その目は自分の将来というのとは異なる未来をそっとみつめている。
 仕事と勉強を終えた新宿からの帰り道、ふと、ポストカードのマリヤのまなざしが浮かんだ。聖書の一節とともに。「而(しか)してマリヤは凡(すべ)て此等(これら)のことを心に留(と)めて思ひ回(まわ)せり」(ルカ伝2章19節)

12
月◯日
 長女が仕事を辞めた。
 独立して仕事をしてゆきたいと聞かされたのは、夏のことだった。
 そろそろやって来るだろうな、と思っていたら、来た。
「退職いたしました」
「それはそれはお疲れさまでした」
 母親のわたしにまで、「もったいない」とか「先のめあてはあるのか」とか、「こんな時代にあり得ない!」とまで云ってくるひとがあったというはなしをする。すると長女は徒(いたずら)っぽい目をして、こう云った。
「わたしには、いつ独立するのだという、父と母からの無言の重圧がのしかかっていた」
 独立を促したこともなければ勧めたこともないから、それは冗談でもあるが、長女にしたら真実であるのかもしれなかった。
 思えばインディペンデント(独立)にこだわりつづけてきたわたしたちだ。「働く」ということの意味が、そこにしかみつけられないわたしたちだ。
 そこから重圧を感じていたというのが軽口であれ、真実であれ、何だか少し誇らしい。
 だが、浮かれてもいられず、くぎを刺す。
「独立というと、自由気ままみたいだけどさ、あらゆる相手に属するという意味でもある。お覚悟」

12
月△日
 久しぶりの午睡だ。
 本を抱えて蒲団にくるまる。たのしみにしていた祭りのようだ。
 三女がわたしにと図書館で借りてきてくれた『昨夜(ゆうべ)のカレー、明日(あした)のパン』(木皿泉/河出書房新社)を持ってくるまる。そう云えば、NHKでドラマを観たな。ものすごく好きなドラマだった。
 このつぎいやなことがあったら、絶対DVDボックス買っちゃおう、と思っていたのに、実現していない。あれ? いやなことがあんまりない年だったのか……? 鈍感になっただけかもしれないが。
 抱えた本(小説)があまりにおもしろかったため、うとうとはなかなかやってこなかったが、それでも、とうとう訪れた。
 眠りから覚めて片目をあけると、時計の針が3時をかたちをつくっていた。
「あれれ、これは朝の3時? ああ、やわらかいこの光を見ると午後3時だな」
 こんな阿呆なことを思って安心する瞬間がたまらない。午睡ばんざい!

Photo

1224
牛ロースのかたまり800g
をもとめました。

Photo_2

1224
夫に夕方焼いておいてね、と頼みました。
「守るべきは※○○□□▽△◎◎だけ」と云い置いて。
でも、夫は※○○□□▽△◎◎
耳に入らなかったのでした。
※○○□□▽△◎◎※
「焼き上がったあと、庫内に置き過ぎると
余熱でどんどん熱が入るからすぐ出すこと。
(天板に落ちた油で)グレイビーソースをつくるから、
天板はそのままに」というものでした。
それが守られなかったので、
ちょいと焼き方が過ぎたローストビーフを、
わさびしょうゆで食べることになりました。
でもいいんです。
ことし、夫はたいうそう料理の腕を上げました。
ローストビーフまで完璧に焼かれた日には……

| | コメント (40)

2015年12月22日 (火)

年越しの日記(2015ー2016)①

12月◯日
 台所でにんじんを刻んでいる。
 誕生日におろした友人に贈られたまな板の上で、とんとんと。
 はっ。せん切りにするはずのところをいちょう切りにしている。
 困ったひとですね、あなたは。

12
月△日
 友人たちと銀座へ。
 なつかしいコム・デ・ギャルソンのブラウス(襟ぐりに大きめのヒカリモノがならんでいる)を着て、マントケープをはおり出かける。駅の階段を上るとき、ふだん履きの靴を履いているのに気がついた。はっ。エナメルの靴を履くのだったのだ。
 困ったひとですね、あなたは。

12
月☆日
 急いで急いで。
 武蔵野市第五中学校の研究発表会に出かける。緊張もしているが、たのしみもいっぱい。自転車にまたがって……あれ、わたしはどこへ向かって走っているのだろうか。市役所への道を走っている。
 はっ。本日の行き先は市役所ではなく、反対方向の五中だ。
 困ったひとですね、あなたは。
                  *
 12月だというに、ぼんやりして困ったひとになっているわたしを、わたしはどう見ようとしているか。
 野菜の切り方をまちがえても何とでもなる晩ごはんをつくっていたのだし……。
 ふだん履きの靴はたしかに不釣り合いではあったけれども、一点抜けているのなんかはじつにわたしらしくもあるのだし……。
 自転車の走り出しをしくじるなんて、ある意味余裕だと思えないこともないのだし……。
 12月だというのに、ぼんやりしていてなかなかよろし。そのように見ることとする。

Photo_2

12
 見事においしそうな大根の葉が、
いっぱい集まりました。
 いつもは菜飯にするのですが、
それだけでは使い切れず。
 ナムルに。
 にんじんとともに茹でて、
塩、すりごま、おろしにんにく、ごま油で

和えました。

Photo_3

12
 またまた大根の葉がやってきました。
 本日は細かく刻んで、油揚げとともに
煮ました。煮ものではありますが、細かく刻んだので、
ふりかけ風。仕上げにごまと七味唐辛子をふりました。

| | コメント (32)

2015年12月15日 (火)

ことしの銀杏

 12月も半ばになったが、いまだ東京には張りつめた寒さが、ない。
 先日、玉川上水の小橋の上でふと立ち止まったが、そのときも寒さがなかった。それが証拠に、胸のなかであのことはああだろうか、このことはこうだろうかと思いめぐらしながら、わたしはしばらくそこに佇(たたず)んでいたのだ。例年はこの季節、川のそばに佇もうものなら、川面(かわも)から凍りつきそうな冷気が立ちのぼってきて、身にからみつくのに。そんな冷たい空気を、ちょっぴりなつかしんでいるのである。
 泣こうにも涙がカチンと音を立てそうな。
 歌おうにも声が空中で割れて落ちてゆきそうな。

 銀杏(いちょう)の葉などは樹にしがみついたままでいる。ちょうど黄色の炎のかたちだ。銀杏の葉は最低温度が
45度になって初めて色づくのだそうで、この冬東京では11月のおわりにやっと色づきはじめたということだった。なるほど12月も半ばになるというのに、まだ葉の大半が枝についており、黄色い銀杏の樹がそこここに見られる。ことしの銀杏の葉は、青いまま落ちてしまうのか、との見方もあったらしい。
 銀杏は、とまどっているだろうか。
 葉は樹の上で、初めてクリスマスの飾りつけを眺めているのかもしれない。いつもは緑と赤中心のクリスマスの拵(こしら)えのなかに、自分たちが〈黄色の主張〉をして見せていることにも心づかずに。
 いや、銀杏とても毎年同じではないのだ。
 昨年の銀杏と、ことしの銀杏。
 それはまったく別の銀杏だ。

 大通りに面した銀杏並木道で落ち葉をせっせと掃き集めているひとたち、高齢者の
3人グループ。
 わたしはそわそわと、どうしてかそわそわしながら、その様子を見ている。こんな声が聞こえたからだった。
「こんなに大急ぎで、落ち葉を集めて捨てなくてもいいものを」
 ややくぐもった男の声が云うそれこそ、わたしがいつも落ち葉に対して感じているもの……。だからこそ、落ち葉を忙(せわ)しなく掃き集める働きぶりに対して、ついそわそわする。銀杏並木の木陰に立ってひとを待つふりをしながら、男の声のつづきを、わたしは待っている。
「仕方がないわ。アスファルトの歩道の上の落ち葉ですもの。ついこのあいだも、濡れ落ち葉の上で足を滑らせ、ころびそうになったという苦情がきたって」
 これは女の声。
「落ち葉の下で、虫が越冬するなんてことも忘れたのか。まあわたしなんかも、そんなことは忘れたことにして、ここでこうして落ち葉を集めて捨てているのだけれども」
 と、さきほどの男より、さらに歳上らしい男の声がつづく。
 木陰からは、声の主の顔までは見えない。つばのある帽子をかぶっている3人は、うつむいたまま地面の落ち葉を掃いては袋に詰める作業の手を休めないでいるからだ。
「もしも時を戻せるとして……、戻りたい〈頃〉がありますか? わたしはあるんですよ。落ち葉をみんなが何とも思わなかった〈頃〉。そうだな、いまのような車社会でなかった〈頃〉」
 またしても、最初のくぐもった声だ。
 ああ、わたしもそんな〈頃〉に戻りたい、とそっと云い、銀杏並木の大通りを離れた。

 時はどうやら巻き戻せない。

 そういう意味では人間だって、銀杏同様毎年同じではないのだ。
 昨年のわたしと、ことしのわたし。
 それはまったく別のわたしだろうか。同じようなことを考え、同じようなことをしているように見えても。

 近所の公園で、銀杏の葉を拾って帰る。

Photo_2

2015年の銀杏の葉。
(東京都武蔵野市)
Photo_3

飾ってみました、銀杏の葉。

| | コメント (34)

2015年12月 8日 (火)

はてな。

 赤ずきんちゃんのように、かごを持って出かける。
 かごのなかには、出先で必要な、たとえば誰かさんへのおみやげとか、小さな帖面とか、そんなようなものが入っている。でもほんとうは、かごには「はてな」がいっぱいだ。道の上でみつけた「はてな」、ひとを観察しての「はてな」、ふとひらめくように登場する「はてな」。そうして、自分自身に対する「はてな」も。
 かごのなかの「はてな」は、家に持ち帰って本に当たったり、図書館に寄って調べたりしておさまりどころをみつけられるものばかりではなく、「はてな」のままかごのなかに置かれつづけるものも少なくはない。

 そうだ。

 赤ずきんちゃんも、この子が手にしているかごも比喩である。もちろんそうなのだが、好奇心旺盛で、つい横道に逸れてしまう赤ずきんちゃんが、わたしには他人とは思えないものだから、ついこんなところへひっぱりだしてしまう。
 そうして、お腹をすかせたオオカミにたぶらかされて、森で花を摘んでいるすきに、大好きなおばあさんを丸呑みにされ、後から自分もひと口にあんぐりやられてしまう赤ずきんちゃんを救ったのは、そこを通りかかったかりうど(狩人)だった。

 ちょうどそのとき、かりうどがおもてを通りかかって、はてなと思って立ちどまりました。


 ほら、ここだ、ここ。

 ここに「はてな」がある。
 はてな、と思ったかりうどは、おばあさんが大いびきで寝ているのを変だと気づき、家のなかを見る。そこでおばあさんと赤ずきんちゃんをお腹におさめて眠りこんでいるオオカミを発見するのだ。この先は、ハサミでこうして、石をそうして、めでたしめでたしとなるわけだ。
 父に読み聞かせてもらった『赤ずきんちゃん』(グリム兄弟 楠山正雄訳)のなかで、初めて出合った「はてな」。なんてかわいらしいことばだろう。子どものわたしにも、どんなときに用いることばか、すぐとわかった。
 こうして、赤ずきんちゃんと、わたしと、「はてな」は仲よしになった。

 最近の「はてな」にはこんなのがある。

 テレビで、料理番組をちらちら見ていると、料理研究家もシェフらしきひとも、どこかの料理長も「ここで白ワインをカップ2分の1ほど加えます」なんてことを云う、あたりまえの顔で。
 ちょっと気を惹かれて見ているわたしは、ここで思うのだ。「はてな」
 はてな、その白ワインはどこから出てくるものだろう。
 料理用のワインではなさそうだ。安価なワインをそのためにあけるのか。うちには飲み残しのワインなどはあり得ないし(あけたらすっかり飲んでしまうから)、安価なワインを買ってきたとしても、料理に使ったあと飲んでしまったりして……それはそれで「はてな」である。
 わたしは、白ワインを用いると聞いても、聞こえなかったことにして、料理酒を使うことにしている。

Photo

さあ、だしをとったあとの昆布で、
佃煮こしらえてみましたよ。
ひたひたの水を入れ、
砂糖、みりん、しょうゆ、酢で味つけをしました。
汁気がなくなる煮て、さいごにけずり節を加えました。
なかなか美味です! やった!

| | コメント (28)

2015年12月 1日 (火)

わたしの「大事」

 とうとう12月。
 ほんとうに? と何度も思った。ひと月かふた月またいで(つまりその分の日日を抜かして)ここまできてしまったのではないかしらん。うしろをそっとふり返ってみるけれども、そんなことはなさそうだ。

 1234567891011月と、ひと月ずつ、そうして1週間ずつ、1日ずつ、1時間ずつ、1分ずつ、1秒ずつことしを過ごしてきょうまできた。

 仕事や予定が立て込むと、日の巡りが速く感じられるのだと若いころは考えていた。そりゃどうもちがうな、と思うようになったのは近年のことで、自分の「大事」をはしょったりすると、日は悲しくも速度を上げて過ぎるらしい、と気づいた。
 11月のわたしがそうだった。
 机の前に坐る仕事より、出かけてゆく仕事が多かったから、着るもののことを考えたり、約束の時間や行き先までの交通を計ったりして、常よりも仕度が嵩張った。そんななか夫は撮影の旅に出ており、3人の子どもがそれぞれ転機を迎えていたので、わたしは何となくそこにどう寄り添ったものかとおろおろしていたのである。
 おろおろというのを、めずらしい現象としておもしろがればよかったのだが、その余裕がなかった。おろおろを隠して、出先でしゃんとして見せたりして阿呆なわたしだった。
 その上わたしは、自分の「大事」をおろそかにした。

 たとえ最低限ではあっても日常的な役割をこなすのは「大事」以前のことであり、何と云うかな、「大事」というのはちょっとした道草である。


 ゼラニウムに肥料をやりたい。

「ね、ここはどう? 陽当たりがいまひとつでごめんね、ごめんね。でもね、このあいだ、配達のオオタサンがさ、アナタたちを褒めてくれたのよー」なんかと話しかけながら。

 ぬか床に炒り大豆をプレゼントしたい(ときどき、ほしがるのだ)。
「いい大豆なんだよ、これ。炒りながら、ずいぶん食べちゃったの。おいしかった」なんかと話しかけながら。

 手紙書きをしたい。

「年賀状の前に、意地でもお便りしたいと思って」なんかとしたためる。脅しのようだが。

 母のおさがりのコートの衿を直したい。


 アクセサリーのひきだしを整理したい。


 わたしの「大事」とは、まあ、こんなようなことだ。

 何でもないような事ごとだが、決して決して何でもなくない。これをおろそかにすると、日は徒(いたずら)に過ぎてゆき、気配も余韻も残らない。ということは、わたしにとっての柱とも云えるのじゃないかしら。

 きょう、宅配便配達のオオタサンが「きょうは休みです。でも配達」と云ってやってきてくれた。手に、多肉植物がいっぱいならんだプラスティックの盆を持っている。

「くださるんですか?」
 思わず訊く。
「もらっていただけますか? ベランダでふえ過ぎてしまって、物干の邪魔だと家人に云われてしまいまして」
 うふふ、そうでしたか。

                  *


 で、わたしは
12月のはじめの日、多肉植物にうつつを抜かしております。これで、おろそかにしていた「大事」がわたしのもとにもどって……、時間の刻みもせっかちをよしたようです。
 師走、あなたもわたしも「大事」をおろそかにせず、できるだけゆっくりゆこうではありませんか。

Photo_2  

2か月、だしをとったあとの昆布を
冷凍庫で貯めました。
これでおいしい佃煮をこしらえようと思います。

おすすめのつくり方を募集いたします。

師走ですもの。
こんな「大事」を共有してもいいかなと思いまして。

| | コメント (42)

2015年11月24日 (火)

開通

 時計を見ると午前255分。
 蒲団にくるまっている自分、これはほんとうに自分だろうか。
 あたまに血がのぼっている。動悸もしている。

 どうした、わたし。

 気を確かに、わたし。

 こんなふうに呼びかけてみるも、あたまに血がのぼったまま、かっかしている。動悸もおさまってはいない。

 枕元に置いた文庫本を開いて、読もうとしてみるけれども、何もあたまに入ってこない。蒲団の上に坐ってみたり、階下の台所まで行って白湯(さゆ)を飲んでみたり、のびをしてみたりしても、常ならぬ状態は去らない。
 じっとして時間をさかのぼり、自分自身を追ってゆくと、床に入る前に怒りの感情を持ったのを思いだした。仕事上の行き違いがどうにも胸におさめきれなかった。はじけるか、胸。と思ったとき、さて、どの道を行こうか、と迷った。がっかりする道を行こうか、悲しむ道か、それとも……と。
 確かに迷う瞬間があり、わたしは怒りの道を選んだ。
 やっかいなことをいきなり持ちこんだ相手に対しても、調子のいい返事をしてそれを引き受けた自分に対しても、腹を立てたら、怒りがあとからあとからこみ上げてきた。思えば、久しぶりの怒りであった。こんなときには夫をつかまえて「ちょいと聞いてよ」とやるところなのだが、夫は撮影旅行に出かけていて留守だ。遅くまで勉強している受験生の末娘にも、遅番の仕事を終えて帰宅した二女にも、この怒りの波動は気づかれたくなかった。
 できるだけ、怒りの塊が動かぬよう(動けばそれがほぐれて、怒りの分子が全身にまわるように思えた)、そっと後片づけをし、入浴もして、蒲団にくるまったのだった。

 そして午前
255分、みずからのなかの怒りがにわかに燃えて、わたしの目を覚まさせたものらしい。

 ひゃー、まだ怒ってる。

 怒ってる怒ってる。

 床に入る前、怒りの道を行かず、たとえば悲しむ道を選んでべしょべしょ泣いたりしたほうが、よかったかもしれない。泣き寝入りして、そのまま静かに眠ることができたなら、ことはそれですんだかもしれないもの。

 あんまりかっかするし、動悸も早いので、それならもう起き上がってしまおうかと思ったが、それでは怒りに負けるような気がする。

 落ちついて。

 落ちついて。

 自分に云い聞かせて、もう一度、ことをあたまからたどってみると、ここまでかっかしたり、動悸を早めるほどのことではないという気がしてきた。そのくらいの行き違いなら、ほんとうのところ日常茶飯事であるし、いつもならふっと短いため息をついておしまい!だ。相手もそれほどわるくなく、わたしのほうでも反省する必要はなさそうだった。

 それなら、なぜ怒ったのか。
 そんなことを考えてたら、あたまに血がのぼったのもおさまり、心臓の鼓動も平常にもどっていた。
 そうしてわたしときたら、呆気ないほど簡単に眠った。目が覚めたときにはすっかり気が済んでおり、それはつまり、久しぶりに怒ったことで到達した境地であった。
 そうか、とわたしは心づく。 
 わたしのなかの怒りの道がつまって通行止めになっていたのを、昨夜怒りを発動させたことにより、交通が再開したのだ。

 道はどんな道も、すべからく開通すべし(本日の教訓)。

Photo_6

三つ葉の再生。
気がついたとき水を換えていたら、
どしどし葉っぱが出てきました。
愛しいっ!

| | コメント (29)

2015年11月17日 (火)

もう少しごちゃまぜ(先週の「一本道」つづきのつもり)

 このごろ「架橋」ということが思われてならない。
 この場所にも、先週、橋を架けるには、一本道を生きようとせずに、「枝分かれ」が必要だと書いた。

 あれはたしかにわたしの架橋の精神の芽生えだった。

 初めて夫に助けを求めたことは、何もかも自分でしてしまおうとするこころを打ち破った。自分ひとりでしようとするなんていうのは、じつは小さくまとまることに他ならず、危険な一本道であった。自分を閉ざしてしまうという意味で。
 わたしの一本道は分かれはじめた。
「助けて」「手伝って」と振り分けることをおぼえてからというもの、自分の人生の垣根が低くなってきたのである。


 考えに考えて「一本道」と書いたのだが、「単線」ということばを選んだほうがしっくりいったかもしれないなと、ふと思ったりしている。危険なのは一本道ではなく、単線かな、と。

 つい最近、若いお母さんたちの集まりに招かれ、「子どもは親子の関係のなかだけで育つものではない」というはなしを聞いてもらった。
 これが案外、受け入れられない。
 親子で向き合うことがすべてだと考えている(考えようとしている)ひとが少なくないのだ。「もっとのんびりやっていいんじゃないかな、子育てなんかは」と云うと、そうはゆかないという目になる。
「子育てなんかとは思えない。子育てこそが、いまのわたしの一大事なんです」とばかりに。
「わたしは一所けん命やっていて、うちの子どもは、いい子に育っています」
(そうでしょうとも)。
 ああ、ああ、とわたしは心配になる。
 自分のまわりにめぐらせた壁、家庭のまわりを囲む垣根を、いまより少し低くするだけで、ずいぶん楽にもなり、愉快にもなってゆくのじゃないだろうか。
 橋を架けるのもいいが、もう少しごちゃまぜという視点も必要だと思える。ひととひと。仕事と仕事。家家。いまは、そのどれもにそれぞれ壁や垣根を張りめぐらされていて……ぜんぜんごちゃまぜでない。
 若いひとが「自暴自棄になりました」なんて云うのを聞くたび、思う。一瞬でもいいから、ごちゃまぜな場所に身を置き、誰からともなく「だいじょうぶだよ」とか、「キミ、いい目をしているね」なんて云われたりしたら、張りついていた「自暴自棄」がぺろんと剥がれるかもしれないんだけどな。ごちゃまぜのなかには、自分と似たような経験をしたことのある大人や、救いの手をさしのべてくれるひとや、はなしを聞いてくれるひとや、おかしなひとや、ばからしいことを一所けん命やっているひと……たちが存在するはずなんだけどな。

Photo

何が入っていたのだったか、プリンでしょうか。
空き瓶なんですが、なんだか気になってドレッシングを入れたりして
使っています。
なかの匙は、友人からの(およそ30年前)小樽土産です。
「北一硝子」の匙。
昨年、それを折ってしまいました。
折れたって慕わしく、いま、この空き瓶とコンビで働いてくれています。

| | コメント (50)

より以前の記事一覧